三、脱線と脱線と本線

 タブラ・スマラグディナは脱線する。

 それも頻繁ひんぱんに。


 たとえば今この時、

 周囲が現状を感情的にいかに受け入れ、この事態にどう立ち向かうべきなのか、また同じ困難に立たされた仲間にどう言葉をかけるべきかを模索もさくしている中、

 タブラが考えているのはホラー映画の系譜である。


 古くは狼男やブギーマン、少し時代を下って吸血鬼やらフランケンシュタインの怪物やら、さらに進んでゾンビ、つづいて『十三日の金曜日』のジェイソンや『エルム街の悪夢』のフレディといった個人名のあるホラーヒーロー……


 いや待て、それならば吸血鬼ドラキュラや女吸血鬼カーミラも忘れてはならない。

 こういう固有名詞のあるものこそ狭い意味でのホラーヒーロー、広義では種族名や血統名でも認められるがやはり狭義のそれらの個性には強く惹かれるものがある。


 近頃はこうしたヒーローたちのリバイバルが進み、ホラー映画にさほど造詣ぞうけいが深くなくても聞き覚えはある、という好ましい状況が出現している。


 実際モモンガでさえ吸血鬼たちの名はタブラが布教するまでもなく知っていた。

 それで何故ネーミングセンスが改善されないのかタブラは悩んでいる。

 海外物ならばファンタジーよりもホラーに厨二病センス輝く名前があふれていると彼は信じて疑わないのだが。

 オカルトこそ至上である。


(あれ、なんでこんなこと考えてるんだっけ)


 首を傾げ、己の思考の道筋を辿ろうとする。


 タブラの連想速度と密度は凄まじく、意識すら置き去りにひたすら展開する。

 本人でさえどういう流れでその思考に到ったか、すぐには分からないことも多い。


 Aという出発点からGまで一瞬にして到達し、到達した時点でAのことを忘れていたりする。「何の話してんだよお前」とツッコまれた際にはGからF、E、Dと辿っていかねばならず、ようやくAを見つけたときには周りの誰もそんなタブラの唐突発言のことはすっかり忘れていたりして、まあいっかとうやむやになってしまう。


(ええと……そうそう、フランケンシュタインの怪物のことを考えたんだ。それでホラーヒーロー……うん、でもフランケンシュタインの怪物はいつになったら『フランケンシュタイン』という名前ではないことが周知徹底されるんだろう。いや、ある意味でこの状況は怪物にとって博士との一体化を示してもいて、歪んだハッピーエンドともとれなくはない。物語世界をいっしたところでの幸せな結末。なんて皮肉なんだろう。それを言うなら『オペラ座の怪人』も、本当は怪人が歌姫に愛されていたと捉えるむきもあるが、あれは『ファントム』が決定づけたんじゃないだろうか。そう、スーザン・ケイの二次創作小説……今でもファンの間で読み継がれている名作だ。『オペラ座の怪人』は本来ホラーなのだが、恋愛劇のようにみなされるようになった功罪は……しかし恋愛を前に出しすぎて怪人のおぞましい外見をないがしろにするタイプの創作物があるのはどうにも首肯しかねる。やはりおぞましい姿であればこそあの物語は映えるのであって……)


 このような具合で、いつまで経っても枝分かれする思考と連想にぐだぐだと蛇行しながら流されていくのは日常茶飯事である――

 というのはこのまがい物のタブラが得ているデータから推測されることであって、そこになんらかの齟齬そごというか、膨大すぎるデータ容量ゆえの不具合が生じている可能性もある。


 なにしろタブラは、ギルドの諸葛孔明たるぷにっと萌えと作戦会議において丁々発止ちょうちょうはっしのやりとりをする切れ者でもあるのだ。

 必要な場合には研ぎ澄ませた集中力で見事に素早く策を練ることも出来る。そういう場合には、脱線することはあまりない。はずだ。おそらく。


 ……とまあ、気付けばこれも脱線である。

 いや、これは彼の落ち度ではないが。


 本題に戻ろう。


 彼が『ナイトメア・カーニバル』からフランケンシュタインの怪物を経てホラーヒーローへといたった道筋を割り出すことはついぞなかったわけなのだが、ここであえて紐解ひもといて伝えておこう。


 連想の元は、『雷による覚醒ないしは誕生』である。

 フランケンシュタイン博士は、死体を繋ぎ合わせた怪物に雷のエネルギーを注いで命を与えたのだ。


 では、さらにさかのぼってその連想の元はといえば、『スワンプマン』である。

 有名な哲学の思考実験だ。


 沼の傍、一人の男が落雷に打たれて死んだ。

 同時にもう一つの雷が沼に落ちた。


 このとき落雷と死んだ男が沼の汚泥にどういう化学反応が引き起こしたものか、そこに死んだ男とまったく原子レベルで同一の生成物を造り出した。


 姿形、思想に嗜好しこう、記憶も知識も完全なるコピー。

 沼をあとにしたこの男、スワンプマンは、死んだ男の生活の続きをはじめる。


 さて、このスワンプマンと死んだ男は、オリジナルとコピーは、果たして同一と言えるだろうか?


