武士ーもののふー

菊千代

一部/導かれる十勇士

一章/捨てきれぬ誇り

第一話/朱雀と青龍

武士もののふとは。


『困難に立ち向かう事の出来る者』


主君である真田さなだ昌幸まさゆきの言葉であった

そして、その困難を乗り越えて、初めて武士としての評価が得られるのだろう。

佐助さすけは今、正に、そんな困難に直面していた。


猿飛さるとび佐助。


紀州にある九度山に蟄居中の真田家に仕える忍者である。

昌幸はそんな佐助を武士として扱ってくれるのだ。


この時代はまだ、その様な見方は一般的ではない。

武士と忍者には明確な区別がされており、あくまでも忍者は忍者でしかなかった。

どんなに努力を積み重ねても、忍者が武士になる事は出来ない。


主君である大名や武将に仕える形で、忍者は道具として存在していたのである。 

そして道具も同然に扱われて、決して待遇は良いものではなかった。

だから所属する流派を抜け出す、所謂、抜け忍も後を断たない現状がある。


ただでさえ良くない待遇であるのに、流派の上層部に報酬を間引かれてしまう。

実際に手足となって働く下忍にとっては堪らない。

流派を抜け出して、自立して仕事を請け負った方が報酬は桁違いになる。


しかし自立してやっていくには、それなりの実力も必要であった。

抜け忍になると元々居た流派から裏切り者とされ命を狙われる。

自らの力を過信して抜け忍になる者は数多く居たが、その殆どは、そう長くは続かない。

ごく限られた実力者だけが、それら多くの困難を乗り越え、抜け忍として自立が出来るのである。


また佐助は甲州忍者であった。

甲州忍者は元々、武田たけだ家や、その家臣に限って雇われる存在だった為、武田家の滅亡により、それぞれ散り散りになっている。

その為、甲州忍者という流派自体が無きにも等しかった。


それらの事を踏まえた上でも、周囲を見る限りは忍者である以上、武士程の待遇が得られる事は先ず無かったのである。


そんな中で昌幸だけは違った。

他の一般的に武士と云える家臣達と同様に、忍者でしかない佐助を家臣の一人として迎えてもいたのだ。

佐助からすれば、これ以上のものはないとも言える程の厚遇である。


そんな昌幸であったが、今はすっかり衰えて、実質的な真田家の当主は信繁のぶしげになっていた。

その信繁の密命を受けて、その帰途で目の前にいる男に襲われたのである。


そして、その男との死闘を繰り拡げながら、今さっき、此処に辿り着いた。

男の背後には大きな川が流れている。


大井川。


男の背後に流れている川の名である。

駿河の国にある東海道きっての難所であった。

男に導かれるままに、この大井川の河原へやってきたのである。


佐助にとって障害物の無い、この河原は好都合であった。

しかし、それは相手の男も同様であろう。

お互いの秘術を尽くす時が近づいているのだ。


此処までの死闘で、佐助は忍具の殆どを使い果たしていた。

相手の男はどうだろうか。

残っていたとしても、そう多くは無いだろう。


相手の男も、これまでの死闘で相当の忍具を消費してきた。

ある意味、佐助が消費させたとも言えるが、逆に佐助の方も消費させられていたのだ。


しかし佐助には、とっておきの術が一つだけ残されていた。

佐助は、そのとっておきの術を使う機会を伺う。


すると男は後退りをして川の中に足を踏み入れた。

佐助からすれば、こちらから迂闊に近づく訳にはいかない。

寧ろ男の方をこちらに引き寄せたかったくらいである。


佐助の秘術は火を使うものだったからだ。

障害物が無いのは好都合だが、川の水は不都合だった。

だから出来れば、もう少し川との距離を取って闘いたい。


しかし男は川の中に入ってしまった。

佐助の思惑に気付いての事なのだろうか。

それとも相手にとっては水があった方が好都合なのかもしれない。


いずれにしても、この様な状況で佐助の方から動く事は出来なかった。

相手の出方を伺うしかない。


それを承知での事なのか、男は膝下まで川の水に浸かりながら、手で印を組んで、何やら唱え始めた。


佐助は直感で危険を察知するが、かと言って迂闊に近づく訳にもいかない。

万が一に備えて、いつでも秘術を繰り出せるよう準備するしかなかった。


すると男の背後から少しずつ何かが現れる。

全体が現れると見た目には大きなヤマタノオロチの様であった。

そのヤマタノオロチの頭が一つ一つ水で出来た龍の様である。

そして頭が八つある、その水龍が四方八方から佐助に襲い掛かって来た。


これが男の狙いだったのだ。

これが男の秘術だったのである。


佐助はこの様な秘術を目の当たりにして、逃げる訳にはいかなかった。

それよりも、自らの秘術を試したくなったのだ。

すでに信繁から与えられた密命は済ませてある。

今、此処で自分が倒されたとしても、最悪の事態だけは避けられるのだ。


自らの秘術を試すには絶好の機会でもある。

また自分の秘術の方が相手の秘術を上回る自信もあった。

この様な秘術と相対する機会は、もう二度と無い事なのかもしれない。

そして相手の秘術を捩じ伏せてこその勝利であろうと思った。


本当は直接相手に秘術をぶつけようと思っていたが、それで勝利したとしても、相手を殺してしまう事にもなりかねない。

男の秘術を目の当たりにして、男を殺してしまう事が惜しくなったのだ。

相手を生かしたまま勝利する為にも、相手のとっておきを捩じ伏せる。

あわよくば、味方に引き入れる事は出来ないものかと、そんな事も考えていた。


信繁は常日頃から優秀な家臣を求めていたからだ。

これ程の男なら、味方としても大変に心強いし、主君とも云える信繁も、さぞ喜ぶ事だろう。


そして佐助は何かを口に含み、別の何かを襲い掛かって来る水龍に向けて放つ。

続け様に口から炎を吐き出した。

その炎がまるで鳳凰が羽根を拡げる様な感じで、水龍の攻撃を受け止める。


炎の鳳凰にぶつかったものから、一つ一つ水龍が消え去っていく。

しかし七つ目の水龍の攻撃で、炎の鳳凰が力尽きる様に姿を消す。

そして八つ目の水龍が佐助を襲った。


佐助は咄嗟に左腕を差し出した。

八つ目の水龍が佐助の左腕に食いつく。

佐助の左腕は折られてしまう。


それでも佐助は表情も変えずに、男の次の行動に対して注意を払う。

しかし男は前のめりになって、川の中に倒れ込んだ。


佐助は警戒をしながらも、男に近付いて男の体を川から引き上げた。

男の体を見ると、随分と窶れている。

恐らくは自らの肉体を触媒にして、川の水を用いヤマタノオロチを作り出す技だったのであろう。


男は意識朦朧としている様だ。

それでも正確に状況の把握も出来ている様だった。

引き上げられた河原の上で男が口を開く。


「何故!?俺を助けた?」


「別に助けた訳じゃない。お前を水の中に置いておく方が危険だと判断した」


佐助は半分の本音と半分の方便で応えた。


「そうか。それは賢明な判断だったな」


男はそう言うと気を失った。


佐助は考え込む。

この男は一体、何者なのか。

何故、自分を襲って来たのか。

更にこの男を味方に引き込む事は可能なのか。


佐助は様々な事を考えながら、折られた左腕の応急処置をして、自らの体力回復を図った。

そして改めて、男の実力に感心をする。

更には取り敢えずの危機を脱した事による安堵感に包まれてもいた。

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