ケース4 いじめ CL:オーク


 ある晴れた日の昼下がり。

 ぽかぽか陽気に包まれて、思わず昼寝をしたくなってしまう。

 過ごしやすい気候は、えてして人を怠惰にさせる。

 つまり作業に集中する気力が湧かないのは主に気候に責任があり、本人の気質とは関係ないのである。絶対にそうなのである。

 

「成川さん。眠気覚ましに買い出しとかお願いしてもいいですかね?」

「ふはひゃい!? ねねね、寝てませんよ僕はぁ!?」

「……にしては、資料整理が全然進んでないみたいですけど」

「いやいや田中さん。これはそういうアレじゃなくて、なんというかこう、まとめるのが難しい案件なんですよ」

「……仕事、入れすぎなんじゃないですか? ここのメンタルクリニック以外にも2件くらい非常勤入れてましたよね、確か」

「あ、実は先月から児童館の産休代替も受けてまして。火曜だけの月4ですけど」

「って、ほぼ週7勤務じゃないですか!? なんでそこまで仕事入れてるんですか!?」

「いやあ……気付いたらこうなってしまいました」

 

 照れくさそうに頬を掻く辰幸。

 ここは辰幸が勤務している仕事場のひとつ。

 目の前で心配そうに辰幸に話しかけてきている中年女性の田中さんが院長を務める、田中クリニックの職員控室である。

 田中クリニックは、所謂メンタルクリニックというところで、心理的な悩みを持つ患者が、その状態の改善のために通う診療所である。

 基本は、精神科医である田中院長が診察を行うが、心理検査やカウンセリングなどは非常勤の臨床心理士が対応することになっている。辰幸はそのうちの一人で、実は結構古株だったりする。

 辰幸が大学院に通っていたとき、講師をしていたのがこの田中女史で、それ以来、実に10年近い付き合いである。

 

「……生活に困ってる、ってわけじゃないんですよね?

 もし、収入面で困ってるなら、うちに常勤で入る件を真面目に検討してほしいのだけれど……」

「あ、それは大変ありがたい申し出なんですけど……でも、SCとかもう少し経験積みたいですし」

「スクールカウンセラーならうちの派遣という形でも行けますけど……そうですね、成川さんは色々なことをできるようになりたいんでしたよね」

「ははは……昔の話をしないでくださいよ。あの頃は、何でもできると思ってたんです」

「今でも充分、色々できると思いますけど。箱庭療法専門のはずなのに、絵画療法や内観療法、ムーブメント療法に漸進性弛緩法……どれだけ手を出せば気が済むんですか」

「いやあ、やってみるとどれも面白くて……」

「忙しいのはわかりますけど、だからといって居眠りはいけませんよ? コーヒーを入れてあげますから、もうひと踏ん張り、がんばってくださいね」

「はい……すみません」

 

 殊勝に頷く辰幸。

 居眠りとまではいかなくても、少しぼーっとしていたのは事実である。

 気合を入れ直し、改めて作業に集中しなければ。

 

「……今晩こそはちゃんと寝よう……いやでもしかし……カノマさんの例の作戦が大詰めだし……もうちょっとだけ頑張ろう」

 

 言いながら。

 ここ数日の間、頭を悩ませてくれる案件を、少しだけ思い返した。

 

 

 

 

 

 * * * * * *

 

 

 

「そういえば、最近あのオーク……のツトンカさん、見かけませんね」

 

 馬屋にて。

 薬草を煎じる作業に没頭するカノマの横で、リモラはそんなことを呟いた。

 鍋から目を離さずに、カノマはただ「そうですね」とだけ返す。

 彼にしては珍しい、そっけない反応に、リモラはおややと首を傾げた。

 

「カノマさん?」

「……はい」

「カーノーマーさーん?」

「……何でしょう?」

「やけにテンション低いですね? ツトンカさんのこと、気になるんですか?」

「いえ。別にそういうわけでは」

「ほんとですかー? ちょっと私の目を見てくださいよ」

「すみません。ちょっと今、目を離せないので」

「むぐぐ」

 

