ケース3 恋愛相談 CL:サトリ



 とある昼下がり。

 乾季の気配も離れ、ほどよい湿度と温度の中で。

 手先を使う作業は、面白いくらいに捗った。

 

「……よし、3個目完成」

「カノマお兄ちゃんおそいですね。わたしは5個目ですよ」

「サティさんは手先が器用ですね。すばらしい」

「……えへへ」

 

 馬屋の一角。

 藁を敷き詰めたその上で、カノマとサティが蔓籠作りに勤しんでいた。

 

 親から育児放棄という虐待を受け、心身傷ついていたエルフの少女。

 彼女の居場所として、カノマは自分の住処を提供していた。

「好きなときに遊びに来ていいですよ」というカノマの言葉に、サティは最初は信じられない様子で、次第にその顔は歓喜に染まり、気付いたときには大輪の花のような笑顔で頷いていた。

 それから月が一回りした頃。

 サティは、すっかり馬屋の常連となっていた。

 はじめこそ、村人たちは見慣れぬエルフの少女に警戒心を示していたが。

 少女の弱々しい雰囲気と丁寧な言動に、すっかり毒気を抜かれ、今では歓迎する者も現れていた。

 カノマの呼び方も、さん付けからお兄ちゃんにランクアップし、すっかり懐いてくれた模様。

 なぜこれほどまで急に仲良くなれたのか、カノマにはいまいち理解できなかったが、少なくともナリカワの指示通りに“居場所”にはなれたような気がする。 


 今日はサティが森から持ってきた蔓を使い、小さな籠作りをしていた。

 流石は森の住人というべきか。サティは指先で巧みに籠を編み上げて、少し控えめな得意顔。

 

「……あ。カノマお兄ちゃん、そこ、編み方違いますよ」

「え? ……あれ?」

「もう。ここは、こうやって、こうするんですよ」

 

 ぐい、と顔を近づけて。サティが間違いを指摘してくる。

 とがった耳が、カノマのほっぺに突き刺さった。

 痛くはないが、結構硬い。エルフの耳ってこんなに硬かったのか、とどうでもいい感動をする。

 ぐみぐみと耳でほっぺを蹂躙しながら、少し嬉しそうにカノマに編み方を教えるサティ。

 得意げになってテンションを上げるあたり、まだまだお子様だなあ、と。カノマが微笑ましい気持ちになった。そのとき。

 

 

「……このあたりからイチャイチャのニオイがしますねー……」

「っ!?」

 

 馬屋の入口にて。

 顔を半分だけ覗かせたリモラが、半眼でカノマたちを見つめていた。

 

「り、リモラさん。人聞きの悪いことは言わないでください。僕たちは別に、ただ一緒に遊んでるだけで」

「うっわ慌ててますよこのお兄ちゃん。慌てるということはやましいことがあるというわけで。それはつまり私にとって不義理」

「不義理?」

「言葉の綾です! それはそうと! 何ですかお兄ちゃんって! 実は妹でしたか! サティちゃん、私のことはお姉ちゃんと呼んでくれていいですよ!」

 

 何故か急にテンションが上がるリモラ。勢いに任せて何かを誤魔化そうとしているようにも見える。

 その勢いに押されたのか、カノマの陰に隠れるサティ。

 ぎゅ、と裾を掴まれる。

 

「リモラさん。サティさんが怖がってしまいますので」

「ちょ!? 私が悪者の流れですかこれ! カノマさん、私との方が付き合い長いでしょう!? ちょっぴりの差で!」

 むくーとむくれながら詰め寄るリモラ。鼻がくっつきそうな距離まで来た。焦げ茶色の瞳がカノマをしっかり捉えていた。


「どうせ綺麗系美少女に懐かれて嬉しくなってデレデレしてるんでしょう……!」

 言いながら、カノマの目をじっと見つめてくる。

 不思議な瞳。ただのヒトのはずなのに、何故か心の奥まで見透かされてしまいそうな錯覚に襲われる。

 慣れない距離に慌てつつも、カノマはできるだけ落ち着いた風な口調で言い返す。

「そういうわけでは、ありません。サティさんが遊びに来てくれて、僕も純粋に楽しいですし」

 嬉しいのは事実だが、デレデレしているわけではない。

 どちらかといえば――心配している方が、強い。サティの腕に無数に刻まれた爪傷。目の下の大きな隈。これらの元凶となる問題は、何一つとして解決していないのだから。

「…………」

「…………」

 何故か見つめあう二人。

 でも、カノマはここで目をそらしてはいけないと、直感的に思っていた。

 リモラは、この村に来たカノマを受け入れてくれた大恩人である。そんな人には、正直に接するべきだ。だから、目を逸らさなかった。


「…………はぁ」

 リモラの口からため息が漏れた。

 その理由がわからず、首を傾げようとしたカノマに。

 

