3 一攫


 ベッドに入って目を閉じる。寝付きはいい方なのだが、なかなか眠れない。


 ここ最近ずっとこうだ。代わりに考え事をすることが多くなった。


 ユキナ=エウクレイデスというのは、何者なのだろう。どうしてあんな夢を見るようになったのだろう。彼女は、ライゴウにとって……どのような相手だったのだろう。

 冥界行きの理由。彼にとってユキナは死によって別たれてなお追い求める存在だった?


 それはつまり、どういう関係なのか。手を伸ばせばそこに真実が見えそうなのに、感情が邪魔をする。そのことについて考えようとするだけで心が潰れそうになる。


(私はどうしてしまったのでしょうか……)


 分からない。知らない。知識に無い。本にはこんなことは書いていなかった。


 吐息して寝返りを打つ。明日も仕事はたくさんある。とにかくなんとか寝なければ。

 ややあって、ようやくウトウトとまどろみ始め――


「よう、御嬢。寝てるか? その方が都合がいいんだが」


 不意に頬をつつかれる。反射的にベッドの横に立てかけてある杖を掴んで一旋させた。

 硬質の音と手応え。防がれた。


「な、なんだよいきなり危ねェな。今の下手に当たったら死んでるぞ、おい」


 浄言を用いて灯りを作り出す。窓の側に、亀裂の入った剣を構えるザンの姿があった。


 打撃武器として見た場合、杖は極めて貧弱な代物である。まして慈乃の握るそれは両端を金属で補強してあるわけでもなく、一言で言うとただの木の棒でしかない。

 しかし持つ者の技巧と工夫次第では、その評価も変わってくる。打撃の瞬間、人は反動を己の体の重さで押さえつける――逆の捉え方をすれば、つまり打撃部位にはその者の体の重さが作用する。扱い方次第で人間一人分の重量を打撃力に加えることも可能なのだ。


