マックレーカーの狗

Acoh

第1話

「お願いします、どうしても救ってあげたいんです!」


 私は再び頭を下げた。テーブルの上のコーヒーの臭いが鼻を掠める。


「・・・わかったわかった。貴方の熱意は痛いほど伝わりましたから」


 頭の上から声が飛ぶ。

 私は顔を上げて、目の前の男を睨んだ。


「何をそんなに必死に頼んでるのか、そろそろ教えてくれ」


 民衆新聞・リブタイムズ。その編集長である若い男は、困惑半分、呆れ半分のような表情でそう言った。


「何って、この新聞ですよ、新聞!」


 言葉とともに、右手に握りしめていた新聞を、テーブルに叩きつける。


「ん?」

「なんですか、その気合いの入ってない反応は!」


 金髪の男は、なかなか整った顔を、嫌そうに歪める。


「いや、これ、うちの新聞じゃないし・・・『一流シェフ殺人事件』、そもそもこの記事の何が問題なのか」

「だから、冤罪ですよ!冤罪!」


 男の顔がさらに歪む。話を聞くのもめんどくさい、といった様子だ。


 けしからん!


「はあ?あんた何を言ってんだ。

 この新聞、国報だろ?うちみたいな潰れかけの個人会社ならまだしも、国が公式に発表してるんもんに茶々入れるなんて、冗談にもならねぇよ」


 かっちーん、私の何かがどっかーんした。


「もーいいです!ろくでなしだけど腕は一流。そう聞いてここに来たのに、なんですかその対応!『ただの』ろくでなしじゃないですか!」

「いやいや、だからわかりやすく説明しろと」

「言い訳?そうやってうやむやにする気でしょう!」


 もう止まらない。沸騰した頭で、思ったまま言葉を吐き出す。


「どうせ犬族の田舎者だからって見下してるんでしょ!はいはい、猿族様の社会を理解してなくてごめんなさい!」

「頼むから一回腰下ろせ。そして尻尾を下ろせ」


 呆れ顔を崩さない男。

 私はやむなく椅子に座り直した。

 ここでオフィスを飛び出てしまったら、事件の真相は明かされぬままになってしまう。


「できるなら、その耳も下ろして貰えるとありがたいんだが。怖い顔のまま話を進められても、な」


 ・・・なんと図々しい男であろうか!

 腹いせに先程よりも耳を立ててみると、何かを観念したらしく男はゆっくりと話し始めた。


「んで、冤罪ってのは、殺人の容疑がかかってるこのウェイトレスのことか?」


 無言で頷く。

「一昨日の事件だな。

『王都・マンシュタインにある某一流レストランのチーフシェフが、同レストランに勤務するウェイトレスに殺害される事件が起きました。現場には・・・』」


 男は記事を呟くように音読しはじめた。


 私はその姿を睨み付けながら、ゆっくりと、ゆっくりと耳を元の垂れた位置へと動かした。


 やっぱ、きついよね。

 犬族だけに共感されるだろうこの苦痛。

 他民族に伝えるなら、ずっと小指だけを立て続ける感じである。


 感情が昂ると無意識になるのだが、それを意識的にキープするのは結構きつい。悲鳴とかと一緒。

 猫族とか羨ましい。常時立ってるし。まあ犬族でも、狼とか狐とかの家系は耳が立ってるけど。



「・・・というわけか。んで、冤罪の証拠は?」

「ほい?」

「ほいじゃねえよ」


 私がしょうもないことに気をとられているうちに、男の音読は終わっていたらしい。


「証拠だよ、証拠」

「証拠、ですか」

「ないのか?」


 男の目が心なしか鋭いものへと変わる。


「国の関わってるもんにケチつける。人の家に勝手に上がり込んで喚く。挙げ句の果てに本職の新聞記者巻き込もうとするし。

 これで、『全部私の勘違いでしたー、わおーん』とかだったら、マジで損害賠償ものだからな」


 私は少しだけ考えてみる。冷静さをお供に。


 証拠はない、のかもしれない。

 ただ、それに準ずるものはある。国だろうが警察だろうが、嫌味な編集長だろうが、誰に否定されようと揺るがないもの。


 ・・・オッケー、私は間違ってないぜ。


「大丈夫です」

「何がだ」

「証拠はないですけど、確信ならありますから!わおーんとか言いませんし!」

「いや、何が大丈夫なんだよ、それ」


 編集長の顔が、再び歪む。

 なんだろう。深海魚を見るような目で見られてますねー。


「そーいや、このウェイトレスって犬族らしいな。それが理由か?

