第12話 海の中の町

 こんな夢を見た。


 頭上に、太陽の光をきらめかせている水面が見えている。近くには、色こそ地味なものの、大きなテーブル珊瑚が重なって、形の良い植木のように明るい海底に生えている。夏の日のプールの授業の、プールに入る前に頭からかぶる冷たいシャワーを浴びたときのように、スイミング帽でまとめられた髪の間に、冷えた水が浸透していくのがわかった。水中で服を着たままなので、動くたびに吹くが重くまとわりついて来るものの、浮かび上がることなく、穏やかな海底を歩けている。少しだけ、自分の体重を軽く感じている。

 普段着に、スイミング帽といういでたちだが、気にしない。

 エプロンをなびかせて、恰幅の良い中年の女性が、手に畳んだ袋を持って歩いてくるのが見えた。海底は、ところどころ珊瑚が砕けた砂に埋もれているものの、古い住宅街が広がっている。遠くにかすんで電信柱が見え、電信柱からつらなる電線を目で辿っていると、テーブル珊瑚の上に、小さな鮫が休んでいるのを見つけた。猫のような黄色の目をしていて、先ほどのおばさんに頭を撫でてもらったあと大きなアクビをした。


 「昨日はひどい嵐だったねぇ」


 おばさんがそう声をかけてきた。

 そうだった。

 昨晩はひどい嵐で、家の雨戸が海流で飛ばされるかと思ったんだ。私の家は、オレンジ色の屋根の木造の平屋で、屋根の上には衛生アンテナがついている。昨日の海流のせいだろうか、まっすぐだったはずのアンテナが、少しだけ斜めになっていた。


 「いいお水が汲めそうね」


 おばさんがそういって笑う。

 雨がよく降った日は、陸からたくさんの栄養を含んだ真水が、近く河口から流れ込んでくる。私たちは、大雨なんかのあと、この栄養のある真水を求めて、各々がバケツやらビニール袋やらもって、汲みにいくのだ。私の手には、いつの間にか、大判のビニール袋が握られていた。おばさんと一緒に、河口に向かった。

 コンクリートに、横線を入れて滑り止めにしているような、細い路地の道を進み、道が平らになってきたところから、民家が途切れてきた。このあたりはもう砂地の海底で、まばらな民家は主がいないのか、半ば砂の中に埋もれているものばかりだ。

 やがて、開けたところに出た、赤い布を縛り付けられた竹の竿が一本、砂地の海底にたてられている。布は大きく真横になびいていた。


 「あらー、思っているより水流が強いみたいよ。」


 そういうと、おばちゃんは、近くに積み重なっている流木から、出来るだけ長いものを拾ってきて、持参したビニール袋をくくりつけた。


 「棒はあとから貸してあげるから、ちょっと待っててね」


 そういうとおばちゃんは、先端にビニール袋をとりつけた棒を、体の前に突き出していく。赤い布が縛り付けられている竹を目掛けて、強く水が押し寄せているのが、なんとなく見えた。水の流れている方向をみると、海底が丸く水流でえぐられて、独特の地形をしている。おばちゃんが、横殴りの水流の中に、ビニール袋つきの棒を入れた瞬間、おばちゃんの体が水中に浮いた。どうやら、水流の力に負けて体が浮き上がってしまったようだ。咄嗟におばちゃんの脚を掴んで、海底に引き戻す。


 「あらーー!!危なかったわ!ありがとう!!」


 おばちゃんはそういいながらも、しっかりと真水が汲めたらしく。素早くビニール袋の口を結んで閉じている。そして、アタシが支えてあげるから、あんたも水を汲みなさいと言ってくれた。おばちゃんと同じように、棒に先にビニール袋をくくりつけて、水流の中に突っ込む。すごい力で持っていかれそうになるが、おばちゃんもすごい力で私が抑え込んでくれて、なんとか真水を得ることができた。

 水流の一番良いところが汲める長さの流木。

 きっと、私たちの後から来た人も使うだろうからと、そこに突き刺しておいた。そして、今日は特に水流が強いから注意!ということで、「キケン」という文字を、流木で海底に書いておく。

 実のところ、水流の流されたところで何の問題もない。ちょっと遠くへ流されて、家まで戻るのが面倒なだけだ。ただ、谷に落ちると戻るのが本当に面倒になるし、それこそ、危ない魚が多くなる。出来るだけ流されないようにしなきゃいけないのは、確かだった。


 おばちゃんと談笑しながら帰っていると、さきほど通ってきた、開けた砂地に変わった形の石が落ちていることに気がついた。おばちゃんも気づいたらしく、二人して見に行く。

 それは、人の骨だった。昨晩の嵐でここまで流されてきたのだろうか、水流にもう流されまいとして、かすかに海底に筋を描いて留まっている。その細い形から、女性のものだと思った。頭蓋骨も顎の骨を失くして、寂しそうに水面を見上げたまま転がっている。


 「あら…若いのに、可哀想に…」


 二人で手分けし、散らばっていた骨を出来るだけ集めてあげた。見える範囲を全部集めたものの、全身の骨格には到底及ばない数だ。おばちゃんはエプロンを、私はスカートの前を広げて、その上に骨を乗せ、トロール船が通る場所まで持って行く。

 底引き網の船が通る場所は決まっていて、そこの砂地には、いくつもの深いわだちができていた。流れ着いた陸のものでも、陸に帰りたがっている彼らは、この底引き網が通る場所に移動してあげるのが、水中で暮らすもののルールだ。

 一番早くに低引にくる船が通るポイントへ、誰かの骨を並べておいておく。おばちゃんと一緒に手を合わせ、成仏を願って立ち去った。


 「それじゃあね」


 おばちゃんとわかれて、私は自宅の屋根を見上げる。曲がったアンテナを元に戻さないと、陸からの電波が拾えずに、テレビが見られない。おばちゃんは、テーブル珊瑚の上で転がっている鮫に「アンタは今日からうちの子だからね」と言いながら、鮫を小脇に抱えて去っていった。そうだ、汲んだ真水は、珊瑚にあげないとね。

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