「……ずるいです、カノマさん」

「おっしゃる意味がわからないのですけど」

「ふんだ」

 むっくりむくれて、リモラはそのまま距離を取る。

 カノマは完全にハテナ顔だったが、最初の険は抜けたような雰囲気を感じ取った。

 

「でも、カノマさん。勘違いしちゃ、ダメですよ?」

「?」


「――カノマさんは、誰のものでもないんですから」

 

 カノマを――カノマの方を見ながら。ヒトの少女は厳しく言った。

 

「……っ」

 エルフの少女はぴくりと震えて。

 

 二人には見えないように。

 小さく、舌を出していた。






 * * * * * *




 食欲の秋。

 秋は旬の食材が多く、巷には様々な美味が溢れかえっている。

 過ごしやすい気候なので健康状態も安定しやすく、内臓も活発に活動してくれる。

 これはもう、おいしいものをたくさん食べることは必然である。

 食べなければならない。

 喰わぬのは罪だ。

 

「ふふふ……買ってしまったぜバスケットチキン……!」

 

 自宅のダイニングテーブル上に鎮座ましますご神体は、カラフルな紙バケツ一杯に押し込められた、油ギッシュなフライドチキン軍団である。

 あんまり秋関係ないけど。

 つい目について買ってしまったのだから仕方ない。

 

 鶏肉。

 衣。

 タンパク質。

 脂質。

 

 脂には脳内を幸福状態にさせる効果があるらしい。

 つまり、このバケツ一杯のフライドチキンをむしゃむしゃ食べれば。

 自分の脳内は幸せいっぱい夢いっぱいになるはず。

 

「……そう。幸せになれるんだ……なれるんだよきっと……!」

 

 いただきますと手を合わせ、辰幸はフライドチキンにかぶりついた。

 むしゃむしゃと喰らう。

 肉の繊維が歯に挟まる。

 脂がこぼれて手をぬめらせる。

 衣に振られた特製スパイスが舌を焼く。

 

「……お肉よ、お肉よ、お肉さん……俺を幸せに……しておくれ……」

 

 4個目で胸焼け発生。

 おかしい。20代前半の頃は、揚げ物なんていくらでも食べられたのに。

 これは陰謀か。いや陰謀に違いない。

 たとえ脂質を摂りすぎようとも、塩分を摂りすぎようとも、血圧が上がろうとも、これら些細なことを気にしていては、お肉の神様に顔向けできない。

 お肉の神様のお力で、これから幸せになるはずなのに。

 このままでは、余計なことに意識を捕らわれてしまう。

 余計なこと。

 すなわち、久しぶりの合コンで大失敗してきたということを……!

 

「ちくしょう! ちくしょう! 合コンなんてなくなってしまえ! いやしかし完全になくなってしまっては困るから年収聞く女のいない合コンは残ってくれ! というか今回は参加メンツがよろしくなかった! 俺はあんまし悪くない!」

 テーブルをぺしぺしと叩きながら、年収を馬鹿正直に言ってしまった数時間前の自分を慰める。

 臨床心理士は医療系の職場が多いため、勘違いされることも多いが。

 基本、給料はそれほど高くはない。

 辰幸のように複数の勤務先を非常勤でハシゴしても、収入は都市部での独り暮らしがギリギリ可能な程度である。

「『んー○○○くらいかな』とか得意げに言うんじゃなかった……。あの瞬間の目配せと視線逸らしは、本気で心にグサグサきたぞ……!」


 まあ、辰幸自身に非がなかったかといえばそうでもなかったりする。

 職業柄、様々な家庭環境や人間関係を見てきていることもあり、相手の発言の背景をそれとなく探ってしまう癖があるため、人によってはそれが不快なことも多々ある。

 特に女性は、発言の裏を察知するのが上手い傾向にあるため、辰幸の言い回しには違和感を覚える者は多い。

 仕事であれば、相手は悩み事を抱えているのが常のため、そこを中心に話せば問題ないのだが。

 相手に何も相談事がない場合は、 ついつい探り合うような会話になってしまい、盛り上がる要素に欠けてしまう。というか、引いてしまう。

 

