第20話 番外編 シックボーと天運の暴力
※ ※ ※
森口敏和にとって、近江匡という男は奇妙な存在だった。
元は、十年前に浪川組のシマで薬物騒ぎがあり、それの調査をしている時に出会ったワルガキだった。当時から、その溢れんばかりの才気を持て余していた匡は、揉め事を起こさないことが無いくらい、よく森口の仕事に関わってきた。
最初は煩わしく、次第に興味深くなってきた。
何よりも森口が評価しているのは、彼の神経の図太さである。
どんなに才能があろうと、どんなに知恵が回ろうと、最終的には度胸が据わってないとやっていけないのが極道である。
そんななかで、近江匡の立ち回りは、はっきりと異常だった。
誰に対しても物おじしないその態度。
かと言って、まったく礼をわきまえないわけではない。それが必要な場においては、丁寧な対応を自然と取れる。
謙虚さと粗暴さを、その時々で使い分け、相手と対等に渡り合う。それは、理屈では分かっていても、実行するとなるとかなり難しい。
近江匡という男は、とにかくそつなく全てを成し遂げる男だ。そんな彼に、いつしか森口は、信頼を置くようになっていた。
(もっとも、今回のような舐められ方を今後もされるようなら、つきあい方を考える必要があるが)
そう心中でごちるが、その辺りのさじ加減が上手いのが近江匡である。今回は緊急手段ということで強引に物事を運んでいたが、それが二度も通じるとは思わないだろう。
何より、今回は利害が一致したからこそ、森口も協力したのだ。そうでなければ、あんな横暴は、どんな事があっても許しはしないだろう。
(さて。近江のおかげで、プラチナの流通が本当にあるのが分かったが)
(これからどう動いていくべきか)
船の中で使える時間はあと二日だ。今日まで、殆どを羽柴組の息の掛かった人間を探すことに費やしてきたから、あとは地道に攻めればいいだろう。
そんなことを考えながら、森口は、浪川組の事務所としているプレイルームに戻った。電子ロックがかけられた扉を、IDカードを使って開場して中に入る。
扉を開けた瞬間、ビリっとしびれるような緊張が走った。
「……こりゃあ。どういうこった」
思わず、ぼやくように呟いた。
言うならば、違和感。
これほどの緊張感を放つ存在が、部屋にいる。
突然開いた扉に対して、部屋中の視線が集められた。ほとんどが、浪川組の構成員たちのものである。彼らは、全員憔悴したような様子で、剣呑な表情をしていた。まるで、どこかと抗争中のような緊張感。しかし、彼らは『緊張させられる側』であり、原因ではない。
また、部屋の隅には、借金男である臼井晴雄が膝を抱えて震えていた。その側に、縁者らしき女性が身を寄せている。そういえば、この二人のポーカーでの負けは匡の勝ちで帳消しになったはずだが、浪川組に作った借金は、あれだけではなかったと聞いている。
その二人も極度の精神的圧迫感に身をこわばらせているが、違和感の正体ではない。
その空気の中心は、部屋の中央にあった。
中央テーブル。
そこで、浪川組の若頭補佐である工藤が、一人の少年とギャンブルに興じている姿があった。
帽子を被った、中学生くらいの少年だった。華奢な体つきは少女のようですらあるが、その全身からあふれる活発さは、ワルガキの印象を抱かせた。
「1のトリプル。配当は180倍だな」
丁度1ゲームが終わった所らしく、少年のその宣言に、工藤が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
対照的に、少年はおかしそうにケラケラと笑ってみせる。
「ははっ。これで五回連続だぜ? なあ、あと何回、アンタの振り直しに付き合えばいいんだ? ええ?」
「ふざけるな! こんなもん、イカサマに決まってる!」
「サマだぁ? てめぇがサイコロ選んで、てめぇが振ってるのに、何言ってんだよ」
心底バカにしたように、少年は言い募る。
「そら、だったら気が済むまで、付き合ってやるよ。勝ち金全額ベット。出目は、また1のトリプル。さて、五回連続で出たが、六回目はあるかね?」
「ぐ、……そこまでにしておけよ、ガキ。これ以上の賭けはなしだ!」
「あん? 何言ってんだよ。そこの兄ちゃんの借金まで、まだ届いてねぇだろうが。ここでやめろとか、話が違うだろ?」
工藤の言葉に、少年は立ち上がりながら恫喝するように言う。
「てめぇが言ったんだろうが。そこの兄ちゃんの借金を返せたら、文句は言わねぇって。その手段として、ギャンブルを持ちだしたのもてめぇだろ? だったら、最後までやらねぇと嘘だろう。
だから、続きをやろうぜ、と。
その少年は、テーブルにふんぞり返るようにして、言い放った。
「……こりゃあどういうことか。説明できるか?」
事情の分からない森口は、側に居た浪川組の組員に尋ねる。
その組員から語られたのは、以下の様な内容だった。
臼井晴雄という男が、浪川組に作った借金はおよそ六百万。その担保として、姉である臼井美樹を指定していたそうだ。
