終章 『それは約束であり契約だ』

『契約』

 土曜日の朝の直前。日が昇る少し前、輝の部屋のドアが叩かれた。

 昨夜の騒動のこともあり、輝はかなり遅くまで眠っているつもりだったのだが、その音に反応して目が覚める。

「輝さん、起きてもらえますか?」

 ドアの向こうから、ロロンのそんな声が聞こえた。

 なにか不満をぶつけてやろうと思ったが、その声の真剣さ、そしてどこか漂う寂しげな雰囲気に、そんなことも言えなくなる。

「なにか、あったのか?」

 かろうじて扉の向こうに伝わるくらいの声で、輝はただそれだけを尋ねた。

 聞こえたのか、聞こえていないのか、ロロンからは反応が返ってこない。

 輝はしばらく答えを待つ。

 朝の前の静かな世界。沈黙のまま時間が流れていく。

「実は、ですね……」

 どれくらい過ぎた頃だろうか。ゆっくりとした口調で、扉の向こうから再び言葉が聞こえた。

「昨日の晩の騒動のこともありまして、ちょっと私の後継者としての資質が問題視されているんです。それで、センナと私はしばらく監察対象になりました……」

「そうか……」

 監察対象がどういう扱いを受けるのか、輝には見当も付かない。しかし、あまり気分のいい扱いではないだろう。

 だが、ロロンのこの態度から考えて、おそらく問題はそれだけではない。

 しかし、それは輝から切り出すべきではないと感じている。

「ああ、そうだ、センナの件はもう大丈夫です。既に原型を取り戻して、先に魔界に戻っていきました。心配はいりませんよ」

 そんな自分の感情をコントロールしようとしてか、ロロンはまったく関係ない話をはじめる。

「ならよかった。もしまた会うことがあったら、すまなかったと伝えておいてくれ」

「はい……」

 再び言葉が途切れる。

 だが、もはやロロンには沈黙に耐えられるだけの時間は残っていないようだった。

「輝さん」

 すぐにそう声がする。

 その声を最後の場所へと導くべく、輝も静かに応じる。

「で、どうなるんだ、監察対象になると」

「はい、申し訳ないんですが、輝さんの報告官の役割はおしまいになりそうです。一方的な話ですいません……」

 それはあまりにも唐突な結末で、ロロン自身もいまだ納得も整理もできずにいるようで、それを告げる声が震えていた。

 輝も黙ってそれを聞き、先ほどのロロンの言葉の意味を何度も何度も頭の中で考えてみる。

 だが出てくる答えは一つだけだ。

 ロロンは、自分の元を去り、道崎輝はまた以前のようないつもの日常に戻る。

 そういうことなのだ。

「まあ、そういうこともあるさ」

 考えて考えて、結局ぼんやりとした言葉が口を出た。

 それはロロンに言ったのか、それとも自分に言い聞かせたのか。

 輝自身、その答えを見つけることはしなかった。

「それで最後に無理を言ってお別れだけ伝えようと思ったんですが……。でも駄目ですね。私にはもう、このドアが開けられません」

「そうか……」

 それを聞いて、輝は立ち上がる。

 そして大股でドアに向かい、ロロンが開けられないと言ったドアを無造作に開いてみせた。

「輝、さん……?」

 ドアはあっさり開き、その向こうには目を腫らしたロロンが立っていた。

 だがその身体は、昨晩のセンナのように半透明だ。いや、既にほぼ消えかけていると言ってもいい。

 それでも、その顔はまだ輝の目に映る。感情が混ざり合って崩れ、驚きだけが残った表情が輝にもわかる。

「なに、俺にならドアを開けることくらい、なんということもないさ」

 ロロンに見せ付けるように、輝は、ただハッキリと、思いっきり笑ってみせた。

 自分にできうる最高の笑顔を作ってみせた。

 もうすぐ夜が明ける。おそらくそれがタイムリミットのはずだ。

 それを感じて、輝は、最後の最後に自分から口を開いた。

「お前がどう思っていようと、俺はお前に感謝しているし、それはいつまでも変わらない。確かに、こんな形で志半ばでお前と別れることになるのは無念極まりないが、それでも、俺の経験した日々は消えない。それは絶対であり、確実だ」

