三、アクターゆえに

 宝物殿にて一人、パンドラズ・アクターは佇む。

 霊廟の前に立ち、両手に小さな箱を抱え、胸のあたりまで持ち上げている。恭しく差し出す時を待つように。


 バラのつたが絡まり、蝶がもがきながら絡め取られ、鳥が羽をもがれて地に伏せる――その箱に精巧に刻まれた模様は、現実にあった情景をつかみとって押し込めたような、生々しい迫力をもっている。

 金色の箱にはほかに色はなく、ただ浮き上がるさびの具合によって濃淡を描くだけだ。


 『ナイトメア・カーニバル』。

 もうずっと前に、るし★ふぁーによっていじられていたのを、パンドラズ・アクターは見ていた。











「僭越ながら! それはギルドの秘宝! 世界級でこそありませんが、二つとないレアアイテムです。どうかっ! この素晴らしいポーズに免じてご無体をおやめください!」


 るし★ふぁーに命じられるまま、モモンガに仕込まれたあれやこれやのポーズを披露しつつ、パンドラズ・アクターは懇願した。しかしるし★ふぁーは笑って取り合わなかった。


「えーと、次は? ……お、こんなのあるの? よしよし、じゃあドイツ語でしゃべらせよっと」


 るし★ふぁーが何事か呟く。パンドラズ・アクターはすぐさま敬礼を返し、


Wenn es meines我が神のお望 Gottes Willeみとあらば!」

「ぎゃはははははは! まじうける!」


 至高の御方は表情こそ常と変わらぬポーカーフェイスながら、声はすさまじい爆笑を発し、手でばんばんと宝物殿の床を叩いた。


 パンドラズ・アクターは憂慮のなかにも誇らしさが沸き上がるのを感じる。


 己の格好良さを、創造主よりこだわり抜かれた動きと台詞の数々を、多くの至高の御方々に見ていただきたい――それが彼の願いでもあった。


 見てほしい。見に来てほしい。後悔はさせないから。

 孤独にさいなまれるモモンガのもとに、戻って来てほしい。


 祈りのままに、彼は示した。

 己のもてるかぎりを尽くして、俳優アクターとして。

 たったひとりの舞台を、演じ続けた。


「アイテムに手を加えられるのでしたら、どうかモモンガ様が来られるのをお待ちください。不敬を承知でお願い申し上げます、どうか……あの御方の前に、そのお姿をお示しください。あの御方の許可がありましたら、私ももう何も申し上げません。いえ! いままでの非礼の数々をお詫びするためにもっ! 秘蔵のポーズを披露いたします! ですから、どうか……」


 懇願を続けながらも、ついつい気にかかるのは、るし★ふぁーがいじっている不気味な機械――目をこらしても妙にぼやけて見え、認識にうまくのらないそれだった。


 運営に察知されないよう構築された魔改造器具は、アイテムフェチの心をたくみにくすぐる。あれが『ナイトメア・カーニバル』を侵食していくのは分かるし、どうにか止めねばならないとも思うのだが、それがどのような効果をもたらすのかを見届けたい気持ちもある。


 『ナイトメア・カーニバル』が創造主にとって、心の支えになっているアイテムでなかったなら、パンドラズ・アクターもこうまで頑強にるし★ふぁーに意見したりはしなかっただろう。


「あ、やべ」

「ど、どうなさいましたか? なにか不具合が?」

「うわー壊れた」

「な、なんですって!?」

「あーあーやっべー。まじやっべー」

「ちょ、お、お待ちください、るし★ふ――」


 消えた。

 至高の御方は、忽然こつぜんと。


 残されたパンドラズ・アクターは、脱力感と無力感に膝をつき、軍帽をぐっと自分の頭に押さえつける。


 なんということだろう。

 せっかく、久しぶりに至高の御方が戻って来てくださったというのに。

 モモンガ様が来られるまで、引き留めておきたかったのに。


(申し訳、ありません……)


 観客を退屈させる役者に、価値はあるのだろうか。


 どうにか気力を振り絞り、『ナイトメア・カーニバル』を拾い上げる。

 ……ああ、たしかに壊れている。

 これではもう、使えない。





 それからどれくらいの時が経ったか、モモンガがやって来た。

 彼は無言で、凄まじい勢いで宝物殿に入ってきたかと思うと、大急ぎで『ナイトメア・カーニバル』を探し、手に取った。


 その両肩ががっくりと落ちるのを、パンドラズ・アクターは見ていた。

 彼は叱責を覚悟した。自害を命じられることも。

 けれど主は彼に何も言わなかった。彼を振り返ることもしなかった。


 そのことが、彼を不安にした。


(お声をかけてください、モモンガ様)


