第6話 六角堂

 こんな夢を見た。


 村人たちが集まっている。貧しい農村なのか、みんなつぎはぎについた着物を着て、手足は太くて頑丈そうなのに、顔は肉があまりついておらずに貧相だ。私も同じように、爪の先に土がつまったような小汚さで、村のはずれにある、お堂の前に来ていた。

 お堂は六角形の形をしている。

 村の家々はヒビが入った土壁に、藁葺屋根なのに、このお堂は手入れもなしに漆喰の壁はいつも白く、黒い瓦の間からも雑草ひとつ生えることがなかった。お堂は大体がありがたいものであるはずなのに、このお堂はみんなから不気味がられていたので、誰も好んで近くに寄らない。なのに、今日は村中の人々がお堂の前に集まって、ざわついているのだ。

 しばらくすると、男が悲鳴をあげながら、お堂の扉から転がり出てきた。お堂の扉は檜の観音開きで、閂がもうけられているが、棒がない。いつも誰もが入れるようになっているが、大雨がこようが大風が吹こうが、誰もここに逃げ込むものはいなかった。なのに、何故、この男はお堂の中に入り込んだんだろうか。

 村人たちの足下まで這って戻って来た男を、誰かが掴んで立ち上がらせた。


 「どうだった?何があった?」

 「なんもねぇ!だけど、怖えぇ!!」


 お堂から転がり出てきた男は体中汗が吹き出ていて、ガタガタ震えている。お堂には格子窓がいくつかついているようだが、風が入り込まないようにするためか、格子の間に戸板がぴったりと閉じられていて、きっとお堂の中は真っ暗だ。


 「戸板の間からすこしばかり陽が入ってるんだが、なんねもぇ。」

 「でも、怖えぇ!なんかが迫ってくるみてぇな!!」


 男は興奮しながらそういうと、ここには居られねぇ!といって、バタバタと自分の家に帰って行った。集まっていた村人たちが、不思議だ不思議だとざわついて、やがてまた1人の男が、「俺が行く」といい、勇んでお堂の扉に近付いていく。ゆっくりと軒にあがり、扉越しに耳をすまして中の様子を伺ったあと、意を決したように勢いよく扉を開け、すり足でお堂の中に入っていく。やがて、お堂の中ほどまで男が進んだあと、扉は自然にぱたんと閉まった。

 村人たちが、首だけ前に突き出して固唾を飲む。

 ああ、そうか、こいつら娯楽がないもんだから、とうとうここで度胸試しをしはじめたんだ。そう理解して、呆れた頃に、先ほどお堂へ入った男が、悲鳴をあげながら転がり出てきた。やっぱり、お堂の中は何もないが、何か恐怖の塊のようなものか迫ってきて、いてもたってもいられなくなるらしい。誰が始めた分からないが、この肝試しは心底下らないと感じた。

 集まっている村人は比較的年が若い。寒村で周囲に何もないもんだから、刺激的なことをこのお堂に求めている。これを注意する老齢の者はいないのかとあたりを見回すと、あぜ道の向こう側から、顔を真っ赤にした老人が歩いてきているのが見えた。ひどく腹を据えかねているのがわかったので、素早く村人たちの集まりから離れる。


 老人は集まっている村人を怒鳴りつけて、蹴散らしはじめた。そんな老人に負け時と、お堂の由縁を聞き出そうとする者もいたが、一喝されてふてくされている。村人たちが冷めて、お堂から離れ始めたとき、お堂の扉が薄っすらと自然に開いた。一同の動きがとまり、皆、視線だけで扉のほうを見やる。

 薄く開いた扉の奥に、ぼんやりと差し込む陽の光を反射するものが落ちているのがみえる。それを見た老人が、「村の誰かがお堂の中に落し物をしている」とまた怒りはじめる。皆、そんなものは持っていないと反論するが、老人は誰かがあれをお堂から取って来いと言い出した。

 この寒村はみんなが平等に貧しく、陽の光を反射するような、そんな高価そうなものは持ってなどいないはず。私が見るに、あの光を反射しているものは、女の櫛のように見えた。ならば、ますます、誰のものでもないはずだ。あんなに磨かれた、美しい櫛など…。

 誰かが私のほうを向いて、「オメェ、取ってこいよ」と言い出した。なんで私が!とものすごくキレて反論したが、老人がとても穏やかな顔をしながら、「お前だったらいいじゃろ」など言い出してしまい、何故か私がお堂に入ることになってしまった。

