闇の賓客

あしもりのぞみ

第1話 夜烏

1 金時、荒れ野にて屍を見ること

 暗闇のなかを、早足で行く影があった。


 菅の笠を目深にかぶり、丸めた背には夜目にもそれとあきらかな、巨大な太刀をひと振り負っている。びしゃびしゃと足音が濡れた水の響きをさせるのは、数日来に降りつづいた雨が大地の腹におさまりきらず、あたりを一面の湿地帯に変えているからだ。


 数刻前までの篠つくような雨はようやくあがったものの、どんよりとした雲は依然低くたれこめたまま、夜空に墨染めの緞帳どんちょうをおろしている。見渡すかぎり、人家はおろか、人の踏みいった形跡すらない。


 もとより大路街道を遠く離れた、草深い荒れ野のただなかである。


 最初のしかばねを、街道筋から森ひとつへだてた、野のとば口あたりで見出だして以来、足音はかれこれ四半刻も同じ調子でつづいている。


 足もとのよい平地ひらちを行くのとはわけがちがう。ひと足を踏み出すのも、なかなかの難事業である。それでいて、男の息はごうも乱れてはいない。おどろくべき脚力であり、また体力であった。したたかぬかるんだ穴だらけの原野を、濡れて重い草に足をとられながら歩んでいるようには、とうていみえない。


 その――規則正しい足音が、ふいに止まった。


 踏みおろした足の裏に、それまでとはちがう異質な感触がある。わらじごしにもまがいようのない、いやな感触だ。


 菅笠の男はゆっくりと、左の手を、背負った太刀のほうにのばした。赤ん坊のようにまるまると太った指で、飾りけのない太刀のさやを、むんずとひっつかむ。


 小女の背丈ほどもある、巨大な太刀の寸法も、とうてい尋常ではないが、それをつかむ男の腕もまた、普通ではなかった。目を見はるほどに太く、そして長い腕である。


 常人の脚よりも、なお太く長いその腕は、それに見合うだけのたくましさをそなえた肩につづき、その肩は、さらに分厚く量感にあふれた、いわおのような胸板へとつらなっている。身の丈六尺七寸五分、ゆうに二メートルを超す偉丈夫であった。


 男はつかんだ太刀を、そのままさやごと左手に抱きなおすと、やつでのような右手をつかにかけ、鯉口を切った。さやとつばとのあいだから、わずかにのぞいた刀身が、冷え冷えとした殺気でもってあたりを睥睨へいげいする。


 太刀のこしらえは、お世辞にも上等といえるような代物ではない。およそこの世の人のために鍛えられたとは思われぬ、長大な得物は、ひたすらに骨を断ち、肉をぶったぎるための凶器として、いっそすべての装いをはぎとられているかのようでさえある。


 手脂のすべりをふせぐためでもあろうか、つかには血と汗とあかにまみれて、か黒く汚れた荒縄が巻かれていた。


 ぽたり――と、その荒縄に、男のあごの先から落ちた汗のしずくが、吸われて消えてしみをつくった。


 ふいに一面の草をなぎ倒しながら、男の行く手から激しい風が吹きよせた。


 と、同時に、天空はるかに頭上高く、雲間にのぞいた円月が、男の足もとを薄い光で白く照らし出す。


 すそをからげたばかまのなかから、毛むくじゃらの太いすねがぬっと突き出している。


 その足もとには、顔。――赤子の腹がけほどもある、大きなわらじ履きの足がしっかと踏みしめているのは、目を見ひらいた人の顔であった。


 近くの関の、下役人である。言葉をかわしたことはないが、里で何度か見かけたおぼえがある。むろん、とっくにこときれていた。草のあいだに倒れ伏した屍の、半面を泥水にひたした頭の上に、男の右足はのっているのである。


 六つ、と男は声に出さずに勘定した。野にわけいって、六つめの死骸である。

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