第5話

 艶のある紫がかった黒い髪と、翼。少しだけ斜に構えたような、それでいて不快でない表情。その立ち姿は、夕闇を凛と滑空する鴉のようだ。


 窓の外から覗いている女の人は、ふふっと皮肉っぽく笑った。

「それともなに?正義の味方ごっこが頭に来たのか?」

「・・・無駄口叩くのはやめなさいよ、似非善人のくせに」

 脱力しきった私に馬乗りになったまま、少女が憎らしげに答える。


「酷いこと言うなあ。こう見えても、裏表のないことだけが取り柄なのに」

「裏表のないクソ野郎ってことね」


 ははっ、と女の人が笑う。

 その左手には写真、右手には一眼カメラが握られていた。さっきの音と光の正体である。


「ま、私も一応、正義の味方のお仲間ってことで。この写真を使わせてもらいましょうか。『不都合な一般人を抹殺しようとする国報の闇』、世間の注目を集めるには十分だろうしね」

「残念ね。私は国報と正式に契約してるわけじゃない。雇われてるだけよ、いつでも捨てられる殺し屋として」

「お前が国報についてたことくらい、この業界じゃ十分知れ渡ってる。たとえ天下の国報様とはいえ、致命傷とはいかなくとも、少なからずダメージは受けるだろうな」


 くっ、と唇を噛んで悔しがる少女。


 全く理解出来てない。

 けど、とりあえず目の前の死は回避できたらしい、よかっ


「動くな。その写真を持って逃げるなら、この場でこいつを殺す」

 安心した直後に、首元にナイフ突きつけられた。

 ・・・なんか、反射的に涙が。死がトラウマになってる。


「ずいぶんと悪手を使うな。実行したところで、そっちが不利になるだけだろうに」

 呆れたように女の人が言うと、今度は少女が不敵に笑った。

「わかってるわよ。こんな手、通用しないって・・・あんた達以外にはね」


 困ったなあ、という風に、女の人がため息を吐いた。

「ほんと、腹立たしいほどわかってんじゃない。私個人としてはその娘を犠牲にしたいくらいなんだけど・・・うちの甘々な編集長が許さないだろうからなあ」

「でしょうね。私もイライラするわ。そんな甘ちゃんのおかげで、生き長らえるなんて」


 甘々な編集長・・・おそらくプレスタさんのことだ。ということは、この人はリブ・タイムズの社員か。

 しれっと見殺しにされそうになってたけど、どうやら私の味方らしい。


「ま、いいわ。私の今日の任務は、その娘を殺させないことだから。お前を虐めるのもいい加減飽きてきたし」

「ほんと最悪・・・いつか殺してやる」

「はは、猫に鳥は殺せないだろ?羽根でももがない限りはさ」

「あんたも私を殺せないでしょうに。ま、その写真があれば別でしょうけど」

「こいつが私の武器ってこと。新聞記者を侮るなよ」

 右手のカメラを得意げに掲げる女の人。


 あのー、できれば早く助けてくれません?


 ここに来て、少しだけ脳内が落ち着いたらしい。私を逃さないように、上から肩を押さえつける少女の左手。ズタズタにしたのが自分だと思うと、理屈抜きで申し訳なく感じてしまう。そんな余裕を持てるくらい、少女の殺意は弱まっていた。このまま順調に交渉が進めば逃がしてくれそうだ。


 気分は最悪。眩暈眩暈吐気。あと、股が蒸れて気持ち悪いし、だいぶ恥ずかしい。匂いが鼻のあたりをいたずらに漂ってる。泣きたい。


「ま、今回ばかりは交渉としようか。私がこの写真を真上に投げる。あんたはこの窓から外に出てそれを取りに行きなさい。それと同時に私はその目撃者の保護にむかう。


 あんたが妙な動きをすれば私は上空の写真を取って逃げるし、私が約束を破って空中の写真を守りに行けば、その時はその娘を殺めればいい。もっとも、私がそんなことするつもりだったなら、写真を撮ってすぐ逃げてるはずだけどね」

「ふん、相変わらず小賢しいのね。この女は馬鹿だけど」


 一瞬ムカッとしたけど、突きつけられたナイフを考慮して必死に堪えた。

 ああ、本当に気持ち悪い。ザ・不調って感じ。


「じゃ、ちゃんと取ってこいよ?」

「犬扱いはマジでやめろ」


 ふふふ、と大人な笑みを浮かべる女性。


 その左手が、上へと動き出す。

 同時に、少女が私から離れ、窓際へと駆け出す。


 あまり好きじゃない言葉だけど、さすが猫族と言ったところか。敏捷性にかけては、他種族を圧倒する。あっという間に、私にかかっていた体重はゼロになった。


 完全に手から写真が離れた。そしてもへ部屋の中へと移動を開始する。


 片方は地を蹴り、もう一方は黒い翼を羽ばたかせ、そして両者がすれ違う。


 そこで少女の右手が動いた。

 離れる間際のナイフによる一閃。しかし、女性もそれを読んでいたらしく、余裕のある動きで悠々と避ける。


 そのまま二人の間は再び開き、ついに少女が窓に到達した。窓枠に足をかけ、そのまま跳躍して私の視界から消える。


 部屋に残った女性は翼を畳み、今度はゆっくりと窓際へ歩みだした。


「悪いね。遅くなって」


 ガラガラ、と少女の出て行った窓を閉める。


「いえ・・・そんなことは」

「シャッターチャンス狙うのに夢中になっちゃってさ」


 ええっ!そんな理由!


 すっごい良い笑顔で振り向きながら、女性は続ける。


「やっぱ見栄えが良くないと、購読者の印象がね」

「私に与える印象も、考えてくださ〜い・・・」


 眩暈の波に耐えながらそんな返事をすると、彼女は私を心配そうに見つめながら近づいてきた。


「やっぱきつい?頭をえげつなくやられてたけど」

「はい・・・」

「そう。ならお話するのは楽になってからにしようか」

「お願いします・・・」


 返事と同時に、私の口元にハンカチが押し付けられる。


 えっ、と声を出す間もなく、鼻が溶けるような鋭い甘い匂い。


 その甘さに脳まで蕩けるような、そんな陶酔感の中で私の意識は輪郭を失っていった。


「ほんと良く効くな、この薬。後遺症とかないのかな」


 え、大丈夫なの・・・?

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