第6話

 ギョッと振り返った主神に、フッラの眉が吊り上ったのをセルリアは見た。


「何者も馬鹿者もありますかっ。仕事、お仕事です。そこに並んでるの!」


 ビシイッ、と指をこちらに向けられて、セルリア達は背筋を伸ばす。


「養成学校から来た神人です。お言葉、最初の口上、主神の威厳を見せつけてください!」


『いえ、もう無理です』とはさすがに言えなかった。

 ずり落ちたまま、上から部下であるフッラに怒られる主神。

 孫に余計な物を買ってきて嫁に怒られるお爺ちゃん、に見えたのは失礼だろうか。


「た、楽しい、とこだね……」

「楽しいっていうか、不安?」


 これで大丈夫だろうか北欧神界。いや、それよりも、自分の主がこの主神だったらどうしよう。と、おそらくセルリアだけでなくセロシアも考えたはずだ。


「ん? おお、そうか。そういえば今日だったな、新人が来るのは」


 まだ耳が痛むのか、オーディンはトントンと叩きながら椅子に座り直した。フッラも盛大に溜息をつきながら姿勢を正す。

 オーディンはゆっくりとこちらに視線を寄越した。しっかりと正面を向いたことにより、帽子から片目だけが見える。

 不思議な色をした目だと思った。おそらく金がかった色なのだろうが、揺らめいて見える。


「ふむ、二人とも良い目をしているな。配属先は決まっておるのだろう?」

「はい、まず向かって左が元人間のセロシア。配属先はヘイムダルの第三従者です」


 名前を呼ばれ、セロシアがピクリと反応した。

 二人とも神についてはまだ詳しくない。ヘイムダルという神がどのような者かは分からないが、第三従者ということは、彼女の職場には先輩が二人いるらしい。


 セロシアがホッと息をついた。勝気な妹だけれど、やはり新しい場所に不安も抱いていたのだ。だが同じような立場の人がいるなら、彼女の持ち前の明るさですぐ馴染めるはず。

 セルリアも姉として安堵したその時、オーディン達が不穏な言葉を口にのせた。


「ほお、ヘイムダルが生身の従者を採るのか? 珍しいな」

「それは私も思いましたが、まあ、『別にかまわない』って彼が言いましたから」

「生身って何さ……」


 口角を引きつらせてセロシアが呻いた。

 セルリア達とて一度は死んだ人間。きっちりとした生身ではないと言われればそうだが、養成学校に入る際、新たな肉体を貰った。

 しかし、今の話ではセロシアの先輩は肉体を持っていないことになる。


「セロシア、大丈夫?」

「ふふ……肉体貰えるのに貰わなかったって、どんな酔狂な奴よ」


 セロシアの虚ろな目を見て、セルリアは心配になる。話はできるだろうが、少し変わった先輩のようだ。一抹の不安が大きなものとなる。


「続いて、向かって右が双子の姉に当である元人間のセルリアです。彼女には、ロキの第一従者になってもらいます」


 フッラが必要事項を言い終えると同時に、オーディンはセルリアを見て目を細める。


「そうか、彼女がロキの……」


 彼はセルリアを見ながら、何かを考えている風だった。


「ロキって……男性、だよね。きっと」

「あ、そっか。セルリア、大丈夫?」

「うん……たぶん」


 自信の薄いセルリアの返答に、セロシアは肩を抱いてくれた。

 男性はまずいと頭のどこかで警鐘が鳴る。できれば女性が良かった。きっと我侭に当たるのだろうけれど、事前にフッラに伝えておくべきだったとセルリアは後悔した。

 セルリアにとって、男性は鬼門のようなものだ。


「さて。あらためて、北欧神界へようこそ」


 考え込んでいると、粛然とした声がかけられる。オーディンが悠然とこちらを見下ろしていた。

 二匹の烏を従え、隣にフッラを控えさせたその姿は、先程の醜態からは考えられぬほどしっかりしている。

 言われたわけでもないのに、二人は再度片膝をついた。


「すでに聞いているとは思うが、我々が君達のように神以外の者を神界に招き入れ、従者とするのにはいくつか理由がある」


 主神が告げるのは、養成学校で最初に開ける教本にも載っていた内容。神人が、何のために生まれ、どういう立ち位置に属するのかという基本事項だ。


「それは、移り変わりの早い現界の状況を知るため。有能な者を集め訓練し、昨今増える負の塊を打ち払うため。そして君達に我らを知ってもらい、力を合わせ、神界も現界も、そして冥界もそれ以外も、末永く安定した状態を築くためだ」