 お堂に入って、櫛を取ってくる。

 別に怖くなどない、今は、理不尽な扱いを受けたことへの怒りのほうが強く、櫛をとってきた日にゃ、私を名指しした奴の顔面を助走をつけてぶん殴ろうと決めた。


 お堂の軒にあがり、扉を勢い良く開く。確か、体が全部中に入ったら、自然と扉が閉まっていたような気がする。なんとなく、閉じ込められるような、そんな気がして嫌がったので、足を軒に置いたまま、寝そべる形でお堂に身を入れた。なんとも情けない格好になるが、無関係の私を突然名指しして、お堂の中に入るよう強要する連中が外にいるのに、それを信用して、体全部をお堂に入れるわけにはいかなかった。閂をかけられたら、ことだ。もう、村全部が嫌いになっていた。

 腕を伸ばすと、指先になめらかな櫛が当たった。もう少しで届くのに、絶妙な距離感でなかなか櫛が手に届かない。1度やめて、冷静にあぜ道から大きめの石を持って来て、お堂の扉に噛ませた。村人たちは一部始終を黙って見守っているが、私の行動にハラハラするというよりは、私が静かに怒りをたぎらせている方が気になって困惑しているようだった。もう、全員ぶん殴るつもりで、再びお堂へと身を這わせる。

 扉に石をかませているので、全身か入っても扉は閉まらなかった。櫛を握った瞬間、凄まじい恐怖がお堂の全体から迫ってくるのを感じた。何がいるわけでもない。恐怖に包み込まれるとは、まさにこれだというほどに、とても怖い何かが全身をとりこんでいく。汗が噴出してくる。

 ここでふと気がついた。

 表側は六角なのに、お堂の中は四角だ。角が四つしかない。それにもうひとつ、とても大切なことに気がついた。上だ。今の今まで、この強い恐怖心は、お堂全部から迫っているように感じていたが、本当は、自分の真上から、じわじわと何かが来ている。きっとみんな、どこから恐怖が来ているのかわからないまま、お堂から転がり出てきていたはず、上を見ようとしなかったんだろう。

 ごりっと鈍い音がなった。

 扉にかませているはずの石ごと、扉が閉まり始めている。櫛を掴むために身をかがめていたが、今直立すると、頭の先に上から来る何かに当たりそうだし、体勢を持ち上げている間に、扉が閉まってしまいそうだった。咄嗟に姿勢を低くしたまま、扉に飛びつくようにしてお堂から転がり出る。

 お堂の扉はまた勢いよく開け放たれ、私は軒を飛び越えて、見守る村人の間近に着地した。と、背後で、何かが「ととん」と降り立つ音が聞こえた。その瞬間、お堂のほうを見ていた村人たちが、ギャッと短い悲鳴を上げたあと、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。私が振り返るより早く、お堂の扉はめいいっぱいの力でバタンと閉められた。


 老人を見れば、ぽかんと口を開けたまま、放心している。

 やがてお堂の扉が内側から激しく叩かれ始めた。扉には閂はかかっていないが、破られんばかりの力で内側から扉が叩かれているのに、ビクともしない。やがて、女の恨めしそうな声と、お堂の中を歩き回る衣擦れの音が聞こえてくるようになった。

 私の手には、使い込まれ飴色になった拓植の櫛がある。お堂に近付くのがいやで、軒へ櫛を投げてやると、櫛が軒に落ちる音と共に、お堂の中から聞こえる女のすすり泣く声が止み、びったりと閉まっていた扉が薄く開いたかと思うと、まるで吸い込まれるようにして、軒に落ちていた櫛がお堂の中に消えていった。

 しばらくすると、またお堂の扉が薄く開き、差し込んだ光がお堂の中を一筋照らすものの、何もない。放心してる老人の手をひいて村へ戻る。道すがら、老人に、何を見たのかと尋ねたが、要領を得なかった。村に戻ると逃げ出した村人たちが、狼狽しながら畑の脇をうろうろしている。その一人ひとりの横面を張り倒しながら、お堂で何をみたのか聞き込みをしていった。


 「天井から女が降りてきた。」

 「長い髪の見たこともない立派な着物の女が来た。」


 村人たちを殴りながら聞き込んだ結果、天井から強烈な恐怖心を煽りながら現れてたのは、とても古い時代の貴族の女だったらしい。だからなんだ、お堂は一体なんの由来であそこにある。村人たちを一通り張り倒した後、私の怒りは何故かお堂の女に向けられていた。意味のわからんことに巻き込みやがって、という気持ちだ。

 正体見たり枯れ尾花。

 お堂はやがて、自然に経年劣化をしはじめ、誰も手入れしないまま自然の一部に帰って行った。老人はこの年に病で死んだ。

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