第十一話 十月二十二日 瞳子の日常

 月曜日の登校中に、瞳子は洋が推理した内容を聡子に話した。

 金曜日の夜には答えが分かっていたものの、聡子とは月曜日の朝に答え合わせをする約束になっていたので、これまで黙っていたのだ。

 聡子と幸一のほうは土日をフルに使って考えたものの、結局分からなかったという。聡子は目をハートマークにして、洋の解答にしきりに感心していた。

 彼女は、

「ママに携帯電話のメールで伝える」

 と言って、さっきから親指を高速運動させているが、彼女の脳裏では『サトちゃん妄想フィルター』全開の波瀾万丈な物語が繰り広げられるに違いない、と瞳子は思った。

 澄江もノリがよいので、次に聡子の家に行く時のことが恐ろしい。

 瞳子は、聡子の高揚した様子を見ながら、漠然と思った。

 ――それにしてもどうしてパパは、最後にあんな顔をしたのだろう?

 普段の冷静な洋であれば、顔色すら変えずに受け流していたと瞳子は思う。


 *


 瞳子は昼休みの時間に、聡子から澄江の返信メールを見せてもらった。

 メールには洋の推理が正解であることと一緒に、その後のことが書かれていた。実は、澄江は美沙と連絡を取りあっている。


 美沙はあの後、信三のアパートまで押し掛けていって、

「何でこんなまわりくどいことをしているの!」

 と、さんざんどなりちらした後、

「私がずっと気がつかずに、間違って他の男のところに行ったらどうするつもりだったのよ! もっと早く、はっきりと言って頂戴よ! そうしたら直ぐに、うん、って言ったのに!」

 と泣きながら言ったという。

 その後正式に交際し、とうとう結婚した二人は、さすがにアリアドネではない劇団で、五十代前半となった今も二人元気に役者として活躍している。

 空山の妙な芸名はそれらしいものに変わって、いまではテレビドラマでもたまに見かける名脇役の「あの人」になっていた。

 さらに、話の中に出てきたバイト仲間が、実は澄江だったというオチまでついていたのには、瞳子も聡子も笑った。

 また、メールで澄江は「なぜこんなに簡単に分かってしまったのかしら」と不思議がっていた。

 洋の推理通り、澄江はパリスの審判というテーマだけを示し、信三の話を意図的に避けることで「三つの選択肢とアナグラム」という切り札で驚かせるつもりだったという。


 *


 放課後、図書室に行くと山根が瞳子の顔を見て、にこにこと笑った。

 瞳子はピンときた。

「山根先生、予約していた本は」

「届きましたよ、はい」

 瞳子は山根から児玉水力の最新刊を手渡される。

 前の本が出てから今回までは随分と短かったような気がするが、このわくわく感は変わらない。

 もちろん、洋に言えば出来立てほやほや、それ以前に進行中ほやほやの自家製児玉水力作品が読めるのだが、この製本された端正な作品の魅力には抗えない。

 洋は鞠子にばれないように、作者に送られる初回刷りの初版本を断っているというから、瞳子にはまったく残念な話だった。

 貸出カードを書きながら、瞳子は図書室の微かな話し声を聞いていた。

 水の中からプールサイドの声を聞くようなふわふわとした揺らぎ。

 瞳子は頭の芯がしびれたように無感覚になっていたので、雑音がギリシャ神話の妖精のいたずら声に聞こえるような気がした。

 カードを書きながら、瞳子は最新刊の表紙をちらちら眺めてみる。


『児玉水力』


 というペンネームが目に入り、その下に作者名のローマ字表記があるのが見える。


『KODAMA SUIRIKI』


 ――あれ?

 ――あれあれ?

 ――あれあれあれ?

 瞳子は今の今までこのペンネームを、てっきり『すいりょく』だと思っていた。

 彼女は昨日の洋の困った顔を思い出し、目の前のローマ字を想像した洋の頭の上に置いてみる。

 そして、やっとすべてが理解できた。


 最初は口を抑えながら。


 途中からは涙を流して。


 最後にとうとう大声で。


 瞳子は笑った。

 視界の端に聡子と山根の困惑した顔があったが、彼女の笑いは止まらなかった。

 後で聡子から聞いた話によると、ちょうどその時、鈴木真凛が瞳子の後ろから這い寄ってきていたらしい。

 瞳子のあまりの笑いかたを見て真凜はドン引きしていたらしいが、そんなことはお構いなく彼女は笑った。


 ――空山さんの芸名『ダンスミイ佐々木』がアナグラムであることに、パパがすぐに気づくわけだ!


 同じ経験をしている者だ。簡単に違いない。

 笑いながら、瞳子はしばらく続いていた不安がすっかり消えてなくなるのを感じていた。


 ――パパは今日も「ママが大好きだ」と日本中で叫んでいる!

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パパは覆面作家 第二章 パリスの審判 阿井上夫 @Aiueo

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