閑話

節分の夜は豆まきです

「きょーもお疲れ様でした、っと」

 そう言って僕は、リュックを背に背負った。


 今日も今日とて、お客さんちらほらな『表』の店番はひじょーに気楽なものだった。しかもお客さんが来る時間が固まってたんで、基本誰もいない感じで過ごせた。魔術書が読み進められて何より。

 尚、言うまでもないとは思うけど、僕に魔術の勉強が捗るのを素直に喜ぶ学徒のココロザシなんてこれっぽっちもない。僕が喜んだのは、店番の時に読み進めればその分持ち帰りの読書量が減る事。まるきり小学生が宿題減るのを喜ぶ心境だね、否定はしない。


 店じまい後、ここ最近めっきり厳しくなった魔術指導やら常識講座やらを何とか乗り越えた僕は、これ以上みょーな課題を増やされる前にと、いそいそと出口へと向かった。


「ああ涼平、ちょっと待って」


 しかしそうは問屋は下ろさない。『知識屋』店主様にして僕の魔術の師匠である所の眞琴さんに呼び止められ、僕は渋々振り返った。


「何? まだ何か魔術?」

「ううん、今日のノルマは終わったよ。それともまだやる?」

「イエ結構です」


 コンマ0秒で即答すると、眞琴さんがそれはそれはイイ笑顔を浮かべる。


「そう、やる気があって何よりだね。じゃあ今日は魔術書1冊多めに読んでおいで」

「いえいえ、試験前だし! ほら、学生の本分たる学業が疎かになるよーな負荷はよくないと思うのよ?」


 鬼教師モードの眞琴さんに必死で減刑嘆願する。今日1日で魔術書プラス1なんて、フツーに死ねる。僕は眞琴さんのように斜め読みして内容が頭に入るようなのーみその持ち主じゃない。


「……ふーん、涼平がそんなに試験に熱心だとは思わなかったよ。これは今度の試験、期待出来そう?」

「さ、さーて?」


 誤魔化しを重ねてみる。実際は今までノータッチ、ほぼ徹夜で仕上げないと単位落としちゃうという実態だ。


「……まあいいか。じゃなくてね、はいこれ」


 僕の内心なんてバレバレだったらしく、眞琴さんはしばし呆れた目を向けた後、気を取り直したように何かを差し出してきた。

 僕の事だからと諦めたのか今は良いと思ったのか、ひとまずの追求逃れにほっとして、差し出されたそれを素直に受け取る。受けとったものを見て、思わずツッコミを入れた。


「いや、何故豆よ」

「だって今日は節分だろ?」


 涼しい顔で仰る眞琴さんは、僕の訴えんとするものを、ものの見事にスルーしてくださった。そーじゃないでしょと。


「いやね? 大学生にもなって嬉しそうに豆まきなんてしないよ、いくら僕だって」

「そう?」

「勿論。後ついでに、そろそろ年と同じ数の豆食べるのしんどくない?」


 子供の頃はその少なさに寂しい思いをしたけれども、年を追うにつれて食べきるのが辛い。親御さん達は、幼い僕らが無邪気に年齢の数だけ置いたげたのを見て、一体どんな気持ちだったんだろうね。豆が食べるのが修行のよう、節分ってそんな行事だったけ?


「ふうん……? さて、涼平の節分への知識がお粗末にも程がある事が分かった所で、今日のノルマ追加は決定かな」

「う」

「これはちょっと見逃せないからねえ」

「あはは〜……はーい」


 にっこりとお笑いになる眞琴さんから逃れる事は不可能な模様。引き攣った笑顔でそれに答えた僕は、力無くよい子のお返事をした。






 バイクのエンジンをかけ、とことこと押して帰る。いつものようにチビ達襲来を警戒し、いつもと違い片手に豆を入れた袋を持って。

 よく考えなくてもチビ達は雑鬼、豆はマズかろうと断ったのだ、僕も。それなのに琴音さんは「いいから持って帰りなさい」の一点張り。結局押しつけられてしまった。


「なーんか、気になるねえ……」


 ぼやいてしまうのは、眞琴さんのチェシャ猫のような笑みと共に告げられた言葉が気になるから。



 ——ほら、何かの訳に立つかもしれないだろ?



 どゆこと、といくら聞いても教えてくれなかった。自分で気付けって事か、教師モードだったのか。


「うーん、やだなあ……厄介事なんてこの間一生分出くわしたってば……」


 およそ半年前の、ノワールとの遭遇。全く、あの時はおっかない目に遭うわ、おっかない事知らされるわ、そこから眞琴さんのリアルスパルタ授業は始まるわでさんざんだった。もう2度となくて良い、と思うんだけどね。


(いやーな予感がするとか、やめて欲しいよねえ……)


