3 朽ちた都


「そういうことなら、わたしの屋敷に来るといいわ」


 事情を話すと、吸血鬼――キリィはどうということもなくそう言った。


「お前の屋敷? それってここからは近いのかよ」

「人の感覚で言えば近くはないわね。こちらから誘った以上はエスコートするわよ」

「悪いな、助かるぜ。おい、なんか休ませてくれるらしいぞ。良かったな御嬢」

「良いわけがないでしょう! あなた、何を勝手に決めているのですか!?」


 ヘラヘラと笑うザンを一喝する。あまりの怒りに体力がこの瞬間だけ回復し、杖を手に両の足で立ち上がった。


「私はユートムの使徒! 死霊の類に情けを受けるなどお断りです! その魔物は――」


 いきなり立ち上がったので、立ちくらみに襲われる。へなへなと膝を突く慈乃を見て、ザンは聞きわけの無い子供を諭すように彼女の前に屈み込んだ。


「おいおい御嬢、フラフラじゃねェか。悪いこと言わねェから、ここはアイツの家で少し休ませてもらおうぜ? 弱ってる時に他人を利用すんのは恥ずかしいことじゃねェだろ」

「で、ですから、そういう、もんだい、では……」

「はい決まり~。もう決定~。残念でした。ライゴウ、お前もそれでいいな?」


 言ってザンがライゴウを見やる。否とも応とも答えず、ライゴウはただ無言でキリィに視線を注いでいた。

 責めるような咎めるようなそれを、キリィは静かに受け流している。


「何も言わないってことは、問題無いな! じゃあとっとと連れてってくれ」

「ええ。さて、どうも嫌われてしまったようだけれど、途中で暴れられても困るのでね」


 キリィがこちらを見る。その両の瞳が赤く輝いた瞬間、慈乃は全身の動きを封じられていた。金縛りの術だ。


「わたしはこの子と先に行っているわ。使い魔たちを呼んでおくから、ついてきて」


 背中と膝を抱えて慈乃を横抱きにすると、キリィは一気に上空へと飛び立った。


「ぬっ……く、う……っ!」


 術を解析、対抗する浄言を編んで、金縛りを解除する。キリィが軽く目を見張った。


「あら……そこまで弱っているのに、わたしの術を解いたの? 大したものね」

「…………」

「そんなに怖い顔をしないで、危害を加えるつもりは本当に無いの。彼の……ライゴウの仲間なら、わたしにとっても大切な客人よ。ほら、見えてきたわ」


 キリィの動きを注視しつつ、一瞬だけ進行方向へと目を向けて……釘付けになる。


「わたしが使っている屋敷……旧エウクレイデス王国よ」


 あの奇妙な夢に出てきた城に瓜二つの廃墟が、そこにあった。






 慈乃たちに少し遅れて、ライゴウとザンがコウモリの群れに運ばれてやってきた。とにかく慈乃を休ませよう、と本人抜きで勝手に決めつけ、廃墟の一室へと運ばれる。


 新調したのか保存の魔法式でも施してあるのか、廃墟にあるものにしては綺麗なベッドに寝かされる。自分で思っていた以上に消耗していたのか、次第に意識が薄れてきた。


「……おい」


 目を開ける。コップを持ったライゴウが、ベッドの脇のイスに座っていた。


「ライゴウ様……」

「起こして済まない。疲労に効く薬草茶だ。無理に飲めとは言わんが……」

「いいえ、いただきます。お心遣い、ありがとうございます」


 体を起こしてコップを受け取る。苦かったが、その暖かさが心地良い。


 不意にライゴウが立ち上がり、素早くその場を飛び退く。わずかに遅れて天井からザンが降ってきて、ライゴウの座っていたイスを剣で両断した。


「ちっ……今なら不意打ちでやれると思ったんだがな」

「あなたは病人の寝ている部屋で何をしようとしているのですか……」

「だからいけると踏んだんじゃねェか。こうなりゃ正面からブッ殺す、行くぞライ――」

「やめろ」


 低く、短く、冷たく、鋭く……ライゴウが言い放つ。ただその一言に、ザンがたじろぐほどの威圧感があった。


「な……なんだよ?」

「……相手がしてほしいなら外でしてやる。この部屋では暴れるな」


 叩き切られたイスを見詰め、そこからザンに視線を移す。ふと気になって改めて部屋を見てみれば――間違いない。ここは夢に出てきたユキナ=エウクレイデスの部屋だ。


「引きなさい、人間。ここは彼……ライゴウ=ガシュマールの聖域なのだから」


 いつの間にやら、部屋の入口にキリィの姿がある。その言葉が気になったのか、ザンが構えを解いて彼を見やった。


「聖域ぃ? ……おいライゴウ、お前ここで昔なんかあったのか?」

「…………」

「ここは彼の夢の終焉にして悲劇の始まりの場所。悪夢の生誕地にして、その最初の犠牲となった土地。エウクレイデス王国……二百年前、白の魔王によって滅ぼされた国」


 何も言わないライゴウを代弁するように、キリィが芝居がかった口調でそう語る。


「白の魔王? ……エウクレイデス? どういうこったよ、そりゃ」

「そのままよ。二百年前、白の魔王はここで生まれたの。滅亡寸前の祖国を救うために、エウクレイデスの姫は無謀な召喚魔法を行使した。呼び出されたモノがなんだったのかは分からない……ただその何かに取り憑かれた姫君は、死と破壊を撒く魔王となったのよ」


