第41話

「え、トールいないの?」

「ええ。昨日から子供達と一緒に狩りに出かけたから」


 次の日、ロキは親友たるトールの家を訪れたが、彼の顔を見ることはなかった。広大な屋敷から出てきたのは彼の妻であるシフだ。

 トール不在の報告はロキを落胆させた。これで暇潰しができなくなってしまった。


「せっかく、久々に二人で旅にでも出ようかと思ったのに」

「あら、それはごめんなさい。なんなら私がお相手しましょうか?」


 軽くそう言ってのけたシフに、ロキはしばし逡巡して、首を振った。


「いや、やめとくよ。君に手を出すとまたトールの鉄拳が……」

「そういう意味での相手じゃないわよ!」

「え、違うの?」


 じゃあどんな意味なんだ、と首を傾げれば、シフは呆れたように額に手をやる。


「貴方はどうしてそういう考えしかできないの? 今日フレイヤが来てお茶をしてるの。貴方も一緒にいかが?」


 ああ、そういう意味か。とロキは納得した。

 以前、彼女にお相手してもらった時は、即座に雷神に殺されそうになった。しかも、大事な髪まで切ってしまったせいで、それはもう大変だった。あそこまで激昂した親友を見るのは初めてのことだ。それ以来、彼女と関わりを持つことはなかったので変だと思ったのだ。


「うん、そういう事ならお邪魔しようかな。ホントに最近退屈でさ……」

「その割には色々騒ぎを起こしてるじゃない。この間はヒミンビョルグに変なオブジェを作ったとか……」

「退屈を紛らわすことにはならなかったよ」


 確かにヒミンビョルグの屋上に、全長三十メートルのアザラシ形ヘイムダルを作ってみた。銀で。

 作っている最中と、無言の殺気で追いかけてくるヘイムダルは面白かったが。それもすぐに飽きてしまった。


「あら、ロキじゃないですの」

「久しぶりだね、フレイヤ。相変わらずお美しいことで」

「貴方に言われても嬉しくありませんわ」


 トール邸の中庭。網掛けの白いテーブルとそれと同じ椅子。そこにまるで美女の見本のように座る女神がいた。ふわふわの金髪、透き通ったアメジストのような瞳。

 豊穣と愛の女神、フレイヤだ。

 彼女はこの北欧神界一美しいといわれるだけあって、見事な容姿をしている。


「おや、本音を言っただけなんだけどね」

「女神に転じれば、男神から視線を集める貴方が言っても説得力ありませんもの。アプロディテも同じようなことを言ってましたわ」


 フレイヤと、ギリシャ神界の愛と美の女神アプロディテは仲が良いとは言えない。むしろ敵視している。その二人から同意見を集めるとは。


(女性は敵に回すと怖いんだけどね)


 今度はご機嫌をとっておく必要がありそうだ。


「そうそう、聞きましたわよ。ロキ、貴方今度は夜が明ける前に帰ったんですって?」

「え? この間は約束して行かなかったとか聞いたわよ」

「……君達、どこからその情報を仕入れてくるの?」

「「グナー」」


 あっさり答えられて、ロキは納得せざるを得なかった。

 グナーというのはフリッグに仕える女神だ。ホーヴヴァルプニルという、スレイプニルと同じような能力を持つ馬で神界を駆けている。

 普段は世界を駆け巡り、所謂、諜報活動などをしているのだが。


「なるほどね。彼女なら色々な事情も筒抜けになるか」

「貴方が、女性相手のことでものぐさになるとは思いませんでしたわ」


 結構な言われようだな、と思う。

 まあ確かに、以前なら誘いをドタキャンしたり、夜中に帰ったりなどはしなかった。しかし最近は、どうもそういう付き合いが面倒というか、女がうざったいというか。


「あれかな、美人は三日で飽きる」

「その割には遅い飽きでしたわね」

「これだけ生きてようやくだものね。一体何人泣かせたのかしら」

「フレイヤはともかく、随分な口をきくようになったね、シフ。トールが嘆くよ」


 昔からフレイヤは大胆奇抜な女神だった。だが、シフはどちらかというと貞淑な女神だったのだが。長い時は神の性格も変えるから仕方ないのだろうか。


「あら、あの人の妻はついて行ってるだけじゃできません」

「女性は根性が座ってらっしゃることで」


 お茶に口をつけながら、ロキは女神の台頭に遠い目をした。そう言えば昔に比べて女神陣が強くなった。オーディンやトール、フレイやバルドルまでもが逆らい難くなってきたとか。


(その内、政権交代とか起こったらどうしよう……)


 とりあえず、オーディンに頑張ってもらわないと、と思った。


「ロキ。貴方、身を固める気はないんですの?」


 突然の台詞に、ちょうどお茶を流し込んだところのロキは、危うく噴出しそうになった。


「げほごほごほっ、な、何、ごほがほっ、と、突、ぜ……ん!」


 器官に入ってしまったため、うまく話せない。息が通らない中、涼しい顔でこちらを見ているフレイヤを睨みつける。


「ロキ、ほらしっかり」


 シフが背中をさすってくれているので、しばらくするとなんとか整った。それでもまだ喉がつっかえているが。


「いきなりなんなのさ、フレイヤ!」

「あら、当然の質問をしただけですわ。女性との逢瀬に飽きてきたのなら、そろそろ一人に絞られたらいいんですのよ。貴方と同名の方は正妻がいらっしゃったじゃないの」

「ああ、シギュンね」

「……それ、神話でしょ。ここにシギュンって名の女神はいるかい?」


 ミッドガルドで書かれている北欧神話。それによればロキはシギュンという名の女神を妻に迎えている。ちなみに子供も二人いる。だが、この神界にシギュンという女神はいない。なぜだか分からないがいない。


「いないわね。だって、いるはずの名を持つ神がいなくて、いないはずの神がいたりするものね」

「ほら、どうやって妻を娶るのさ」


 いない女神を娶ることなどいくらロキでもできない。呆れた顔でフレイヤを見れば、彼女はそんなことは分かっている、という顔をしている。


「別にシギュンという名の女神を、とは誰も言ってませんわ。どなたかを、と言ってるんですの。今までは遊びで済ませてきたかもしれませんけど、それが嫌になったのなら貴方は妻を娶ってもおかしくない存在ですのよ」

「そうね。確かにロキはオーディン様の義兄弟。地位も確かなら頭も良いし、顔も良いし」

「昔と違って少し丸くなりましたわ」

「昔と違って周りのことも考えるようになったし」

「昔と違って家持になりましたのよ」

「君達ケンカ売ってる?」


 笑顔が引くつくことぐらい許していただこう。ここまで言われれば誰でもケンカを売っていると思うだろう。いくら言っていることが事実でも、だ。

 ロキはカップに残っていたお茶をグイッとあおった。


「ごちそうさま、シフ。おいしかったよ」

「あら、逃げますの?」


 綺麗な笑顔を浮かべながら、いけしゃあしゃあと言うフレイヤ。この女神はどんなこともズバッと核心をつくので少々やり難い。あまり認めたくないが、若干ロキに似ているのだ。


「いいえ、女神方の意見を考慮して花嫁を探してまいります。では」


 負けるのも嫌なのでそう言い放つと、ロキはパチンと指を鳴らして転移した。

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