第55話 55 遊びはここで終わりにしようぜ

 現れたのは、優希だった。

 いつも間にか回り込んでいた優希が、霜山の背後に忍び足で近付いていた。

 霜山の意識は今、眼前の玲次に全て持っていかれている。

 無謀な大技じゃなくて、銃を叩き落すとかそういうので頼む――

 祈るしかできない晃は、ゆっくりと移動する優希を目で追う。


「全員分の弾はねぇんだろ? いや、もしかしてもう空か? さっきまでのボスキャラ感はドコ行ったよ? 撃てよデブ。何で撃たねぇんだ。この距離で外すのが怖ぇかブタ? 一発で仕留められなかったら困るの? ポークのフリしてチキンなの?」

「ぺぶっ――わかった。死ね」


 恐怖心がどこかに飛んでいるのか、煽り放題に煽りながら二歩三歩と距離を詰めていく玲次に、血と唾の混合物を吐き棄てた霜山は改めて狙いを定める。

 霜山の注意を分散させようと、晃はギクシャクした動きで玲次の右側へと回る。

 それと同時に、優希が忍び足から駆け足へと挙動を変化させた。


「ふぁああああああああっ、なぁあああああああっ!」

「なんっ――」

 

 裏返った叫び声を耳にして反射的に振り向いた霜山に、背中を丸めた優希が肩から衝突する。

 かなりの体格差や体重差があっても、スピードの乗った体当たりの不意打ちだ。

 当然ながら霜山はバランスを崩し、優希と一緒に地面に転がる。

 優希とタイミングを合わせられなかった玲次は、数拍遅れて走り出した。

 

