第十三話 急変

 完全休養によって、翌日には私の体調は元に戻った。

 むしろ前よりもよくなったような気がする。疲れは知らないうちに蓄積しているのだ。自己管理のミスは周囲に負担をかける結果となるから、山ではご法度である。

 アルバイトとしては非常に申し訳なかったが、救助隊予備軍としては大変よい経験になった。

 一方で、精神的には混乱していた。

 笠井が言った『トリアージ』という単語は、その私にはよく分からなかった。調べようにも民宿で住込みのアルバイト中ともなれば、手段がない。

 笠井は神条の意図を了解したようだったが、それを問い質すのはカンニングとなる。事情を知らない他の人に聞くのは、さらに愚策だった。知らないうちに種明かしされる危険性もある。

 知りたいのにそれを知る手段が行使できない。

 そもそも『カンビュセスの籤』の設定が山岳救助にどうマッチするのかがよく分からない。救助されるほうの極限状態に関する問いかけだろうか。

 その現場を目の当たりにしてもやっていけるのか、という覚悟を問われているようにも思える。

 が、果たして現代日本において、いかに山奥とはいえ救助可能な範囲で、そのような極限状態を視認することがどれほどの確率で考えられるのだろうか。

 そんな可能性の低いことを言いたいのではないように感じる。


 *


 前日の話には続きがある。

 私は笠井に言った。

「課題が『カルネアデスの舟板』であれば、まだ分かるのですが」

『カルネアデスの舟板』とは、日本では以下のような話として語られている。


 一隻の舟が難破して、乗員が海に投げ出された。

 ある男が、壊れた舟の板にすがりついた。

 そこへもう一人の男が流されてくる。

 二人が捕まることができるほど板は大きくない。

 先に捕まっていた男は、後からきた者を突き飛ばした。

 その結果、後からきた男は溺れて死んだ。

 この場合、突き飛ばして生還した男の罪を問えるか。


 一般的には、罪を問わない「緊急避難」の例として使われている。

「これならば山岳遭難の現場でも起こりうる話だと思うのですが」

 と、笠井に話したところ、こう返された。

「カルネアデスの舟板では、法律上の課題にはなっても、山岳救助隊員の課題設定にはならないのです」

 笠井によると、日本で認識されている話と、原本で語られている話には若干違いがあるという。

『カルネアデスの舟板』について伝えている現存する資料は、ラクタンティウスか記した『神的教理』だけであり、しかもその記述がキケロの『国家について』を参考にしている。

 現存する『国家について』にはカルネアデスの話は出てこない。散逸したと言われているが、キケロもカルネアデスの後継者であるクレイトマコスを通して知ったとされているので、伝聞の伝聞の伝聞である。

 そもそも、問題を設定したカルネアデス自身が著書を遺していないために、最初の議論がどのようなものであったかが全く分からない。

 さて、そのラクタンティウスの記述ではこうなる。


 一隻の舟が難破して、乗員が海に投げ出された。

 ある男が、壊れた舟の板にすがりついた。

 そこへもう一人の男が流されてくる。

 二人が捕まることができるほど板は大きくない。

 後から来た男は、先にいた者を突き飛ばした。

 その結果、先にいた男は溺れて死んだ。

 この場合、突き飛ばして生還した男の罪を問えるか


「何が違うのですか」

 私は反射的にそう答えた。笠井は明確な違いがあるという。

「日本で伝わっている話は既得権の確保であり、原典で語られているのは既得権の剥奪です」

 なるほど、それで私にもわかった。

 日本人の心性として前者は許容しやすいが、後者は許容しにくい。では最初の議論に戻って考えるとどうなるのか。

「例えば、救助活動中に救助隊員自身の命か遭難者の命か、いずれかを選択しなければならない状況に陥ったとしたら、課題設定として十分に意味があるのではないでしょうか。ただ、既得権の議論であれば救助に来た隊員にあると思われますので、法的には既決事項のようにも思えます」

「救助活動中に自分と遭難者の命を天秤にかけなければならないとしたら、それは救助隊員のミスに他ならないと思いませんか」

「あ――」

 これも分かる。

 要するに、救助隊の判断ミスが原因では、緊急避難とは言えないということだ。

「それであれは、例えば救助活動中に二重遭難した救助隊員が、遭難者と延命をかけて籤をひくという課題設定自体が、救助隊員のミスとなりますが」

 それについては、笠井は僅かに憂いを含んだ微笑を返しただけで、何も答えなかった。


 *


 精神的に混乱していても、体は普通に動く。

 小規模な民宿であっても洗濯すべきものは大量に出てくるので、それを洗濯機に放り込んでは、取り出して、食堂上に設置されたサンルームに持っていって物干し台にかける。

 洗濯の合間に細々と掃除する。そんなことを自動的とはいえミスがないように慎重にこなす。

 女将さんから「無理をしないように」と声をかけられて、「はい、ありがとうございます」と愛想よく答えることができたのには自分でも驚いた。頭の半分は別なことを考え続けている。

(何か前提が違っているのだろうか。救助隊員が延命のために籤を引く、という部分がどうしても引っかかる)

 もやもやする。

 外の天気もなんだか荒れ模様だ。朝、細かい雪がちらちら待っていたが、次第に粒の大きさを増している。

 柔らかくふわふわとした大粒の雪が、一番厚く積もりやすくて厄介なのだが、それが次々と上から降りてくる。

 例えば、この民宿がいわゆる『嵐の山荘』状態になったとして、食料が尽きてお客さんが延命のために籤を引きはじめるとしたら――

(ないない。三日分ぐらいなら満室でも食料の在庫があるし。それに途中の道が何かの理由で通れなくなるなんてことも、雪崩以外には考えられない。途中の道路は、なんだか舗装されていない割には整備された道路だったから、雪崩でもすぐに復旧できるだろうし)

 タオルを大きく振って皺を伸ばす。ついでに変な考えも飛ばす。

(そういえば、笠井さんは明日の朝に帰る予定だったな)

 会ってから今日を含めて三日しか経っていないのに、帰り道の心配までしている自分が不思議だった。


 *


 さて、ここから鞠子が知らない出来事が進行する。


 世の中には「どうしてその時に起きたのか」という出来事が存在する。

 いつ起きてもおかしくないのだが、巻き込まれた当人達にとっては狙い撃ちされたとしか思えない、ピンポイントの出来事が存在する。

 民宿の手前一キロほど先のところに、コンクリート製の橋が架けられていた。

 この橋は戦時中に造作されたもので、見た目は武骨で、それゆえ強固だった。

 その橋のほぼ真ん中には空洞があり、その中に古い装置が埋め込まれていた。

 その装置には、設置された当時より途切れることなく電気が通り続けていた。

 この電気により、重要拠点の防衛を目的とした装置は、生きながらえていた。

 予想外の点がひとつ。

 耐久性を重視して作られた装置の、ある一部の回路が長年の路面の振動に耐えきれなくなっていた。

 設計時に交通量の増加を想定していなかったのだろう。その日の未明に、とうとう回路と、その装置全体が断末魔の悲鳴をあげた。

 この悲鳴の意味は大きかった。

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