たいじゅ

 暖週が終わると、"ぶちかわ"は松明を押し≪寒い方角≫へと転がり始めた。≪赤さ≫からの角度を調節し、体から遠い側ほど熱くなるようにしていたので、押す触腕は辛くなかった。重さも懸念していたほどではなく、盗人生活で体を鍛えていた"ぶちかわ"はかなりの速度で進むことができた。

 そのうえうれしい誤算もあった。寒さによって、食糧が傷む速度は明らかに減少していた。表面は堅くこわばっていたが、松明の火で炙ることで元の柔らかさを取り戻した。昔話に聞く『おいしさの精』は、暑さだけでなく寒さからも逃げるのだろう。彼はそう解釈した。


 ≪赤さ≫から離れるにつれて地殻の温度は減少し、辺りもだんだんと暗くなっていく。寒さの前には光すらも逃げ出すのかと、"ぶちかわ"は少し不安になってきた。しかし松明が功を奏し、遠赤外線のぼんやりとした明かりは先へ先へと進む気力を奮い立たせた。


 『それ』が見えてきたのは出発から一週も経ったころだった。丘陵とは違う高い物が多数林立し、行く手を阻んでいた。『それ』は細長く、地殻に突き刺さるようにして存在していた。青白い地肌はごわごわとしていたが、触れると微妙に体温を感じさせた――つまり、これらは生物だった!

 食糧にはまだ余裕があったが、帰り道のことも考えねばなるまい。"ぶちかわ"は思い切って食べてみることにした。体当たりを繰り返し、小さめの一本を苦労して伐り倒すと、肉より堅い芯の部分は脈動していた。"ぶちかわ"が一部を切り取り、口に入れるころにも、それはまだ生きているように感じられた。数週間留まり検証を続けてみたところ、『それ』は旨くはないが栄養があり、肉よりもはるかに長持ちするようだった。

「旨かァないってことは、やっぱり『おいしさ』は寒ィのが嫌いなようだ。そのかわり、焼肉と違って長持ちする。つまり『おいしさ』が居るもんはすぐ駄目になるということかなァ…」

 考える"ぶちかわ"に、小さなひらめきがひとつ降ってきた。持ってきた食糧は、寒さの中でこわばり、傷まなくなったではないか。

「そうかァ、もっと簡単な話じゃねェか。暑いは柔らかい、寒いは堅い。暑いは早い、寒いは遅い」

 "ぶちかわ"の整理はことわざとなり、やがて初等熱力学に発展していくのだが、それには相当長い年月を待たねばならない。

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