12話 D組の過去



 話は、第二校舎爆破事件にまでさかのぼる。




「この廊下を……ですか?」

 第三校舎中央口通路――そのど真ん中で向かい合うように、アインはクラスメイトである虎助からもたらされた命令を訝しげに訊ね返した。

「そうだ。この廊下を全力でブチ抜いてほしいってのが、ミカの指令だ」

 スポーツマンチックな爽やかな笑みを湛えながら、虎助は仁王立ちで先ほどの言葉を繰り返した。

 態度こそでかそうに映るが、嫌味を感じさせないのは彼の親しげな雰囲気による賜物だろうか。顔立ちも端正で背も高く、ブレザーを脱いでカッターシャツ姿になっているせいもあって、いわゆる細マッチョと呼ばれるぐらいの筋肉が散見できた。きっと恋情を抱いている女子も多かろう。アインは一切興味はないが。

 アインの眼前では今、何脚もの椅子や机が雑然と積み立てられ、また背後の方も同じようにバリケードじみた人工の門が着々と形成されつつあった。

 連絡があるまでとある展示室にて身を潜めていたアインだったが、大将である御影から電話(事前に携帯端末を渡されていたのだ)があり、話を聞いてみるとすぐさま第三校舎の四回まで移動してほしいと言われ、命じられたまま指定場所に行ってみると、すでに虎助率いるグループや他の応援が机や椅子を持ち運んでいたのだ。

 初めはなんてバカな真似をと、B組がどこにいるとも知れない状況で堂々と振る舞う虎助らを見て呆れてしまったものだが、よくよく聞いてみると第三校舎は制圧しており、本校舎の四階には元より人影すら見当たらなかったらしい。敵であるD組を誘い込むようわざと空かしているのではないのかというのが、虎助の言だった。

 ともあれ、奇妙なことをしているには変わりないわけで、ここに訪れた時は正直戸惑ったものだ。

 そうしたら、虎助の廊下をブチ抜け発言である。アインがますます困惑したのは言うまでもない。

「この下を破ってどうされるのですか? なにか深い意味でも?」

「もちろんだ。あともう少し経ったら、一ノ宮のヤツらがこの下を通るだろうからな」

 一ノ宮という名前を耳にして、アインは微細ながら眉を曲げた。



 一ノ宮銀次。出会った当初は名前どころか顔すら知らなかった男子生徒。

 転入初日。職員室の場所が分からず、しばし沈思していたところに、突然慣れ慣れしくアインの手を取って、わけが分からないままと突然デートまで取り付けようとした失礼な少年。



 その後、御影の機転によって無事に職員室まで送ってもらい、二度と関わりはしまいと思った矢先に、この異能戦という顛末である。

 しかも戦利品としてアインを要求されて――もっとも奴隷的な意味合いではなく、単にクラスを移籍するだけなのだが――銀次という少年に対して軒並み最悪な印象を抱いていた。

 というより、異能戦にそんなふざけた条約があるだなんて微塵も知らなかったので――D組だけ負けたらどんな願いでも応えなければならないとか――後で知った時は多少なりとも憤慨したものである。今回の異能戦において、十中八九アインが要求されることは明白だったわけだし。

 同時に、D組の人達にはとても悪い気がしていた。自分が引き金となって異能戦を申し込まれ――D組は思いのほか乗り気だったが――こうして戦力差のある勝負に駆りだされて、どう頭を下げたらいいか分からなかった。

 そうして結局謝れもしないまま、アインはこの場に立っている。

「ん? どうしたソードフェルト。なにか気に喰わない点でもあったか?」

 不意に沈黙したアインを見て機嫌を損ねたと考えたのか、虎助が顔色を窺うように問うてきた。

「……いえ、少々気になる点ならありますが」

 平素と変わらない鉄仮面じみた表情で応えるアイン。感情が表に出にくい上に冷淡なイメージを持たれているせいか、変な風に捉えられたらしい。虎助はさほど気分を害した感じではないが、人によって激昂する者もいるのでもう少しばかり気を払わねば。とは言っても、なかなか直らないのが目下の悩みだが。

「気になる点って?」

「どうして彼らがこの下に来ると分かるのか、とかでしょうか」

 御影から電話がかかってきた時になるが、彼の話では一ノ宮とその取り巻きは二年B組の教室で根を張っているということであった。それが今になって――それも第三校舎に移動するだなんてなぜ予期できるのか。そこが謎だった。