なので、晴雄の負債回収のために、美樹を呼び出し、今後の話をしていた。姉の方はおそらく『商品』になるだろうということで話がつき始めた時だった。
そこに、その少年が現れたのだ。
「そこの姉ちゃんを解放するには、いくら必要なんだ?」
開口一番、少年はそう言った。
仮にもヤクザの集まりであるから、少年程度に舐められたら終わりだ。組員たちは、全力で脅しをかけて行ったのだが、そんななかでも、少年は平然とした様子で工藤と交渉を始めたのだ。
「なら、オレとギャンブルをしようぜ?」
少年が選んだテーブルは、サイコロの置かれた、大小と呼ばれるギャンブルのテーブルだった。
「オレの初期投資は、100円。こいつを、そこの兄ちゃんの借金分まで勝ってみせる。一度でも負けたら、自腹で同じ金額を払ってやる。それで、どうだ?」
そうして、こんな馬鹿げた大小勝負が始まったのだ。
※ ※ ※
森口が一通りの事情を聞き終わったところで、また、勝負が終わったようだった。
「1のトリプル。六回目だな。180倍。これまでの分、全部精算したら、いくらになるかねぇ。かはは」
「ぐ、ぐぐぅ。認めない、認めないぞ。糞ガキ」
少年の勝ち誇ったような声に、工藤のうめき声に近い苦しげな声が響く。
大小というゲームは、三個のサイコロを使うギャンブルだ。
その三つの出目を当てるゲームで、出目が4~10の時は小、11~17の時は大と賭ける。それらが配当が一倍である、それ以外に、ゾロ目や三つの目が揃う場合に賭けたりと、様々な賭け方がある。
今、少年がやっているのは、その内、全ての出目が1になるという賭け方だ。
配当は、180倍。
仮に、初期投資が100円だったとしても、全額かけていけば、ニ回も勝てば、余裕で三百万を超える計算になる。
そんな賭け方で、六回も出目を当てている――
認めないという姿勢で勝負を無効にしているが、もしそれを全て請求されようものなら、天文学的数字になりかねない。
「そこまでにしておけ。工藤」
「も、森口さん」
森口が入ってきたことにも気づいていなかったのか、声をかけられた工藤は、ビクリと体を震わせる。
そんな彼には構わず、森口はまっすぐに、少年の方へと向かった。
森口を見た少年は、にやりと挑戦的な笑みを浮かべながら、口を開く。
「お、なんだ。親玉登場か? ってことは、これでようやくまともな話ができるな」
「調子に乗るのもいい加減にした方がいいぞ、ガキ。ここの連中と違って、俺はおふざけに付き合う気はない」
手を強くテーブルに叩きつけながら、森口は睨みをきかせて少年に言う。
「ガキ。てめぇ、名は?」
「遠山ヒズミ。それが、オレの名だ。――ガキだからって、舐めんじゃねぇぜ」
対する少年――ヒズミも、真正面から森口の眼光を受け止める。
互いに火花を散らせながら、隙あらば食らわんばかりの勢いで睨み合う。
「俺は森口と言う。ここの組の人間じゃないが、縁者ではあってな。さすがに、これだけコケにされているのを見て、黙っていられる立場じゃねぇんだわ」
「奇遇だねぇ。オレだって、ここまでコケにされたら引き下がれねぇんだよ。博打の結果をなかったコトにしようなんて、ふざけたこと抜かすやつを、黙って見過ごすほど、人間ができてねぇんでね」
互いに引けない状況を確認しあう。
次の瞬間。
森口は強引にヒズミの首へと掴みかかり――
ヒズミは隠し持っていたアイスピックを、ピッタリと森口の右目に指し出した。
「…………」
「…………」
膠着状態が生まれる。
まさか反撃を食らうとは思わなかった森口は、珍しく驚愕を表に出す。首を絞める手を緩めること無く、しかし、それ以上締めることもできない。
少しでも本気で締め上げれば、その瞬間、アイスピックが森口の目を潰すだろう。
故に、互いに手を出していながら、これ以上動けなくなった。
「ヒズミ、とか言ったな。その名が確かなら、異常なまでの運も納得できる。だが、苗字は間違いじゃないのか?」
「さて、何のことだか」
「てめぇはなにもんだ。俺の知ってる奴は、こんなガキじゃなかったはずだが」
「さあな。アンタが何言いたいのか、オレにはさっぱり分からねぇぜ」
あくまで、自身について語るつもりはないようである。
ならば、と森口は切り口を変える。
「このまま、お前の首を折る」
「なら、オレはこいつをアンタの右目に突き立てるぜ?」
「命と右目だ。十分過ぎる対価だとは思わんか?」
「かはは! やっぱアンタ、いい感じにキレてるねぇ。それを脅しじゃなく、本気で言ってる辺りが最高だぜ」
そう、楽しそうに笑いながら、ヒズミは続ける。
「ああ、そうだな。オレも命は惜しい。賭ける分にゃ良いが、不等価な交換に使うほど軽くはねぇんだ。だからよ、ものは相談なんだが」
「てめぇが今、相談できる立場だとでも?」
「できるさ。だって、あんただって無駄に右目を失いたくないだろ? それに――あんたたちにとって、利益になる」