 神が何もかも知っているわけではない。神にも人間の全てが分かっているわけではないし、扱えない物もある。

 逆に人間は彼らを知らない。現代では当然とも言えるが、それらの差をなくすための、いわば交流的な意味だと教えられた。


 とは言っても、神々は時代が進みきった今、人間や現界で生きる者に大きく関わる気も、また頂上の者として理解される気もないと言う。

 ただ、現界で起こった不和や激動は負の塊を生み、冥界にいけないそれは時に神界にも影響を及ぼす。そうなった時のために、ある程度知っておこうというだけなのだ。


 確かに今更『神だ、崇めろ!』と言われ降臨されても、独自の文明を築いてきた人間は困るだろう。


(互いを理解するための交流と、問題が起こった時の対処、が本来の仕事だったよね)


 従者に選ばれる者はそれなりの『力』を持つ。神の傍に留まり、交流だけでなくその力をさらに強化するのも仕事だ。

 神界生まれの者を従者にしないのは、現界で起こった騒動を解決する時、神が出て行くよりも、元々その場で生きた自分達の方が潜り込みやすい、ということだろう。


 それに、今はまだ神籍に名を連ねただけだが、有能ならば神格を与えて神とし、さらに困った問題に対処する者を増やすこともできる。一石二鳥というものだ。

 神は人間ほど多くはないようで、力を持った者が増えれば好ましいのかもしれない。


 全て重要な役目だ。決して人間の世界で有名になるわけではないが、それ以上に『選ばれた者』という意識が浮上してしまう役柄だった。


「ま、あたしはそんなのどうでもいいけど」


 ポツリと隣にいたセロシアが、セルリアにだけ聞こえるような声で呟いた。驚いて視線を向けるが、曇天のように暗さを灯した彼女の目を見て何も言えなくなる。

 セルリアは、小さく唇を噛んで俯いた。


「と、まあ以上のようなことを目的として掲げてはいるが……大半は暇つぶしだのぉ」

「え?」


 真面目な口調から一変、本当にどこかのお爺ちゃんのような口調でオーディンは言った。


「神の寿命は長い。ある特殊な武器、もしくは高度な魔法でなければ早々簡単には死なん。自己治癒力が高すぎるからな。老いもそれぞれの体に合わせて止まる。つまり、ちょー暇で、ちょー退屈なんじゃよ」


 ほっほっほ、と朗らかそうに笑いながら、セルリア達にとっては時代遅れな言葉を使う主神。あんぐりと開けた口がどうにもふさがらない光景だった。


「人間界や、その他の種族の生活様式。現界は面白い物が次々出てくるからのう。お主達がおるのもいい暇つぶしになる」


 先程の緊迫した雰囲気があったせいか、彼の言葉にかなり体の力が抜けた。緊張が解けたとかそういうものではない。呆れて脱力しつくした感覚だ。


「んんっ、まあとにかく。貴女達がここに迎え入れられたことに変わりはないわ。今までとは違う形だけど、ここから貴女達の道はまた始まる。心して日々を過ごしなさい」

「「はいっ」」


 とりあえず、しっかりとフォローしたフッラの言葉に、セルリア達は頷いた。

 それはもう、羨望と信頼の眼差しで。


「フッラよ。わしよりお主の方が尊敬されとらんか?」

「そう思われるのでしたら、居眠りをなされないことですね」

「……暇なんじゃよ。雨も降っとるから」


 天窓と壁の大窓。本来ならこの冷たい石色の部屋に太陽を取り入れてくれるはずのそこは、まだ重苦しい雲と豪雨に遮られていた。

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