第45話 45 アホはお前だ

「ぅおっ? ぐっ、おおぉおおっ!」


 晃は内臓を二つ三つまとめてき潰されたような衝撃と、吹き飛んで背中を強打した痛みでもって、声も出ないどころか呼吸もできないほどに悶絶。

 しかし、驚愕の声を上げたのは晃ではなく、クリティカルな一撃を叩き込んだはずのリョウだった。

 晃の腹を抉った右の拳――そこに穿うがたれたいくつもの深い穴が、痙攣けいれんする五本の指を濃い赤色で湿らせていく。


「ぐぅううぅ……やってくれたな」


 歯軋りを交えて恨み言を吐き出したリョウは、呼吸停止状態を脱して濁った咳を連発している晃を睨む。

 無理して作った笑顔でリョウの眼光を受け止めつつ、晃はシャツの裾を捲り上げて仕込んでいたトラップを晒した。

 放置されていたカルテを重ねて厚みを持たせ、そこに大量の釘を打ち込んだもの。

 古びた包帯でもってグルグル巻きにして腹に固定しておいたそれが、リョウの拳を破壊した反撃の刃だ。


「くふっ――ぼほっ! えぇふっ、ぅおほっ!」


 高笑いの一つでも見せようとする晃だが、気管が詰まって上手くいかない。

 噴出しかけていた感情を捻じ伏せたらしいリョウは、虫様筋ちゅうようきんに食い込んだ錆の浮いた長い釘を引き抜き、背後に適当に放り捨てる。

 晃もボロボロになった釘カルテを腹から外し、取り落としてしまった金属バットを拾い上げる。


 剃り上げたリョウの頭に浮いた、汗の玉が光っている。

 少なからぬダメージはある、だろう。

 だが、仕掛けた方の被害も中々に甚大だ。

 晃は治まりかけた咳の中に、血の味が混ざっているのを感じる。

 リョウの右拳を潰したのはいいが、モロに腹に食らった一発はこの先もう三十分は後を引きそうな強烈さだ。

 せめて、ダイスケが牽制の役にでも立ってくれるといいのだが、階下に放り投げられてからは音沙汰がない。


「……クロは、どうした」

「あの糞野郎だったら、念入りにミンチにしてやったよ……と、いいたいトコだけどよ。テメェらを釣る大事な餌なんでね……残念ながら、まだ半殺しだ」


 晃はクロの居場所を教えるように、左手の親指で上階を示す。

 訊かれることは想定していたので、動揺せずに平然とホラ話で対処ができた。

 実際には、佳織にバールでもって顔面をド派手に開墾かいこんされたクロは、既に現世から退場している。

 晃の話を聞いたリョウだが、それを信じているのか疑っているのか、表情からは心境を読み取れない。


「で、釣り上げてどうするつもりだ? アキラくぅん」

「アホか……釣った魚に、これからどう食うか説明するのか、わざわざ」

「おぅおぅ、威勢がいいこったな。てっきり、クロと慶太きゅんをトレードしたがるかと思ったんだが、意外と薄情だな」


 何気ない調子でリョウが口にした言葉に、晃は目を見開いて訊き返す。


「――っ! 無事、なのか」

「両腕をもがれて、両目を抉られて、歯を全部折られて、両足の甲を潰されてる、そんな物体を無事と呼べるなら、無事だな」

「なっ、おまっ――」

「ちなーみにぃ、息もしてなーいよーん」


 心の底から嬉しそうな笑みを浮かべたリョウは、オペラっぽいフザケた節回しでもって朗々と慶太の死を歌い上げる。

 降ってきた腕を見た時点で、そうだろうと覚悟はしていた。

 それでも、親友の死をフザケ半分で告げられるのは、想像以上の衝撃と憤怒を晃の精神にもたらした。


「こっ、殺し、たのか」

「ま、実行犯はそこの弟クンなんだけどね」

「テメェらがっ、やらせたんだろうがぁ!」

「お。チョーゴイスー。何でわかっちゃうかな? ひょっとしてキミってエスパー? 本名がマミだったりしちゃう? スプーンが勝手に曲がるからカレーは手で食わざるを得ない?」


