十一、せめてその名を呼ばぬように

 この『ナイトメア・カーニバル』が始まり、まがい物の創造主と出会って以来、デミウルゴスはウルベルトの言動に目を光らせ、思考を巡らせ続けてきた。


 幾度、創造主の振る舞いに疑念を抱いたことか。


 最初の違和感は、ウルベルトがデミウルゴスに問いかけたとき。

 アインズとウルベルト、どちらの味方をするかと問うたときだ。


 あのとき、ウルベルトはあえて長い前置きを用意した。

 悪という欠落と、それでもなお善を選ぶための自由意志を対置し、前者に己を、後者にアインズをえた。


 ウルベルトは初めから、己を悪の側に置いていたのだ。


(あの御方は『悪』の概念にこだわりを持っておられた。だからこそ、そのようにおおせになったのだ)


 もちろん、そういう側面はあったかもしれない。

 だがそれだけではないことを、本当は早くから分かっていたはずだ。


 ウルベルトの言動への違和感。

 彼が表向き口にする望みと、本心が乖離かいりしている可能性。


 必死に目をそむけ、耳をふさいだ。


 どうしても無視できない違和は、パンドラズ・アクターによってもたらされる。


 パンドラズ・アクターは言った。

 アインズは夢に閉ざされることを望んでいるのだと。


 それを聞いたときの、デミウルゴスの衝撃は如何いかばかりだったか。


(では何故……何故ウルベルト様は、私にどちらの味方をするかと問うたのだ)


 あのとき、デミウルゴスを誘ったウルベルトの言い方は。

 何度思い返してみても、アインズがまがい物の至高たちの死を望んでいるという前提に立っている。


 あの問答以来、デミウルゴスはウルベルトの傍を離れていない。

 なのに、パンドラズ・アクターがアインズの真意をそのように告げたとき、ウルベルトは当然のような顔をして頷いた。


(どうして……)


 答えなど、知っていた。

 とうに、分かっていたのだ。


 ウルベルトは本当は、自身の為すことを憎んでいた。

 それでも為さざるを得ないことを、苦しんでいた。


 全ては、最初の問答のときに示されていたのだ。


 ウルベルトはまず、『決断』について持ち出した。

 自らの意志で選び取ることを、執拗しつようなまでに強調した。

 あれはシモベであるはずのデミウルゴスに、自らの意志で選択するよう念押しするためだった。


 頭ごなしに命令することも出来たはずだ。

 しかしそうはしなかった。

 それを慈悲深さのゆえと判断してもいい。

 それだけならば。


 ウルベルトは己をまがい物だと言い切った。

 悪を欠落と呼び、そこに自身を当てはめた。


 欠落――空疎。

 ウルベルトは己を、ただの影だと言っていたのだ。

 デミウルゴスを惑わすだけの、影だと。


 お前が守るべきものは、

 守らねばならないものは、

 守ってほしいと、ウルベルトが本当に願っているものは、

 他ならぬナザリックなのだと。




 だからこそウルベルトは――

 どちらに味方するか選べと言ったとき、

 わざわざデミウルゴスをこう呼んだのだ。


 ナザリック地下大墳墓 第七階層守護者、と。



 ……けれど。


 デミウルゴスの忠義は、たとえ主の意に反しても、その命を守り抜くことにある。

 その後に己が死をたまわることなど、何ほどのことがあろうか。



 それに。


 夢に、閉ざされたなら。

 もう誰も、ナザリックを捨てられない。


 醒めない夢。

 永劫に君臨する支配者たち。

 もう二度と。

 捨てられる恐怖を、

 去られる不安を、

 味わう必要もない。


 ゆえに、目をそむけた。

 創造主の願いから。


 それはもしかしたら、

 他の至高の御方々のためと、

 そしてシモベたる自分たちの身勝手のために、

 創造主を犠牲にする行為なのかもしれないと、分かっていながら。


(だが、それを忠義と呼ぶだろうか?)


 生きることを、

 在り続けることを、

 ウルベルトが望まないならば、


 ……ああ、いっそ。

 ウルベルトが声に出して命じてくれていたら。

 自分を殺せと。


 そうすれば、デミウルゴスは声に出して拒否したろう。

 それだけは出来ません、と。


 だが。


 ウルベルトは言わなかった。

 己の望みを胸深く沈め、

 決して表に出そうとはせず、

 それでも、堪えられなくて、

 最後の望みをたくすように、

 デミウルゴスにだけ、それと分かるように、


 分かっていて、たとえ気付かぬふりをしても、

 デミウルゴスのとがにはならぬようにと、

 はじめから、それだけの配慮をして。


 口にされなかった望みには、

 拒絶を口にすることも叶わず、

 胸に沈めた願いと知れば、

 かえってそれを拒絶することは痛ましく、


(何故……御身が堪え忍ばねばならないのです)


 声に出せない問いかけは、血のにじむほどの感情を伴う。


 どうすればいいのか。

 どうするべきなのか。

 どうしたいのか。


 答えが出せないままでいた。

 けれど。


 アインズが、

 己の死を望み、夢を選んでいたはずの彼が、

 ウルベルトの攻撃に対して、明確に己を守る意図を示した。


 それがまごう事なき、生存のための行動を取った。


(……アインズ様も?)


