5-7 潜入

「趣味悪いわね」

 天井を見上げたときに自分の写真と目が合い、キリの額にしわが寄る。もうこんなもの、見たくもなかった。


 軽くため息をつき、キリは改めてその部屋を見渡す。

 一番奥にある机の上には、電源が入りっぱなしのモニタがあり、キリが見ても理解不能なウインドがいくつも浮かんでいる。


 その左横にある金属の棚には、光学ディスクの入ったプラスチックのケースが何個も並べて入れられていた。

 そしてもう一つ。幾つかの基盤が突き刺さった、金属の箱があった。基盤同士がそれぞれコードでつながっており、青や緑のダイオードが静かに明滅していた。


 殴れば壊せそうなこの機械が、障壁装置なのだろうか。

 室内の大きな部材はその程度で、人が隠れられそうな場所はない。


 フィリップは居ないようだ。

 居れば殺してやったのに。

 構えていた拳銃を下ろし、奥歯を強く噛みしめる。


 だが。もしアンテナが装置の一部であるのなら、力を供給する人間が近くにいるはずだ。

 急いで仕事を済ませる必要がある。


 ここは、恐らくフィリップの移動研究室の中。

 フィリップの移動研究車は簡単に見つけることが出来た。


 外から見たそれは、薄い茶色のトラックだった。

 繋いである大きなコンテナが研究室であり、その上に設置されているパラポラアンテナが、問題となっている装置の一部だろう。西である戦場の方に向けられていた。


 モブロフの司令部は、山頂付近にあるトンネル陣地で防御が固い。しかし、この研究室は前線の方へ寄っている。

 障壁装置の効果を高めるため、危険を犯して近づいているのだろうか。


 コンテナにはハンドルで開閉する扉がついており、その前に兵士が二名いた。彼らはすでに冷たくなって、トラックの下で眠っている。

 開始直後にここまで敵が来るなど、想像もしていなかったのだろう。


 装置を遠くから砲撃で破壊することも考えたが、実のところ幻影戦車ファントム・パンツァーの主砲の被害半径は狭い。

 あの装置は確実に破壊する必要がある。そのため、コンテナに忍び込んで爆弾を仕掛けようとしたのだ。

 そして、自分の写真と対面したわけで。


 首を軽く振り、床に置いたリュックの近くに腰を下ろした。

 適当にとった光学ディスクをリュックに入れて、代わりに中から取り出したのは、四角い棒状のもの。緑色の包みに入ったそれは羊羹ようかんのようにも見えるが、そんな美味しいものではない。


 プラスチック爆薬。

 光学ディスクを収めてある棚の上に、その棒を積み木のように無造作に置いていく。

 この爆薬は便利なもので、ショックを与えたり火で燃やしても爆発しない。起爆装置がなければ使えないのだ。


 さすがに二十キロにもなる量は多すぎたかもしれない。この程度のコンテナなら、楽に破壊することが可能だ。


 キリは軽く息をつく。


 欲張って持ってきたせいで重くなり、アサルトライフルを途中で投げ捨ててしまっていた。武器といえるのは手にした拳銃だけだ。


 兵士が戦場で武器を手放すなど、ありえない。具現化能力のあるキリだからこそ出来ることだ。

 それでも、近くにないと不安になる。


 荷物を下ろした今なら、出しても構わない。

 拳銃を消し、意識を集中させてAK-74アサルトライフルを具現化しようとした。

 しかし。手の中からは何も生まれない。

 息を飲み、もう一度力を込める。それでも結果は同じだった。


 にやつく笑みの張り付いた、フィリップの顔が脳裏に浮かび上がる。


 嫌な予感がした。

 不確実でもいい、砲撃にする。一刻も早くここから離れよう。

 そう思い、コンテナの外に踏み出したときだった。視界の左端に、黒光りする拳銃を構えた白衣の男を捉えたのは。


「そこで終わりです」

 声を聞いた途端、背筋に震えが駆け上った。

 間違いない、フィリップだ。


 だが、恐れることはない。

 盾として戦車を作り、それで奴を撃てばいい。前は銃弾を防がれたが、この距離からの砲撃なら。

 振り向き、正面に戦車を出そうとした。


 乾いた音が響き、キリの視界がぐらついた。

 金の髪を振り乱し、左ひざをついたところで痛みが脳天にまで届き、両腕までも地に付いてしまう。


 傷口を確認する。左の太ももだ。外側に裂傷ができている。かすり傷とはとても言いがたい。


 しかし、どうして戦車が出なかった?