 突っ込むべきか退くべきか、悩む様子を見せるリモラ。

 そんな彼女の様子を気にする余裕すらないのか、ただただ鍋を見つめ続けるカノマ。

 

 と、そこへ高く澄んだ声が響いた。

 

「こんにちわ。カノマお兄ちゃん」

 

 小柄な体躯に鮮やかな金髪。

 つんと飛び出た尖り耳に、目の下に黒く残る隈。

 エルフの少女が、カノマに向かって、挨拶してきていた。

 

「おや、サティちゃん。残念ながらカノマお兄ちゃんは今お仕事中で」

「カノマお兄ちゃん。私もお手伝いしますよ」

 リモラの言葉をさらっと無視し、サティはカノマの側に向かう。

 

「……こらこらサティちゃん。年上に向かってその態度はよろしくないのでは? ……あれ? 私の方が年上よね? エルフって歳とるの遅いって聞くけど」

「……カノマお兄ちゃん?」

「だから、無視はよろしくないと――」

「――うるさいです」

「あ、はい。失礼しました」

 

 すごすごと引き下がるリモラ。

 傍から見たら、普通にやりとりをしていただけなのだが。

 何故かリモラは、滅茶苦茶へこんだ様子で、馬屋の隅に移動した。

 

「こんにちわ、サティちゃん。折角来ていただいて申し訳ないのですが、今日は手伝ってもらえるようなことはないので、少し待っていてもらってもいいですか?」

「はい。待ってます。急にごめんなさい、カノマお兄ちゃん」

「いえ、こちらも急いで終わらせますので」

 

 カノマから声をかけられて、ぱっと花が咲くような笑顔を見せるサティ。

 傍から見れば、素直で健気な女の子である。

 しかし。

 

「今日もツトンカさんがいないので、少し寂しいですが、後で一緒に遊びましょうね」

「……はい! ちょっと寂しいですけど、カノマお兄ちゃんと遊べるのは嬉しいです」

 

 にこりと微笑むサティは。

 後ろ手で、己の手首に、がり、と一筋線を作った。

 

 

 

 

 

 次の日も。

 その次の日も。

 ツトンカは、カノマのところに姿を見せなかった。

 

 

 

 

 

「……あの、リモラさん。ひとつ、伺いたいのですが」

「えっ!? いいですよもちろん! うちでご飯食べたいんですか? それともうちで寝泊まりしたいんですか?」

「あの……そういう冗談を言われてしまうと、反応に困るんですけど」

 少しだけ頬を紅くしながら、カノマは呟いた。

 普段から良くしてくれている美少女に、そんな、勘違いしてしまいそうなことを言われて平常心を保てるほど、カノマは社会経験豊富ではない。

 

 そんなカノマの反応に気をよくしたのか、リモラはにこにこ笑顔でカノマの顔を覗き込んできた。

 

「訊きたいこと、当ててみせましょうか?

 そうですね……えっと……。

 …………ツトンカさんの、ことですね?」

 

 何故か途中からテンションを下げながら、リモラはあっさり正解を言ってのけた。

 

 流石はこの歳にして大事業の一端を担う少女である。

 経験不足なカノマの考えなど、きっとお見通しなのだろう。

 と、ちょっと的外れな感想を抱いたカノマは、改めて質問を投げかけた。

 

「この近くの、オークの里って、どこあたりにあるんですか?」

「会いに行くつもりですか? 少し遠いけど……まあ、行けなくはない距離ですね。でも……怖くないんですか? オークの里ですよ?」

「え? オークの里ですよね?」

「え?」

「ん?」

 

 

 

 

 

 

 オークという種族の特性としては、何より巨躯と怪力が挙げられる。

 その二点から、彼らが非常に危険なものだと認識する者は多い。

 

 しかし。

 いくら体が大きく力も強いとはいえ。

 知性を持ち、集団を形成して生活する彼らが、暴力のみで生きていけるかと言えば――それは否である。

 安定した食料を確保するためには、狩猟や略奪のような不安定手段ではなく、農業もすれば商取引だって必要になる。多種族と円滑な交渉を行うには、暴力だけではなく言語力も求められる。