 笑顔のままロロンの顔を見て、輝は自らの想いを告げた。

 世界は変容した。それは間違いなくロロンが変えた。

 輝はそれだけは、どうしても直接伝えたかったのだ。

「そう言ってもらえると幸いです」

 日が昇りはじめ、ロロンの姿が言葉と共に消えていく。

「それでは、さようなら、輝さん。本当に短い間でしたが、たのしかったです……」

 そしてただ最後にそう言い残し、ロロンの姿は完全に消失した。


 未だ週休二日制が生きる輝たちの学校に感謝しつつ昼頃まで横になったあと、輝は祐希を誘い、近所の喫茶店でロロンについての顛末を話した。

 家にいるとロロンのことを思い出してしまいそうで、輝はあえて、外に出て話がしたかったのだ。

「なるほど、ね……」

 祐希のほうも、その話を聞いてどこか感慨深そうにつぶやいた。

「ということは、私も普通の人生に戻るということになるのかしら」

「かもしれないな……」

 祐希はぼんやりと手のひらを見つめ、指を開け閉めをしている。

 元々、祐希の勇者としての能力はロロンたちの魔力に反応するタイプである。ロロンたちが去った今では、力もまた使えなくなったのだろう。

 そしてふと思い出したかのように拳を強く握り締め、やがて、小さく笑った。

「まあでも、そこそこは楽しかったわ。そこそこよ、そこそこ、あくまでそこそこだからね」

 必死にそう言ってなにかを否定しようとする祐希を、輝は少しだけうらやましいと思ったが、小さく首を振ってそれを打ち消した。

 自分もまた、ロロンとの時間で常識を超えた体験をしたのだ。いまさら、祐希の勇者振りをうらやむ必要などあるだろうか。

「なんというか、夢のような日々だったな……」

「夢ねえ……。まあ、あなたの妄想はともかく、ロロンとはもう少し仲良くなりたかったわね。なーんか私も、勇者としての使命とかそんなのに振り回されてたし」

 しみじみとそう語る祐希を見て、輝は、報告官としてではなく、一人の少年として、ロロンという人物ががいなくなったことをようやく実感した。

 考えてみれば、学校案内もろくにできないままの別れになってしまったのだ。

「俺も、もう少しロロンと仲良くすればよかったな……」

 そして輝は、ただ一粒だけ涙を流した。


 そんな風にして祐希といくつかロロンの思い出を語り合った後、輝は意を決して家へと帰ってきた。

 その家の中の静かさに、ロロンの存在はまるでひとときの夢でしかなかったかのようにさえ思えてくる。

 そのまま自分の部屋へと戻り、ぼんやりと気持ちを整理する。

 世界の変容は確かに起こったはずだ。

 だが、変わってみても結局は元通りだ。

 大きな変化といえば、せいぜい、銅像がなくなったことくらいだろうか。

 この家もなにも変わっていないし、輝の日常も、またこの部屋を中心にしたものに戻っていくことだろう。

「ロロンと話すときは、大抵は居間だったな」

 そう考えたとき、突如、なにかを思い出したかのように輝の心に一つの棘が刺さってきた。

 じわじわと輝を責め立てる鋭い棘。

 それは感傷などではなく、なにかが、心の奥で訴え続けているようだった。

 記憶が逆流する。ロロンとの別れと、それ以前について。

 そして一つの言葉が浮かび上がる。

『それは約束であり契約だ』

「そうだ、報告書!」

 棘がはじけ飛び、輝は全てを思い出した。

 慌てて一人になった家の中を駆け、居間の机を確認しにいく。

 輝は朝からそこを無意識のうちに避けていた。

 あそこはロロンとの思い出が濃すぎるのだ。

 もちろん今もロロンがいるわけは無い。

 だが、輝が置いたわけではない、輝がなんら関与していないものが、その机の上に存在していた。

「あった! やはりあった!」

 そこには丁寧に、一枚の紙と一枚の封筒が置かれていた。

 机の縁と平行に置かれたそれらから、置いた人物のきっちりとした性格がにじみ出ているかのようだ。

 輝は慎重に、それらを手にとってみる。

 いつもの紙だけでなく、封筒からも人ならざるものの力を感じる。

 これらは間違いなく、魔界の報告書を書くべき紙と、それを魔界へと届けるための封筒だろう。

 ククスは約束を果たしたのである。

 いまやロロンはいないというのに。

 そこに思い至って、輝は、夢の時点から感じていたある小さな違和感の正体に気が付いた。

 この封筒だ。

 これまでの報告書はロロンに渡せば終わりだったので、わざわざ輝が魔界に届くようにする必要など無かったのだ。

 しかし今回は、きっちりと封筒まで用意してある。

 ロロンを失った輝でも、この報告書を魔界のククスの元にまで届ける手段がある。

 昨晩の時点で、ククスは封筒も用意すると言っていた。

 ではククスは最初から、ロロンがこうなることを見越していたのだろうか。

 もしそうならば、この報告書に込められた意味合いも変わってくる。

