終章

後日談

 目の前で物語が語られる。

 主人公は覆面怪盗だ。

 彼女は悪の組織を壊滅させるために、五人の仲間を探す旅に出ていた。

 一人目は風の剣士。風のような速さで剣を振るう。

 二人目は水の精霊。氷の楯で仲間たちを守る。

 三人目は緑の魔法使い。姿を消したり、怪我を癒したり。

 四人目は黄色の道化師。いつもは剽軽だが、実は最高の知性を持つ。

 五人目の黒き忍者は――敵の組織にいた。薬で意識を失って、手先となっている。

「ショコラ・デ・トレビアンは黒き忍者を助けたいのだけれど、なかなか上手くはいかないのです」

「上手くはいかないのですか? それは何故でしょう?」

「それは黒き忍者が最強の称号にこだわっているからなのです。こだわりが目をふさいでいるのです」

「あら、そうなの。こちらも目が塞がりそうですが」

 四月朔日は、娘の琴美の目にかかりそうになっていた髪を耳にかける。その手にはまだ薄い樹脂製の手袋がかけられていた。

 実は全身が同じ素材のボディ・スーツで覆われており、背中から出ているビニル管を通じて、吸排気が行われていた。

 研究はまだ途上にあったが、もう少しすれば四月朔日が全身洗浄と体内浄化により、生身で娘を抱けるようになる日が来る。

 すぐ目の前にある娘の楽しそうな顔を見ながら、四月朔日はあの出来事を思い出していた。


 *


 四月朔日琴美は、安曇野市にあるこども病院に収容されていた。

 総務担当からその話を聞き出した志賀の案内で、旧日本軍の倉庫から病院まで急行した四月朔日は、彼女の部屋を見て驚いた。

 部屋中に物語が描かれた紙が貼られている。挿絵もあった。

 その中央のベッドにはすっかり痩せた娘が横たわっていた。

「ここにいらしてから、何もしゃべりません。必要最小限のものしか口にしません。起きている間はずっと物語を作っていました」

 困惑した顔で看護婦はそう言った。

 深夜に、しかも県警のヘリで駆けつけた患者の家族というのは、前代未聞である。

「マイク、ありますか」

 四月朔日は擦れた声で尋ねた。

「ございます。こちらですが――寝ると起きませんよ」

 看護婦の言葉を無視して、四月朔日はマイクのスイッチをオンにする。

 そして、ゆっくりと穏やかな声で言った。

「覆面怪盗が、外国での長期潜入任務から戻りました」  

 琴美の目がゆっくりと開いてゆく。

 彼女は小さな声で言った。

「お疲れ様でした。ずっとお戻りをお待ちしていましたよ」


 *


 樹脂製のボディ・スーツは試作品で、現時点では二時間以上の連続着用ができない。吸排気の機器があっても、汗などの湿気や二酸化炭素の蓄積を完全には排出しきれなかったからだ。

 四月朔日は更衣室を出ると、スマートフォンの使用が認められているエリアまで移動する。昨日の夜、深雪が写真をフェイスブックに上げておくと言っていたので、それを確認したかったのだ。

 小奇麗な喫茶店風の待ち合いスペースまで移動すると、四月朔日は自分のフェイスブックを立ち上げて、深雪のページに移動する。

 画面に、本が詰まった焦げ茶色の渋い光沢を放つ棚に囲まれて、Vサインをする深雪の姿が現れた。

 その後ろには三好と沢渡が肩を組んで立っていた。開店の手伝いを要請されたのだろう。顔には埃汚れがついていた。その後ろ、少し離れたところには穏やかな笑みを浮かべる静代と高見の姿があった。


 あの夜以降、浅月家には大激震が続いた。

 幽谷の逮捕。

 グループ企業への立ち入り調査。

 資金の移動禁止命令。

 警察その他の公的機関による強制的な執行に、いくつかのグループ企業は事業の継続を断念せざるをえなくなった。

 幽谷のいない組織は、まとめ役を欠いて空中分解寸前であったが、そこに救いの手を差し伸べたのが中川家である。

 静代は浅月グループの友の会に関わる闇の部分を見事に切り捨て、表の部分のみ蘇生させた。深雪の一族も、今では彼女に頭が上がらないという。

 そして、深雪は静代という強力な相談相手を持つことになった。

 二人はLINEでやりとりをしているという。

 静代が文机の前で、老眼鏡をかけて、背筋を真っ直ぐに伸ばしながら、真面目な顔でスマートフォンの操作をしている姿を想像すると、四月朔日は自然に笑みがこぼれた。

 さて、そんな二人の交流から生まれたのが「松本図書館カフェ」である。

 深雪と静代は、洋の隠れ家であった元人形店の一階部分を借りて、そこに本を並べた喫茶店を開業した。蔵書は洋のものを借りることになったから、上から下に降ろすだけでよかった。