 つまり、損得勘定や円滑なコミュニケーション能力も、彼らは基本的に有しているのだ。

 

 その里が、どのような場所かといえば。

 

「……あれ? なんか、普通の村っぽいですね」

 カノマを案内したついでに、村の中までついてきたリモラは。

 少し拍子抜けしたような声を漏らしていた。

「リモラさんは、来たことないんですか?」

「私は場所しか知らなかったので……。それに、わざわざ来る用事もありませんし」

「なるほど、だからあんな風に怖がってたんですね」

「いやまあ、ツトンカさんがあんな感じだから、オークは皆そうなのかな、と」

 少しだけ申し訳なさそうに、リモラは言った。

 

 石と木で組まれた家屋は、人間のそれと趣は異なるが、それでも洗練された技術を以て組み上げられていることがよくわかる。家の配置もある程度計算されており、近すぎず遠すぎず、周囲の樹木とも上手く調和していた。

 表を歩くオークたちも、その表情は総じて穏やかで、通りがかる者同士で談笑する様子も見受けられた。

 

 カノマの知る本来のオークたちは、こういった姿である。

 竜と共に過ごしていた頃、彼らの里に賓客として招かれたこともあった。

 それ故カノマにとってオークという存在は、豚の顔で体の大きい、それだけの存在でしかなかったりする。だから、ツトンカともすぐに打ち解けることができたのだ。

 

『おや、人間の方が村の中まで来るとは珍しいですね。特に取引の予定はなかったと思いますが……何か鉱材でも入用ですか?』

 

 と。

 村の入口から中を見ていた二人に。

 一体のオークが、丁寧な言葉づかいで声をかけてきた。

 

「っ!?」

 何故か息を呑んで固まるリモラ。

「いえ、取引というほどではないのですが……実は私、薬師をしていまして。このたび擦り傷や切り傷に効く塗り薬を大量に作りましたので、よければお分けしようかと思いまして」

『へえ、旅の薬師様ですか? わざわざこんな森の中、しかもオークの里にまで、ありがとうございます』

「いえ。実は自分、先日より森の近くの村に滞在しております」

『なるほど、コサチ村からいらしたのですね。ということは、今後の取引も見据えた、宣伝というところでしょうか?』

「はい。一応村の中だけでも生計は立てられるのですが、森の素材も必要になるので、オークの皆さまとも今後お付き合いできれば、と思った次第です」

『そういうことなら、喜んで。よければ村の会議場で詳しいお話でも。

 ――ああ、そういえば自己紹介が遅れてすみません。私、この里の青年団で代表を務めております、トロントと申します。以後、お見知りおきを』

「これはこれはご丁寧に。私はカノマと申します。今後ともよろしくお願いします」

 

 と、カノマとトロントがスムーズにやりとりをしていたその横で。

 リモラは恐れ戦くように、呟きを絞り出していた。

 

「なにこのオーク……イケメンなんですけど……」

 

『ははは。人間のお嬢さん、そんなお世辞はやめてください。貴女のような可愛らしい女性に褒められたら、勘違いしてしまいますよ』

「どうしようカノマさん! これ普通にイケメンですよ!?」

「落ち着いてくださいリモラさん」

 

 どうどう、とリモラを宥めるカノマ。

 しかし、彼女の訴えは尤もである。

 このトロント、並のオーク像とは少々違った外見をしていた。

 長身ではあるが、無駄な肉は少なく、すらりと伸びている印象を受ける。人間でいうところの、長身細マッチョである。

 服装も小奇麗にしており、ただの村人であるカノマやリモラより上等な衣服を仕立てていた。都市部の人間と比べても遜色ない。

 何より、その顔。

 豚の顔ではある。しかし、豚といっても様々な顔があるのと同様、このトロントも、どちらかといえば細身の顔つきで、鼻筋はしゅっと鋭く伸びていて、目元もくっきりしており、睫毛が長い。 

 紛う方なきイケメンだ。

 

 それに加え、立ち居振る舞いもスマートとくれば、人間から見ても十分に魅力的な外見である。

 