「……今回の相手はみんな若かったしなあ。平均年齢が上がってくると今度はガツガツしてくるのがアレだけど」

 

 男女ともに、後がなくなってくると必死になるのは基本のようだ。

 辰幸も立派なアラサーである。このまま彼女のいない生活を送るのにはちょっと抵抗があるため、少なからず仲のいい相手を作りたいとは思っているが、うまく付き合えそうな相手に巡り合えないのが困ったところである。

 

 ならばいっそ、仕事一筋でいくのはどうか。

 今の臨床心理士という仕事は、収入面を除けば、とても充実していると思う。

 引き続き頑張っていき、新しい出会いに期待するという手も――

 

「女性じゃなくて男ならなあ。良い人には出会えたんだけど」

 

 ぽつり、と呟く。

 出会いといっても直接会ったわけではない。

 電話越しの会話である。

 

 カノマという、心優しき青年だ。

 

 どういう経路で電話番号が伝わったのかはさっぱり謎ではあるが。

 パニック騒動と児童虐待という、素人が対処するには少々難しいケースに遭遇し、しかし真摯な姿勢でことに当たった真面目な青年。

 先日、ネグレクトを受けている少女の支援についての相談を受け、あれから数度電話のやりとりで情報交換を行っているが、今のところは順調そうである。

 

 仕事でもないのに、真面目に電話相談の対応をしてしまっている。

 話を聞く限りだと、カノマは専門職でも公務員でもなく、単なるボランティアのようだ。

 本職は薬剤師か看護師か、町の診療所的なところで働いているらしい。

 本来なら、その地域の専門職を紹介すれば済む話。でも、辰幸はそうせずに、カノマの相談に乗り続けていた。

 

 ――どうやら自分は、カノマという青年に少なからず好意を抱いているらしい。

 

 彼は、素直に感謝し、礼を言える。

 心情がまっすぐといえばいいのか。自分の考えに違う意見も、そこに理があると判断すれば、素直に従い、実行できる。

 日本人では珍しい気質である。異文化交流の経験があるのかもしれない。

 優しい性格をしており、自分が救えるものに手を差し伸べることに、抵抗がない。

 心に何かしらを抱える者にとって、彼のような献身的な人物は、まさしく都合が良すぎる存在だろう。

 

 だからこそ、少し危ういと感じてしまう。

 

「……あー、いかんいかん。よくない方向に考えてる。今日はだめだ」

 

 頭を掻き、書机に向かう。

 久しぶりに記述で思考整理をした方がいいかもしれない。

 そう思い、お気に入りの万年筆を取り出し、インクの補充をしたところで。

 


 携帯が、鳴った。

 

 

「非通知……ってことは、カノマさんか」

 

 今まで何度もかかってきているのもあり、気持ちを切り替えて気軽に電話に出る辰幸。

 しかし。

 

 

『……あの、あなたが、“ナリカワさん”ですか?』

 

 

 電話の向こうから聞こえてきた声は、女性のものだった。

 

 

 

 

 

 



 * * * * * *




 馬屋の管理人リモラには、秘密がふたつあった。

 

 片方は重大な秘密。

 もう片方は別に秘密にする必要はないのかもしれないが、さりとて他者に自分から言う必要もない。そんな秘密。

 

 

 重要じゃない方のひとつ。

 ――彼女は、竜と会ったことがある。

 

 5年ほど前だろうか。

 彼女の所属する馬便ネットワークが作られようとしていた頃。

 初期の運用経路を検討するため、彼女とその家族は辺境の街道を通っていた。

 そこは広い湿原の脇にあり。

 その湿原には、巨大な蛇が生息していた。

 普段であれば、人を襲うことはないはずの大蛇。

 しかしそのとき、不運なことに、蛇を興奮させる類の薬草が、積み荷に含まれていた。

 結果、リモラとその家族の乗る馬車は、大蛇に襲われ、彼女たちも大怪我を負った。

 

 場所が場所だけに、助けが来る可能性は低い。皆が死を覚悟していた。

 しかし。

 彼女たちを助けてくれた存在が、現れた。

 