ヒズミは首を絞められたまま、左手をポケットに入れると、一枚のカードを取り出す。
それをちらつかせながら、彼は言う。
「一等客室のある六階エリア。そこの、予備ルームのマスターキーだ。こいつを、そこの兄ちゃんの借金と引き換えに買わねぇか?」
「……そいつを、どうしろと?」
「決まってんだろ。あんたらの調べごとに、使えばいいって言ってるんだ」
思いもしなかった提案に、森口は怪訝な顔をする。
「もしお前が本当に『あの』ヒズミなら、俺達の調べごとは、お前らにとって不利益になるんじゃねぇのか?」
「オレの正体についてはどうでもいいが、まあ、ちょっとした政治争いでね。オレとしちゃあ、この船の中で好き勝手されるのは、あんまり気分が良くねぇんだよ。裏取引にしろ、人身売買にしろ」
だから、個人の手が届く分には、全力で邪魔をする、と。
そう、彼はにやりと笑っていうのだった。
「さて、オレの正体は言わねぇが、果たしてここで殺してしまって、割に合う命かね? 薄々察しているアンタなら、何が利口か、わかんだろ?」
「こちらにもメンツというものがあるが、それについてはどう考える?」
「はんっ。そんなもんで大局を見誤るのは、三流のするこった。本物は、そういうった感情は、ここぞというところまでとっておくもんだと、オレは考えるがね」
「箴言だな。だが、そういった教訓は、極道には必要ない」
そう言って、森口はあっさりとヒズミの首を手放した。
合わせるように、ヒズミはアイスピックを引く。
そうして、ヒズミが気を抜いた一瞬。
森口は上着を脱ぐと、それを手に巻きつけて、ヒズミの腹部を全力で殴りつけた。
「う、ぐぉ」
「傷はないようにしてやった。あんまり舐めてると、グループのご令嬢だからって、容赦はしないぞ」
殴られた拍子に嘔吐するヒズミを尻目に、森口はそう言い捨てた。
「工藤。このガキの言うとおりにしてやれ。六階への進出は、願ったりだ。それを、そこの不良債権でまかなえるんなら、十分すぎるだろう」
「し、しかし、森口さん」
「不服か? なんなら、大小の六回分の負け、支払えるのか?」
もはや天文学的な数値にまで跳ね上がった掛け金を、払えるはずもなかった。
浪川組内で行われた博打なので、踏み倒そうと思えばできるが、そういった不義理をするからには、別の形で同義をとうすべきというのが、森口の意見だ。
この船の中での浪川組のトップは工藤だが、森口はその兄貴分に当たる存在なので、彼の言い分に従うのが自然な流れだった。
※ ※ ※
そうして話がまとまったところで、森口は改めて、ヒズミに対して言う。
「しかし、てめぇは何がしたかったんだ? 俺達に六階の調査をさせるにしても、こんな七面倒臭いやり方する必要があったのか」
「か、はは。いや。そこの姉ちゃんを助けるってのも、目的ではあったんだよ。ま、関わっちまったもんは仕方ないっていうか、あのまま見捨てるのは、寝覚めが悪かったからよ」
「…………」
背後では、慌ただしく浪川組の組員が動き回っている。
臼井姉弟は開放された。あとは、二日間大人しくこの船で過ごすことを祈るだけだ。
そんな中、森口とヒズミだけが、向かい合っている。
遠山ヒズミと名乗る少年。
その外見に似合わぬ、豪胆さと過激さ。そして、何よりもギャンブルへの絶対的なあり方。
先ほどやり合いながら、森口は、その姿に誰かを重ねずには居られなかった。
おもむろに。
森口は、テーブルからサイコロを三つ、手に取る。
「賭けてみろ」
「良いのか? 当てちまうぜ」
「構わん。余興だ」
森口の言葉に、ヒズミは一万円チップを取り出し、テーブルに置いた。
賭けたのは、1のトリプル。
森口は、目を細めてそれをみると、諦めたように賽を振る。
出た目は、すべて1だった。
「このふたつ目のサイコロは、グラサイでな。基本的に、偶数の目が出やすくなってるはずなんだがな」
そんな風にぼやく森口に。
ヒズミは、ケラケラと笑いながら言った。
「どっちかってーと、丁半用のサイコロか。重心の作りだけなら、『出やすい』ってだけで、確率的に奇数目が全く出ねぇわけじゃないんだろ? だったら、ムリだよ」
そう。
例えば、絶対に一の目が出ないサイコロなどを持ちだされれば、そもそも運がかかわらない、確定事項なのだから、ヒズミに勝ち目など無い。
だが、もし仮に。
万が一、億がイチにでも、可能性があるのなら。
たとえそれが、ありえないほど低い確率であろうと、運が絡むものならば――
彼は、必ず当ててみせるだろう。
「その程度で負けるようなら、オレはこんな船、作ってねぇよ」
そんな風に言って、ヒズミは森口に手を差し出した。
「1のトリプルで180倍だ。180万、まいどあり」
その姿に、森口は誰かの影を感じながら、面倒そうにため息を付いた。
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