『お嬢さんは……馬の香りがしますね。コサチ村で馬ということは、有名な馬便ネットワークのお嬢様ですか? その歳でそこまでの立場、お噂はかねがね』

「どうしましょうカノマさん。私イケメンに噂されるほどの人間でした。ちょっとは見直しました? 惚れ直しました? …………あれ? でもそんなに馬臭いんですかね私……」

『ああっ、気に障られたのなら申し訳ありません。我々オークは人間の方々と比べて鼻が利くので、どうしても相手の香りを嗅いでしまう癖があるんですよ』

「……あれ? 馬臭いのは否定されてないような気が……。

 ま、まあそれはそうと! なるほどそういうことなんですね。納得しました。どうかお気になさらず。

 道理でツトンカさんもカノマさんの匂いをよく嗅いでると思っ――」

 

 リモラがそこまで言ったところで。

 イケメンオークは、その表情を、一瞬固まらせた。

 

『――ツトンカ? ひょっとして、貴方達は……』

 表情をにこやかなものから深刻な形へと変え、トロントは何かを言おうとした。

 と、そのとき。

 

『――カノマ!? なんでこんな所にいるんだ!?』

 

 酷く驚いた様子で。

 カノマのよく知るオークの青年が、大きな声を上げていた。

 

 よかった。

 それが、カノマが最初に抱いた思いだった。

 何か大怪我でもして来られなくなったのではないだろうか。

 そう心配し、わざわざオークの里に来る用事まで作って、様子を見に来たのだが、どうやらそういった事態にはなっていなかったようで、安心した。

 安心したのだが――

 

『おい! ツトンカ! お前が迷惑をかけたコサチ村の方々が、苦情を伝えに来てるぞ! いい加減にしろ!』

 

 先ほどまでの紳士的な対応とは打って変わり。

 トロントが重く響く声で、ツトンカを叱責し始めた。

 

『く、苦情? 嘘だ! カノマがそんなこと言うはずが……』

『じゃなかったら、どうしてわざわざこんな森の奥まで来るんだ!

 お前はいつもいつも周りに迷惑ばかりかけて!

 少しは俺たちのためにちゃんとしようという気にならないのか!?』

「あの、トロントさん。別に私たちは苦情を言いに来たわけでは」

『身内の恥ずかしいところをお見せしてしまい、申し訳ありません。

 あの馬鹿がコサチ村の皆様に多大なご迷惑をおかけしたことは承知しています。本来であればすぐにでも里の代表が挨拶に伺うべきなのでしょうが……あいにく里長は長期不在となっておりまして……謝罪が遅れてしまい、すみませんでした』

『お、おいらだってちゃんと謝ってるぞ!』

『謝れば済む問題じゃないだろう! オークと人間で戦争になってもおかしくないことをやらかしておいて、謝るだけで済まそうというのかお前は!』

「いや、そんなに大げさな話では……」

『気を遣わないでください、カノマさん。ツトンカは物分かりが悪いので、厳しく言わなければ駄目なんです。あいつのためだと思って、どうか見守っては頂けないでしょうか』

 言っていることは尤ものようにも聞こえるが――それはつまり「黙っていろ」ということだろうか。

 

 騒ぎを聞きつけたようで、他のオークたちも周囲にわらわらと集まってきた。

 年齢層は様々だが――彼らはツトンカを見て「またか」と呆れたような溜息を漏らしていた。


『ツトンカがまた騒いでいる』

『何か迷惑をかけたみたいだ』

『いい加減にしてほしい』

 

 そういった内容が耳に届いてくる。

 ツトンカに対して肯定的なものはひとつとして存在せず、どれも彼を否定的にとらえたものばかりであった。

 

 そのような空気の中心に立ちながら、ツトンカはぶるぶると震えていた。

 

 正面から無遠慮に責め立てる同胞。

 それを取り巻く、多数の敵対的な視線。

 オークの里に、彼の味方はいない。

 そんなことが、わかってしまう。

 

 

 カノマは。

 彼の力になりたいと、思っていた。

 思い出されるのは最初に出会ったときのこと。

 暴れて叫ぶ彼の声色に滲んでいた、やるせなさ。

 現実に立ち向かえず、物に当たることしかできなかった彼を見て、その助けになりたいと心から思っていたのだ。

 