『……大蛇の異様な声が気になって来てみれば……珍しい輩がいたものだ』

 

 全身を青い鱗に包まれた、竜だった。

 その竜は、如何なる気まぐれか、リモラたちを運び出し、自分の巣で手当てまでしてくれた。

 

「この御恩は、決して忘れません」

 

 怪我も癒え、竜に送り出されるとき。

 リモラの父が平伏して、竜に告げた。

 その言葉に偽りはなく、家族一同、竜に対して何らかの礼を果たそうと思っていた。

 

 そんな一家に。

 竜はこんな頼みを残した。

 

『お前たちの治療を手伝った少年がいただろう。あの者は人間だ。

 あの者が成長し、儂のもとを離れるとき、その面倒を見てやってほしい。

 最初だけでいい。あの者が人間としての生活に慣れるまで――頼む』

 

 竜と共にリモラたちを手当てしてくれた少年。

 ヒトの姿形をしていたが、まさかただの人間だったとは。

 

 命の恩人に頼まれて、否と言えるはずがない。

 リモラ達は少年の世話をすることを約束し、竜と別れ、もとの生活へと戻った。

 

 

 村に来たとき、一目見てわかった。

 彼が、あのときの少年だと。

 少年の方はリモラのことを憶えていなかったが、彼女にとっては大事な命の恩人の一人である。忘れるはずもない。

 残念ながら彼女の家族は別の村で活動しているので、世話をできるのはリモラ一人だけだったが。

 それでも、恩義に報いるために、自分の管理していた馬屋に住まわせることにした。

 

 ……本当は、自分の家に住まわせるつもりだったのだが、それは村人たちに止められてしまった。

 まあ、向こうは男で、リモラは女なのだから仕方ない。

 その代わり、彼が村の生活に馴染めるように、できるかぎり陰で助力した。

 薬の有効性を訴えたり、手当の技術を評価したり。

 結果、命の恩人は、この村の一員として認められるようになり。

 リモラの馬屋で、生活できるようになった。

 

 

(……あとは、折を見てうちの中に招いて、ちょっと仲良くなったりして、そのまま住んでもらえればと思ってたのに……)

 

 何故だろうか。

 昼間はエルフの少女が入り浸り。

 深夜はオークのお兄さん? が駄弁っていた。

 

 これでは「ひとりじゃ寂しいでしょうからうちで一緒にごはんでもどうですか」作戦が通用しないではないか!

 

 とか何とか。

 馬屋の管理人はひとり悶々としながら、今宵もカノマの動向を伺っていたりした。

 

 今晩もオークが遊びにやってきて、カノマと延々と話していた。

 リモラもカノマと話したいのだが、あのオークの迫力にはついつい気後れしてしまう。

 悪い者ではないのは“わかる”のだが。

 それでも、暴れていたときの破壊力と、重く響く威圧の声が、どうしても忘れられない。

 生物としては当然の防衛本能が、ガンガンと警鐘を鳴らしてしまうのだ。

 あの迫力に真っ向から対応できるカノマが凄すぎるのだ。流石は竜と生活していた男である。

 

(あれだけしっかりとした胆力の持ち主なら、馬を管理する仕事も完璧にこなせるだろうし、やっぱりカノマさんはうちに……)

 

 そんな想像をしたりしつつ。

 しかしリモラには気になることがあった。

 

 薬師の仕事。

 エルフの遊び相手。

 オークの話し相手。

 

 これだけのことをこなし続けるカノマは、疲れたりしないのだろうか。

 彼の真面目ぶりはよくわかっている。仕事や役割をサボるような者でもない。

 寝る時間すら削られているような現状が、いったいいつまで続くのだろうか。

 

 そんな心配をしていたら。

 気付けばオークは帰っていて。

 カノマも、ちょうど寝るところだった。

 

(むむむ。これはひょっとして、声をかけるチャンスなのでは……いやいやでもでも、流石にもう遅いしなあ。カノマさん、ちゃんと寝かせてあげないと)

 

 声をかけようと思ったが、弱気の虫――もとい心配の虫が囁いてきて、結局声をかけられずじまいになった。

 仕方ない。また別の機会に、さりげなく声をかけよう。

 そう思って、馬屋を後にしようとした。

 そこで。

 