 下らないことをベラベラとのたまうリョウに、晃の血圧は果てしなく上昇していく。

 これもやはり、こちらが激発して迂闊うかつな行動に出るのを誘っているのだろう。

 今までより早口になっていることからして、リョウにも余裕がなくなっている気はするのだが。

 ともあれ、俺が負ければ玲次も危ないし、優希と佳織もダイスケも助からない――そう自分に言い聞かせ、晃は倒れたままの親友に目を遣る。


 床に突っ伏していた玲次の顔が、晃の方に向けられている。

 無傷からは程遠い状態だが、回復不能の拷問を受けたりはしていない様子だ。

 リョウの太い足の向こうに見えるその目は、まだ死んでいない。

 手錠をかけられているらしいのは気になるが、玲次ならダイスケよりも上手く動いてくれそうだ。

 希望的観測に従っての行動は避けるつもりだったが、ここまで来たら多少のギャンブルも仕方ない。

 晃は痛みで回転の鈍る頭を酷使し、逆転の糸口を探りながらリョウの出方を窺う。


「クロのヤツは、そろそろ切り時だったんでな。そっちで処分してもらえると、手間が省けて楽なんだか」

「……仲間、じゃないのか」


 晃が問い返すと、リョウは笑おうとして失敗したような、何とも奇妙な表情を形作る。

 そして、無事な左手の甲で頭の汗を拭いながら、溜息交じりに吐き捨てた。


「あんなのと一緒にしないでもらえるか。あいつは、女を壊して犯して殺すのが好きなだけの、しょうもない変態だ」

「どう違うってんだ。お前も、あの気違いデブも、変態の人殺しだろうが」


 反論する晃に、リョウは冷たい視線だけで応じる。

 そこに込められた感情が、怒りやイラ立ちといったものではなく、憐れみや蔑みに似た気配なのが晃を戸惑わせる。

 これから殺す相手への僅かな憐憫れんびんか――とも思ったが、それも違うように思える。

 小さく頭を振ったリョウは、今度は野生動物に似た感情の乏しい目になって、晃を見据えてくる。

 

「もう一回訊いとくがな。ここからどうするつもりだ? アキラ君」

「どうもこうもねぇ……お前をブッ殺して、クロをブッ殺して、霜山もブッ殺して、ここから出てく」

「ぶははははははっ! クッソ寒いジョジョネタで返したくなる、そういう完璧な作戦は自重してくれよ」

「うるせぇ、んだよっ!」


 言いながら晃は左に跳んで、着地と同時にヒザを狙ってバットを振り抜く。

 またもやありえない反応速度を見せたリョウは、ブーツの底で高速のスイングをハネ返す化物っぷりを発揮。

 獲物を弾き飛ばされた晃は、バットを拾おうとリョウに背を向けてしまう。

 半ば無意識のような動作だったが、その隙が見逃されるはずもなく、太い左腕が瞬時に晃の首へと巻き付いた。

 

「ぶぅがっ――」

「アホだねぇ、アキラ君。そんな軽い武器じゃ、どっちにしろ意味ないのに」


 やれやれ感を漂わせたリョウは、晃を変形のスリーパーホールドに固めると、両腕にじわじわと力を入れていく。

 首が絞まり、息が詰まり、顔色がおかしくなる。

 頭の中で弾け放題の火花に押し流されないように、晃は必死に意識を保とうとする。

 そして潰されかけた声帯から、枯れた声を強引に搾って吐き出す。


「ぁぼ、ぁ……ぅおばでっ、だ……」

「ハァ? 何言ってんだか、わかん――んんんんっ!」


 リョウが大声と共に呼吸を忘れ、晃は唇を歪める。

 

「アホは……お前だ」


 言い直しながらリョウを指差す晃の手は、生温い血で染まっている。

 出所は、リョウの右脇腹。

 バットに執着して唯一の武器と見せかけ、ベルトループに差して隠し持っていたマイナスドライバーを突き立てる、ちょっとした心理的陥穽を利用した攻撃だ。

 それが、思い付いた晃にも意外なほどに深手を負わせたらしい。


「クソッ、このっ――」


 軽くよろめいているが、それでも立ち上がったリョウは、脇腹に食い込んだ錆びたドライバーを引き抜こうと、プラスチックのグリップを掴んだ。

 その動作で刃先が傷を抉ったのか、声にならない濁った音が、食い縛られたリョウの口から漏れる。


「くぁ、があああっ!」


 短く吼えてから、一気にドライバーを引き抜く。

 ランタンの明かりが、傷口から細く長く排出された血を照らす。

 激痛に悶えているのか、リョウが体を前に折り曲げた。

 それと同時に、床に転がっていた玲次が不意に起き上がり、両腕を繋ぐ手錠の鎖をその首にかけて引き絞る。

 反射的に身を起こしたリョウの首は、玲次の体重も加わってますます絞まる。


「来いっ! 晃っ!」

「ぷぉおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 口腔に血が溜まっていたせいで変な感じになりながらも、晃は喊声かんせいを散らして駆ける。

 ダイスケが間抜けだったせいで失敗した、階段落としのリトライだ。

 突進する晃を迎撃しようと右足を上げるリョウだが、それに合わせて玲次が左足の膝裏を思い切り蹴飛ばす。

 バランスを崩したところに、体重を乗せた晃のタックルが綺麗に決まる。

 半瞬後、晃と玲次とリョウの体は宙を舞っていた。

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