 ツトンカが、自分のもとに通っていた理由。

 それを目の当たりにして。

 

「? カノマさん、って、ちょ――」

 

 傍らのリモラが何かに気付いたようだが。

 彼女が止める前に、カノマは動き出していた。

 

 

 ずかずかずか、とトロントとツトンカの間に割り込み、

 

「すみません。僕の友達に酷いことを言うのはやめてください」

 

 大きな声で。

 はっきりと宣言し。

 そのままツトンカの手を掴んで、騒動の中心から連れ出していた。

 

 

 

 

 

 

 * * * * * *

 

 

 深夜。

 自室にて。

 ここ数日、毎晩行われてきた作戦会議も大詰めを迎えようとしていた。

 

「それで、カノマさん。そちらの方で新たにわかったことはありますか?」

 

『はい。今日は青年団代表についての話を聞いてくることができました』

 

 青年団代表。

 件の青年を表立って叱責していたという輩か。


『昨日ナリカワさんに言われた通り、誰が一番ツトンカさんを責めているのか確認したら、やはり代表の方がここのところ著しいというお話でした』

 

「その代表の方は、確か最近就任されたんでしたよね?」

 

『はい。少し前に以前の代表の方々が遠くへ出られる用事があったそうで、その代理という形で就任されたそうです。とても張り切っていたそうですけれど、思い通りにいかないこともあったようで、よく周囲に愚痴をこぼしていたみたいです』

 

「なるほど……」

 

 頷きながら、辰幸はカノマの調査力に内心驚いていた。

 自分の所属している集団ならともかく、ほぼ知らない集団から、その内部事情を訊き出すというのは、とても難しいことである。

 この青年には、いい意味で物怖じしないところがあるので、訊いて回るくらいは容易だろうが――相手が素直に応じてくれるとは、訊き方も相当上手かったのだろう。相手の心の壁を突破する聞き込みは、日常生活では身に付かない技術である。異文化交流、おそらく海外留学のような経験を積んでいるのだろうが、それだけでもなさそうな気がする。

 ひょっとしたら、生い立ちにも何かあるのかもしれない。

 

 まあ、カノマの事情について考えるのは後回しだ。

 まずは、今のケースに全力で当たらなければ。

 

「周囲の方々は、その代表の味方が大半といった形でしょうか?」

 

『はい……。やはり、ツトンカさんの日頃の振る舞いが、快く思われていないようです』

 

 ツトンカ。

 発音が訛っているのか、本来の名前が何というのかいまいちよくわからないが、まあそこは大きな問題ではない。

 おそらくは、ADHDを有しているであろう青年。

 自傷行為に走るなど、衝動性が強い面がある。

 コミュニケーションも苦手で、やや粗暴な言動も見られる。

 確かに、田舎のようなノーマライゼーションの進んでいない地域では、排斥されやすいタイプかもしれない。

 

 しかし。

 だからといって。

 

「たとえツトンカさんに原因があっても。

 “いじめ”を許容するわけには、いきませんよね」

 

 いじめ。

 

 一定の人間関係のある者から心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。

 

 従来の定義であれば、いじめは弱い者が受けるというものであったが、被害者側の気持ちを重視すると、それは適切ではないというのが最近の考え方である。

 重要なのは、攻撃が存在することと、それによる精神的苦痛があること。この二点である。いじめかどうかの判断は、いじめられた本人の立場に立って行うことを徹底しなければならない。いじめる側が「これはいじめではない」と誤魔化すのを防ぐためでもある。

 

 いじめには大きく分けて4種類のいじめがある。

 悪戯的いじめ。

 仲間を隷属させるためのいじめ。

 犯罪的いじめ。

 集団全体が関与するいじめ。

 

 上の3つは個人ないし少数の者が行うことが多いが、厄介なのは4つ目の集団全体が関与するいじめである。

 止める者が現れにくく、深刻な問題に発展することも多い。今回のケースもこれに当たる。

 集団が相手となるため、解決が難しく、状況によっては被害者が逃げるしかなくなることもある。

 何を以て解決とするかは対応するカウンセラーによって異なるが――少なくとも辰幸には、ひとつの明確な指針が存在していた。

 