「……あれ? 何か、光ってる……」

 

 馬屋の中から、かすかな光が見て取れた。

 中を再び覗き込むと、寝入ったカノマのすぐそばに。

 淡い光を放つ謎の箱が、置かれていた。

 

 これは確か、カノマがたまに“会話”していた謎の箱。

 どういう原理か、中に何かの精霊が入っているのか、会話ができるようになっていたはず。

 リモラはカノマが何度かその箱と話していたのを見ているし、その箱の中の人に対いてカノマが信頼感を抱いていることも知っていた。

 

 信頼。

 

 自分も、命の恩人に恩を返すために、色々頑張っているのだけれど。

 信頼されてるのかどうか、よくわからなかった。

 ひとりの人間として、カノマが自分を尊敬してくれているのは知っている。

 嫌いじゃないということも、わかる。

 でも――住処を提供したりしている自分以上に、箱の中の人を信頼しているということも“わかって”しまう。

 

 こんなに頑張ってるのに。

 ずるい。

 

 そんな思いを抱いてしまっていた。

 

 

 

 気付いたときには。

 こっそり箱を持ち出していた。

 

 

「……どうしよう、これ」


 別に捨てたりするつもりはないが――さりとて、このまま返すのもどうだろうか。

 普段はまったく動かない謎の箱。

 しかし今は、何故かカノマが使っていた時のように、淡い光を放っている。

 これは、自分も使えるということだろうか。


 カノマは既に眠っていて、自分も特に変わったことはしていないはずなのに。

 強いて言うなれば、カノマのことを強く心配していたくらいか。

 さっぱり理由はわからないが――でも、興味はあるので、使ってみるのもありかもしれない。

 

 箱の中の人がどのような存在なのか。

 

 その人が、何を考えているのか。

 

 リモラは、知りたくなった。

 

 

 

 

 



 * * * * * *





「……なるほど。つまり貴女は、カノマさんが熱心に話す相手が気になった、と」

 

『はい……』

 

 電話の相手――リモラという女の子は、落ち込んだ声色で肯定した。

 話を聞いていていくつもツッコミどころがあったりしたが。

 

 とりあえず第一印象は。

“変わった名前の、行動力がある女の子”

 といった感じである。

 

 名前は、まあ、いい。

 今どきの名前としては、別によくある程度の名前かもしれない。たぶん。

 辰幸の勤務する中学校の名簿には、これ以上のトンデモネームをたまに見かける。告白(ジュテーム)さんとか金貨(いっとう)くんとか。それに比べれば十分名前っぽい。どんな漢字を当てるのかは地味に気になるが、まあそこは今気にするべきポイントではない。

 

 それよりも。

 気になる相手の通話先を調べ、そこに電話をする行動力。

 思春期女子にしては、かなり積極的だと感じてしまった。

 この年頃の女子ならば自我を確立させる最中にあるので、自信を持てずに確認行動に走ったり、現状を把握せず無責任な行動をしてしまったりと、いわゆる“問題行動”が起こりやすくなる状態にある。

 自分がどう生きればいいのかわからない不安を抱きやすいといえばいいのか。そういう時期なので、多少の奇行はまあ、仕方ない。

 とはいえ。

 他人の携帯電話を無断で見る、というのはいただけない。

 今や携帯電話は、個人情報の塊である。勝手に見てはいけない、という常識は、若年層にもそれなりに浸透しているはずである。

 なのに、タブーを犯して、悪びれるどころか通話までして相談してくるということは――

 

「えっと、リモラさん? 貴女、相手の考えが分かる人なんですね?」

 

『っ!??』

 

 息を呑む気配。

 図星か。

 そしてわかった。

 この少女は、自分の気持ちを整理しきれていない。極度の混乱状態にある。そう判断できた。

 

『な、なんで、そのことを……!?』

 

「いえ。別におかしいことではありませんよ。貴女の話を聞いていて、なんとなく、そう思っただけです」

 

 直接は言わないが。

 高すぎるコミュニケーション能力。

 それが、彼女を苦しめる原因だろう。

 

 他者の意図を汲むことを得意とする者は多い。

 その中でも、特に相手の微細な心情まで推し測れる者も、若い世代では珍しくない。

 集団の中でうまく立ち回るために、相手が何を考えているのかよく考え、それを行動の指針とする。

“ひとの気持ちがよくわかる人”と言えば聞こえはいいが、そういった人は“ひとに気持ちを合わせやすくなる”ことも多い。


 ――この人は○○してほしいのか。ならば○○しよう。

 ――この人は××と考えているのか。ならば××と自分も言おう。

 