「あれ? ミカからなにも聞いていなかったのか? 自分達の教室で作戦会議を開くとどこで情報が漏れるか分からないから、メールなり電話なりで伝えてあったはずなんだが」

「はい。その件は確かにメールが送れてきたので目を通しました」

 本音を言うと、クラスメイトとはいえ連絡先を教えるのはそれなりに抵抗があったのだが、自分が原因で起きた異能戦であるのだし、少しでも協力できるならばとあらかじめ電話番号なりメールアドレスを交換していたのである。

 件のメールも、異能戦が始まる前日に長文で送られており――まだ若干日本語の読み書きが苦手なアインのために、ひらがな多めの心配りある文章だった――爆発を起こしてB組の撹乱を狙い、相手が動乱している間に一気に叩くまでの説明を一字一句完全に記憶してはいるが、なぜわざわざ別の校舎に移るかが分からなかったのだ。

 なにやら忙しそうにしていたので、御影に訊ねるのも気が引けて、結局質問しないまま今日を迎えてしまったのだが、ずっと不思議でならなかった。

 それを今、御影と最も親しい仲(らしい)である虎助にこうして問いかけてみたのである。

「普通火事が起きたら、特殊な事例を除いて、建物内ではなく外へ逃げるのが当然ではないでしょうか?」

「ああ、それな。俺も気になって同じ質問をミカにしたら『日常生活とかだったらともかく、異能戦の最中に隠れる場所もなければ遮蔽物もない校庭に出たりはしないよ。それに第二から第三までは間に本校舎が挟んでるのもあって燃え移るまでに結構時間があるし、それまでは第三で避難するのが定石だよ。まあ、数が少なくなっている今、校庭に出てもらった方が、こっちとしてやりやすくはなるんだろうけどね。D組総員を上げて全方位から叩けるし』って言ってたぜ」

 なるほど。理は適っている。

「では、ここに椅子や机を並べているのは?」

「瓦礫だけじゃあ威力に欠けるしな。椅子とかも並べて上乗せしてんだよ」

 俺じゃなくミカの案だけどな、と虎助は苦笑を浮かべて付け加える。

 用心深いというか、実に周到な計画である。御影という少年の末恐ろしさをまざまざと見せつけられたかのような気分だ。

「ずいぶん凝っていると言いますか、とても念入りなやり方ですね」

「だな。かなり最後まで悩んでた感じだったけど。特にここの仕掛けは何度も自問自答している風だったなあ。なんか問題でもあるみたいに」

「………………」

 虎助が訝しげに口にした『問題』という言葉に、アインは気まずげに視線を逸らした。

 心当たりがあったのだ。御影は最後の最後まで惑っていた要因に。



 ――おそらくは私の異能。『鬼』の力の不明瞭な点……。



 あからさまに『鬼』に関する話題を避けていたので、御影もおもんぱかってのことか、触り程度しか訊ねなかったが、こういった重要な役割を任せてよいものか苦悩していたのだと思われる。

 それだけでなく、律儀にも御影はアインの異能を吹聴せず、自身の胸の中だけで秘めているらしかった。でなければ、虎助がこんな事情を知らない顔をするはずがない。御影の片腕と評して過言でもない存在にも関わずにだ。

「あの、不安ではないのですか? 昨日今日転入してきた私に、このような大役を任せることに」

 口から突いてでた質問だった。どう考えても奇妙というか、クラスメイト達の行動がどうにも平仄が合わないように思えてならなかったのだ。

 対する虎助の返答はと言うと、

「うーん。いや、不安がないと言ったら嘘になるけどよ。あんたのこと未だによく知らないし、口数も少なけれりゃ表情も読みにくくて接しづらいし」

 忌憚ない意見だ。根が素直な少年そうだし、オブラートに包むのが苦手なのだろう。アインとしても頷くしかない指摘ばかりだったので、特に苦々しくも感じず、平然と受け流した。