 眞琴さんの一言の後から、胸の奥底に蟠るいやーな感覚。明らかによろしくない事が起こる前兆です、誠にありがたくのうございます。



「あー……やーだねえ……」

『何が嫌なんだー、りょーへー?』


 ブツブツとぼやく僕に答える声が耳に届くやいなや、僕はさっとバイクから距離を置いた。途端目の前に積み上がるチビ達の山。


「あぶなーっと。や、節分で大忙しのキミタチ」


 考え事をしていたせいでちょっとぎりぎりだった、反省。眞琴さんにばれない事を切に願いつつ、僕はいつも通り挨拶してみた。案の定、帰ってくるはブーイングの嵐。


『ひでー! りょーへーが今日の俺達の苦難を知っててそーいう事を言うー!』

『そーだそーだ、今日はちっちゃい頃のりょーへーみたいな視えるチビが俺らに豆をぶつけてきて、大変だったんだぞー!』

『そーだぞ、いつもお菓子をこっそり貰ってるお家も豆まいてるせーでは入れねーしよー!』

「いやそれ盗難だから。駄目だよ、そういう事しちゃ」


 そこは一応びしっと教育的指導。はーいなんて元気なお返事しているけど、どーせ帰る頃には忘れるんだよね、こいつら。


『って、りょーへーも豆持ってる! どーいう事だよー!』

『あーほんとだー、ひでー!』


 目敏く見つけてぎゃいぎゃいと騒ぐチビ達を耳元から払いのけつつ——鼓膜破れはしないだろうけど、気分的に鼓膜破れそうで嫌じゃない——、バイクへと歩み寄る。


「それ、眞琴さんの。もらい物だよ、いらないって言ったんだけどね」

 何か使えってさーと続けると、チビ達は大騒ぎ。

『ええっ、あのねーちゃんが俺らに使えって言ったのか!?』

『ねーちゃん、やっぱ俺達邪魔だった!?』

『いや待て、ここはあの黒くておっかないのの仕業かもしれないぞ!』


 最後の言葉にちょい吹いた。ノワールがわざわざチビ達の為に豆を持ってくる様をうっかり想像してしまったじゃないか、何それちょっとおかしい。


「いや、ノワールはないって。興味も無さそうだった——」

 じゃない、と続けようとした言葉は、駆け上がってきた寒気に吹き消された。


 すわちょっと愉快な想像をしてしまったのを察知したノワールが怨念でも送ってきたか、なーんて冗談を言っている場合じゃない。


(ちょーっと眞琴さんや、このレベルでヤバイのは、事前に言って欲しいのよ……?)


 冷たーい汗が頬を伝う。何も言わずにぺいっとバイクの上のチビ達を払いのけ、素早くまたがった。



 魔術で迎撃? 防御? 幻影で誤魔化せ? 


 どれもこれも高等魔術です、見習いの僕にはとてもとても。あーんなヤバイの相手に出来るような魔術も気力も胆力もこれっぽっちも持ち合わせちゃいない、へたれとでも何とでも呼んで。



 やばくなったら迷わず逃げる、これ1番。



『りょーへー、置いてくな!』

『そーだそーだ薄情ものっ!』

 チビ達もヤバイものを感じていたらしく、払いのけられたのも含め僕の肩や背中にしがみつく。しょーじき重いけど仕方ない。


「振り落としちゃっても拾ってる暇ないから、しっかり捕まっててよっ、と!」


 ハンドルを一気に引く。バイクが轟音を立て、僕達は背中のヤバイ気配からの逃走劇を始めた。




 で、10分後。

「ちょっとまだ諦めないとか何あのヤバイの……!」

『しらねーよー、りょーへー急げー!!』

『鬼のヤバイのだよきっと、今日は節分でみんな豆まいてて餌がないからっ!』

「だからといって僕食べちゃわなくても良いと思うんだよねえ!?」


 ノーヘルのまま叫び合いつつ、僕は急カーブを切って細い道を駆け抜ける。騒音公害は承知の上です、善良なご近所の皆さんごめんなさい。


(でも世の中にはやむにやまれぬ緊急事態があるんですって、うわまだ追いかけてくる……!)


 ノーヘルでバイクチェイスってのも悩みの種。うっかりねずみ取りに引っかかったらどーすんの、鬼に追われてるので後でーなんて言ったって、納得してもらえないってば。


「ってか、そろそろガソリンヤバイ……」

 恐怖の事実に愕然と呟く。オーマイガ、帰ったら入れようとか思ってた所だったねそーいえば。

「ちょ、本気でヤバイ……!」

 流石に本気で焦り出したその時、ふと眞琴さんの言葉が耳に蘇る。



 ——何かの訳に立つかもしれないだろ?



(…………!)

 長い一本道である幸運に感謝しつつ、片手を離してポッケにつっこんでた小袋を取り出す。意識集中意識集中、目指せスローイング。


『風で流れろ流し豆!』


 魔術成功。夏になったら流しそーめん作って食べよっと。


『りょーへー、転ける転ける!』

 魔術で作った風がふわりと流れ、手に持っていた豆が飛んでいく。いい加減バランスの怪しくなってきたバイクのハンドルをしっかり握り直して、僕は風の勢いを早くした。



『——————!!』



 金属が擦れるような、耳障りな叫び声。ノーヘルの耳にダイレクトに響いた、くらくらする。

 けど、鬼は外は成功したらしい。ヤバイ気配のチェイスはそこで止まり、僕はチビ達と同様、やれやれと溜息をついたのだった。



 ——節分の日は、豆を求めに『知識屋』へどうぞ、なんてね。


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