 そして、ククスが輝になにを期待したのかも。

「俺は、契約を遂行し、俺にかけられた期待にこたえる義務があるわけだ」

 ロロンのいない居間で、輝は一人報告書を書き始めた。


--------------------------------------


 ロロン・マドルーナ・ヴァラークンと

センナ・アヴィンド・ヴァラークンの後継者争いとその顛末について。

 報告官 道崎輝


 今回の事の起こりは、ロロンと同じく後継者候補の一人であるセンナ・アヴィンド・ヴァラークンによる、当報告官の引き抜き工作であった。

 それに対してロロンが起こした行動は、実力を持ってそれを阻止するというものである。実力的には拮抗状態であったが、もちろん、ロロン側に他の手を用意しないたわけがない。

 ロロンの元に援軍として現れたのは、これまでに何度かロロンの妨害をした勇者である。

 彼女自身はロロンに協力するつもりではなかったのだが、センナの暴挙に耐えかねてセンナと戦うことを選んだのである。もちろん、そうなること事態、ロロン側によって仕組まれたことである。

 しかし、自分が不利になるとセンナは暴走を始めてしまい、世界そのものに危機を及ぼす恐れが生じてしまう。

 しかしロロンは勇者、そして当報告官の力を使い、センナをただ倒すだけでなく、力の差を見せ付けてなおかつ説得することを選んだのである。

 そしてその試みを成功させ、センナの撃退と説得に成功。

 あまつさえ、体力の尽きたセンナを自らの部屋へと回収し、その治療をも行ったのである。

 これこそが、ロロンの後継者としての自覚と風格の現われであり、ロロンの寛大さを示すエピソードといえるだろう。

 もしそのことが理解できず、ロロンの軽薄さを問題としているようなら、それはあまりにも浅はかな物の見方と言わざるを得ない。


 今こそあらためて、ロロン・マドルーナ・ヴァラークンの器の大きさを考え直すべきなのである。


--------------------------------------


 全てを終え、もう一度眠っていた輝の耳に届いたのは、懐かしくも騒々しい声だった。

 だが、それはロロンのものではない。

「おう輝、帰ってきたぞ」

「ただいま、輝ちゃん」

 突如、輝の両親が出張から戻ってきたのである。

 なんの連絡も受けていなかった輝には青天の霹靂で、思わず確認のために父親の携帯電話へと電話をかけたくらいだった。

 もちろんその電話によって、目の前の人物の携帯電話が鳴らされたのだが。

「いや、なんでまた、こんな突然帰ってきたんだよ」

「それが父さんの昔からの知り合いに重要な用件を頼まれてな。そちらを優先することになったから、こうして帰ってきたのだ」

「また輝ちゃんと一緒に暮らせるなんて、母さん感激よ」

「いや待て、そんな簡単に重要な用件を頼まれて帰ってきたっていうが、仕事はどうしたんだ! 仕事は!」

 そういう話を聞くとポーンと仕事を辞めてしまそうな雰囲気のある父である。輝はそれが心配でならない。

「大丈夫だ、案ずるな輝よ。なにしろその昔からの知り合いは今の会社の人だからな。ま、いうならば配置転換みたいなものだな、はははは」

 気軽にそう言って笑う父の姿に、輝は思わず脱力する。

 この父も相当ないい加減さだが、それで出張を急遽変更する会社も会社である。

 とはいえ、勝手に居候をしていたロロンとは間一髪のですれ違いになったことを考えると、輝は引きつった笑いしか出てこない。

 いなくなっていきなりこんな状況になるとは思いもよらなかったが、その奇跡的な紙一重には感謝するばかりだ。

 おそらくこの両親はロロンに関して固いことは言わないが、余計なことを言って事態を引っ掻き回すのは間違いない。

「それでだな、輝よ。しばらくの間、この家に一人居候が増えることになった。歳はお前と同い年だ。超美人だからな。変な気を起こすなよ。俺のクビに関わる」

 父は笑っていたが、そのひとことに、輝はなにか嫌な予感を覚える。

「とりあえず、父さんたちは荷物の整理をしているから、迎えに行ってきてくれないか? いきなり住宅街に来てもわからないだろうと思ってな、待ち合わせ場所は近所の公園にしてある。なーに、見れば一発でわかるさ」

 さらに、嫌な予感は加速する。

 それでも、輝は父親の言葉に従い公園に向かう。

 あの少女と出会った公園。日常の変革した場所。

 そして輝は、滑り台の上で空を見る少女と出会った。

「ほら、見てください輝さん、今夜も月が綺麗ですよ」

 ロロンは、そこにいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔界姫のためのプロデュース報告書 シャル青井 @aotetsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