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 結婚式は数日後に行われた。


「神の前で、二人は永遠の愛を誓えるか?」

「もちろん」

「はい」


 旅商人に売りに出した宝玉は、飛ぶような値段で買い手がついたらしい。商人から受け取った金額は、それはもうジョン・スペンスを黙らせるには十分な額だった。


 商人が言うには渡した金には今まで色々と世話になった礼も含んでいるらしいが、商人が義理だけで動くわけがない。きっとアレックスに与えた金額を差し引いても十分な額が手に入ったのだろう。つまりは口止め料だとアレックスは読み取っていた。後々、どこから手に入れたのか聞かれた時に、アレックスが吹聴して回っていたら困るのだろう。


 さらにアレックスを後押しするような出来事が起きた。衛兵達が百名というとんでもない数の盗賊を殲滅したおかげで、街は未曾有のお祭り騒ぎになった。そしてそのために街の門は昼夜問わず開かれ、外からの客もそれにあやかることが出来た。


 問題となったのは外の商人だ。勿論この騒ぎに乗っからない手はない。しかし、急に話が舞い込んできたために街を取り仕切っている商人達と上手く話がついていない。利権や面子が絡んでくるため外の商人と街の商人でちょっとした争いが起きてしまった。それを治めるための者達も、今回の騒ぎで忙しく走り回っていて手が回らない。

 そこでアレックスの出番だった。上手に方々に手を回し、条件を突き詰めて内と外の商人が両者ともに納得する条件を探し当てた。まるでケンウッドにでっち上げた嘘のような出来事のおかげで、アレックスは報酬として更なる金額を手にすることが出来たのだった。


 はてさて、奇妙な縁から貧乏からちょっとした小金持ちへと成り上がったアレックスは、即座にモニカとの婚姻を望んだ。勿論資産という面ではジョンは黙らざるをえない。しかしそれでもごねて話を長引かせようとジョンはあれこれ言い訳を始めた。だが、長子であるケンウッドの協力がアレックスとモニカを後押しした。


 結果、ジョンを押し切る事に成功した二人とケンウッドは段取りを整え、僅か二日のうちに式を挙げるまでにこぎつけたのだった。慌ただしく過ぎていく日々の中で、今までにない充足感に包まれながらアレックスは式の当日、晴れ舞台に立っていた。


「我らジャス教の名においてここに二人の前途を祝福し――」


 結婚式はもちろん、この地方の民衆の間で一番浸透しているやり方、ジャス教の方式に則ったものである。結婚式には家族と友人のみを招く。司祭が神と人々の前で二人に宣誓をさせ、それを周囲の人間が聞き届ける。司祭はジャス神に彼らを祝福するように願う。後は他でもよくあるような祝宴となる。

 式場の場所は特に指定されないのがジャス教のやり方だった。ジャスはこの地を守る神であり、この地全てがジャスの体、ジャスの懐であると考えられているからだ。

 ケンウッドの提案もあり、二人はスペンス家の前で式を行うことにした。そうすればジャンとて手伝いを渋ることも出来ない。自分の家の前なのだから家の面子を潰さないためにも盛大な式にせざるを得ない。


 あくどいやり方だとアレックスは笑った。お前には負けるさ、とケンウッドも笑っていた。


「大いなるジャス、我らのジャスよ。ここに集められた供物を捧げる」


 二人の将来に幸あらんようにと神への供物を捧げるのが通例となっているが、その供物の量の多さが結婚式での見栄を張る重要な点となっている。

 今回は、スペンス一家がそのほとんどを担当した。農家だけあって供物は大地から採れる物が多い。近くを流れる川である〈蛇の尾〉から採れた新鮮な魚もある。それらは〈巨人の禿頭〉と呼ばれる高い山から運んできた雪で冷やされながらこの日のために作られた祭壇に捧げられている。


 余談だがこの供物は祝宴の後は教会の物となる。司祭も今回の結婚式で多くの旬の野菜や穀物、新鮮な乳と、そして幾ばくかの貨幣を手に入れられたことを破顔して喜んでいた。


「豊穣と力の巨人ジャスよ、この地を守る偉大なる神ジャスよ、神に仕える信徒が一人、マルコス・グリーンがここに祈る。この一組の男女の新たなる旅立ちに祝福されよ。そして彼らの歩く道に神の加護と祝福の光を授けたまえ。今ここで二人は、その愛が真実である証を神と人々の前に晒そう。見届けたまえ」


