二、まがい物の目覚め

 彼が『タブラ・スマラグディナ』として覚醒したとき、周囲は星がきらめく漆黒の宇宙であり、視界の大部分を埋めていたのは巨大な樹だった。


 とっさに、ブレインイーターたる己のアバターを探している。

 それがすでに己の身体であると気付くのにやや手間取り、ついで困惑が訪れる。


(これ、ユグドラシルのログイン画面じゃなかったっけ)


 アバターに触れることで認証となり、ロード画面を経て、いくつかの絵のアイコンが浮かび、『ホームタウン』をタッチしてナザリック地下大墳墓の円卓の間に入れる、はずだ。


 なのに今、自らの触手でぺたぺたと頬をでたり、ふくれた腹をぺしっと叩いてみたりするのだが、なんの変化も起こらない。


(……バグ?)


 しきりに首を傾げていると、ぷっと噴き出す声がして。


「あはは! そのクセ抜けませんね、タブラさん」

「ペロロンチーノさん」

「どーも。おひさーです」


 飄々ひょうひょうとした鳥人間は、片手で軽やかに挨拶の仕草を切り、翼をはためかせてやって来る。


 それにしても癖ってなんのことだろう、とタブラは首を傾げる。

 わりと天然で無自覚である。


「なんなんでしょうね、これ。あー……ていうか俺たちなんでここに? 微妙に凄絶せいぜつな感じで記憶がぐちゃぐちゃなんですけど」

「そこ、微妙って形容必要でしたか?」

「あははは、ほんっと細かいとこ気にするなあ! それでこそギルド随一ずいいちの設定魔!」


 ばんばんと肩を叩かれ、ぐらぐらと揺れる。


(なんかダメージを感じる……新仕様?)


 戦士職ガチビルドの親愛表現は後衛魔法職にはきついものがあり、触手でぐいと押してみると、ペロロンチーノは何を勘違いしたのか慌てて離れ両腕で自分をかき抱き、


「なっ、何するんですかぁ! 触手プレイなら女の子にやりましょうよ! 俺見てますから!」

「相変わらず変態ですね、ペロロンさん」

「いやだなあ、そんなに褒めないでくださいよぉ」

「褒めてません」

「でもほんと、考えてみてくれません? せっかくですから現地の女の子たちで――現地?」

「……現地?」

「えーと……なんでしたっけ。ナザリックでなんか、何人も捕まえてあれこれ実験とか拷問とかやってたような記憶があるんですが……どう考えても運営からストップかかりますよね。ていうか仕様から言っても実現不可能な感じですが。うん、……まさか俺の白昼夢が記憶を浸食して!?」


 タブラは沈黙する。自分の中にもそうした記憶があるようだ――ペロロンチーノみたいな変態妄想じゃなくて。


 ひどく曖昧あいまいで混乱して、前後の脈絡がつながっていないが。

 自分の体験としてではなく、動画を見せられている感覚で、その状況が浮かぶ。


「あー……拷問して質問すると何回目かで死んじゃいますね」

「みたいですね」

「なんでむさ苦しい男ばっかり捕まえてやってるんでしょう? どうせならエロい感じの女の子でやってくれるといいんですけどねー」

「そういう問題ですか?」

「ですよ。あっ、分かりました! これ、ユグドラシルの仕様変更なんですよ。えーと……あー……そうだ! なんかおぼろげにユグドラシルのサービス終了とかあった気がするんで、これはたぶん年齢制限取っ払った2ですね! きっと新機能のデモがいっぱい流れて、全部終わってからログインですよね! よし、来い! この調子でばんばん、今度は貧乳エルフの幼女を触手攻――」


