第2話 夢現 -3-

 我が家に来なくなった三人は、相撲を止めてしまったわけではない。

 寺留実じるみには相撲部がある高校が二つだけしかない。その中で元気と健太は偏差値の低い方へ進学した。二人とも脳筋という言葉がピッタリだと琥太とケビンが笑えば、馬鹿にされたことにも気付かずむしろ誇らしげにするような存在。らしいと言えばらしいと言える。

 一方、力で勝てなくとも、やり方はある。そんなことを小学生の頃から口癖のように言っている琥太とケビンは普段から馬が合うようで、しかも勉強もできる……というか、勉強ができる手合いだからこそ、馬が合っている部分もあるのだろう。二人は反対に偏差値の高い方に通い、勉強と部活を両立させている。夏休みで学校がない代わりに宿題に塗れる貫太の為に今年も勉強の面倒を見る約束が既についている様子だった。

 ちなみに相撲部としての実績は圧倒的に元気や健太の通う高校の方が上だ。全国区の生徒を何人も抱え、全国大会出場時には当然のようにホテル等が手配されて団体でまとまって行動する。二人がこの家に来なくなったのはそういう事情からだ。

「弱小相撲部だからね。部費も少ないからこうしてお世話になれるのはありがたい限りです。ありがとうございます」

 琥太がにこにこ顔で両親に向けて言うのを聞いている私は殺意、まではまぁ行かないのであるが、早く出て行けという気持ちと言葉を声に出さずに--元々出せないが手話や筆談器に書かずに、という意味合いで--伝えていたりする。


 そして残りのすばるは、というと。

「でも去年も言ったけどまさかスー兄ちゃんが中卒でプロの相撲取りになるとは思わなかったなー」

 しみじみと貫太が琥太に喋りかけ、

「うーん……。厳密にはプロじゃないんだよね。あいつもう十七になるのに未だ序ノ口序二段行き来してるレベルだし。給料ないんよ。鍛え方足りないよね。正直」

 目をつむり、少しだけ不機嫌そうに、顔をかきながら琥太が答える。

 中三の時に琥太は昴と一悶着ひともんちゃく起こしたらしく、それが解決したにも関わらず琥太はやっぱり昴のことになるとほんの少しだけだけれども、こうして不機嫌な顔をする。

 小学生の時は本当に五人とも仲良しで全国大会の度にこの家にやってきては貫太を弟分に六人組としてわんぱくぶりを発揮したものだったが、中学生になってからは急に昴がグレてしまい、相撲とも距離を取ってしまうようになった。

 琥太がそれをどうにかしようとして動こうとし、騒乱になることを恐れたケビンが異常なまでに気を利かすようになって、かなりピリピリした雰囲気が四人を包んでいた時期があった。

 結論を言えばケビンの努力も虚しく、受験直前のとある日にタバコを悪びれもせず吸っている昴と鉢合わせしてしまった琥太が完全にキレて昴を病院送りにしてしまい、四人とも進路の前途が危うくなるという事件にまで発展してしまったそうだ。

 しかし琥太の祖父母や昴の父親を始め周囲が色々と手を尽くしたのだろう。どんな方法を使ったかは知りたくないし知ろうとも思わないが、無事に進学組の四人は希望通りの進路を取ることとなった。

 その引き換えというか何というか。昴は琥太の祖父が親方を務める部屋に入門することとなった。どの道学校にも通わず落伍していたような奴で、卒業したらドカタかヤクザかみたいに噂されていたから、ついでに拾っておいてやるかという親方の親心だったそうだ。

 琥太は昴のこととなると決まって口にする。

「あいつさ、才能は絶対にあるんだよ。体も百九十二あるし。うちらの中で一番大きい訳よ。ほんっと。もっと徹底的に鍛えないとダメだね」

 私はこいつらの事情は知ってても相撲は知らない。興味もない。貫太が漢字の書き取りを必死に進行させている横で愚痴っているどデカい図体が昴に対し何を思っているのかも、別段深く理解しようとは思わない。ただ、ぎしぎしと音を立てて戻って来たケビンは、

「まぁあいつもあいつなりにやってんだから大丈夫だって。けどま、教習所でのやらかしはマジでらしいというか、ウケたよな」

 丸くなっていった為なのか、絶妙に空気を読もうとしては気苦労を抱えるようになり、琥太をキレさせないようにするのに随分と腐心するようになったと思う。

「琥太のキレ方ってもうあれだし。烈火っていう表現がピッタリなんだよ。もう俺あれ見たくないんよ。もうね。マジ殺されるって思うから」

 そんな風にケビンや昴を始めいろんな奴が表現する琥太の怒り方なのだが、私はその伝聞が信じられない。

「あぁ。そうそう。あいつブランク長かった癖に何か勘違いでも起こしたか昔みたいにやれるつもりで体動かして挙句怪我したんだよね。ウケるウケる」

 鼻で笑う琥太には少しだけの悪意が感じられる。それはケビンも、だ。

「「救急車ー! 救急車呼んでー!」」

 ハモった二人と、ハモったことにおかしさを感じた貫太が笑い転げるテーブルの上を見て、

「…………」

 無性に私は筆談器をそれぞれの頭に落としてやりたくなった。楽しげな話、楽しげな笑い声。そういうものが、何か自分に刺さるようで気持ち悪い。男同士のやり取りだ。それは少なくとも私の今日受け取ったアレとは違う。それは理解できても、どうしても気持ち悪いものは気持ち悪いのだ。

「……さぁて、九月場所に向けて頑張ってる奴がくしゃみをしたであろうところで。うちらも集中しましょう、か」

 私の呪うような、少なくとも素直に笑い話に乗れない目線を感じてか、空気読みのケビン、ではなく能天気な方の琥太が、言うのだった。

 琥太の何が信じられないのかと言えば、それは顔つきだ。頭の不出来な貫太に勉強を教える今でも、琥太はいつだって笑っている。にこにこと。へらへらと。

 いつだって笑っているんだ。私がいる側で、こいつがキツそうに、辛そうにしている様子なんて見たことがない。

 小学生になり、琥太達がこっちに来るようになってただの一度も、琥太が泣いた顔を見たことがない。

 泣いたことはあるらしい。五人組の中でケンカすることも珍しくはない。その結果、なんていうこともあるにはあったそうだ。

 その時私が何かの用事で、例えばピアノのコンクールとかで出かけているタイミングだったりしたこともあるにはあったが、どうやら違うらしい。琥太は私のいる所で泣かないようにしていて、そういう時には必死に隠れて泣いているらしかった。

 何の為にそういう風にしているのかわからない。尋ねたこともあるが、

「男の子は泣いちゃダメだからね!」

 得意気な顔をしてそんなことを答えるのみだ。いつだって笑っている。私の前で琥太は、いつだってにこにこと、へらへらと、笑っている。まるで唐変木だ。

 そんな琥太が、強い、と。怖い、と。そんな評価を受けることが私にはどうしても理解できずにいる。さっき筆談器でぶん殴った時も、あいつは私を呪う一言も発することなく、ごめんね。うるさかったね。と私に手話で返してくるだけだった。

 そういう風に、気遣うようにして笑い手指を振る周りが、琥太が、気に食わない。私は、そういうのを望んじゃいない。もう一発ぶん殴ってやりたいと思った。実際に私は筆談器を振り上げていた。でも、

「…………」

 それでも琥太は、多少びっくりしてはいたけれども、笑っていた。殴りたければ、殴ればいい。そんな無言の伝言を差し出すようにしてあいつが笑うから、私は結局その腕を下ろすしか、ないのだ。

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