 哲学者は言った。

 スワンプマンはコピーされた知識をもっている。

 だがそこには経験や経緯に基づく裏付けがない。

 だからそれはやはり――まがい物なのだと。


 ここまでくれば、タブラが何をもって『スワンプマン』の連想に到ったかは言わずもがなだろう。

 しかして言わずもがなに言及してこそ彼の精神構造と認めるならば、敬意を表してあえて述べよう。


 タブラは自分たちを『スワンプマン』に重ねた。

 感傷もなく感興もなく、そういうものとして。

 ベルトコンベアで運ばれてきたものを機械的に分類し取り分けるように。


「……さて、皆さん」


 咳払いしたたっち・みーに、四人の視線が集まる。


 たっちは彼らの眼前、大いなる木の根元に黒々と輝く扉を手で指し示し、


「もう皆さんも把握されていると思いますが、あそこに出現した扉から我々はナザリックの任意の地点に転移することが出来ます。扉の向こう側では今現在、時間が停まっています。というよりも我々が、あちらとは異なる限定された時間の尺度をもつ概念空間にいる、というべきかもしれませんが……」


 タブラは目を輝かせる。

 といってもその姿では、ホラー映画の怪物が獲物をとらえたようなおぞましさがあるのだが。


「並列する異なる時間軸の設定ですか。いっそ時間という概念がないともっと面白かったんですけどね。神の領域に片足を突っ込んでいるみたいで。神は時間や空間といった限定性をもたないわけです。天界では全ては永遠の刹那に決まるともみなせるわけで、天使と悪魔の争いが長引くことの矛盾がここに――」

「あー、言いたいことは分かります。分かりますけどたぶんこの場で俺以外には通じてないですよ」


 ウルベルトがやんわりと言葉を差し挟み、熱を帯び始めていたタブラの弁舌をさえぎる。場の空気に気付いたタブラが「あ、すいません」と言うと、ウルベルトは苦笑して、「まあ、その話はまたゆっくりと……出来るといいんですけどね。俺もその手の話題は好きですよ」とフォローを入れた。


 たっちは改めて皆を見回し、


「我々はいつまでも留まっているわけにはいきません。あまりぐずぐずしていると、ランダムな地点に強制的に飛ばされるようですから。それで……あらかじめ皆さんの考えを聞いておきたい」


 聖騎士の、兜の下の複眼が四人を捉える。

 身じろぎする者、平然としている者、わけもなく敵意を送る者。

 たっちは力強い口調で、


「私は、我々全員がまず闘技場で殺し合い、生き残った者がモモンガさんに自発的に殺されることを提案します」


 ペロロンチーノが愕然がくぜんとし、建御雷があごを撫で、タブラはふむふむと静聴の構え、そこにウルベルトが低い声で問いかける。


「……本気ですか? たっちさん」

「ええ。残念ながら我々は自殺が出来ません。ですが同士討ちは可能です。そうして殺し合ったあとであればHPもかなり消耗しているでしょうし、モモンガさんにいる精神的負担も最小限に抑えられるはずです」


 なるほど、とウルベルトは頷いて、さらりと続けた。


「糞だな、お前」


 空気が凍る。


 たっちはゆっくりとウルベルトに向き直る。


「どういう意味ですか」

「そのまんまだよ。分かってんのか。俺たちがやられたら、夢の側に出現している残り三十五人もいっしょに消えるんだぞ」

「仕方ありません。ナザリックを救うためなら、みんな納得してくれるはずです。我々はナザリックに染みついた記憶や想いから生まれているんですからね。一番あそこを愛していたころの愛着がそのままにあるんです。ウルベルトさんだってそうでしょう?」

「勝手すぎるんだよ、お前は。まがい物と言っても、俺たちは仲間だろうが。モモンガさんが俺たちを殺してナザリックを守ろうとすんのは分かる。だけど俺たちは、やっぱり俺たちの側の仲間を守ろうとすべきじゃないのか。無理やり召喚されたにしろ、俺たちはここに生きているんだ。足掻あがくだけ足掻くべきだろ。その機会さえ与えられなかったみんなの分まで」

「そんなことは誰も望みません」

「……何様だよ。勝手に決めつけるな。全員に聞いて回ったのか? いや、面と向かっては言えないかもな。ああ、そうだ。お前がどうにかして夢の側にいるひとたちも含め、匿名投票で全員の意見を聞けよ。それで全会一致で『自殺』が認められたら、俺はお前に従ってやる」

「私の目の前に一名、反対票を投じようという方がおられますが?」

「ああ、そうだ。分かってるなら、俺の他にもいるかもしれないって考えろよ」

「いたとしても、よく話し合えば納得してもらえます」

「だから――」


 ぱんぱん、と大きな音で手を打ち鳴らし、言い合いを止めたのは建御雷だ。


「いいじゃないか、好きにすりゃあ」


 快活な声で、拍子抜けするほどあっさりと言ってのける。


「どうせお二人さんにはそれぞれゆずれないものがあるんだろ? だったらこの場でああだこうだ言い合っても平行線だぜ。みんなそれぞれ、やりたいようにやればいい」


 たっちが声を荒げ、


「建御雷さんまで、そんな無責任なことを……! ナザリックがどうなると思っているんです? 食事が必要なシモベたちがまずえて死にますよ。敵の侵入があった場合はどうするんです? 我々にはナザリックを守る義務があるはずです。モモンガさんだってそれを望んでいる!」




「それはアインズ様――かつてモモンガ様と名乗られていた御方ご自身がお決めになることです」




 この場にいないはずの、六人目の声が朗々と響き渡った。

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