『はい。僕はツトンカさんを、あの人たちから守りたいです』

 

「その気持ちが大切です。私も全力で応援します。

 ――いじめられているツトンカさんと、その味方のカノマさんが、これからも安心して過ごせるように、尽力します」

 

 対象者とその味方。

 彼らが今後安心して過ごせるようになること。

 それが、辰幸の指針だった。

 

「それでは、情報も集まりましたので、これから具体的な対策を確認したいと思います」

 

 言いながら、辰幸は手元の参考資料に目を落とす。

 

 そこには。

【緊張理論】

【統制理論】

 二種類の論文がまとめられていた。

 

 

 

 

 


 

 * * * * * *


 

 オークの里の中央会館にて。

 青年団代表のトロントは、進まない会議にイライラしていた。

 

 従兄が本来の代表だったが、何やら由緒正しい高名なドラゴンの所へ挨拶に行くとかで、里の主だった長老達と長期の旅に出ることになってしまい、その代理として青年団の代表を務めることになった。

 やる気はあった。

 光栄だとも思った。

 血気盛んなオークの若者たちをまとめ、多種族との交易をまとめる立場となる。

 ただの若者でしかなかったトロントだったが、大出世である。

 趣味の活動などで、他者をまとめるのは好きだったのもあり、代理の話は喜んで承諾した。

 

 しかし。

 実際に就任してみたら、代表の仕事は、思いの外、過酷だった。

 

 各家業の意見をとりまとめ、調整する。

 代表の仕事はその一言で言い表せてしまうが、ことはそれほど単純ではなかった。

 何せ、自分が頑張れば済む話ではない。

 他者はそれぞれ、自分の立場に則った意見を出す。

 それを他が不利益を受けないよう調整し、形を整えて提案しなければならない。受け入れられることも少なく、意見が対立する2者それぞれから敵視されることも珍しくない。

 集団をまとめることの難しさに、トロントは直面せざるをえなかった。

 

 代表になる前は、楽な仕事で偉ぶれて羨ましいと思っていたが。

 実際にやってみたら、とんでもなく大変な、割に合わない仕事だった。

 

 それでも、やりたいと思っていた仕事だったし、誇りに思っていたのもあるので、全力で取り組んでいた。

 仕事にも慣れ、この調子なら、従兄が帰ってくるまでの間、何とか役目を果たせそうだと思えてきた。

 そんな矢先。

 

 幼馴染のツトンカが、外の村とやりとりしていることを知った。

 

 なれそめを聞くと、どうやら彼が村に迷惑をかけ、そのお詫びに通っているとのことだった。

 彼が他者とコミュニケーションをとるのが苦手なことは知っていたし、外の村とトラブルを起こしたとしても、それは不思議なことではないと思った。

 しかし。

 お詫びの品として、彼が鉱石や獣皮を贈っているのは、看過できなかった。

 

 多種族にオークの里の特産品を贈ること。

 それは、自分が代表として取り組むべき仕事のはず。

 

 ツトンカは、それを勝手に、やっていた。

 

 ついカッとなり、ツトンカを捕まえ、長々と説教してしまった。

 村のど真ん中で説教してしまったからか、すぐに他の連中も集まり、ツトンカのことを責め始めた。

 皆もツトンカには少なからず言いたいことがあったらしい。

 色々言いたくても、何かの拍子ですぐ爆発してしまうツトンカには、なかなか言えない。しかし、そのときは、トロントに責める大義名分があり、皆がそれに乗っかる形となった。

 

 なるほど、皆はツトンカを責めたかったのか。

 皆に迷惑をかけるツトンカを、皆の代表として叱責する。

 それもまた、青年団代表としての責務だろう。

 

 トロントは、そう考えた。

 

 自分がやっていることは悪くない。

 そう思ってから、彼の行為は暴走した。

 

