第4話 梢書店の日常

 薫さんが去って行くのを手を振って見送った眞琴さんは、完全にその姿が見えなくなったのを確認して踵を返した。


 す、と手を上げる。たったそれだけの動作で、薫さんは『表』と『裏』を幻影の壁で仕切ってみせた。


 ただし、セキュリティは無し。なぜなら、今からは。



「さーて、始めようか。——『知識屋』の開店だ」



 芝居がかった口調——これが似合うのが眞琴さんたる所以だと思う——で言うと同時に、数人分の人影が湧いて出る。いや本当に湧いたわけじゃなく、転移魔術で入店してきたんだけどさ。


「眞琴さんや、転移魔術で店内に入るのはマナー違反だと思うんだけどね?」

「そう思うなら彼等に直接言うんだね。私は止めないよ」

「……結構です」


 どう見たって腕の立ちそうな魔術師達に、見習いの僕が何か言える訳ないじゃないか。眞琴さんが何も言わないなら何も言えないのが僕の立場だ。


「というよりも。新規のお客様以外は、転移魔術で入るのがルールだと言わなかった? 見分けを付ける為に、さ」

「え、そうだっけ。僕はいつも『表』の店番と新規様のお相手ばかりしてるから」

 惚けた振りで肩をすくめると、眞琴さんはやれやれと首を振った。

「涼平にはもうちょっと知識を覚えてもらわないといけないかな? 忘れないように、みっちりと」

「勘弁してよ」


 言いつつ、大袈裟じゃなく首をすくめてみせる。実際、この人の知識を叩き込む時の鬼具合はちょっと怖すぎる。覚えてないと魔導書開いてにっこりするんだから、おっかないなんて言ってる場合じゃないんだけど。


 とその時、入り口からベルの音。どうやら、『表』にもお客さんがいらっしゃったようだ。


「おっと、僕は店番行ってくるね」

「タイミング良かったね、涼平。話はまた後で」

「うげっ」

(無かった事にはしてくれないんかい!)


 思わずココロの中で裏手チョップを決めながら、小走りで幻影の扉に向かって走る。これまたよく出来ている事に本物のような質感のノブをカチャリと開けると、何度か顔を見せてくれているオジサンが本を物色していた。


「いらっしゃいませ」

 バイトで身に付けた挨拶をすると、オジサンは顔を上げて破顔する。

「ああ、君か。予約していた本が届いていないかと思ってね」

「あー、ちょっとお待ち下さい」


 言いながらカウンターに入る。確か昨日の閉店間際に届いた記憶があったのでレジの下をごそごそすると、やっぱりあった。オジサンの名前を確認してから差し出す。


「こちらの書籍でしたよね?」

「ああ、そうそう。小さなお店なのに、こういう専門書を取り寄せてもらえるのはありがたい」

 嬉しそうに言うオジサンに、営業スマイルを返す。

「それが当店の売りですので。本日はこちらのみで宜しいですか?」

「ああ」


 オジサンが頷くので手早く会計を済ませる。大抵ここのお客さんは、仕事の合間にひょいと買いに来ている事が多い。ネットでも買えるだろうものをこうしてわざわざ訪れて買っている以上、元々本が好きなんだろうけれど、のんびりしていると仕事に差し支える。てきぱきしないとそわそわする人が多いから、勝手にそう思っているだけだけどね。


「ありがとうございました」

 ドアの開閉に反応するベルの音と共に、きっちりと挨拶する。お客さんを見送ってから、僕は改めてカウンターに入った。


 基本、お客さんは1日に数人。ここで扱う書籍が結構なお値段なのと、『裏』で眞琴さんがぼったくっているんじゃないかと思う勢いで儲けているのとでお店的には黒字なんだけど、僕的には暇。


 そしてその暇な時間をぼーっと過ごさせてくれる程、眞琴さんは甘くなく。カウンターに隠れてこっそり魔術書を読んでおけというご命令を賜っているんだな、これが。


(しょーじき、レポートとか課題とか一応あるんだけど。ぶっちゃけ僕の勉強比率のバランスがおかしい事になってる気がする)


 何せ店番の間はずうっと魔術書で知識を詰め込んでいるんだから、まず間違いなく大学の勉強よりも質も量も上。良いのかね、僕も一応学舎の住人なんだけど。


(といっても、眞琴さんに逆らえる僕じゃないけどさ)


 立場も実力も上なれば、僕に出来るのは従順に従うのみ。元々、男という生き物は女に逆らえない運命だし。

 とゆーか、最初の1週間でイロイロとしごかれた僕としては、今更眞琴さんに逆らうなんて自殺点オウンゴールは趣味じゃない。きつい思いして充実した気分になれる体育会系根性とは無縁なのさ。


