二、約束を果たすために

 このところ、バーの来客数が増えている。

 ラウンジや酒場もその傾向にあるというから、ナザリックにおいてアルコールを求める者が増えている、ということだろう。


 キノコ頭の副料理長は、黙ってカクテルを用意する。

 客がNPCであれば、その創造主をイメージして考案したものを。


 ときどき、潮が引いたように誰も居なくなる。

 そんな折には、彼は二つのグラスを用意して、カクテルをつくる。

 一つは、自分のために。

 一つは、……言うまでもない。


 夢の世界で、彼は創造主にこのカクテルを振る舞ったのだ。

 創造主の好みに合わせ、アルコール濃度や味わいを調整して。


 おいしいと喜んでくれた。

 また飲みたいと言ってくれた。

 いつでもお望みのときに、と答えた。


 あのとき創造主が寂しそうに笑った意味を、

 どうして探り当てることが出来なかったのか。


 カラン、と音がする。

 来客だ。

 副料理長はそっとグラスを下げ、客を出迎える。


「これはシャルティア様。いつもごひいきに」

「随分久しぶりな気がするでありんすが? ふふ、わらわの来店がそんなにも楽しみでありんしたの?」


 いつぞやの大失敗以降、長くバーに入り浸ってバーの雰囲気を台無しにしたことは決して忘れない。

 のだが、副料理長はそんな内心は隠して、朗らかに応対する。


「今日は何にいたしますか?」

「そうでありんすねえ……以前にいただいたのも悪くなかったでありんすが、別のものを試してみたい気分でありんす」

「お任せいただけるなら、おすすめのカクテルをご用意いたします」

「では、お願いしんしょうかぇ」


 どうやら今日は荒れていないらしい。

 ……まあ、嵐の前のなんとやら、という可能性もあるが。


 シャルティアは爪の手入れをしながら待つ構えのようだ。

 バーですることか、と思わないでもないが、そこは決して表に出さない。


「おや」

「いらっしゃい」


 店内にぺたりと足を踏み入れたのは、エクレアだ。

 カウンターに座るシャルティアを見て、ぱちくりとまばたきする。そのあと、ちらりと副料理長に目配せしてくる。


 副料理長がかすかに頷いてみせると、エクレアも頷いた。

 目線だけで会話する。無駄にかっこつけようとしないときのエクレアは上客中の上客であり、だいたいお互いの言いたいことは分かる。


 ちなみにこの技能は同じく上客であるデミウルゴスには通じるが、そこそこの頻度で来るはずのコキュートスには通じなかったりする。


 ぺたぺた、とやたらに移動に時間がかかるのは仕方がない。

 カウンターの椅子にえっちらおっちらよじ登り、座る。涙ぐましい努力だ。


 どうやら今日は付き添いはなしらしい。

 男性使用人を乗り物代わりに闊歩かっぽ(?)するエクレアにしては、珍しいことだ。


 ひとりになりたい気分だったのかもしれない。


「あれを」


 エクレアはいつものように気取って注文する。

 このところ増えている客のように、滅入った風は見られない。

 それが珍しくもあり、どこか痛ましくも感じた。


「今日はおすすめのカクテルがあります。試してみませんか」

「ん? ならそれにするかな」


 二人きりのときはフランクな口調にもなるが、シャルティアの手前、店主と客の距離は保つ。


 シャルティアには橙色――光の加減により黄金色にも見えるカクテルを差し出す。


 シャルティアは黙ってそのカクテルを見つめ、グラスをくゆらせた。

 カクテルの名を問うことをせず、少量を口に含み、舌の上で転がし、飲み込む。


「……おいしいでありんす」

「ありがとうございます」


 シャルティアの目元がほんのりと赤く染まる。

 口元に浮かんだ笑みは、満ち足りているようでいながらどこか切なげだ。


 いつもそんな顔をしていれば、妃候補としての株も上がるだろうに、と副料理長は残念に思わざるを得ない。


 エクレアはしげしげとそんな吸血鬼を眺め、


「貴女は思っていたよりお元気そうですね。てっきり、いつぞやのように落ち込んでおられるのでは、と案じておりましたが」

「わらわはこたびの件で何一つ恥じることはありんせん。いえ、……まあ失敗はありんしたが……と、ともかくも、ペロロンチーノ様は褒めて下さいんした」


 えっへん、と胸を張ってみせる。

 その拍子にちょこっと胸がずれたのだが、紳士二人はお互い気付かぬふりを決め込んだ。


「エクレアこそ、落ち込んでおりんせんの? 近頃のナザリックはどうも辛気しんきくさくって、これじゃあペロロンチーノ様に顔向け出来んせんと歯がゆく思うほどでありんすのに」