 ぶん。


 凄まじい剣圧。

 ペロロンチーノがぎりぎりで回避する。

 が、剣の巻き起こす風のために尻もちをつく。


「お久しぶりです、お二人とも」

「たっちさん、おひさです」

「い、いきなり過激ですね! フレンドリーファイアが有効になってるんですから気をつけ……あれ? 有効になったんだっけ」

「ああ、そういえばそんな気がします。すみません、ペロロンさん。次の機会があれば怖がらせるひまもなく永眠させますので安心してください」

「……え、脅し?」

「冗談です。警官としての良識に反しない程度の体罰に留めます」


 純白の聖騎士、たっち・みーが剣をさやに収める。

 その声には笑みが余韻のごとく漂い、このやりとりもちょっとしたたわむれであることを感じさせる。

 ペロロンチーノも分かっていて、後ろ頭をかきながら「参ったなあ」なんて言ったりしていたのだが。


「良識ある警官なら、冗談でいきなり襲いかかったりしないはずですけどね」


 刺々とげとげした言いぐさには、この場の誰もが聞き覚えがあり。

 その口調を向けられる、ほぼ唯一の対象たるたっちは、先ほどまでの朗らかな空気をかたく変える。


 うわあ、とペロロンチーノが呟き、タブラはさっさと知らんぷりを決め込む。


 彼らの前に、山羊の頭を持つ悪魔が姿を現す。


「お久しぶりです。ペロロンさん、タブラさん。あとついでにたっちさん」

「えーと……おひさーです、ウルベルトさん」

「おひさです」


 ひとまず挨拶を返すペロロンチーノとタブラだが、たっちは無言でにらみつけている。

 ウルベルトは肩をすくめて、


「挨拶も出来ないんですか?」

「……ええ、礼儀を知らない方にはやりづらくて」

「私はやりましたよ。いやいやですけど」

「そうですね。では私も。二度と見たくなかったその顔を拝見できてはらわたが煮えくりかえるほど嬉しいですよ」

「それはよかったですね。私はその数千倍はらわたが煮えくりかえってますよ」

「では私は万倍」

「億倍」

「兆倍!」


 ウルベルトが黙り込む。

 たっちは勝ち誇ったように、


「おや、兆の次のケタが分からないんですか? 教えてあげましょうか?」

「……死ね、糞が」

「負け犬の遠吠えですね」


 これはまずい、とばかりにペロロンチーノが口を挟もうとしたとき。


 豪快な笑い声が響き渡った。


 毒気を抜かれた聖騎士と悪魔がそちらを見やれば、いつの間にか半魔巨人ネフィリムがそこにいた。


「はしゃいでんなあ、お二人さん! いやあ、結構結構! 久しぶりの喧嘩ってなあ腕が鳴るもんよ。ほれ、続けろ! 第二ラウンド、ファイッ!」


 両手を叩いてはやしたてる武人建御雷に、ウルベルトとたっちは顔を見合わせ、互いにばつが悪そうに目をそらし、咳払いする。


「まあ……いまのは俺も悪かった」

「いえ……私こそ、大人げない振る舞いでした」


 やれやれと安心ムードが漂うなか、ひとり空気を読まない武人は、「なんだよ、もうしまいか?」などと残念がっている。


「それにしても、モモンガさんはどこでしょう?」


 ペロロンチーノが不思議そうに問いかける。

 ユグドラシルに残り続けたあのひとなら、真っ先にユグドラシル2に飛びついたはずなのに、と。


「もうすでにログインされているのかもしれませんね」

「たっちさん、それありそうです! あのひとが一番乗りでも俺は驚きませんよ」

「リアルの都合ですぐに来られない可能性もありますけどね。私たちがここで立ち往生しているところを見るに、ログインするのになんらかの障害が起きている可能性があります」


 ウルベルトの言葉にたっちも頷く。


 建御雷は「ん?」と顔を上げ、それからにかっと笑う。


「お前ら、右上」

「……ああ」


 納得とも安堵ともつかない声を、ペロロンチーノはらす。


 視界の上部にバーが現れ、右横に数字が表示されていた。


 ロード画面――数字が100%になったとき、コンソールが出現し、アイコンを選び、ホームタウンを指定して、拠点に入れる。


 今までの知識からタブラはそう思ったし、ほかの四人も同様だったろう。


 ……だが。


 数字が上昇していくにつれ、彼らのうちに否応なしに詰め込まれる――記憶と認識。


 曖昧あいまいに雑然としてばらばらに与えられていたものたちが、集められつなげられていくと同時に、

 己がまがい物であるという、おぞましい自覚が芽生える。


「……なんだよ、これ」


 ペロロンチーノが低い声でうめき、

 たっちは茫然自失ぼうぜんじしつし、

 ウルベルトは悪態をつき、

 建御雷は両腕を組んだ。


 タブラは――ぼんやりしていた。


 それはタブラの性格によるものなのか?