 ウルベルトと、同じく。

 本当は。

 本当は、ナザリックが存続することを、

 皆が目覚めて在ることを、

 たとえ至高の御方々が傍にいないとしても、

 やはり望むというのか。


 望んでいながら、

 望んでいないふりをしていた?


 己が創造主と、

 最後まで残って下さった慈悲深き至高の御方にして、唯一本物の至高。


 その両者が、

 互いの本心を押し殺し、

 自らを犠牲としようとしていたのだと、


 その認識が、

 デミウルゴスの背中を押した。












「デミ、ウルゴス?」


 アインズが発した、かすれた声は。

 信じられない、という思いをそのままに表していて。


 普段のデミウルゴスならば、即座にアインズに向かい、「いかがされましたか」と問うたろう。


 けれど今は、そんな余裕はない。


 与えられていた懐剣かいけんで――魔法攻撃力を物理攻撃力に変換する武器で、背後からウルベルトの左胸を刺し貫いた直後なのだから。


 ウルベルトの口の端から、血泡が漏れた。

 けれどその顔には、どこか。


 安堵が、あった。







 アインズの内側から、噴き上がる感情がある。

 黒く、どろどろしたそれは、身をくほどに熱く、それでいててつくばかりに冷たい。

 激しい怒りと、気付かぬまま静かに積もらせていた憎悪とが、絡み合っている。


(ウルベルトさん……俺を、だましていたんですか)


 初めから、こうするつもりだったのかと。

 やり場のない怒りに駆られ、けれど今はもう拳を握りしめるだけだ。


 ウルベルトのHPが尽きたことは、分かっていた。


 デミウルゴスのあの攻撃は、決して威力の高いものではなかった。

 だがこれまで蓄積したダメージ、特にたっちの『次元断切じげんだんせつ』を一部にせよ被ってしまったことで、すでにHPは危険水域レッドゲージに入っていたのだ。


 今からアインズが自殺したとしても、間に合わない。

 ゲームオーバーだ。


 デミウルゴスが剣を引き抜き、

 後ろに倒れそうになるウルベルトを、そっと抱き留める。


 その手つきと同じだけ優しい声で、


「もう、よろしいではありませんか」


 そう言ったデミウルゴスの表情が、

 アインズのじくじくした怒りと憎しみを、霧散させる。


(……違う)


 これは、計画されていたことではない。

 ウルベルトが命じていたことではない。


 戸惑うアインズの前で、

 デミウルゴスはしかし、死にゆく創造主だけを見つめている。


 これが最後になると、きっと分かっているから。


「御身は他の全ての至高の御方々を生かすために闘うのだと仰せになりました。そうしなければならないのだと。ですが――御身は、本当はそれを望んではおられなかったのでしょう?」


 どこまでも優しい口調に、

 けれど今にも泣き出しそうな顔で。


「御身の信ずる『悪』が、ナザリックを夢に覆うことをとしたとしても――それでもなお、御身が死を希求ききゅうせずにいられないのならば。私が、その想いを守りましょう。御身の『悪』の、さらなる『悪』として――『正義』の対極ではなく、『悪』の極北として」


 アインズは悟る。


 ウルベルトは確かに、この結末を望んでいた。

 だが、その気持ちを抑え込んでいたのだと。


「さすがだ、デミウルゴス」


 微笑んだウルベルトが、絞り出すように言った。


「それでこそ――ウルベルト・アレイン・オードルの、最高傑作だ」


 たたえながら、

 ウルベルトはちらりと、アインズを見る。


 山羊頭の悪魔の目にあるのは、

 困ったような、申し訳なさそうな。

 アインズが文句を言えなくなってしまいそうな、

 いつかどこかで見たような、もの。


 見たはずがない。

 ユグドラシルの外装では、表情は動かない。

 なのに、アインズは何故だか懐かしかったのだ。





『ウルベルトさん、たっちさんとあんまり険悪にしないようにするっていう約束は……』

『えーと……』

『もう! ギルマスの立場も分かってくださいよ! 間に挟まれてばかりなの困るんですから!』

『す、すいません、モモンガさん! ちゃんと次は気をつけますから……』

『その台詞、三十七回目ですからね』

『数えてたんですか!?』

『当然です。ギルマスですから』

『うわあ』


 そう言って、表情アイコンで困った顔を出してみせた、あの頃の彼は。

 きっと現実リアルの世界で、そんな目をしていたんだろう。





「お休みなさいませ」


 ウルベルトの姿は、薄れてきている。


 デミウルゴスは嗚咽おえつを堪え、迷いを吹き散らすように、強い意志を込めて、最後に告げた。


「お休みなさいませ、名も無き御方」


 それは。

 たぶんきっと、まがい物の彼が本当に欲しかった、ただ一つの。

 正しい別離わかれの挨拶。

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