「なら、なおさらなぜ?」

「やっぱミカの指示だからかなあ。ミカが信じるっていうなら、俺らも信じるしかないじゃん」

「……ずいぶんと彼のことを買っているのですね」

 買っていると言うよりは、口振りからして信頼していると言うべきか。彼の話が出る度、虎助はいやに誇らしげになるのだ。

 ともすれば御影に全幅の信頼を寄せているといった風の虎助に、アインは得心いかずに眉をひそめるばかりだった。



 ――彼がただなならぬ人だというのは、出会った当初から感じてはいましたが。



 大人しい外見とは裏腹に、割合大胆な真似をする思いきりの良さに、本質をあっさり見抜く、鋭い観察力。今回の異能戦における段取りの仕方ひとつ見ても無駄がない。知将としてこれほど頼もしいものはないだろう。

 しかし、ここは仮にも宝条学園。異能の強さがものを言う学園だ。どれだけ知恵が働こうとも、そんなものは異能に関係なくどこにでもいるだろうし、特段彼が頭ひとつ抜きんでているようにも見えない。にも関わらず、虎助達が一目置く理由が判然としなかった。

「彼――委員長には、それだけ特集な異能があるというわけですか? 史上最弱と言われているD組の中で、皆さんを先導できるだけのなにかが」

「あれ? 聞いてなかったのか?」

 アインの問いに、虎助はキョトンとした顔でこう続けた。



「ミカは無能力者だぞ? 宝条学園で唯一、異能を持たない生徒だ」



 虎助の予想だにしなかった言葉に、今度はアインの方が虚を衝かれた。

「無能力って……。そんなことありえるんですか? 宝条学園は異能力者を育てる国家機関のはず。規定では異能の素質がないと分かった時点で、門前払いを受けるはずでしたが……」

 決して異能審査だけでなく、一般校のように学力試験や体力測定などもあったりするが、さりとて異能の有無が大前提となっている。どれだけ頭脳や身体能力に秀でていようとも、異能の素質がなければ入学も編入もできないはずなのである。裏によほどコネの利く人物でもいない限りは。

「あー、やっぱりそういう反応になるよな。俺も最初に聞いた時は驚いたよ」

 未だかつて前例のない事態だって聞いたし、と虎助は言葉を選ぶように一呼吸吐きつつ、そう一言添える。

「なら、学園側は無能力者と分かって入学させたと? 彼だけに特例が認めるなんて、後で不正不満が起こることは明々白々としていたはずなのに?」

「俺も詳しいことは分からん。けどミカの話じゃあ、現生徒会長がなにかしたんじゃないかって話だ。俺達と同学年だけど、試験をパスさせて入学させるぐらい歓迎してたみたいだしな。そんな超優秀なやつが勧めるんだから、なにか無能力を補えるだけの優れた部分があるんじゃないかって推論立てても不思議じゃねぇわな」

「生徒会長が……?」

 確かに『あの人』が絡んでいるのだとしたら納得できる。



 かつて異世界漂流を経験し、戦乱に満ちていた数多の異世界を救って無事自力で帰還としたという、とんでもない偉業をなした、『あの人』ならば……。



 ――だとしたら、彼は『あの人』と繋がりがあるのでしょうか?



 それも学園に口聞してもらうだけの、深い関係が……。

「ですが、反発も強かったのではないんですか? いくら生徒会長の推薦とはいえ、外部や内部から相当強い不満があったように思えますが」

「外部の方はなにをしたのか知らんが、目立った問題は起きなかったぞ。内部はまあ、それなりにあったけども」

 心当たりがあるのか、虎助は困ったように頬を掻いて、目線を逸らした。

「つーかぶっちゃけ、俺もその一人だったよ。なんであいつだけ特別扱いなんだよって、口には出さなかったけど遠巻きには避けてたな」

「………………」

「俺達ってさ、ただでさえD組だろ? 異世界に夢見て、異形と戦うカッコいい自分を夢想して――いざ宝条学園に入学してみたら、ご覧の有様だ。自分が最弱に分類されたと知った時、すっげえ落胆したよ。成長次第では上位クラスにいけるって教師に聞かされても、どうにも望みは薄そうだった。他のやつらも大半はそうだったんじゃねぇかな。展望なんざ全然持てなかったよ」

「………………」

「そんな中で唯一、学園に期待を寄せているやつがいて、しかもそれが無能力者と知って、心中穏やかでいられるわけねぇよな。実際、何人かミカに突っかかってくるヤツがいたし」