 とことんまでマイペースだから?


 自分が自分ではないと突きつけられても、

 ふうん、そうなんだ、と他人事のように思っていた。


 あるいは彼は、他の四人よりも。

 本物オリジナルのタブラ・スマラグディナとの性質的な差異が大きいのかもしれない。


 本来ならば、性格も性癖もオリジナルと同じか、少なくとも非常に似通ったものでなければならないのだが、

 タブラの場合は、データ容量が足らなかったのかもしれない。


 その圧倒的知識量が、蘊蓄うんちくの数々が、その性質性癖と不可分に結びついていたがゆえに、まずはそれらのデータを先にダウンロードしてしまい、根源的な性格のコピーにいたらなかったとか。


 まあ、オリジナルに近しいところは多分にある。

 まるっきりの別人、完全なる赤の他人と呼ぶにはやや抵抗がある程度には、確実な共通項がある。


 たとえば、好きなものにはとことん情熱的になれる。

 オカルト関連、特にホラー系。

 ギャップ萌えの精神は今も確かにくすぶっていて、走馬燈そうまとうよろしく流れ整理されていく記憶の中でも、彼の心を熱くたぎらせるものが少なくない。


 だがそれは、テレビやゲームやネットや本で興奮しているのと何も変わらない。


 己が何者かとか、存在意義がどうこうとか、そういったことは問題にもならない。


 彼は傍観者であり、世界の外側にいる。

 創作物に触れるときがそうであるように。


 己がタブラ・スマラグディナであることに、こだわりなどない。

 まがい物だろうが劣化コピーだろうが、自分をどこぞの他人と勘違いした頭の狂った輩だろうが、なんだっていい。


 ロードが98%に達したところで、『ナイトメア・カーニバル』についての説明が脳裏になだれ込む。

 チュートリアルでも見ている気分だ。

 周囲で絶望の色が濃くなっていくのを、むしろ興味深くタブラは眺める。


 拒むように弱々しくかぶりを振るペロロンチーノ、

 悲愴な決意をりんとした姿勢からあふれさせるたっち、

 苛立たしげに足でこつこつと床を、いや床はないのだが足元を叩くウルベルト。


 建御雷は、タブラが見ていることに気付くと、にかっと笑った。

 大きな口、怪物と呼ぶにふさわしい口が、しかしいかにも人懐っこく、楽しげな笑みをかたどる。


(新しい玩具を見つけた子どもみたいだ)


 タブラは少しだけ愉快な気分になった。

 なるほど、この状況に絶望しない自分は異端とも限らないらしい。


 そう、玩具だ。

 ならばどう遊ぶかを考えるとしよう。

 どうせここにはホラー映画もなければ、各種神話や錬金術などなどについて語り合う機会もなく、じっくりTRPGをやる相手もいないし、むろん未知のダンジョンにもぐったりすることも出来ない。


 どうせならナザリックのシモベたちがみんな起きていたら面白かったのに。

 彼ら彼女らの絶望を見てみたい。


 全てを絶望させるような、まさに悪の権化ともいうべきシモベが数多くいるはずで、ホラー映画ならラスボス的凶悪さを誇る奴に事欠かなくて、そいつらがみんな、むしろホラー映画でさくっと殺される犠牲者たちのように恐怖と悲哀に顔を引きつらせるのなら、それはなんて素敵なギャップだろう。


 ギャップ萌えは正義。


 などとこの文脈で言うとたっちさんに怒られそうだから黙っておく。


 もっとも――

 一番の玩具はちゃんと残ってくれているわけだ。


 タブラは愛おしく、己のNPCを思い出す。


 ナイトメア・カーニバルにおいて、まがい物たる彼らはオリジナルの記憶と想いを元に構成される。

 しかし与えられる知識はそれに限定されず、オリジナルについてナザリック内の者たちが考えたこと、抱いたイメージといったものも、性格に影響を及ぼすことはないながら、参考資料として頭に刷り込まれる。