 こういった具合に、人を基準に自分の行動を決めやすくなるのだ。

 それが上手くいってる状態なら、まあ問題はないのだが。

 わかりすぎるが故に、問題となるケースもある。

 

 ――この人は△△と思っている。どうしてだろう。普通は△△なのに。

 ――この人は◆◆をしている。おかしい。自分は◆◆なんてできない。

 

 と、相手が明らかに基準とならない場合である。

 こういうとき、相手の意図を推測するのが上手い人は、混乱する。

 普通なら、ただ距離をとればいいだけなのだが。

 他人の考えをわかりすぎるが故に、ついつい知ろうとしてしまう。そしてさらに混乱して、自分をコントロールできなくなる。

 

 クラスの人気者だった子が、離れた地方からの転校生の考えを理解できず、いじめっ子になってしまう。

 そういったケースの根本の原因が、高すぎるコミュニケーション能力だったりする。

 

 

 この、リモラという少女の場合は。

 カノマという青年を理解できず、混乱している。

 そういうことだ。

 

 まあ、話を聞く限りでは、無理もないとは思う。

 カノマは、ちょっと献身的すぎる節がある。

 そこに好感が持てるのだが――しかし、ああいった無条件の肯定的配慮をナチュラルにできてしまう手合いは、色々な人間を引き寄せてしまう。

 この前のパニックを起こした男性と、ネグレクトを受けていた少女。彼らも、カノマのそういったところに惹かれているのだろう。

 そして、きっと――この、リモラという少女も。

 

 相手のことをよくわかるはずの自分

 その自分が理解できない相手。

 気になる。

 知りたい。

 もっと知りたい。

 

 そういう思考過程を経て、この少女は暴走している。

 

 つまり。

 まあ。

 有り体に言えば、惚れているようなものだ。

 

 要するにこれは。

 恋愛相談。

 そんな感じ。

 

 

(……今の俺に恋愛について対応しろとかどんだけ鬼畜なんだよ畜生!)

 

 合コン失敗したばかりの身としては。

 こういう真っ直ぐな気持ちのやりとりはなんというかこう。

 遥か過去に失われてしまった甘酸っぱいものであって。

 話を聞くだけで全身がむず痒くなるような。

 

 ……でもまあ。

 カノマに対してここまで熱い想い?を持ってる子がいるのは。

 少し嬉しい気持ちもあったりして。

 仕方ないから、少しだけ対応しよう、と気持ちを切り替えた。

 

 

「カノマさんについて知りたいんですよね? あと、貴女がカノマさんのことをどう思ってるのかも」

 

『え!? な、なんで……まさかナリカワさんも!?』

 

 俺も?

 何か勘違いしてるのだろうか?

 確かにカノマさんのことは嫌いではないが、別に恋愛関係ではなく、普通に好ましい後輩感覚なのだが……年頃の娘らしく、同性愛的なものに興味があるのだろうか。

 

『そ、その。すみません。おっしゃる通りです。私……最近、自分のことがよくわからないんです。気付いたときにはカノマさんのことばかり考えていて』

 

 いいねえいいねえ。甘酸っぱいねえ。

 おじさんにもそんな時期があったっけなあ。なかったっけなあ。

 

「そう考えることは、別に悪いことではありませんよ。……そうだ、面白いことを教えましょうか」

 

 なんだか真面目に対応すると心がぐっさぐっさ抉られていくので。

 年頃の女の子が興味を持ちそうな、なんちゃって恋愛心理学で煙に巻く方向でいくことにした。


 この手の相談は。

 とにかく相手の「話を聞いてほしい」という欲求を満たすことが重要なので、基本的に終わりは見えない。

 ので、適当なところで逸らすのが肝要である。

 


「“好意”と“恋愛”の違いについて、です。あなたの気持ちが友達に対するものか、そうでないか。知りたくありませんか?」

 

 

 コイバナ定番のルビン先生よろしくお願いします!