「………………」

 反芻するように、または後悔するように、虎助は視線を遠退かせて言の葉を紡いでいく。

 前方や後方から雑音や話し声がいやに響き渡る。しかし、虎助とアインの間だけ時が止まったように閑寂とした雰囲気に包まれていた。

「ミカも多少は負い目があったんだろうなあ。周りからどれだけ貶されても一切反論しなかったよ。まあ本人はどこ吹く風って感じでシカトしてたし、周りからすかした野郎って思われて印象悪くしてたけど。昔から神経太いというか、面の皮が厚いやつだったよ」

「……よくそれで委員長になどなれましたね。信頼関係なんてほとんどなかったにも等しい状況だと言えたのに」

 しばらく黙って耳を傾けた後、アインは無感情さながらに表情筋を変えずに言う。少し気になったから訊いてみたといった風な、さほど興味もなさそうな淡々とした声音で。

「この間もHRの時も言ってたけど、くじ引きで決めただけでミカを推薦したやつなんて一人もいなかったぜ。本人はもちろん、だれも最弱クラスの委員長なんてやりたがらなかったし」

「けど今は、とても信頼しているように思えます」

「今はな。すごく真面目だったし、イヤな顔ひとつせずにちゃんと委員長も務めてくれてたせいもあって、だんだんとみんなの意識も変わってきたんだよなあ。学年委員会の時だって、きっと上位組のやつらからもD組ってだけでバカにされたり、陰で叩かれてたりしてただろうにな」

 全然そういった弱い部分を見せないんだよなあ、ミカってさ――。

 そう言う虎助の表情は、どこか寂寥感で陰っていた。

 歯がゆいのだろう。互いに友と認識しているのは事実だが、悩みを聞けるまでには至ってないことに。



 ――友だち、ですか……。



 自分には元からそういう存在がいなかった。それが当たり前のように思っていたし、異世界にいた時も親切にしてくれた人は多々おれど、身近に感じる人間はだれ一人として思い当たらなかった。

 それを寂しいとは思わなかったし。

 普通のことだと思っていた。

 幼少期から両親が共働きで孤独に慣れていたせいもあるが、元々感情の起伏も薄かったので、特にどうとも思わなかった。

 ただ正義感は人一倍強かったので、他人の感謝されることには、それなりに喜びを見出していた。

 今にしてみれば、その行いですら人形のように虚ろな心を埋める、アインなりの不器用な代償行為だったのかもしれない。



 ――そういった意味では、私は寂しい人間なのかもしれませんね。



「なんつーか、あいつってめちゃくちゃ一生懸命なんだよ。去年に一度だけやった異能戦だって、みんな最初から諦めて戦っていた中で、ミカだけは最後まで踏ん張っててさ。それこそ地べたを這ってまで上位組と立ち向かってる姿なんて見せられたら、いつまでも最弱って理由に甘えてられないっつーか、くすぶってらんねぇなあってさ」

 ひとつひとつの言葉を吟味するように、虎助は滔々と語っていく。

「それはきっと、ここにいるやつらも同じだと思う。ミカがいただけで、俺達は暗いどん底からでも上を目指す気になれたんだ」

 だからさ、と虎助はアインの肩に手を置いて、じっと正面を見据えた。



「ミカがあんたに願いを託すってんなら、俺もあんたに賭けるぜ。絶対に勝てとは言わねぇ。けどミカのひたむきな思いには全力で応えてやってくれ」



 その真摯な瞳に。

 アインは、若干たじろいだ。

「あ、すまねえ。ちょっと熱くなり過ぎちまったな」

 アインが顔を曇らせているのを見て困惑していると捉えたのか、虎助は慌てて後退して、照れ隠しするように頭を掻いた。

「ま、なんだ。気負わせるみたいなこと言っちまって悪いけど、ソードフェルトが少しでもクラスのために頑張ってくれるのなら、俺は嬉しい」

 それじゃあ、また後でケータイを鳴らして合図だけ送るから、と言って、虎助は踵を返してみんなの元へと走っていった。

 先ほどまで自分といたことをクラスメイト達からからかわれているのか、時折「ソードフェルト」とファミリーネームを口にしながら弁明しているらしい虎助を遠目で眺めながら、アインはぎゅっと胸の前で拳を握った。


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