「私も銃の訓練ぐらいはしていましてね。二十メートル以内なら大体狙ったところに当てられるんです。ちょっとした特技でしょ?」


 そう説明する言葉が粘つきながら体に絡みついてくるように感じられ、嫌悪感が更に強まる。屈服させるつもりで言ったのだろうが、そのぐらいの技術はキリも持っている。


 痛みは戦意を喪失させたりはしなかった。湧き上がる憎しみと渾然こんぜん一体となり、目の前にいる者を睨みつけるため顔を上げさせた。

 さきほど想像したばかりの笑みと寸分たがわぬものが目に入り、吐き気がこみ上がってくる。


「障壁は、僕の脳内で作ってるんですよ。能力は違うけど、君も僕も脳のある機能を使ってることには同じです。

 あ、あと左手もね」

 銃を握っていない左手の肘を立て、手の甲をキリに見せる。


 太陽光の中では分かりにくいが……一瞬だけ、青白い光が手の甲に見えた気がした。

 。アルベルトにも見せた事のない、グローブの下の手と。


「どうして、あなたにそれが……?」

「さあ? いずれ解明するよ。そのためにも君が必要なんだ」

 笑みを貼り付けたまま、早口でフィリップは続ける。


「僕の能力は君と比べて弱い。拳銃の弾ぐらいなら、頭に埋めたチップで増幅すれば十分。

 AWVを守るためには、もっと大きな装置が必要だけどね。君が思っている通り、そこのパラポラアンテナがそうだよ」

 得意げに、聞かれてもいないことをペラペラと話し出す。


「その装置は、頭のチップと比べると機能が増えててね。

 物理的な攻撃を防ぐと供に、精神エネルギーによる効果があるんですよ。

 銃も戦車も無いなら、君は丸腰と変わらないよね。

 もし出せたとしても、全部防いでみせるけど。

 ハンマーベアを倒せないようにしたら、直接僕を狙いに来るかなって思ってたけど。嬉しいですよ。本当に来てくれるなんて」


「あなた……自分を餌にしたってこと?」

「そうだね。僕には障壁があるから、武器を出すだけの君には負ける気がしないよ」

 キリは肩を震わせながら目を伏せた。


 まだ諦めたわけではない。だが、戦車も出そうと思えば出せた前回とは違い、今回はフィリップの方が圧倒的に立場が上。


「僕に逆らうなんて愚かなこと。そうは思わない?」

 それはそうだ。不利なのは認めざるを得ない。


 弱気がキリの心をむしばみ始めたとき。

 ふと、アルベルトの顔が頭をよぎった。

 軍に忠実で、でも自分の芯をしっかりと持ってる人。キリの能力を肯定し、戦友と言った人。

 一緒に撮ったあの写真。今もポケットに入れているが、絵はしっかりと頭の中にしっかりと焼きついている。


 帰りたい。アルベルトのところに。それから、また一緒にマルスに行きたい。それなら。

 降伏なんて絶対、しない。


「立ちなさい。両手を頭の後ろに隠して……」

 フィリップの能書きは、もう頭に入ってこなかった。

 痛みが酷くなり、顔をしかめながら足を見た。迷彩服のズボンには赤い染みが広がりつつある。


 そのとき、ある事に気づいた。


「さあ、一緒に来てもらいましょうか。フィレシェット」

「誰が!」

 叫んでキリは立ち上がる。見上げるは、フィリップの頭上遥か高く。


 つられて見上げたフィリップの目に、あるものが見えた。

 それは黒い、いや、徐々に大きくなっていくそれは深緑の……。

 フィリップの頭上十メートル。は空中で急減速した。


 しかしフィリップが血走った目で睨みつけても、ジリ、ジリと下がるのは止まらず、やがて……。


 フィリップは頭上で腕を交差させた。だが、そんなもので巨大な質量を止められるはずもない。


 キリの見守る中、シャーマン戦車ファントム・パンツァーは着地した。周りに土砂とフィリップのものと思しき血が飛び散る。

 キリは戦車を自分の方に傾けて落としたため、泥はともかく返り血を浴びる事はなかった。


「あたしの服も能力で出したものなの。

 そこまではあなたでも気づかなかったみたいね」


 服が消えないという事は、装置の影響範囲外で出した物質を消す効果まではないということだ。


 そして障壁というものは、物の動きを止めることは出来ても、ことはできなかったということ。

 人間の精神は、連続使用に耐えられないのだろう。


 もっとも、そこまで考えて戦車を出したわけではない。

 戦車を落として隙を作り、殴りかかればなんとかなるかと思いついた程度の話で……。


「さすがに戦車を出すと敵にばれるか」

 と、ため息をつく。もう悠長に爆破などしていられない。それなら。


 幻影戦車ファントム・パンツァーの砲塔が旋回する。目標、パラポラアンテナ。距離は十メートルもない。


発射ファイア!」

 発射と同時に命中する。砲弾はアンテナの台座にめり込み、一秒も開くことなく赤い火炎が吹き上がる。アンテナは後ろ向きに吹っ飛び、地面に当たってひしゃげてつぶれた。


 後は移動研究車をつぶすのみ。

 砲塔を下に向けさせながら、キリはヘルメットからマイクを伸ばし、口元に近づけた。

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