六、いまはおやすみなさい、と嘘つきは言った

 『失墜する天空フォールンダウン』。


 それは本来、アンデッドに対して大ダメージを与える超位魔法だ。

 バードマンに対しては、決して最適解ではない。


 その選択の根幹にあるのは、理性ではなく感情。


 ギリシア神話に、ろうで背につけた羽でもって空を飛び、太陽に近付きすぎて蝋が溶け、地に落ちた人間があったという。


 目の前のまがい物は、まさにそれだ。


 太陽すら落とさんばかりのコンボを有していた、本物オリジナルのペロロンチーノと違い。

 その雄大な翼をまね、その勇壮な能力をまねようとも。

 奴の偽りの羽は、太陽の前に散る。

 落とされるのは太陽ではなく、まがい物だ。


 その皮肉を込めて、この魔法を選んだ。

 愚かさの代価を支払えと、暗に迫るために。


 ただそれだけのために、回数制限があると分かっていて、次に使うまでには長い冷却時間が必要だと分かっていて、あえて使用した。


 そんな見立てをすることの、そんな言葉遊びにいんすることの、愚かさを誰より分かっていながら。


 それはアインズらしからぬこと。

 だが同時にまた、何よりもモモンガらしい選択。


 怒りと憎しみの奔流を利用しないことには、

 親友に似た姿をしたこの者を、攻撃することが出来ない。


 その存在を許せないくせに、

 その存在を壊すことを躊躇ちゅうちょせずにはいられない。


 だからこそ。


 理性では浪費であると分かっていながら、そのコストを支払わざるを得なかった。


「く……ぅ、あは、あははははは! ひどいなあ、モモンガさん! 痛いじゃないですか! あはははははは!」


 笑う。

 わらう。

 その姿。


 かつて精神支配されたシャルティアに、この超位魔法を使ったあとの反応を、思い起こさせて。


 アインズは怒りで頭の芯まで熱をもったように感じる。


 殺さなくては。

 一刻も早く。

 一秒も早く。


 ペロロンチーノは体勢を崩したものの、矢に宿る光は消えていない。

 立ち上がり、やはり単調にこちらを射るつもりらしい。

 ここまでされてもなお、戦術の再考さえしない。


 次なる一手を、先よりも冷酷に、冷徹に選び取ろうと努め、

 一方で煮えたぎる怒りが、寂しさと悲しみの裏返しである激情が、別の一手を選びたがるという拮抗の狭間、


 風切り音にはっとして、アインズは見上げる。


 観客席からこちらに突っ込んでくる赤い鎧の女を視界に収める。


 ……シャルティア。


 攻撃よりも防御よりも、

 何故、という混乱に意識を振り向けてしまった。


 ……何故、シャルティアがこちらに向かってくるのか?


 むろん、アインズを攻撃するためだ。

 それはすなわち、まがい物を救うため。


 何故?


 かつて宝物殿で、パンドラズ・アクターがタブラ・スマラグディナの姿をとっていたとき。

 アルベドは己の創造主でないことを見抜き、苛烈に殺せと命じた。


 シャルティアが――アインズよりもペロロンチーノを優れているとみなし、敬愛してやまない彼女が。

 この無様なまがい物を、己の創造主として認めるのか?