 司祭が目配せをして、ただ突っ立って司祭の言葉を聞いていた二人は向かい合う。司祭と人々、そして神の前で二人は互いの瞳の色を確認した。


「こうしてこの日を迎えられて嬉しいよ」

「私も、こんなに早く来るなんて思ってなかったからすごく嬉しい」

「ああ。俺達の未来に、神の御加護があらんことを」

「神のご加護を」


 アレックスが、唇を近付ける。モニカは黙ってそれを受け入れる構えを作る。二人の影がゆっくりと重なり、そして離れた。


「二人に多くの倖あらんことを」


 司祭が最後にそう纏めて、そして二人に短く「おめでとう」と言い残してその場を離れる。割れるような歓声が上がったのは直後だった。

 司祭も加わった人の列は、全部で五十人程になる。スペンス家の前に押し寄せた人達はアレックスとモニカが手を挙げた瞬間にもう一度湧き上がった。結婚に反対していたジョンまでもがその熱に加わっている有様だった。


「みなさん、今日はお集まりいただきましてありがとうございました。当人達に代わりましてスペンス家の長子ケンウッド・スペンスが厚くお礼申し上げます」


 お立ち台に登ったケンウッドが声を張り上げ皆の注目を集める。今回の式の司会を務めているのも彼である。それはこれ以上なく最高の人選だった。ケンウッドは群集を前に怯む事なく、与えられた仕事を適切にこなしていった。


「ささやかですが祝宴の方をご用意させていただいております。本日は私の妹と新たな義弟の門出というめでたい日です。その祝福をみなさんと分かち合いたいと思います。大いに楽しんでいってください」


 ケンウッドの言葉を聞いて皆がばらけていく。そのうち何人かはそのままアレックスの所へと来ると祝いの言葉を雨あられとかけていった。アレックスは繰り返される言葉に鬱陶しさを感じる一方、皆の純粋なまでの好意の笑みは不思議と悪い気がしなかった。そして何よりも、この幸福の絶頂にいる時間にいつまでも浸っていたかった。

 行列を何とかさばききると、ようやく食事にありつくことが出来る。アレックスは近場のテーブルから葡萄酒の入ったグラスを二つ持ってくると、モニカに手渡した。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 くすり、とモニカが笑ってアレックスも釣られて笑う。そんな二人の所に男が歩み寄ってきた。モニカには見覚えのない、挨拶に来た人の中にはなかった顔。


「どうだ、相棒。めでたい日の酒の味は」

「ああ、最高だよ」


 酒が並々と注がれたカップを手に赤ら顔でアレックスに挨拶しに来たのは、アレックスの事を相棒などと呼ぶのは、コルム以外にいなかった。

 彼に結婚式に出席してもらうよう頼んだのはアレックスである。アレックスとコルムはあの日以来、秘密を共有し合う仲となった。コルムはまた別の土地へと流れていく身ではあるが、二人はおかしな出会い方をして、戦場を乗り越えて奇妙な友情を覚えていた。


「モニカ、紹介するよ。こっちはコルム。流れの傭兵だ。この前出会ったばかりだけど意気投合してね。コルム、こっちにいるのがモニカ。今日晴れて俺の妻になった女性だ」

「ご機嫌麗しゅう、ご婦人」

「ええ、あなたも今日という日を楽しんでいってね」


 コルムが礼儀正しく挨拶をするものだからアレックスは思わず笑みをこぼしていた。今でこそ普通の恰好をしているが、数日前のコルムの恰好は間違いなく盗賊の姿だったのだから。


