-2- 切り取られた空間

 今日の分の収録を終え、時計を確認する。

「じゃ、行きましょう」

 誰ともなくそう発すると、皆そろってスタジオを出た。外は暗くなり始め、昼間より風の鋭さが増し始めていた。スタジオ前にはスタッフが呼んでいた数台のタクシーがあり、皆思い思いに分割して乗車した。


 次の現場が被っている場合、複数人の役者で移動することは特別珍しいことではない。中学生時代に普段一緒に帰らない級友とたまたま部活の終わり時間が重なって途中まで同行する。本当にそんな気軽な感覚で行動を共にする。

 今日に限って言えば、そんな気軽な雰囲気はどこにもない。車中の空気は重く、誰も口を開こうとしない。いや、開けないと言った方が正しい。いつも空気などお構いなしに、どんな場所でも誰にでも話しかけてくるような女性声優でさえ、今日は収録台詞以外一言も声を発していない。彼女だけではない。全員がそうだ。今日そろった役者は、挨拶と打ち合わせ時の必要最低限のやり取り、収録台詞以外一言も言葉を口にしていないのだ。

 前方を確認すると、同じようなタクシーが二台ほどあり、続けてバックミラーを確認すると、同じように三台のタクシーがこの車を追っていた。計六台のタクシーの最後尾にはスタッフも乗り込んだスタジオの車が着いてきていた。全ての車が同じ場所を目指し、恐らく車中の雰囲気も同じようなものだろう。


 切り取られた空間で、とにかく時が経つのを待つしかない。

 俺はスマートフォンを確認し終えると、視線を窓の外にやった。

 流れる景色をぼんやりと眺めるなんて、随分久しぶりな気がする。車移動の時は大抵俺自身が運転しているか、スマフォでニュースを見るかゲームをやっている。外の景色なんて見ることはほとんどなかった。

 街並みはスタジオのあった住宅街から、商業施設の多い区画になっていた。あちらこちらに洋服屋や飯屋、居酒屋なんかが多いエリアだ。

 この辺には何度か来たことがあった。多分佐倉が出演していた舞台の帰りに、食事しに来たんだと思う。あの時はたまたま土井康太と同じ回の観劇となり、終演後そのまま土井や佐倉、他の出演していた役者達と飲みに行った。


「桐野君も土井君も舞台やれよ」


 その席で佐倉に言われた言葉が再生された。何度も言われた言われた口説き文句だった。

 佐倉は声優の仕事と同様に舞台演劇活動も精力的にやっていた。自身でプロデュースしたり客演、商業演劇と様々な舞台をやっていた。特に佐倉はプロデュースする舞台に、舞台演劇の経験がない声優を上げることに力を入れていた。この声かけもその一環だった。


「舞台でやることの楽しさを、とにかく沢山の人に知ってもらいたい。特に同業者には化け物が沢山いるから、そいつらが舞台でどんな化け方をするのか見てみたいし、そいつと役者として舞台で対峙したいんだよ。ま、俺の自己満足だけどな。」


 佐倉は舞台後に酒を飲むと、必ずそう語っていた。


 俺は舞台を見るのが好きだ。この時のように関係者としてチケットを手に入れることもあれば、自分で普通にプレイガイドや劇団の販売窓口から買うこともある。

 特に佐倉の舞台は公演のたび一度は見に行っていた。佐倉の舞台は面白かったし、同年代で同じような劇団を見てきたせいか、俺の嗜好に合っていた。見に行くと必ず飯を食いに行き、必ず口説かれていた。


「桐野君は高校生の時、演劇部だったんだろ?だったらやろうよ。」

「高校演劇とプロの舞台じゃ違うよ。それに、二十年以上も前の話だぜ。ブランクも長すぎる。」


 ここまでがテンプレートだった。毎回口説かれて断る。断りはするが、口説かれること自体は不思議と嫌ではなかった。佐倉が俺の演技について化け物の一人だと思ってくれている、対峙したい相手だと思ってくれている、と考えると悪い気はしなかった。

 しかし、俺は舞台に出る気はなかった。ブランクの話は事実だ。実際、声優という仕事を始めてから舞台には一切出ていない。養成所の卒業公演が俺が出演した舞台演劇と呼べるものの最後だ。既にそれから二十年経っている。舞台の勘なんてとっくに消えてしまった。理由はそれだけではなかったが。


「土井君はどうよ。今まで舞台の経験は?」

 俺にフラれると、佐倉は土井にターゲットを移した。

「俺は養成所の卒業公演が最初で最後っす。」

「演劇部とかじゃなかったんだ。」

 佐倉は少し意外そうに言った。

「学生の時は放送研究会で、どちらかというと裏方志望でしたから。」

「よぅし、お前にこそ舞台の楽しさを教えないといけないな。なぁ、桐野。」

「ああ、同時に舞台の魔物も教えないとな。」

 俺はあえて意地悪く土井に言葉を放った。土井の少し慌てた表情が面白かった。


 そんな会話で盛り上がり、その半年後、土井は佐倉プロデュースの舞台に出演した。そして、それが佐倉最後の舞台になってしまった。


 外の景色にはいつの間にか長蛇の列が現れた。それと同時に窓の景色に占める緑色が増えた。タクシーの速度も緩くなってきた。斎場が近くなってきたのが解った。並んでいるのは佐倉のファンの人達だ。人気男性声優、と呼ばれる立場上大半が女性だったが、男性もそれなりにいた。若い人も多いが、仕事帰りの人、自分と同年代、もしくはそれ以上の人、子供向けアニメもやっていたせいか小さい子供の姿も見えた。月並みだが、幅広い層に愛されたという言葉を絵にしたらこんな風になる、という手本のような風景だった。


 少しすると一番大きな会場前にタクシーが止まった。タクシーを一斉に降りると、別の現場から駆けつけた団体が既にいた。

 受付に向かうと、そこには『故 佐倉健太 葬儀会場』と書かれた、会場の天井よりも高い看板が置かれていた。

 俺は受付を済ませ、来ていた人々に挨拶すると、皆一様に

「大変だろうけど頑張れ。」

「プレッシャーだとは思うが、あいつの為にもがんばってくれ。」

というような旨の言葉をかけられた。今日収録したアニメのことであろう。俺はそれらの言葉に「はい」という小さな返事と会釈でしか応えられなかった。言葉を操る職業のはずなのに、言葉が全く出てこなかった。


 一通り挨拶し終わる頃、会場の扉が開いた。そこには花だけ作られた大きな祭壇があり、その中央で佐倉健太が大きく笑っていた。

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声風 -こわぶり- 雨宮雲水 @raincloud

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