 人形店のいい具合に年季の入った飾り棚は、本を入れるために少々補強はしたものの、そのまま見栄えの良い本棚となり、店全体が居心地の良い空間となった。

 まだ大学在学中だが、深雪はそこのオーナー店主である。三好と沢渡はアルバイトだ。そこに欠けている野沢は、あの事件の直後に「海外留学する」といって大学を休学した。

 連絡は取れるらしいが、時差かなんかの関係でリアルタイムではないらしいと聞いている。休学だから、必ず戻ってくるのだろう。


 喫茶店の二階は鞠子の事務所になっていた。彼女はそこで私立探偵を営んでいる。

 警察からは再三再四慰留があった。それに、事件に松本警察署長が関与していたこともあり、彼女が完全な被害者であることは明らかだった。

 だから、戻っても何の問題もないのだが、彼女はとうとう首を縦には振らなかった。そして、自分で事務所を構えて儲からない仕事ばかりを請け負っているという。

 つい先日まで、古い写真の背景にある昔の風景が、今どこなのかを捜し歩いていたはずだ。

 たまに学校帰りの瞳子がそこにやってきて、本を読んだり、開店準備中の深雪や静代と話をしたりしているという。親友の聡子や真凛が一緒に現れることもあるようだ。

 盗難事件の件はすっかり俊一の仕業だということで決着しており、学校生活も問題がないらしい。ただ、瞳子自身は母親に引き取られることになった俊一が、今でも気がかりだという。

 それを聞いた時、二人は確か命をかけて戦ったはずなんだけどな、と四月朔日は苦笑した。


 鞠子の後任を務めていた馬垣は警察を辞めていた。それに呼応するように斎藤もプロレスから引退していた。今、二人は山形県でさくらんぼを作っているという。

 斎藤の最後の挨拶が奮っていた。

「ダーリンのことを考えると戦う気になれないので、すっぱりやめて可愛い奥さんになります!」

 しかし、そうはなるまい。

 多分、二人はまだ格闘技を趣味で続けているだろう。その時間的な余裕が欲しいから辞めたはずだ。

 その後を継いで班長になったのは榊である。彼は新人二人を部下として毎日頑張っているらしい。奥様となった淳子さんは、今も小学校の図書館司書を続けているという。

 その変化のなさがむしろ彼ららしかった。


 変化がないといえば、洋は結局、会社に戻ることになった。こちらも強烈な慰留があったと聞くが、詳細はよく分からない。

 本人は「飯島さんに押し切られた」と苦笑いしていたが、大方、彼の計画通りに違いない。


 そして、四月朔日も洋の担当編集者のままだった。何も言わずに急に失踪したものだから、解雇されるに違いないと思っていたのだが、こちらも強力な助っ人が現れたのだ。

 五條警察庁長官が出版社に現れて「非合法活動を行っていた組織の摘発に、四月朔日が一役買った」という大演説を繰り広げていったのだから、恐れ入る。

 まあ、事実そうなのだが、これは清の差し金に違いない。

 

 昼下がりの穏やかな日差しが差し込んでいる。

 報労金を全額、難病の治療法を研究する財団の基金とした。基金の運用実績だけでも十分な金額になったものの、さらに公的資金による助成が認められて潤沢な研究資金を確保することができた。

 加えて匿名の寄付が続いていたが、これは恐らく洋だろう。

 日々研究の成果は積み上がり、充実していた。その分野では最先端の研究施設に成長している。ただ、四月朔日自身は一切運営に関わっていない。事実を知るのは財団の理事長と副理事長のみである。

 窓の外には緑豊かな施設の庭が見えていた。


 その真ん中を横断する小道を、背の高い容姿の整った男性が大きな花束を持って、きょろきょろしながら歩いている。


 四月朔日は思わず口元をほころばせた。

 母親曰く「脆弱な精神を持つ息子」だ。やっと踏ん切りがついたに違いない。

 そしてあの時は分からなかったが、今ならその脆弱さも許容できそうな気がする。

 なにより、琴美が「実の父親」という存在をどう認識するのか、楽しみでならない。

 大方、気が弱くて頼りにならない、それでも決して憎めない巨人族の末裔、といったところだろう。


 四月朔日はスマートフォンをハンドバックにしまうと、男の背後に回り込むために、日の当たる明るい廊下を軽い足取りで歩いていった。

 

( 終り )

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パパは覆面作家 第六章 ゴルディアスの結び目 阿井上夫 @Aiueo

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