「んげぁばばばばばばばばば」


 女子にあるまじき奇声が、倒れたままの優希から上がる。

 晃のいる場所からは暗くてよく見えない。

 どうやら反応からして、テーザーガンを打ち込まれたようだ。

 発砲しない、ということは銃を取り落としたのか、或いは弾切れだったのか。

 どちらにせよ、銃は使えずテーザーガンは優希に向けられている。


 ここ、だ。

 ここで霜山を仕留められないと、終わる。

 全員が死ぬ――殺される。

 晃と同じ判断をしたらしく、玲次は身を起こそうとしている霜山にしかかる。


「終わりだっ、ボケェ!」

「びぃあ――のぐぉおおおおお、おぉおおおっ! おおおぅおうおうおうっ!」


 マウントを取られた霜山から、完全に余裕を失った悲鳴が轟いた。

 玲次は顔を殴り付けるのではなく、霜山の目を抉ったようだ。

 両足をバタつかせる霜山に覆い被さった玲次は、パンチやパウンドを叩き込むのではなく、無駄に肉のついた首を絞めて体重を乗せている。


「死ぃいいいいいいっ、ねぇえええええええええええええええっ!」

「ごがっ――ぼぅるべるぁ――」


 喚き声と呻き声が無秩序に混ざるのを聞きながら、晃は電流を流され続けている様子の優希を助けようと、飽和ほうわ寸前の痛みに喘ぎながら右足を引きずって進む。

 機械自体は霜山の手から離れていたが、スイッチが入りっ放しになって戻らなくなっているようだ。

 暗くて手元がよく見えなかったが、晃は勘で弄り回して電流を停め、テーザーガンを投げ捨てた。


「優希、さん……大丈夫か」

「あっは、へうぅ……た、多分、だよね?」


 針を抜いた晃が弱々しく問うと、混乱気味な優希の答えが返ってくる。

 通電の衝撃が残っているようだが、怪我らしい怪我はしていない。

 あとは玲次が霜山を絞め落とすか絞め殺すかすれば、全ては終了だ。

 何だかんだで自分が一番重傷じゃないのか――と思いながら晃が玲次の状況を窺おうとした瞬間。


 バンッ


 ――と、すっかり耳慣れてしまった非日常的な音が響き渡る。

 銃声。

 そんな馬鹿な、と思いつつ晃は目を凝らす。


「おぅう? ぅあ、あ……?」


 何が起きたかわからない、と言いたげな表情で腹を押さえて呻く玲次が跳ね除けられ、小型の銃を手にした霜山がゆらりと起き上がった。

 佳織から受けたダメージが表出してきたのか、顔面全体が腫れているようだ。

 右目が完全に塞がり、粘度の高そうな赤色が垂れ流しになっている。

 眼球が破裂しているかは不確かだが、視力は奪えたらしい。


 霜山の呼吸はひたすら荒く、一息ごとに唾だか涎だか血だかわからない汁気が舞う。

 口の周りから胸元にかけて、血涎と血泡で凄まじい着色をされている。

 十分前まで演じていた、余裕や驕慢きょうまんの気配は霜山から根こそぎ消失していた。

 だが、それだけに――剥き出しになった悪意と凶暴性が、霜山の怪物性を際立たせることにもなっていた。


「やってくれたなぁ! ぶぁああ? おいっ!」

「がふっ……んんぶぇ」


 撃たれた腹を二回三回と踏みつけられ、玲次が血液と胃液のカクテルを吐き出す。

 霜山は形振なりふり構わず、感情の赴くままに荒れ狂っている。

 怒りに我を失っている、と言ってもいい。


「ぐぅはぁああああああああああああああああっ!」


 上空に向けて二発、無意味な発砲をしながら叫ぶ。

 踏むポジションを腹から顔に変更し、霜山は玲次に怒鳴りつける。


「馬鹿か! 馬鹿が! ぶぽっ――銃は一丁しか、ないとでも? 浅知恵で、猿知恵で、べっ――ふざけやがって、ふざっ――ごぴゅ、くそぁああああああぁあああ!」

「ぐっ、うぐっ、ぉふ」


 感情の高まりが、言語能力を置き去りにしていた。

 止まらない鼻血を吐き散らしながら喚き、霜山は玲次の頭を蹴って顔を蹴って胸を蹴った。

 そんな様子を横目で眺めながら、晃は改めて思い知らされる。

 こいつにとって、全ては遊びだったのだ。

 晃たちもダイスケたちも、血腥ちなまぐさい遊びを盛り上げるための哀れな玩具オモチャでしかない。


 なのに予期せぬ反撃を受けて、二人の仲間を失い自分も鼻を折られて目を潰され、恐らくは死の恐怖すら味わうハメになった。

 その事実を受け入れられず、激発した感情が現在の狂乱を呼び込んでいる。

 霜山の怒りは多分、自分を追い込んだ晃たちにではなく、晃たちに追い込まれた自分に向けられている――そう思えてならなかった。

 しかしながら、霜山はミスを犯した。

 まさに致命的なミスを。

 

「わかってんのぉ――っほ! ぅほほほほほほほほぁがががががががががががが」

 

 晃は、拾い上げたテーザーガンを握ると、躊躇なく霜山に針を撃ち込む。

 瞬時に倒れた霜山は奇声を発し、地面を釣られたてのナマズのように跳ねる。

 頭の変な小デブを場の支配者たらしめていた拳銃は、取り落とされて転がっている。

 汚れた口元を拭った玲次は、それを手にして起き上がった。

 痛みのせいか緊張のせいか、銃把じゅうはを握る右手は震えている。

 大きく息を吸った玲次は、右手首を左手で掴んで銃口の向きを下方修正した。

 

 派手な破裂音が四回と、弾切れを告げる金属音が一回。

 銃弾は全て、うつ伏せで痙攣けいれんしている霜山の背中に命中した。

 晃はテーザーガンのスイッチを切る。

 玲次は手にした銃を今更ながら不思議そうに見る。

 優希は気が抜けたようにその場にへたり込んだ。


「終わった……の?」

「……ああ」


 不安げな目で見てくる優希の問いに、晃はただ無感動に応じ、玲次は顔をしかめながら頷く。

 動かなくなった霜山の下に、じわじわと血溜まりが広がっていく。

 LEDの光を反射するその赤色は、全てが終わったことを伝えてくれている。

 しかし晃はまだ、この光景を現実として上手く認識できずにいた。

 呆然と血の拡散を目で追っていると、どこかで見た記憶のあるものを捉えた。


「ん……んあ、ぁれ?」

「どうしたの、晃くん……あ」


 晃の上げた声に反応し、優希も同じ方向の地面を眺める。

 そこに落ちていたのは、見覚えのある爪切りのついた何か――

 ボンヤリしていた晃の意識が、一瞬にして現実感を取り戻す。

 それは、ダイスケたちが乗ってきたワゴンR、その鍵がついたキーホルダーだった。

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