 ことあるごとにツトンカを責め、本来なら問題ない言動まで難癖をつけるようになった。

 ツトンカのやることはすべて悪いこと。

 だから、彼のすべてを否定しなければならない。

 トロントがツトンカに何をしても、それは青年団代表として正当な行為でしかない。

 故に、彼がこれ以上里の外に行って勝手なことをしないように、奴隷のような労役を課しても、彼の良心は痛まなかった。

 半ば軟禁して強制労働を課していた。里の皆もそれに賛同してくれた。

 何もおかしいことはない。

 自分は真っ当なことをしていた。

 はずなのに。

 

 ――すみません。僕の友達に酷いことを言うのはやめてください。

 

 里に突然現れた薬師。

 彼は、トロントに対してそう言った。

 

 酷いこと?

 自分はそんなことは言っていない。

 当然の、正しいことしか言っていない。

 だから、そのような抗議は的外れである。

 

 はずなのに。

 

 それから少しして。

 周りの状況が、だんだん変わってきた。気がする。

 

 

 まず、ツトンカの悪口を言う者が減ってきた。

 ツトンカ自身が、悪口を言われるような行為を控えてきているらしい。

 他者の話を一生懸命聞こうとしたり、色々な相手の仕事を手伝ったりするようになったとのこと。

 

 そして、トロント自身が忙しくなってきた。

 とはいっても、以前のような辛い忙しさではない。

 先日の薬師と馬屋が、ツトンカに交易交渉を持ち掛けてきたのだ。

 彼の憧れていた仕事が、いきなり舞い込んできて、それに集中せざるをえなくなった。

 

 皆の否定的な意見も減り、トロント自身が忙しくなり。

 正直、ツトンカのことは、どうでもよくなってしまっていた。

 

 問題行動が減ったのは、きっと自分が指導したおかげ。

 もう害はないのだから、放置しても大丈夫。

 こっちだって忙しいのだ。関わる必要なんてない。

 

 いつの間にか、そう考えるようになっていた。

 

 

 

 

 

 * * * * * * 

 

 

「そうですか。では、もう大丈夫そうですね」

 

 報告を聞き、辰幸は一安心のため息を吐いた。

 電話の向こうでは、カノマが嬉しそうに声を上げている。

 

『はい! ツトンカさんも里で随分過ごしやすくなったそうです。彼自身もイライラすることが少なくなって、暴れることはもうほとんどないそうです』

 

 いじめがなくなると、問題行動は減少する。

 臨床場面ではよく見かける光景だが、今回もその例に漏れなかったようだ。

 自分を取り巻く問題を解決できると、自信が付き、身の回りのことに肯定的に当たれるようになる。

 ○○をしたら収入が増えました、とか、××のおかげで彼女ができました、といった類の幸運体験は、こういった意識の変化が主な原因だったりする。

 

「でも、油断はしないでくださいね。角岡さんの特性が無くなったわけではありませんので、そちらは引き続き、支援が必要になると思います。でも、まあ」

 

 辰幸はこほん、と一息置いて。

 

「カノマさんの努力のおかげで、今回は解決することができましたね。

 ――本当に、お疲れ様でした」

 

 心の底から、ねぎらった。

 

『いえ! 僕はナリカワさんの言う通りにやっただけです。

 凄いのはナリカワさんです! 本当にありがとうございました』

 

 しかし一瞬でそう返ってきて、なんだかお尻の穴がムズムズした。

 照れくさい。

 いやしかし、本当にカノマさんが一番頑張ったと思っている。

 

 自分がしたことは、彼らの状況を「緊張理論」と「統制理論」に当てはめて、そこから推測できたいじめの原因を特定しただけである。

 

 緊張理論と統制理論。

 現代社会において、いじめが発生するメカニズムは、この二点で説明できる。

 

 緊張理論とは、いじめ行為の原動力のことである。

 心の緊張――欲求不満や葛藤を抱えると、人はそれを軽減しようとする心理になる。その際にとられる行動のひとつが、攻撃反応としてのいじめである。

 要はストレスを抱えた者が、その解消のために無意識に攻撃行動に走ってしまうのである。

 今回の場合だと、首謀者の“青年団代表”という役割に対するストレスが、角岡さんへのいじめ行為への原動力となった形となる。

 