 そんなわけで、僕は大人しく魔術書の解読を始めた。秘匿知識だからか何なのか知らないけど、わざわざ暗号にして読みにくくしてくれるとは、つくづく魔術を研究する人って頭のネジをどっかに落としてると思う。


 テキトーに、かつ知識は見落とさないように魔術書をぱらぱらめくっていると、ドアが開けられた事を示すベルの音。魔術書に栞を挟んでこそっと隠し、顔を上げる。


 ごくフツーのスーツ姿に、黒革の靴と鞄。オーソドックスを体現した服装のその人は、まだオジサンと言うには若い30代くらい。赤髪や灰色がかった緑の目が嫌みにならない、生粋の外国人だ。落ち着いた表情で僕のいるカウンターへ近寄ってくる彼は、どことなく目つきが鋭い。


 その悪い目つきと、溢れる魔力をダダ漏らすのではなく身に纏うようにしている時点で分かる。



「——ここで、『梢に吹き抜ける風の行き先』を教えて頂けると伺って来たのですが」



 この人は、魔術師だ。それも、きちんと魔術を使いこなせる。



 非の打ち所のない敬語で『知識屋』へと取り次ぐ条件である『鍵』を口にする男の人に、もう1つの『鍵』を要求した。

「……『風の行き先で何を求めますか?』」

「ああ、ここで質問に答えるのですね。『許されるだけの木の実を』」


 そう言って微かに笑った男性に、カウンターから出て深々と一礼する。


「店主へと取り次ぎますので、少々お待ち下さい」


 男性が頷くのを見て、僕は急ぎ足で奥へと向かった。『裏』へと繋がるドアのノブに手を伸ばそうとした所で、ドアが勢いよく開けられる。


「お客さんかな?」

「……そうです」

(あっぶなかったー。てか、勢いよく開けないでって前に言ったじゃん)


 あえて心を読まれる事前提で……というか、半ばテレパシーの形になるようにしたのに、にっこり笑っただけでスルーされた。眞琴さんはそのまま、魔術師の人に一礼する。


「初めまして、なのかな。ようこそ『知識屋』へ」


 お客様には敬意をもって対応を。眞琴さんなのに殊勝な心がけは、このお店のモットーだ。分不相応な知識を求めたお客様は、めちゃめちゃ居丈高にお断りするんだけど。


「ああ、君が『魔女』なんだね。その子は助手?」

「そのようなものです。御用件は奥で承りますので、どうぞ」


 そう言ってにっこりと笑う眞琴さん——僕が助手だというのは何とも訂正して欲しいんだけど——に微笑み返して、その魔術師の人はこっちに歩み寄ってくる。道を空けて軽く頭を下げた僕の前を通り過ぎる時、小さな声が落とされた。


「——魔女の下僕か。その程度の力だと、いずれ喰われるよ」


 僕にしか聞こえなかっただろうその言葉を堂々とスルーしてやると、その人は低い舌打ちをして通り過ぎていく。


 バタンとドアが閉じてしばらく待ってから、僕は息を吐きだした。

「どーして魔術師の人達って、ああも二重人格な感じなんだろうねえ……」


 魔術書の暗号や眞琴さんの設定した『鍵』のような回りくどさも面倒だけど、それ以上にあの腹の内を綺麗に隠してしまう感じが面倒。


 眞琴さん曰く、『魔術師は頭脳職なんだから、心理戦の初歩たるポーカーフェイスは身に付けていて当たり前』だそうだけど、僕的にあの胡散臭さは頂けない。人の良さそうな顔の裏で他人を見下すような奴なんて、魔術が出来ても人間としてどうなのよと。


 それなら、以前僕がそれを言った時に『魔術師なんて大抵は人間やめてるから。というか、根性がねじくれきってるよ』と清々しい笑顔と共に言い切った、眞琴さんのような自分に素直かつ強引な性格の方がまだ好ましいと思うんだよね、僕としては。


(胡散臭い男の人なんて、鬱陶しいだけだと思うんだよ。女の人ならともかくさ)


 取り敢えず、下僕なんて堂々と言っちゃうような時代錯誤っぷりは引く。


 そんなテキトーな感想を持ちつつ、僕は1つ伸びをした。何にせよ、この店番は楽なのだ。ああいう嫌み相手にいちいちむっとしたりココロが傷付いたりする事の無い僕としては、スルーしつつ無難な応対をしていればOK。後はお勉強していてね、というお仕事。


 口封じも兼ねてなかなかに給料は贅沢なので、僕としてはのほほんと割の良いバイトさせてもらっている感じだ。こんなこと言ったら、また眞琴さんに呆れられそうだけど。

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