 混乱。違和感。

 それらが彼の動きを阻害し、

 ただでさえ戦闘力にすぐれた守護者の、接近を許す。










 シャルティアの思考は混濁の赤に染まる。


 精神支配とは似て非なるそれは、狂える自己暗示。


 目の前にいるナザリックの支配者、

 ただひとり自分たちを見捨てず残ってくださった御方を、


 殺すことこそがお救いすることだと、


 アインズも、ペロロンチーノも、このナザリック全体も、

 すべてを救える唯一の道だと。


 あえて最接近しての攻撃を優先し、魔法やスキルでの中長距離からの攻撃を避けたのは、なにより御方々との距離を詰めるためだ。

 ペロロンチーノの盾となり、矛となり、そしてアインズを倒す。



 呆然とこちらを見上げるアインズに、

 よろめくように後ずさる慈悲深き御方に、

 スポイトランスを――



「やめろ、シャルティア!」




 声と、

 背後から抱き留める、温もり。


 シャルティアの力が抜けた。

 くったりと。










 アインズはその光景が理解出来ない。


 ペロロンチーノは攻撃をキャンセルし、跳んだ。

 シャルティアの攻撃の角度と速度を予測し、彼女が槍を構えた瞬間、その一瞬の静止をあやまたずとらえ、うしろから抱き留めた。

 同時に弓で彼女の槍の穂先を補正し、強引に攻撃に移ったとしてもアインズには当たらないようにした。


 そこには無駄がなかった。

 不足も余剰もなかった。

 さらにはシャルティアを傷つけまいとする優しい手つきもあった。


 それに――



(いま、あの人は――俺をかばった?)



 まさか。


 ダメージを与えまいと必死になった、なんてことがあり得るか?

 ペロロンチーノは何度もアインズを撃ったのに。


 ならば、

 彼が止めたかったのは、シャルティアがアインズを攻撃すること、か?

 彼女が――彼女の手が、その行為を為すこと。


 ペロロンチーノが守ったのはアインズではなく、

 シャルティアなのか?


 彼女が罪の重荷を背負わぬように。


 精神操作にもかかっていないのに自らの意志でアインズを攻撃した、という罪の。


 そこまで考えがいたったとき、

 アインズは理解する。








「……ペロロンチーノさん」


 震える声は、己自身がいままで抱いていた殺意を嫌悪し。

 まさに為そうとしていた結末に、恐怖する。


「わざと、俺に殺されようと……?」






 生き残るつもりなどなかったのだ。

 アインズを殺すつもりなどなかったのだ。

 この事件のあとも、ナザリックが在り続けることを、

 夢に囚われることなく在り続け、アインズが君臨し、

 守護者たちはその下で働き、

 アインズに牙をむいたという事実があってはならない状況が続くことを、

 想定していたからこそ。








 ペロロンチーノは、地上から見上げるアインズの様子に、悟られたことを悟る。


 そして、くっ、と笑った。


「あー……だっせえ」


 呟きに、シャルティアがびくりと身を震わせる。

 ペロロンチーノは苦笑して、


「お前のことじゃないよ、シャルティア。……ごめんな。俺、自分のことばっかりだったな。お前のこと、考えてやれてなかった」


 ぎゅっと抱き締めて、


「ほんとに、ごめんな。……俺がこんなに弱いのに、さ。お前が堪えきれるはず、ないよな」

「ペロロンチーノ様は、だれよりも強い御方でありんす! わ、わたしが……わたしがだらしないから……ごめんなさい……ごめんなさい……」







 ぽかんと見上げていたアインズは、

 苦いものを押し殺す。


(なんだよ、この構図……どう見ても俺が悪者じゃないか)


 まあ、死の支配者よりは爆撃の翼王の方が外見的にまだ正義の味方っぽい、というのはもとから知っていたことだし、


 なによりペロロンチーノの明るくて人なつこい性格は、正義側にぴったりじゃないかと、思ったことも一度や二度ではないのだけれど、


 ……ああ、似合わない。

 あのひとがこんなにも苦しんでいる姿は。


 ペロロンチーノさんにはいつも笑っていてほしかったのに。

 お姉さんが期待の大作エロゲに出てたときを除いて。


 アインズは杖を握る手に力を込める。

 そして、覚悟を決める。


「……ペロロンさん」


 声音に柔らかみが戻っている。


 はっとしたように、ペロロンチーノは顔を上げる。

 黙ってシャルティアを押しやり、地に下りる。


 シャルティアはふらふらとその隣に降り立ち、ぼうっと創造主を見上げる。

 バードマンが頷くと、彼女は力無くうしろに下がった。


 シャルティアの深紅の瞳がきらめいて、すがるような眼差しをアインズに注ぐ。


 アインズは目をそらしはしなかった。


 これから彼女が味わう絶望は、

 父を失う苦しみは、

 きっと己の舐める苦悩の数倍にもなるだろうと、そう思ったから。


 ペロロンチーノは弓を構える。

 愚直に。


「……そんなふうに、俺に話しかけないでくださいよ」


 声が、震えていた。

 笑おうとして、笑えていなくて。


「俺は、あなたの友達じゃない……! まがい物なんですよ……っ。だから……だから、どうか……俺を殺してください、モモンガさん……っ、そしてたっちさんといっしょに、このナザリックを……救ってください……!」