「落ち込む? 何故です。私にとってはむしろ、これは望ましい結果です」

「……望ましい?」

「ええ。至高の御方々の四十人までが、このナザリックに帰還なされたわけではないということ、……ナザリックに君臨する支配者がアインズ様ただお一人であるということは、非常に好都合です」


 シャルティアの目つきが鋭くなる。

 階層守護者最強の威圧感は相当のもので、副料理長も息を呑む。

 エクレアとて怖いはずだが、平然とした見かけを保っている。

 慣れているのだ。こういうことに。


 だから彼はいつものように、

 不敵な口調で、言い放つ。


「私がこのナザリックを支配するために、立ちはだかるであろう強大な壁が四十一分の一になっている、というわけですから」


 シャルティアがむせる。

 副料理長は黙ってエクレアにカクテルを差し出す。

 甘い、甘いカクテルを。


「……おんしはたいへんでありんすねえ」

「ええ。ナザリックを支配するその日のために、日夜努力は欠かせません」


 ナザリックの支配を狙う。

 それが、創造主たる餡ころもっちもちがエクレアに与えた『設定』。


 餡ころもっちもちは、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の数少ない女性メンバーの中でも、最も遅くに参入した。

 彼女が至高の存在に名を連ねたとき、すでにナザリックは在り、多くのNPCが生み出されていた。


 どんな思いで、創造主がその『設定』を己に与えたのか。

 エクレアはずっと、考え続けてきた。


 創造主に巡り会えたなら、その真意を問おうと。

 己が出した答えが正しいか聞きたいと。

 思っていた、はずなのに。


 夢の世界で、その機会を。

 ただ創造主にむにむにぷにゅぷにゅ、ぬいぐるみよろしく抱き締められて遊ばれることに終わったことは、悔やんでも悔やみ……

 いやまあ、あの至福の時間を手放す気にはこれっぽっちもなれないが。

 もう一度チャンスがあったとして、なんかもうそんな深刻な己の存在意義について語り合うより、愛玩動物めいた扱いで遊んでほしいような気がしてならないが。


「……これもなかなか悪くありませんね」

「それはよかった」

「ですが私には――もっと辛いものが似合いでしょう」


 おそらくは、そのカクテルの意味を分かっていて、

 あえてうそぶく、この友人の強がりを、

 素知らぬふりに、副料理長は酒のつまみを用意する。















 アウラ様がおいでになりました、とメイドから聞いていなければ、マーレと間違えるところだった。


 アインズは戸惑い顔に、この闇妖精ダークエルフを見下ろす。


 もじもじとしながら上目遣いにこちらをうかがうのは、アウラだ。

 照れくさそうにしているのは、その格好を十分に意識しているせいか。


「あ、あの。えっと。今日はその、フライングに来ました!」

「……そうか、フライングか」


 と、ひとまず言ってみたが、アインズには意味が分からない。


 アウラは今、どういうわけかふりふりのワンピースを着ている。

 髪もきれいに撫でつけてあり、まさしく愛らしい少女の姿。


(いつもの男の子っぽい格好じゃないのはなんで? 茶釜さん、なんか謎のイベントを仕込んであるのか……?)


 アウラはこほん、と咳払いして、目をぎゅっとつむって両腕を差し伸べてきた。


 なんかもうキス五秒前みたいな顔である。


 アインズは苦笑しながらも抱き上げ、膝に座らせる。


 最近、よく甘えてくるようになった。

 はじめこそおっかなびっくりというか、どんな風に甘えればいいかと不安がっている様子があったが、アインズが怒るどころか歓迎し、甘やかしてくれるので、徐々にエスカレートしているようだ。


