第二話 辻斬り 四

 つまり、岡っ引きというのは幕府の正式な役人ではなく、あくまでも同心が私的に雇用している部下である。

 それでも、お上の威光を受けてはいるから、一般の町民に対して無理を言う者は多かった。

 それに、犯罪捜査を手助けするのであるから、岡っ引自身も明と暗の境界線上か、暗寄りに身を置いている場合が多い。そうでなければ情報を手に入れることすら出来ないから、同心は土地の顔役を必要悪と割り切って配下に従えていたのだ。

 それゆえ、場合によっては同心が必要悪に取り込まれることもあるし、必要悪だった者が明白な悪に変わることもある。

 宗太が右左太だった頃、彼が住んでいた長屋を縄張りにしていた岡っ引は後者で、若い細君に雑貨屋を営ませて自分は香具師の本締めの真似事をしている貧相な男だった。

 商家はもちろん貧乏長屋に立ち寄っては横柄な態度で住人を問いただし、あぶく銭をせしめていたから、全員から蛇蝎のごとく嫌われていた。いや、蛇蝎のほうが喋らないだけ可愛げがあったかもしれない。

 その男が、ある日大川に浮かんでいる姿で発見された時、悲しがる者は誰もいなかった。


「岡っ引にしては身なりが薄汚れているな」

 宋太が呟く。

 自分の長屋に出入りしていた男は、大身の侍ではないから新品の布地は無理だったが、古着でも程度の良いほうのものを仕立て直して着ていた。裏のほうの収入がたんまりあったのだろう。

 だから岡っ引は全員そんなものだと思っていたのだが、違う者もいるらしい。

 そこで清二が口を挟んだ。

「あれは恐らく弾左衛門だんざえもん様配下の非人だよ。宋太も聞いたことぐらいはあるだろ」

 弾左衛門というのは、江戸の被差別民の総元締めである長吏頭ちょうりがしらを世襲で勤めている、矢野弾左衛門のことである。

「ああそうか。でもよ清二、だったらなんで同心とつるんでいるんだよ」

「そいつは俺にも分からんが、裏の裏まで手を借りなければいけないような話が起きているんじゃないか」

 そこに今度はお園が口を挟んだ。

「私、おとっつぁんから聞いたんだけど、最近、江戸の町に辻斬りが出るんだって」

「辻斬り?」

 宋太は怪訝な顔をした。武家の子としての教えを酒井用人から叩き込まれているところであったから、武士が無闇に刀を抜いた場合、どんなお咎めを受けることになるか知っている。基本は「即座に切腹」だ。

「随分と間尺に会わないことをするやつがいるな。で、何人切られたんだ?」

「それが、よく分からないのよ。町人はすぐ大騒ぎになるから分かるんだけど、お侍だと士道不覚悟は恥だと言って隠してしまうから」

「武士も切られたというのか?」

「そうらしいという噂だけどね」

「ふうん」

 宋太はそう言って腕を組んだ。

「すると、そのお屋敷の連中が黙っていないな。何としても下手人を自分達の手で葬りたいはずだから、何人か組になって町中を探索しているに違いない」

「どうしてそうなるの?」

「そいつは、下手人がお白洲で『あそこのお屋敷の侍を切り捨てました』なんてえ話をしてみろよ。面目丸つぶれの上、お上から隠していたことを咎められるじゃないか」

 宋太の言葉に、清二も頷く。

「確かにその通りだ。事が大名屋敷の勤番侍だったら、出入りの同心や岡っ引に加えて江戸表の連中まで走り回ることになるな。確かにそれらしき三人組の侍を舟に乗せたこともある」

 勤番侍というのは、諸藩から派遣されて江戸藩邸に勤めている武士を指し、江戸表はその藩邸を指している。対して、もともとの藩は国表と呼んだ。

「すると、暫くの間は大川沿いも役人と勤番侍で大騒ぎか。こいつは舟を走らすわけにはいかないな」

「そいつはそうだ。見つかったら真っ先に闇討ちされるだろうよ。おのれ、不審な奴め、ってな」

 清二は宋太に切りつける振りをする。揺れやすい猪牙舟の上であるにもかかわらず、清二の腰がふらつくことはなかった。

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大江戸暴漕族 弐 仇討始末 阿井上夫 @Aiueo

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