 血を吐くように、発せられたのは、

 彼が胸に秘めていた、祈りだ。


「すみません、ペロロンさん。俺は二つのことで、あなたに謝らなくてはならない。一つには、あなたの真意をつかめずに殺意を抱いたことを。そしてもう一つには、あなたがなんと言おうとも、俺は今後あなたをまがい物とは呼ばないことを」

「だったら……俺はなんなんです?」

「決まってるじゃありませんか。爆撃の翼王、エロゲーイズマイライフを豪語してやまない勇者にして、お姉さんに頭の上がらないバードマン、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の支配者たる至高の四十一人の一柱にして、シャルティア・ブラッドフォールンの創造主、そしてなによりも――俺の親友ですよ」


 シャルティアの瞳に宿った希望を、

 ペロロンチーノの目によぎった不安と絶望と、そして拭い去れない安堵を、


 これから踏みにじるのだと、その自覚が激しく胸を刺しても、

 骸骨の顔に表れることはなくて。


「シャルティア、下がっていろ。私はこのひとを、殺さなくてはならないのだから」


 シャルティアは目を見開く。

 唇がわなわなと震え、信じられないとかぶりを振る。

 「そんな」とか「アインズ様」とか、途切れ途切れの言葉がこぼれていく。


 アインズは振り切るようにぞんざいに杖を振った。


「行け。私の命令が聞けないのか」


 シャルティアは救いを求めるように己の創造主を見上げる。


 彼女の腕をそっと取ったのは、背後から近付いていたアウラだ。

 緊張した面持ちで、「ほら、早く」とせかす。その声にも苦痛がこもっている。

 本当はそんなことは言いたくないのだと、その思いを必死に押し殺している。


 ペロロンチーノはシャルティアに背を向け、弓を構えたままで。

 何一つ、言葉をかけることはない。


 その沈黙こそが、彼の願いだ。


 シャルティアの瞳に、かなしい光が宿る。

 彼女は、いつもならば誰よりも鈍いはずの彼女は、しかし気付いてしまった。


「……どうして、命じてくださらないの」


 答えを知っていて、問いかける。


「私に、下がれと――ペロロンチーノ様の死を、為すすべもなく見ていろと、どうして命じてくださらないの!」


 唇を噛みしめ、こぼれ出そうになった不敬きわまりない言葉を――卑怯だと叫びそうな悲痛をこらえる。


 ペロロンチーノは何も言わない。

 彼もまた、シャルティアが気付いたと分かっているからだ。


 これ以上、彼は彼女に命令してはいけない。

 命令するわけにいかない。

 彼はまがい物であり、彼女が仕える相手はアインズなのだと、はっきり示さなくてはならない。

 彼女のこれからのために。

 彼が、彼らが消えたあとの、ナザリックのために。


 たとえアインズが彼を、彼の偽りごと受け入れようとも、

 彼は決してそれに甘んじることはないのだ。


 アインズは目を伏せたいという衝動にあらがう。

 直視しなければならない。


「行け」


 三度目の命令。


 シャルティアの瞳から大粒の涙がこぼれ、

 嗚咽おえつをもらし、身をひるがえす。

 跳び、観客席に着地し、駆け上がっていく。

 その背中を、アウラが追った。


 アインズはそれを見上げ、シモベたちには聞こえぬよう声を抑えて、


「一つだけ、聞いておきたいんです」

「なんでしょう?」

「ペロロンさんを殺したら……あなたたちの言う、夢のなかでもあなたは死んでしまうんですか」

「あはは、気が早いですね。クリア条件を満たすまでは消えませんよ。俺もほかの三十五人と同じく、眠りについたシモベたちが見ている夢のなかに入るだけです。そっちから見守りますよ」


