第5話

 馬車が辿り着いた建物は、驚くというよりも唖然とする物だった。


「銀……」

「銀だね……」


 雨の降る曇天の下だというのに、その建物は光り輝いていた。ヴァラスキャルヴという主神オーディンの屋敷だそうだ。

 だが、屋敷よりは宮殿に近い。

 外観はすべて銀。施されているレリーフは繊細ながらも目を見張る美しさで、銀一色の屋敷に威厳と貫禄を与えていた。まさしく、神々の頂点に立つ者が住まうに相応しい場所。


 セルリアはセロシアと共に、フッラに続いて中に入った。

 中も銀一色かと想像していたが、意外にも石造りだった。それでも床は大理石だろうし、飾られている備品も、扉や石の一つもおそらく値の張る物だ。


「セ、セルリア……他のお屋敷もこんな感じかな? あたし、何か壊すんじゃないかと怖くて屋敷内歩けないよ……」

「そ、そうだよね」


 妹の恐々した台詞に、セルリアも生唾を飲み込みながら頷いた。

 生前のセルリア達の暮らしは、できる限り節約、できる限りリサイクル品だった。孤児院に入っていたため、服などは上の人達からのお下がりで済まし、足りない物はリサイクルショップや百円均一のお店で購入する。

 双子だから共用の物も多く、高級品といえば美術館などで見るのが関の山。時々食べるお菓子ですら、お特用百円パックで我慢していたぐらいだ。


 そんな双子にしてみれば、この屋敷にある物品は、触れるのも見るのも感嘆を通り越して恐怖を覚えさせる。


「安心なさいな。貴女達が行く屋敷はここまで凄くないわ。別の意味で怖いだろうけど」

「フッラ先生、フォローになってません! 安心できませんよ!」


 前を歩くフッラがコロコロ笑いながら言うが、セルリアも安心はできない。


(やっぱり、神様の価値観って人間とちょっと違うよね……)


 従者養成学校に入った直後、セルリア達はこう教えられた。

 この世界における『神』とは、『人間』という名と同じ、種族の名前なのだと。違う種族だからこそ生まれが違い、寿命が違い、持って生まれた力が違い、常識が違う。けれど、絶対者ではなく、ただの別種の生物だと。


 人間が神を崇めるのは、気まぐれな神々が昔、人間より強い力を使って助けたりしたのが始まりらしい。そういった神に出会った人々が神話を作り、今に至るのだそうだ。


 同じ世界のちょっとずれた次元で生きる生物。それは人間と獣や、獣と鳥などにも通じる言葉かもしれない。

 生きているという意味では変わらない二つの種族。それでもセルリアは、やはり神と人間は違うのでは、という考えが頭から消えなかった。


「さ、着いたわ。ここよ」


 フッラの声に顔を上げれば、目の前に巨大な扉が鎮座していた。

 壮麗な宮殿の中では違和感のある冷たい石色。数人が押した程度では開きそうにもない、大きく、圧迫感のある扉だった。


「開けるわよ」


 事もなげにフッラが扉に手を触れた。途端に重苦しい音をたてながらゆっくりと開いていく。どういう構造かは分からないが、セルリアは姿勢を正した。

 この中に主神がいる。そう思うと、自然に体が動いたのだ。


「失礼いたします、オーディン様」


 フッラの声に形式的な重みがのった。一際大きな音をたてて開ききった扉。その向こう側の景色に息を呑む。


 そこは、銀に覆われた煌びやかな外観からは考えられない程、冷たく寂しい灰色の世界だった。

 広い部屋だ。カツンと音を鳴らす石の床。音は高い天井に届き、どこまでも長く、長く反響する。

 扉を中心とした両側には、二人でやっと抱えられるぐらいの太い柱が、幾本も整然と並んでいた。

 壁、床、柱、天井、各々に彫られているレリーフはとても美しい物だが、雨天である今日は、窓から見えるどんよりとした雰囲気と相まって、ずいぶんとおどろおどろしい。


 そして広間の奥。十段ほどの階段の上に一人の男がいる。部屋の雰囲気と同じ、冷たく重厚な造りの椅子。ポツンと置かれたそれに、彼は頬杖をついた状態で座っていた。


「お待たせいたしました。こちらが今回、北欧神界に入った二名の神人でございます」


 片膝をつくフッラに習い、二人も同じ所作をする。これも養成学校で習った作法の一つだ。

 セルリアは頭を垂れる瞬間、少しだけ階段上の男性を盗み見た。

 長い白髪と、灰色がかった髭を見るに老人の姿のようだ。鍔の広い帽子を被っているせいで顔までは分からない。

 そんな彼の姿を脳に留めながら、セルリア達は主神である彼の言葉を待った。


「………………」


 冷たい床、日の入らぬ部屋の冷気が体温を奪っていく。緊張している自分の鼓動が妙に気になって、セルリアは拳を握った。隣にいるセロシアも、唇を噛んで耐えている。


(まだ、かな?)


 フッラが声をかけてから、一分は過ぎたはずだ。なぜ主神は何も言葉をかけてくれないのか。もしかしたら、自分達はあまり歓迎されていないのか、と一抹の不安がよぎる。


 その時、バサリという羽音が耳に入った。

 反射的に顔を上げれば、一つ開いた天窓から二羽の烏が主神の元へと舞い下りてきている。

 天井から主神へと目を移し、セルリアはハッとした。


(どうしようっ)


 まだ許可もされていないのに顔を上げてしまった。まずいと思ったのもつかの間、前にいたフッラもまた顔を上げていることに気づいた。そして、彼女は裾を持って颯爽と立ち上がる。


「あ、あの……」


 遠慮がちに声をかけたセルリアに、フッラはにっこりと微笑んだ。そのまま無作法にも、大きな足音を鳴らしながら主神へと近づいていく。

 反響する音は大きく、耳の奥にまで木霊するのに主神は未だピクリとも動かない。それを見て、ある結論が導き出された。


「も、もしかして……」


 階段を上り、主神の横にたどり着くフッラ。二羽のカラスが彼女を見るが、特に気にした風もなく手を主神の前で振って見せた。やはり彼はそれにも無反応。

 セルリアとセロシアと視線を合わせ、『まさか』と引きつった笑みを見せ合う。

 フッラはオーディンの横で大きく息を吸い込んだ。


「おはよう・ご・ざ・い・ま・すっ、オーディン様ぁ!」


 ぁ・ぁ、と凄まじい絶叫に二人は耳を押さえた。反響が良すぎるのも考えものだ。

 その絶叫の対象である主神はというと。


「ぅぉっ、何者だ!」


 この北欧神界全てを統治する主神オーディン。彼は片耳を押さえ椅子からずり落ちる、という何とも情けない格好のまま勢いよくフッラを振り返った。

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