 統制理論とは、いじめ行為を止められない仕組みのことである。

 人は本来持っている情動(攻撃したい等)をコントロールして生きているが、それをコントロールできなくなると、問題行動が現れるようになる。

 人が情動をコントロールするには“社会的規範”や“良心”が必要になるが、ストレスなど何らかの外的要因によりそれらが弱まると、いじめ行為を止められなくなってしまうのである。

 今回の場合だと、角岡さんの問題行動が周囲の人々を疲弊させ、良心などの情動コントロール機能が弱まってしまったことから、集団によるいじめが発生した形となる。

 

 今回はそれぞれの理論から、ふたつの対策をとることにした。

 

 “原因の軽減”と“役割の変更”である。

 

 まず、角岡さん自身の、責められる要因を減らし、いじめの対象から外すように働きかけた。

 とはいえ、いじめの根幹には角岡さん自身の特性が深く関わっているため、根本的な解決は難しい。ではどうするか――それは簡単。敵意を好意に置き換えるのである。

 人が他者に対して抱ける感情の量には、限界がある。

 ある人が仮にAさんに10割の敵意を持っていても、Aさんが6割の好意を抱かせてしまえば、敵意は4割程度に落ち込んでしまう。

 仕事を積極的に手伝ったり、話を真摯に聞く姿勢を見せたり、好機を抱きやすい行動を積極的にとることで、角岡さんへの感情を好意的なものに置き換え、相対的に敵意を減らしたのである。

 

 そして今回は、いじめの首謀者がはっきりしていたので、その人の役割を変更させる手法をとった。

 役割、というものが人に与える影響は大きい。

 人の言動や性格は、その人が思っている以上に役割の影響を受けてしまう。

 有名なところではスタンフォード監獄実験がある。被験者に囚人と看守の2種類の役割を与えて生活させたところ、被験者本来の性格とは一切関係なく、全員が役割に応じた行動を取るようになった、というものである。

 人格や性格といった、その人を形成する概念は、環境などの外圧によって容易に変化してしまう。どんなに心優しい人間であっても、他者を虐げる役割を任されてしまうと、いつの間にか自然と他者を虐げるようになってしまうのだ。

 青年団代表として角岡さんをいじめる、という役割。これを他の役割に置き換える必要があった。そこで、彼のやりたかった新しい仕事を用意して、そちらに気持ちを向かわせるようにした。

 小学校のいじめ問題で、いじめっ子グループの主要メンバーに少し忙しく楽しい係活動を負わせ、そちらに彼らの意識を割かせることでいじめを減少させる、という手法に似ている。

 

 

 これらの知識をカノマさんに伝え、彼は完璧に実践してみせた。

 熟練のケースワーカーに勝るとも劣らない、見事な問題解決能力である。

 

「角岡さん自身への対処は、追い追い取り組んでいくとして、差し当たって重要なのは――」

 

『はい。僕自身が、彼の居場所になることですよね』

 

 うん。

 よくわかっている。

 

 やっぱり俺、カノマさん好きだわ。

 

「ええ。貴方がそこを理解していれば、大丈夫です」

 

『ありがとうございます!』

 

 心地よい達成感を胸に。

 今日の電話相談も終了した。

 

 

 

 

 * * * * * *

 

 

 夜。

 あたりもすっかり暗くなり、村の住人たちは皆、就寝の準備を整えている頃。

 

 久しぶりに、カノマの住む馬屋では、明かりと楽しそうな会話の声が、窓から外に漏れていた。

 

 それを。

 遠くから、静かに見つめる存在がいた。

 

「…………」

 

 木の陰から、耳と目を片方だけ出し、延々と見つめ続けるエルフの少女。

 その目は闇の中で昏く輝き、馬屋の明かりをじっと捉え続けていた。

 目元の隈はより深く、彼女の表情を歪めていく。

 

「……あいつ、戻ってきちゃった」

 

 ぽつり、と呟きが夜闇に消える。

 

「……邪魔、です……。

 …………どうすれば、いなくなるのかな……?」

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