「ところでコルム、いつまでジャシー付近に滞在する予定なんだ?」

「おそらく、明日か明後日だな。今度は北に行ってみようと思う。あっちはごたごたしているらしいから、仕事ならいくらでも転がっているだろう」

「そうか……また変な仕事を掴まされるなよ」

「あー、もう懲りたからな。気を付けるさ」

「また? もう?」


 モニカがその言葉に食いついた。アレックスは思わず肩を跳ね上げる。変な汗が吹き出して背中を伝うのをはっきりと感じた。


「おっと、口が滑った。きっと酒のせいだな。はははは」


 コルムが笑って誤魔化すと、アレックスは自分の持っているカップを掲げる。コルムもそれに乗っかって杯を掲げる。


「お前の旅立ちに。そして良き友と出会えた幸運に」

「今日というめでたい日に。そして掛け替えのない友と出会えた奇跡に」


 二人は乾杯をして、そして口に運ぶと一気に飲み干した。


「で、お前は哨士の仕事を続けていくのか? それとも農場に嫁ぐのか?」

「哨士を続けるさ。畑仕事は俺には向いていないだろうしね」


 皮肉げにアレックスは笑う。モニカは頬を膨らませた。彼女にとって畑仕事は一つの生きがいだったらしい。


「そんな事ないと思うけれど」

「いや、絶対向いていない。そして毎日義兄さんに怒られる姿が見えるよ」


 言い切ってアレックスは、しかしと言って不敵な笑みを浮かべる。


「ただの哨士で一生を終えるつもりはない。俺はもっと上を目指す」

「別に私は、あなたに偉人になってもらわなくても、立派に生活できるのなら満足だから」

「いいや、俺が嫌いな言葉は退屈だ。教会も退屈外野で飛び出してきたって理由もあるし。どうせならもっともっと上を目指す」


 アレックスの言葉にモニカは頷かない。しかしここでどうやれば彼女を落とせるのか、アレックスはもう知っていた。

 彼女に向かって顔を近付ける。そして囁きかける。


「そんな俺は嫌いかい?」

「そんな事、あるわけないでしょ」


 寄り添う二人を見て、コルムは苦笑しながら肩を竦める。


「やれやれ、ご馳走様だぜ。ま、男なら野心を腹に秘めておくべしってのには、異論ないけどな。そんなお前に教会務めは確かに向いてなさそうだ」

「……あ」


 アレックスは唐突にモニカから離れると、何かを思い出したように口を開いた。その顔は驚きのまま固まっていて、そんな彼に二人は心配そうに目を向ける。


「どうしたの?」

「忘れてた。そうだ、昔馴染みの一人に声掛けておくのを忘れてた!」


 髪を掻きむしりながらアレックスは後悔するように首を振る。モニカとコルムは訳が分からずに首を傾げる。


「昔馴染って?」

「あー、くそ。昔教会の孤児院で一緒に遊んでいた奴がいたんだ。教会って言葉で思い出したんだけど、今日この式に呼んでない!」

「仲が良かったのね」

「良いといってもあそこ飛び出してからは、出会ったら挨拶し合うくらいの仲でしかなかったんだけどさ。でも昔は毎日一緒だったし、それなりに世話になった奴だから声はかけておくべきなのに……あー、最近全然会ってなかったからかな。全然思い至らなかった」


 そうやって言葉だけを並べるアレックスの背中を、モニカは思いっきり叩いた。いい音が二人の側にいるコルムにまで伝わる。

 驚くアレックスにモニカは、とびきりの笑顔とともに命令する。


「呼んでらっしゃい。私達の幸せをその人にも分けてあげるべきよ。昔一緒になって遊んでいたんでしょ。世話にもなったんでしょ。なら尚更、呼んでおかないと後で後悔するわよ。まだ宴会は終わらないから、急げば間に合うわ」

「でも主役が抜けちゃ。誰か別の奴に――」

「あなたが忘れたんでしょ? あなたが呼びに行かなくてどうするよよ」


 アレックスはモニカの顔をじっと見つめた。それから、ばつが悪そうに眼を背け、そして頭を掻く。


「そうだな。その通りだ。でも長い間俺が不在になる事を、親父さんにはなんて言おうか?」

「こっそり行っちゃいなさい。あなたがいなくなって父が騒いだりしたら、私が上手く説明しておくから」

「おいおい……それでいいのかよ」


 コルムが口を挟むが、アレックスとモニカは同時に微笑むと、


「それが俺達らしいだろ?」

「そういうこと」


 モニカに口づけを短く交わす。

 アレックスは一張羅で駆け出した。その姿を見たケンウッドが驚いて呼び掛けてきているのを横目に確認したが、アレックスは止まらなかった。きっと気配り上手な新婦が上手くやってくれるだろう。そう考えて一層足を速めた。