「へぇ、あれってマジな話だったのか。で、それとライゴウのヤツとどう繋がるんだ?」

「彼はその姫君の騎士だったのよ。戦で無茶をして倒れ、動けなくなっている間に、姫君は魔性と化していた。傷を癒した彼は愕然とした。己の剣を捧げた主を、いやそれ以上の存在を護れなかったのだから。こうなれば道は二つに一つ。あえて魔王を斬るか、世界を敵に回してでも姫を守るか。答えの出ぬまま彼はこの地へと戻り、そして……」

「魔王のヤツを殺したってわけか! そりゃたまげた話――」

「違う!」


 ライゴウが叫ぶ。ただただ、感情のままに否定する。


「違う! 違う! 俺はあの人を……ユキナを殺してなどいない!」

「じゃあ、誰が白の魔王を殺したんだよ? 居たってんなら殺したヤツもいるはずだろ」

「白の魔王を殺したのは――」

「キリィ!」


 ライゴウに鋭く名を呼ばれ、キリィは軽く肩を竦めた。それ以上は何も語らず、しかし立ち去る様子も無く、いつになく取り乱しているライゴウをひどく静かに見詰めている。

 見覚えのある目だ。永遠に辿り着けない、遥か彼方を見るような……ライゴウの眼差しに、どこか似ているような気がした。


「……おい、いったいなんなんだよ。さっきからワケ分かんねェぞ」

「ごめんなさいね。わたしは彼に借りがあるのよ。彼がやめろというなら、この口は貝の如く閉ざすしかない。病人がいる前で騒ぐのも悪いし、退散するとしましょうか」


 キリィが改めて部屋を去る。後に残されたのは、憮然とした面持ちのザンと、憔悴した顔で立ち尽くすライゴウと――そのライゴウを見詰める、慈乃の三人。


「…………」


 胸の奥が痛い。ユキナという女性に関わる時だけ、ライゴウは感情を剥き出しにする。


(……どうして)


 よく分からない想いが胸で揺れる。知らず知らずの内に、慈乃は布団を強く握り締めていた。




   ○   ○   ○




 廃墟と化して二百年。人の生活の痕跡は、もうどこにも残っていなかった。

 それでも歩けば歩くだけ、かつてこの地で過ごした日々のことを思い出す。友。仲間。世話になった大勢の人。そして、何より護りたかった――護れなかった、大切な人。


 苦しい。外に出たい。だが離れるには忍びない。相反する想いが胸に渦巻き、痛みだけが溜まっていく。結局ライゴウは、城の内部ではあるが外の空気を吸える場所……バルコニーに向かうという妥協を選択した。


 星空を見上げる。世界は変わったが、ここだけは何も変わらない。


「眠れないの?」


 上から声が降る。屋根の上に腰を下ろしたキリィが、自分同様に夜空を見上げていた。


「吸血鬼のわたしが言うのも妙な話だけど、命を楽しめばいいのに。あの神子はあなたを拒まない……女を五百年やっているわたしが保証するわ」

「……そのためにあの部屋に運んだのか。悪趣味だな」

「わたしは魔性の者よ? 聖女が堕ちゆく様を見るのも面白そうじゃない。あなたが望むなら、わたしの眷属にしてもいいわ。不死とは言わないけど、不老よ!」


 おどけた口調でキリィが笑い、ライゴウがまるで聞いていないのを見て肩を落とす。


「ここにお前がいるとは思わなかった」

「先祖代々の館からわたしを追い出したのはあなたの方じゃない。手頃だったのよ、近くで広くて無人の住処なんてそうそう無いし。誰かが住んであげないと、城も哀れだもの」

「墓守のつもりか」

「……どうかしら。案外そうかもしれない。魔王の最期は、ここでは無かったけれど」


 星が落ちる。沈黙が続く。それに耐えられなくなったように、キリィが呟いた。


「あなたが望むのなら、今ここで滅ぼされても構わない……本気よ」

「それで何か変わるのか」

「何も変わらないわ。でも、少しはあなたの気も晴れるのではないかしら」

「意味が無い。どうでもいいことだ」


 そう結論する。そうだ。もう、全ては――どうでもいいことだ。


「招いたのは間違いだったようね。あなたは死んでいる。わたしよりも、ユキナ=エウクレイデスよりも……きっと、この世の誰よりも」


 嘆きの言葉を吐いて、キリィがバルコニーを後にする。それを横目で見送り、ライゴウは失われた過去に思いを馳せた。

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