 祈りを口にすることさえ、恐ろしかった。

 もしかすると彼は――存在するということさえ、認めてもらえなくなったのだろうか。


 死ねと命じるその一手間さえ惜しむほどに、

 深く果てしなく、失望されたのだろうか。


 怖い。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。


 ああ、これが。

 他のNPCたちが感じていることなのだろうか。


 捨てられるという恐怖。


 いや、だが彼らはまだ、なんらかの事情で来られないのだと自分を偽る道が残されている。本当は心の片隅のどこか、創造主に愛されているかもしれないと、信じる道が。


 だが、自分のいまの状況は?


 モモンガ様。

 捨てないでください。

 私を見てください。

 ひとりにしないでください。

 私は。

 私は嫌われていますか。

 それでも構いません。どうか嫌悪の眼差しを私に向けてください。

 私は憎まれていますか。

 それでも構いません。どうか憎悪のお言葉を私にかけてください。


 どうか。

 私の存在を無かったことのようにして、殺すでもなく放置して、ひとりきりにすることだけは、しないでください。


 どうか――



『どうして俺を捨てたんですか』

『どうして俺を置いていくんですか』

『どうして誰も来てくれないんですか』

『どうしてこんな生殺しにするんですか』

『嫌いなら嫌いでいいですから』

『うざいならうざいでいいですから』

『もう二度と会いたくないんなら、はっきり言ってください』

『もう決してユグドラシルに来ないんなら、そう言ってください』

『何度期待させるんですか』

『どれだけ待たせるんですか』

『俺は』

『俺はあなたたちを――』



 痛みと苦しみと孤独のなかで。

 パンドラズ・アクターは、主が彼にかけた言葉の数々を反芻はんすうする。


 それはパンドラズ・アクターに向けられたものではない。

 創造主の言葉はいつも、彼を素通りする。

 その向こう側に、存在しない仲間たちを見つめて。





 目の前が真っ暗になったような心地のなかで。

 パンドラズ・アクターはずっと考えていた。

 この感情が、創造主の抱いていたものなのだろうかと。

 この闇こそが、創造主の胸を覆っていたものなのだろうかと。


 その考えは、束の間の幸せを彼に与える。

 どのような形であれ、創造主と接点を得られるということ。

 創造主と己を重ね合わせられるということ。





 もしかしたらこのときに、この感覚のうちに、

 絶望のなかできらめいた光のなかに、

 のちに起きる『ナイトメア・カーニバル』の悲劇は内包されていたのかもしれない。



 それがどんな孤独であれ。

 己が神と等しきものを得られるのならば、堪えられると。

 そう知ってしまったときに。

 ……パンドラがその箱を開けることは、決まっていたのかもしれない。







 もっともこのときの孤独は、さほど長く続いたわけではなかった。

 モモンガは数日して宝物殿にやって来て、いつものように命じたのだ。


 至高の存在の姿をとれ、と。


 言われるままに、言われた相手の姿を模しながら、パンドラズ・アクターは慎重に主の顔色をさぐった。

 骸骨の顔は表情が読めないところがあるが、しかしパンドラズ・アクターには不思議とモモンガの感情が汲み取れる気がした。造った者と造られた者の絆ゆえであればいいと、彼はひそかに思っている。


 モモンガの機嫌は悪くなさそうだった。

 すべてが元通りになったのだ。


 パンドラズ・アクターは深く安堵した。

 同時に、恥じ入りもした。

 我が神の孤独は、己が味わったものの何億倍であろうかと。

 

 そしていつものとおりに――

 モモンガは語る。楽しそうに。

 そこに本当に仲間がいるように。


 いつも、そうして。

 パンドラズ・アクターは、代わりをつとめる。

 彼自身に対して同じ喜びと親しみを向けることは決してない、創造主のために。



『たっちさん、聞いてくださいよ。この前、久しぶりに異形種がいじめられてんの見たんですよね。で、俺もたっちさんよろしく颯爽と助けたわけですよ。なのにその異形種の人、俺にびびって全力で逃げるんですよ! そりゃちょっと魔王ロール入ってたかもしれないですけど、どう見ても俺が正義の味方じゃないですか! 同じ異形種同士、分かり合えてもいいと思うんですけどね。たっちさんがあの場にいてくれたらなあ。俺もへんに誤解されずに済んだのに。だってほら、たっちさん見るからに正義の味方じゃないですか! 目に見える感じで。課金文字的な意味で』