 スペンス農園から遠ざかるにつれ、式の喧騒は消え去っていく。街道を上がっていき、街に近付くと今度は街の喧騒が聞こえてくる。しかし連日の祭り騒ぎはすでに収まっていて、すでに外の商人達も撤退している街から聞こえてくる喧騒は、普通の街の声だった。


 門番から祝いの言葉を受け取りながらアレックスは門をくぐる。城門前広場で息を整えて、そしてまた走る。目指す教会へ向けて跳ぶように走る。今日という日の嬉しさと摂取したアルコールが彼の中から体力という言葉を消し去ってしまったかのように彼は長い距離を走った。

 城門前広場から商店街へ。そして中央広場を抜けて住宅地へと入ると、流石に息切れしてきて徐々に足を遅くした。


 吹き出てきた汗を袖で拭いながら暫しその場に佇む。今日は昨日までの寒さが嘘のように暖かい。春の陽気はまるで神が恵みを与えようとしているかのような柔らかさでアレックスの全身を撫でる。そして彼の汗はその陽気によって止まる事を知らなかった。

 教会までもうすぐそこなのだが、少し休憩しようと建物に背を預けてアレックスは目を閉じた。

 思い出すのは、あの出来事。そして式でのモニカの晴れ姿。自然と顔がにやけてくる。想い出に浸っているアレックスの姿は、間違いなく幸せな男を描いていただろう。


「待てやぁ!」


 乱暴な言葉が突如耳に飛び込んできてアレックスは閉じていた目を瞬かせた。通りの先からこちらに向かって女の子が駆けてくる。その後ろに追いかけるように男が走っていた。


 なんだろうか、と酔った頭を働かせる。女の子が男から何かを盗んだのか。それとも男の方が女の子に何か邪な事をしようというのだろうか。

 その一瞬では詳細は分からなかった。しかしアレックスの目に、男がジャス教の信徒を表すローブ服を着ているという情報が飛び込んできた。


 やれやれと肩を竦める。信徒のくせしてか弱い女の子を本気で追い回している。挙句の果てにあの乱暴な言葉遣い。悪者はどちらかなんて、明らかだろう。

 しかしアレックスの頭に、やはりというべきか打算的な考えが浮かぶ。ジャス教信徒に恩を売っておけば後でコネとして使えるかもしれない。女の子の方を助けても、あんな小さな子だ。後で見返りがあるようには思えない。


 溜め息、一つ。


 アレックスは足を運んで、追いかけっこしている前に飛び出した。


「捕まえ――いってぇ!」


 男の目の前に飛び出すと、急に進路を塞ぐように現れた人間を避けきれずに男はアレックスに衝突する。二人は路上に尻餅をついて倒れ込んだ。


「なんだテメェは!」

「あはははは、お兄さん怖いなー」


 アレックスは重度に酔っている芝居を打つ。幸い向こうで酒を飲んでいるために吐く息は酒気を帯び、ここまで走って来て丁度いいくらいに赤ら顔だ。そこにこのふざけた言葉を加えられて、男はその姿を見て文句も言う気が失せたように呆れていた。


「くそったれ!」


 悪態を吐いて、それからすぐに自分が何をしていたか思い出して女の子の追跡に戻る男を、尻餅をついた状態で見送る。女の子の背中はもう見えなかった。


「やれやれ」

 男が完全に視界から消えたと同時に酔っ払いの演技を止めて、アレックスは衝突で痛む体に鞭打ち立ち上がる。本気で走っていた所にぶつかったのだ。少しでも衝撃を和らげようとはしなかったおかげで、青あざになるのではないかと思うくらいに体は痛んだ。


「これくらいやってあげたんだから、頑張りなよ」


 アレックスは名前も知らない女の子が走って行った方向にそう呟くと、ぱんぱんと一張羅についた小石や砂粒を払う。

 それから突然身をくねらせ、顔を手で覆いながら大仰に天を仰ぎ見る。慣れない事をした恥ずかしさから耳まで真っ赤にしてアレックスは叫んだ。


「あーあーあー。似合わないぞ、アレックス! お前、そんな風に正義の味方やってたか?」


 責めるような口調だったが、手の隙間から見えるアレックスの表情は、間違いなく笑っていた。




 ――人助けをするってのも、案外悪くないかもな。




 アレックスの心を映すように、仰ぎ見た空は綺麗な青を誇っていた。

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神は知らない 吉津駒 日呂 @rottingroto

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