 以前は膝に乗せただけで、緊張してしゃちほこばっていた。

 初めて面接を受ける就活生もかくや、といった趣だった。


 だがアインズが頭を撫でてやったり、ぽんぽんしてやったり、やさしく語りかけてやったりしている成果か、今ではすとんときれいに膝に収まる。

 定位置と言わんばかりに。


「で? その……フライング、だったか?」


 知らないんじゃないぞ、確認だぞ、ただちょっと説明してくれてもいいんだぞ、的な気分で言ってみる。


 アウラは頬をかき、ちょっと笑う。


「ぶくぶく茶釜様と、二つ、約束したんです」


 いつ、と問いかけたのを、呑み込んだ。

 今になって彼女が行動に移したところを見れば、予測はつく。

 オリジナルのぶくぶく茶釜との約束なら、もっと早くに動いていただろうから。


 アインズは促すように、頷く。

 アウラはぽつぽつと、語り出した。


「一つ目の約束は、いつか成長してレディになったときのため、修行することです。

 髪を伸ばしたときはどんな結び方があるかとか、どういう工夫でアクセントにするかとか、服のコーディネイトについてとか。たくさん、教えていただきました」

「なるほど。今日はそれを実践してみたわけか」

「まだ今は、こういう格好は早いんです。レディになるまでは、少年の格好をするべきですから。レディになっても、あたしが少年の格好がいいって思ったら、それでいいんだそうです。あと成長してなくても、心がレディになったら、もう少年の格好にはこだわらないんだとか」


 難しいです、と言って、アウラは小さく笑った。


(なるほど。だから『フライング』、か)


 今はまだ少年の格好を続けるべき、とアウラは判断したのだろう。

 けれども修行となると、『レディ』の身だしなみも試しておかねばならない。


 それをアインズに見せに来てくれたのか。


(……でも俺、女子力チェックとか無理なんですけど……)


 レディのためのアドバイスを、とか言われると困る。


 などと内心アインズが考えているのをよそに、アウラは続ける。


「それから、もう一つ」


 アウラはおもむろに、アインズにぎゅっと抱きつく。

 アルベドならいきなり首に抱きついてきそうなところだが、アウラは胸あたりだった。


 肋骨の隙間に顔を埋め、そのせいでこもった声で、言う。


「好きって気持ちに遠慮はするな、だそうです」


(たぶんその『好き』は恋愛感情だと思うんだけど……アウラにはまだ早いよなあ。

 こうして俺に、いつも以上に積極的に甘えてくるのも……茶釜さんの言う『好き』を、子どもが保護者に抱くものと勘違いしているからか)


 などと、アインズは思いながら。

 ぎこちなさがだんだん抜けて、べたべたするのも堂に入っている、というか。

 猫がごろにゃんとすり寄ってくる仕草にも似てきて、ちょっとアインズは笑う。


「だったら、ぶくぶく茶釜さんとの二つ目の約束は完璧だな。いや、そもそも茶釜さんに言われる前から、アウラは私に甘えるようになってはいた。つまり、アウラは茶釜さんが言うまでもなく、その期待に応えられているということだ」

「そ、そんなことは……えっと、だって、その……あ、あたしは……アインズ様のご期待に、応えたくて……」


 うん? とアインズは首を傾げ、


(ああ、やっぱり俺の癒しになろうと努めてくれているのか)


 と理解する。


 アウラとマーレは見ているだけでほのぼのする。

 ナザリックに数少ない癒し要員だ。


 しかし、アインズは意識していないのだ。

 アウラが甘えるようになったのは、あの西の魔蛇や東の巨人らのもとに赴いた時からだということに。


 あの時、アインズは言った。

 アウラのことが好きだと。


 それがどれだけアウラを戸惑わせ、驚かせたか。


 過ごした時間の長さでも、

 アピールの熱烈さも、

 アルベドとシャルティアの足下にも及ばなかったはずの自分を、


 好きだと、言ってくれたから。

 

「……あたし、言いそびれちゃったんです」

「何をだ、アウラ」

「ぶくぶく茶釜様がかく在れと望んで創って下さったから、今のあたしはどんどんアインズ様に甘えられて、そのことをアインズ様も喜んで下さって、こんなに幸せで、過分な栄誉で、……そういうこと全部、ちゃんとお礼を言いたいって思ってたのに」


 アウラの頬を、涙が伝った。

 アウラははっとしたようにアインズから跳び離れ、両手でぐしぐしと目元をこする。


「アウラ」

「は、はいっ!」


 とっさにこちらに向き直ったアウラの、目元をローブの裾で拭った。


「茶釜さんは全部分かっているさ」


 アウラの顔が歪んだ。


 けれど今度は、アウラは泣かなかった。

 ぐっと堪えて、無理やりに笑った。


「そう、ですよね。ぶくぶく茶釜様は、何でもお見通しなんですから!」


 元気に。

 明るく。

 そう言った。


 泣いてもいいんだぞ、とアインズは言いかけて。

 あえて、呑み込んだ。


 それがNPCアウラ矜持きょうじだと気付いたから。


「それじゃ、あたしは着替えてきます! この格好はまだ早いですからね!」


 さっと駆け去っていく背中を、見送った。

 眩しい、背中だった。

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