 軽量故に鋭迅。単純故に変幻。そして威力は肉を潰して骨をも砕き、鎧越しの打撃で人を昏倒させる。武を十全に備えた者が振るう杖とは、そんな恐るべき代物である。

 無論、それには高度な技術と命のやり取りを前に竦まぬ胆力が必須となるが――天賦の才とジングウを出て以来の実戦経験が、慈乃の技量を達人の域へと近づけさせていた。


「どうしてあなたはいつも窓から入ってくるのですか……失礼しました、ですが寝ているところを急に触られればああもします。そうでなくとも今は気を張っているのですから」

「意外とおっかねェな、聖女様は……まぁ、起きてるなら起きてるで別にいいか」


 ザンの目がキラキラと輝く。すごいものを見つけた子供のような態度で、彼は言った。


「御嬢、今からカジノに行こうぜ!」




   ○   ○   ○




 クアンプールとは、人と品と金が集まり、そして散っていく場所である。


 より刺激の強いものに人は群がり、それに従って金も動く。ならば人々をもっとも熱くさせるものとは、いったい何か? 古来より勝負事だと相場は決まっている。

 剣と剣、拳と拳の勝負だけが勝負とは限らない。そう、これより繰り広げられるは盤上の真剣勝負。勝つか負けるか、得るは黄金か失うは人生か。命を懸けた知恵比べ。


 活力、享楽、退廃、狂乱、クアンプールの全てを象徴するような存在。それが――


「このカジノだッ!」


 ジャンジャカジャンジャン、やたらと仰々しい音楽を引っ切り無しに流している派手な建物の前でザンが力説する。説明が大雑把でさっぱり分からない。


「……ザン、この建物はなんなのです? 何かを売っている店舗なのですか?」

「売っているといえば売ってるな、主に客の方が。人生とか実の娘とか」


「何を言っているのか分かりません。結局、ここは何をするところなのです?」

「金を増やしたり減らしたりするところだ。いくらか軍資金さえありゃあ一晩で大金持ちも夢じゃないってな。で、御嬢にも手伝ってもらおうってわけだ」


「お金が欲しいのなら、働けばいいと思うのですが……」

「何言ってんだ、男なら一攫千金だ! チマチマ稼いでなんていられるかっ!」

「私は女です」

「うるせェ! さぁ行くぞ御嬢、まずは裏口から入って人身売買カウンターだ!」

「じんしんばいばいかうんたぁ?」


 なんだかちょっと不穏な言葉を耳にする。妙にテンションの高いザンにグイグイと手を引っ張られて、慈乃はその派手でやかましい建物の裏口に入っていった。

 何がなんだか分からない内に、受付らしい場所で怪しい男に上から下まで眺められて、なぜか首輪を嵌められる。見ればザンがカウンターで大量の硬貨を受け取っていた。


「待ってろよ、御嬢! これでオレらは一蓮托生、倍にして帰ってくるからなあっ!」


「あの、ザン、ですから説明を……」


 呼び止める間もなく奥の施設へ突撃する。それを追おうとすると、怪しい男たちにやんわりと阻止された。


「騙されて連れて来られた方のようですね。いるんですよたまに、あなたみたいな人」

「はぁ……」

「とはいえ、契約は契約ですので。あちらの部屋でお待ちください」


 などと言われて通されたのは、ずいぶんと殺風景な部屋だった。そろいもそろって首輪を嵌めた若い女性がたくさんいて、その大半が顔に不安を、残りが諦観を浮かべている。


「……ふむ」


 暇だったので、首輪を調べてみた。かなり……というか非常に強力かつ複雑怪奇な魔法式で呪縛されている。人間の力で引き千切るのは不可能だろう。


(なかなか面白い式ですね。今度何かに応用してみましょうか)


 それをあっさり解除して、慈乃は意気揚々と部屋を出た。怪しい男たちが談笑しているのを見て、邪魔をしては悪いと首輪だけカウンターに置いておく。


「お返ししますね。では失礼いたします」


 裏口を出て、改めて正面から建物に入る。ザンが何をやりたかったのか分からないが、門というのは正面から入るのが礼儀だと慈乃は思うのだった。


「いらっしゃいませ! カジノクアンプールへようこそ!」

「こんばんは。知人がこの建物の中にいるのですが、入ってもよろしいですか?」

「入場なされるのなら、コインをご購入していただけますでしょうか」

「チケットのようなものですか? ではそれを一枚お願いします」


 慈乃がそう言うと、カウンターで応対してくれた男の笑顔が引き攣った。何故だろう?

 ともあれ、チケットというより貨幣に近いものを渡されて中に入る。外も騒がしかったが、中は輪をかけて騒々しいところだった。個人的には長居したくない。


「……なるほど」


 どうやら様々なゲームをして、このコインを増やして遊ぶ場所らしい。せっかくなので何かやってみようかと、慈乃はルーレットを回している台へと向かった。






「あ。ヤベ」


 スロット台の前で、ザンは呆然と立ち尽くした。

 最後の一枚まで見事にスッた。どうも自分はカジノに嫌われているらしい。


「まいったなぁ、御嬢を身請けする分も無くなっちまったぞ。このままいくと御嬢は哀れどっかの誰かの慰み者に……まぁ、カジノの連中皆殺しにして連れ出せばいいか」


 などとザンが物騒なことを考えていると、ルーレットのコーナーから悲鳴とも歓声ともつかぬ大騒ぎが巻き起こった。人が大損して傷心を抱えているのに嫌なヤツらである。


 ムカついたので、その話題の中心人物から殺してやろうと剣を手に忍び寄る。だが標的と定めた相手を目にした瞬間、ザンは驚きのあまり剣を取り落としてしまった。


「……御嬢? 何やって、ってかなんでここに!?」

「ああ、ザンですか。すみません、探すのを忘れていました」


 裏口の人身売買カウンターで預けたはずの慈乃が、コインの山を前になんだか朗らかに笑っている。彼女を三十人ほど身請けできるくらいの大儲けだった。


 そうこうする内に次の賭けが始まり、慈乃がルーレットに視線を落とす。回転する盤面をしばらく睨んだ後、迷うことなく赤に全額ベットした。

 それを見ていた客たちが、大急ぎで彼女の後に続く。


「勝利の女神だ!」

「きっと今度も当たるぞ!」


 ボールが止まる。慈乃の賭けた通り、赤のポケット。怒号のような歓声が広がる。


「ザン、これは非常に面白いゲームですよ。ルーレットの抵抗と回転する速度、ボールの形状と投入角度と速度と抵抗、風の力、部屋の湿り気や暖かさ、地が物を引き寄せる力、その他諸々の要素を一瞬にして計算し正解を導くのです。実に良い脳の鍛錬になります」

「……これってそーゆーゲームじゃなかったと思うんだが」


 若干引きながら、ルールを説明してやる。赤と黒だけでなく、数字に賭けることも可能だと聞かされて、慈乃はひどく感心していた……それすら知らずにやっていたらしい。


「なるほど……この01から36の数字のいずれにボールが入るのか当てれば、一度にもっとたくさんのコインをいただけるのですね」

「いやいや当てればじゃねェだろ。当たればだろ。そこ重要だろ、カジノの人泣くだろ」

「では、やってみましょう」


 事も無く言う。ルーレットが周り、ボールが投入され……そしてディーラーは「帰ってくれ」と泣きながら慈乃に頭を下げた。

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