 だから気にすることはないのだと、ペロロンチーノはあえて明るい口調で付け足す。


 最初の一人を殺すことが、一番の精神的なハードルだ。

 逆に言えば、どんな形であれ仲間を殺した経験があれば、二度目以降は踏み切りやすくなる。


 シャルティアとアウラが観客席の最上段に達した。

 気を失っているらしいマーレをアウラが引きずり上げている。


 アインズは、あえて大きな声で宣言する。


「俺はあなたたちを倒して、ナザリックを救います」


 そして彼は、百時間に一度しか使えないカードを切る。


The goal of allあらゆる生ある者の目指す life is deathところは死である


 そのスキルは、即死が無効なはずの相手でさえも即死魔法の餌食えじきとするためのもの。

 出現しようとする時計に、ペロロンチーノが目を見開く。


「モモンガさん、それは――っ!」

「苦しめずに一瞬で終わらせるにはこれしかありませんから。このくらいのわがままは許してください」


 そう言ってから、アインズは低い声で詠唱する。


心臓掌握グラスプ・ハート


 手のうちに、温もりがある。

 それを握りしめるとき、アインズは持たないはずの自らの心臓が潰れるような痛みを覚える。


 時計の針が動き始める。

 十二秒ののちに、ペロロンチーノは死ぬ。


 その、僅かな猶予ゆうよに。

 ペロロンチーノは弓を下ろし、頭を深く下げた。


「ナザリックを頼みます、モモンガさん」




 ……くずおれる親友の姿を、アインズは見つめていた。






















 すみません、ペロロンさん。

 俺は嘘つきなんですよ。


 あなたを殺すのは、たっちさんを油断させるため。

 俺があなたたちを殺す覚悟を決めたのだと、あのひとに思い込ませるためです。


 あなたを説得して、俺の側につかせることが出来るかもしれないとは思いました。

 でも、それはあまりに危険だった。

 あなたがどうあっても生き延びようと、俺を殺してでも生き延びようとしていたのなら、まだ共闘の線はあったんですけど。


 あなたはお人好しすぎたんです、ペロロンさん。

 はっきり言って足手まといになります。


 だってそうでしょう?

 あなたは、己が殺されるという前提でもなければ、自らが踏み台となる仕込みでもなければ、仲間に矢を向けられないんだから。


 もしもあなたが危機に陥れば、それがどんなに絶望的であれ、きっと俺は助けずにいられない。

 あなたがどんな優柔不断を発揮したとしても、やっぱりとっさの場合には守ろうとしてしまうでしょう。


 たっちさんはワールドチャンピオンのなかでも第三位、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』で最強を誇る存在です。

 どれくらい弱体化しているか知りませんが、それでもやっぱり危険きわまりない。


 守りながらじゃ、勝てないんです。

 正攻法じゃ厳しすぎる。


 だから、だますんです。

 俺は、あのひとを。

 俺を救ってくれた、俺を導いてくれた、なによりも俺の憧れだったあのひとを。


 俺はあなたたちを受け入れたい。

 そしてシモベたちも――シャルティアやアウラも、やっぱりそう望んでいる。

 マーレが眠りについていたことだって、夢を肯定して世界級ワールドアイテムを手放したんじゃないんですか?


 たっちさんと、ペロロンさん。その他は誰なんでしょうね。

 願わくば、残る三人がみんな生き延びることを選んでくれることを。

 夢に閉ざされた世界で、ずっといっしょにいることを望んでくれるといい。


 まあ……楽観はしませんけど。


 あとは俺がどうにかします。

 うまくやってみせますよ。


 俺はずるいですから。

 たっちさんにさえ最後まで気付かせずに、事が終わったあとにさえ悟らせずに、裏切りを成功させるのがベストですよね。

 だからこそ、俺にとっての最強のカードを先に使ったわけなんですけど。


 まあどうしようもなくなったら――

 ふつうにうしろから撃ちますけどね。

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