 まさか犬族に悪いやつはいない!とか言い出すのか?」


「いやいや、私のことなんだと思ってるんですか。

 それに、その娘は私の友達ですし」

「・・・」

「・・・いい娘ですよ?」

「・・・帰れ」


 編集長が椅子から立ち上がる。

 えっ・・・と、なぜか修羅のオーラを纏ってますけど。


「え、やだ、何ですか!」

「帰れー!馬鹿!お前らの素晴らしい友情なんか知らねーんだよ」


 強引に肩を掴まれる。

 んで立たされる。

 そのままラリアット風に、右肩で出口へと押し出される。


「いやー!セクハラー!ろくでなしー!」

「うるせーぞ、ガキ!大人の怖さ身体に刻み付けてやろうか!」

「あ、本心漏らしましたね?今のは言い逃れできませんよ!・・・って、ちょっと!速い!危ないから!」


 視界が激しく揺れる。

 後ろ歩きを強制され崩れかけた体勢を、尻尾を振り回してどうにか整える。


「だって、事件があった夜、私はその娘と一緒にいたんですよ!被害者の背中をナイフで一突きなんて、できるわけないじゃないですか!」


 私の言葉に、男が停止した。


「・・・どうしたんですか?」

「どこだ」

「はい?」


 突然、男の腕に再び力が入る。今度は押し退けるのではなく、引き寄せる向きに。


 今さらですが、私もお年頃の少女でありまして。生理的とか反射とかでありまして。

 率直に言うならば、結構イケメンである編集長に詰め寄られると。それなりに堪えるものがありまして。


「昨日、容疑者の死亡推定時刻、お前は、容疑者はどこにいたんだ!?」

「あの・・・編集長?」

「あ?なんだよ!」

「いやっ、近いんですけど!」


 男はそこでようやく私から手を離した。大人ぶった感じで腰に手をあて、ため息一つ。


「んで、どこにいたわけ?」

「どこって、この街ですけど?」


 首をひねられる。私は内心困惑しながら話を続けた。


「あのですね、その娘と私は先月、同じ村からマンシュタインに移って来たんです。仕事を探しに。それで、一ヶ月ぶりに話がしたいっていうことで、夕食でも食べにいこうと」

「それならなんでこの街なんだ?王都郊外の混成居住区なんかに、わざわざ飯食いに来なくても」


 男の疑問に満ちた視線。愛想笑いでバリア。


 王都マンシュタインは西大陸中央にあり、最大でもある都市である。それだけに、街道には多くの一流店が並んでいる。

 それに比べこの街・コックテールは、二流の街と言ってもいいだろう。華々しさよりも、生々しい活気に溢れているような街だ。仕事帰りに一杯あおるくらいなら楽しいだろうが、一ヶ月ぶりに待ち合わせて食事するならば、断然王都の店のほうがいい。


「いやー、それがですね。知っての通り彼女は就職できたんですけど」

「お前は?」

「・・・着いて一週間でこの街に逃げ込んで来ました。都会の厳しさから」


 しばしの沈黙。

 ・・・やばい、泣きたい。なんかよくわからない感情が私に泣けと呼び掛けている。


「わかったわかった。つまり、お前はこの街で働いていて、彼女はお前のトラウマに気を使ったんだな?それで、この街で待ち合わせたんだな?」


 半分正解である。ちくしょう。


「なんだ?違うのか?」


 曖昧な笑みでごまかそうと試みると、さらに追及されるような視線を飛ばしてきた。

 沈黙の圧力に押され、私の口が勝手に開く。


「働いていないというか・・・仕事見つかんないというか・・・王都の店じゃ食事代払えないというか・・・」


 目を空中にそらす。恥ずかしくて男と目を合わせられない。合ってしまったなら、私の心は彼の憐れみに満ちた瞳に砕かれてしまうだろうから。


 努力はしてるのだよ。


「まあいい、お前の就職難とかほんとどうでもいい」


 男がぼやく。なら問いかけてくるなよ。私も心の中でぼやく。


「その日の夜、他に容疑者を見た人は?」

「うーん、食事会は二人きりでしたし。あの娘、傍からみてもそれなりに目立つんですけど、しっかり確認が取れるとしたら、やっぱり料理屋の店員さんくらいですかね?」

「予約は?領収書でもいい。彼女のサインは?」

「ないですね、支払いも私がしましたし。ちなみに、この建物でて右手の角にある店です」


 私が店の位置を伝えると、男は私から離れるように歩き、自分の椅子に座った。それに倣って私も椅子に座ろうとすると、彼はそれを手で制してから口を開いた。


「お前の家ってこの辺なのか?」

「え?はい」

「なら、もう日がくれてるけど、今晩の着替えとか持ってこれるな?」

「は?」


 真っ直ぐと真剣な目で、編集長は私を見つめて、言った。


「お前、今日ここに泊まれ!」




「変態だー!」


 私は一目散に逃げ出した!

 が、その一秒後には男に腕を掴まれた。


「落ち着け。話を聞け」

「いやいやいやごめんなさい!私、貴方に初めてを捧げる覚悟は!有り金全部置いてきますから、どうかそれだけは!」

「ったく、貞操よりも命の心配をしやがれ」


 はい?

 いま、なんていいました?


「いいか。今現在、お前は命を狙われている、可能性がないともいえない。間違いなく面倒なことにはなる。今日は家に帰らないほうがいい」

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