 と、70年代の恋愛理論を解説することにした。







 * * * * * *


 

 朝。

 否、むしろ昼。

 太陽が頭上で燦々と輝いている。

 

 夜更かししてしまった反省を抱えつつ、リモラは昨晩の話を脳内で再確認していた。

 

 

「……ナリカワさんって、凄い人だなあ」

 

 感嘆のため息を漏らしてしまう。

 そもそも人なのだろうか。会話することはできたが、高度な知性を持つ種族なら、人語を解するのも容易いはず。

 

 リモラの秘密をあっさり見抜いてしまったのだから、只者ではない。

 

「……あ、リューガさん、こんにちわ。馬便をご利用ですか?」

「こんちわ、リモラちゃん。今回もよろしくね」

「前回と同じ村でいいんですよね? 定期便が……えっと、明日来る予定なので、それでもいいですか?」

「うん。それでお願い」

 

 村で石工業に勤める青年。

 にこやかに会話を進めているが。

 

<あー、リモラちゃん、胸ちっちゃいよなあ。顔はかわいいのに……残念>

 

(むかちん)

 

 青年の“内心”を読んだリモラは、表情には出さないが、明確な怒りを抱いた。

 顔は可愛いからいいじゃないですかー。胸のことは言うなよちくしょー。

 と、声には出せない嘆きを飲み込み、営業スマイルで対応する。

 

 

 リモラは、他者の心が読める“サトリ”と呼ばれる一族だった。

 外見は人間と変わりなく、他の同族たちも人間の暮らしに溶け込んでいるが。

 この能力のせいで、他者とはなかなか打ち解けられないところがあった。

 

 相手の考えが一方的にわかるのは、いいことばかりではない。

 悪意や敵意も、そのまま伝わってくるのである。

 仲良くしたい相手が、自分に色々思うところがあると。それが壁になってしまい中々自分から近寄れなくなってしまう。

 そもそも、家族だろうが親族だろうが、悪意を一切抱かないなんて不可能である。

 本人の意識しないところで、悪意を抱いてしまうことだって少なくない。

 リモラはまだ15の少女ということもあり、他者の悪意に慣れ切っていない。そのため、どうしても一歩引いた営業的対応に終始してしまう。

 そこを心配した両親が、修行ということで今はこの村の馬屋の管理人をリモラに任せていたりするのだが。

 


 カノマだけは、違うのである。

 

 

 あの人は、本当に、優しい。

 悪意が、すこんと抜けているのである。

 彼の心の中にあるのは、純粋な「人と関われる嬉しさ」だけだった。

 

 どんなに疲れていても。

 どんなに困っていても。

 彼を頼る者が現れたら、それを嬉しいと思っているのだ。

 

 どう考えても、おかしかった。

 でも、そこが好きになった。

 

 そう。

 気付けば、好きになっていた。

 

 だって。

 あそこまで悪意が薄い人なら。

 きっと自分に、悪意を向けることなんて、ないだろうから。

 

 

 





「……とりあえず“好意”はあるよね。私」

 仕事を終え、馬屋の中をこっそり覗き込む。

 カノマがエルフの相手をしている。

 それを見て……少しだけ、もやもやした。

 

「……やきもちは、あるかもなあ」

 

 ナリカワさんによると、好意と恋愛は似ているが、恋愛には好意に含まれない要素があるとのこと。

 

 自分が一番仲良くなりたいか。

 相手の顔を見つめてしまうか。

 ひとりでいると相手に会いたくなるか。

 相手のためなら、何でもできるか

 

 こんな感じのことをいくつか言われた。

 それに当てはめてみると。

 

「……すこし、ちょっと、けっこう、ある、かも?」

 

 カノマともっと仲良くなりたい。

 ついつい彼を目で追ってしまう。話すときは顔をガン見だ。

 暇なときは馬屋に行ってしまうし。

 彼が村に溶け込めるように、表に裏に努力している。

 

「……えへへ。こういうの、初めてかも」

 

 慣れない感覚にむずむずしながらも、自分の気持ちを自覚できた気持ちよさにとろけてしまう。

 

 

 

「……とりあえず、サティちゃんが帰ったら、今日こそカノマさんを晩御飯に誘おう!」

 

 ふんすと気合を入れ直して。

 リモラは馬屋を後にした。

 

 

 

 






 

 その様子を、横目でこっそり見ていたエルフの少女が。

 すぐそばの青年に見えないように。

 

 思いっきり、んべーと舌を出していた。


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