 全て、というわけではない。

 優先的に得られる参考資料は、己が造ったNPC由来のものである。


 ペロロンチーノはシャルティアが精神支配されアインズを襲ったことを知った。

 「ペロロンチーノの方がアインズより優れている」と確信をあらわにしたことも。


 たっち・みーはセバスがその甘さゆえに裏切りを疑われたことを知った。

 ナザリックの中でアインズだけが気付いているように、それがたっちの性格を映し出したせいであることも。


 ウルベルト・アレイン・オードルはデミウルゴスが苦悩と逡巡の末に悪魔像を王都へ持ち出し、ゲヘナ作戦の後に安堵と歓喜の表情でそれを持ち帰ったことを知った。

 ウルベルトが興味本位でつくったアイテムでさえ、彼にとっていかに大きな意味を持つかということも。


 武人建御雷はコキュートスが武人として敵と相対し、力だけではなくその奥にある魂を見据えたことを知った

 ――のだが、建御雷はむしろコキュートスがモモンガの孫をほしがって妄想を日々募らせていたり、全裸だ裸族だとからかわれていたり、氷風呂をこよなく愛していたりすることに興味津々で、ほとんど腹を抱えて笑い出しそうなのを、周囲のお通夜ムードにさすがに自重して、口を押さえて笑いをかみ殺していたりする。


 さて、タブラ・スマラグディナはといえば。


 彼は恍惚こうこつとして己がNPCに思いをせていた。


 アルベド。

 彼女がタブラのことを考えるとき、常にれ出す感情は殺意。

 至高の四十人を憎み、モモンガだけを愛する彼女の、鬱屈うっくつして屈折した心……それがタブラをして愉悦ゆえつの夢想にふけらせる。


(せっかくだから、アルベドと遊んでみようか)


 もてなしあそぶことを、もてあそぶという――

 誰かが以前、そんなことを言った。


 誰が、いつ、どこで?


 記憶の混線。

 タブラ・スマラグディナのオリジナルは抱えている情報量が多すぎる。


 まがい物のタブラは水を差された不機嫌にうつむいた。


 彼もまた知識を愛している。

 だからこそ、中途半端な蘊蓄うんちくが詰め込まれた頭脳がいとわしい。


(その系統についての完全な知識か、あるいは無か……どちらかに絞れたらいっそ気分がいいだろうに)


 まあ、いい。

 どうせこの世界で、この仮初かりそめの命は長くもつまい。


 彼は冷静に判断する。

 なにしろ五人が五人とも、多かれ少なかれ弱体化しているらしいのだ。


 ナザリックで稼働している敵対勢力はアインズと、ヴィクティム・ガルガンチュアを除く各階層守護者。そろってレベル100な上に、課金でかなり強化されている連中である。


 こちらにたっちとウルベルトがいる以上、ある程度の善戦は期待出来るが、

 しかしやはり敵側にモモンガが――相手の性能を知っている場合においてとりわけ強みを発揮する、対プレイヤー戦の巧者たる彼が指揮官として動くのだから、


 負けは決まっていると、タブラは思う。


 モモンガが仲間を殺すことを嫌がるという想定が、まず頭にない。

 本物ならともかくもまがい物なのだから、と。


 ましてNPCたちが、創造主のまがい物を壊すことを躊躇ためらうことはあるまいと、あまりにも軽く考える。


 なにしろ彼らのオリジナルは、ナザリックを捨てたのだ。

 捨てて戻らぬうちは懐かしい慕わしいと言っていても、のこのこ戻って来られれば怒り憎しみはいやでも湧き起こり、ましてそれがまがい物となればもはや一秒でも早く消し去りたいと願うものだろう、と。


 その思考の冷酷さ、冷徹さに気付きもせずに、タブラは推定する。


 自らの死も、

 仲間たちの死も、

 約束された破滅も、


 平然と受け入れ、

 それを前提として、


 いかにして生あるうちに愉悦ゆえつを得るかを、考える。

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