『ウルベルトさんはずいぶん長く無課金で頑張りましたよね。俺たちの友情はあの同盟で大きく深まったと言えるでしょう。で、いまはというと……この前新しいガチャが出たんですよ! 俺のボーナス全部吹っ飛んだですけど! はずれアイテムの山がまた宝物殿に放り込まれてます、はい。あああああ俺も無課金だったころが懐かしい……』


『ペロロンチーノさんはぜひ、あの区域に行くべきですよ! 運営もけっこうぎりぎりなところ攻めてきましたからね。なんかもう年齢制限入らないところの限界きわっきわですよ、あれは。ほら、ペロロンさんいっつもぎりぎりで戦ってたじゃないですか、なにと戦ってんだって女性陣に突っ込まれて答えられなかったあれですよ、答えた瞬間にアク禁余裕な感じではありつつ、言葉にしなければぎりぎりセーフっていう』


『ようやく観れましたよ、タブラさんが言ってたホラー映画! いやあ、スプラッタで凶悪なホッケーマスクの怪人っていうからどんな化け物かと思ったら、くまのぬいぐるみがお友達でお母さん思いの子じゃないですか! いや化け物なんですけどね! なんであんなキュートな属性付与されてんですか。まあでもタブラさんが一押しだっていうのは分かりましたよ、すごく古い映画ですけどギャップ半端ないですもんね』


『今回はほんっとに死ぬかと思いましたよ、建御雷さん! 無茶は買ってでもしろっていう建御雷さんのスタンスは偉大ですよ。俺もいざってときはあなたのことを思い出して度胸を出してるところもありますからね。ご存知でした? 気負ってがちがちになりそうなときほど、建御雷さんの言葉って胸にしみるんですよ。よしやるぞ、って自然体で思えるんですよね。なんていうか、するっといい具合に肩の力が抜けて、でもしっかりやるぞって闘志は燃え上がってるっていうか』




 アクターである彼は、それぞれの至高の存在のように受け答えをする。

 だがそれは、果たして創造主を満足させていただろうか?


 たとえば彼が問いかけの形でなにかを言っても、創造主から答えが返ることはない。

 まるで独り言のように、独りだけでしゃべり続けているかのように、パンドラズ・アクターが何を言おうが言うまいが関係なしに、彼は語りかける。


 アクターとしての自分では、不足なのか。

 それともはじめから、至高の存在の代役など本当はだれにも務まらないということなのか。


 だが、彼は演じる。

 演じ続ける。

 偽り続ける。

 己を。己自身を。己の創造主を。己のなかの至高の存在たちを。


 彼は言う。至高の存在の姿で。

 今日はいっしょに冒険に行きますよ、と。

 行けるはずもないのに。


 これからはずっといっしょですから、と。

 戻ってくるあてもない至高の姿で、嘘を重ねる。




 パンドラズ・アクターは慣れすぎていたのかもしれない。

 創造主に嘘をつくということに。

 それが創造主のためだと信じられるかぎりにおいて。







「お許し下さい、アインズ様」


 いま、このとき。

 己が神を異なる名で呼ぶようになった、この世界で。

 

 彼の手には、『ナイトメア・カーニバル』があり、

 それはいまや、以前とは異なる効果を持っている。


 アインズに渡したリストで空欄にしておいたのは、本当は壊れていたからではなかった。それはたしかに機能するはずだ。商人スキルを持つ至高の御方、音改ねあらたの姿をとって行った鑑定に間違いはない。


 あえて真実を書かなかったのは、見極めるため。

 あの御方がいまもまだ、至高の存在と共に在ることを望んでいるのかどうかを。



 答えは明白だった。

 アイテムのひとつひとつを確認しながら、ふとした拍子にもらす含み笑いや、感嘆に似たため息や、つと宙に目を向け想いを巡らせるその一瞬の総体は、有り余るほどはっきりと、創造主の感情を告げていた。



 ならばやるべきことは決まった。


 これより為すは、ナザリックへの裏切り。

 世界征服という主の野望を踏みにじり、永劫の眠りへと誘う愚行。


 すでに手は打ってある。

 外に出ていたすべてのシモベたちは、いまこのときナザリックに戻った。

 アインズに化けて彼が命じたがゆえに。


 舞台の幕を開けるとしよう。

 創造主の孤独を、真に己の孤独とするために。

 創造主の孤独を、偽りにまみれた夢にうずめるために。


 そして彼は、災厄の箱を開ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る