思ってもみない奇跡(2)

 わたしを乗せた馬車は、衛兵たちが居る門を通り過ぎ。わたしが来る時に一晩泊まった三叉路のあるクヌギの木を左手に曲がり、そこから僅か数分ほど走った辺りで何故か急に止まった。


「え? あのぅ~、どうかしたのですかぁ??」


 それまでわたしは、この景色を見るのはきっとこれで最後になるんだろうなぁ?という思いもあって、軽くため息をつきながら馬車の窓辺で頬杖をつき、4000メートル級もの高さはあるだろうと思われる遠くの山々や草花を元気なく見とれるばかりだった。だから騎手の人へ怪訝な表情を向け、そう訊ねたのだ。

 だってこんな何も無いところで止まるなんて、不思議だったから。


「ははは♪ 実はココで、一度休憩してから行く様にと……言われておったものでなぁ~」

「ここで……? あれ??」


 この場所は透き通った清流の流れる川のほとりで、近くには花たちがたくさん咲いていて、とても綺麗で素敵な場所だった。それよりも何よりも驚かされたのは、騎手の人があのお爺さん……カジムさんだったっていうこと。ここまでずぅーっと気付かずに居た自分に、思わず呆れてしまう。それにその隣には、あのファー・リングスさんという人も居て、わたしの方を微笑み見つめていた。

 わたしはそれで頬を染め、俯く。でも気になったので、ファーさんを何気に横目で見つめながらカジムさんに聞いた。


「というと、あのスコッティオさんからですかぁ?」

「ああ、そうじゃよ。あれでなかなかアレも、意外に優しいところがあるのでな。ははは♪」


「……」

 なんというか、本当に意外。思わず、びっくりしてしまう。もっとも、そんなこととてもスコッティオさん本人には言えないことなんだけどね?

 わたしはそんなことを思い、呆れ顔に肩をすくめた。でも、


「スコッティオさん……ありがとうございます! 感謝します!!」

 わたしは満面の笑みで直ぐに馬車から降り立ち、近くの美しい花たちを屈んで見つめ、その場で気持ちよく寝転んだ。そしてスーッ……と、ゆっくりと息を吸い込み幸せを感じる。


 これはささいなことだったけれど、スコッティオさんのこうした自分への配慮がとても嬉しかった。

 自分への配慮……自分だけに対しての配慮……自分一人への……そんなものはこれまで体験したことのない、わたしにとっては初めて心に感じ残るとても不思議な経験だった。

 だけど……。


「だったらどうして、わたしをあの屋敷で雇ってくれなかったのかなぁ? こんな風に優しくされちゃうと、なんだか返って寂しく感じてしまうのに……」

 そう思いため息をつくわたしの傍へ、誰かが近づいてきた。


「ねぇ、ココ。座ってもいいかなぁ?」

「あ……はい」


 初めは、あのファーさんだとてっきり思ってた。ところがそこには、全く見覚えのないとても綺麗な女の人が立っていたのだ。これから狩にでも向かうのか? 乗馬用の身軽な服装だったけど、さり気なく身につけた貴金属や宝石類からそれなりの身分の人だというのだけは覗い知れる。それに、とても美人だし、見るからに聡明を絵に描いたような女の人だった。

 わたしは半身を起こし、とりあえず失礼がない様に身を整える。


 そんなわたしの直ぐ傍へ、その人はクスリと優しげに笑いながら座り。このわたしと同じように半身だけ身を起こして、口を開いてくる。


「とても綺麗な草花よねぇ~。ここでこうしていると、なんだか心が癒される気がするわ♪ アナタもそう?」

「あ、はい……この花達と湖と近くにあった川……どれもこれも素敵でとても素晴らしいところだと、わたしも思います。

だから最後に、この景色をしっかりと。この目に焼付けて置こうと思って、今は眺めていました」


 わたしは色々な思いを心に秘めながら、自然なほど真剣な眼差しで目の前に広がる草花を見つめそう語っていた。


「……と、いうと? これからあなたは、どこか他所へ向かうの?」

「え? えぇ……孤児院へ」


 その人はその話しを耳にするなり、わたしのことをまるで哀れむかのような表情で見つめた。

 だけど孤児院は、決して他人から哀れみを受けるような所なんかじゃない!

 そうだった!! わたしはまた、あの居心地の良い故郷に帰れるんだ! そう思えば、決して寂しくなんかなかった。


「勘違いしないでください! そこは州都に近くとても賑やかで、孤児院のみんなともわたしは凄く仲良くて……」

 わたしはそう言っている内に、もう一つ忘れていた現実をそこで思い出してしまった。


「でもわたしは、今年で十二歳になるから……結局はまた、直ぐに出て行かないとダメで……」

 再び元気なくそう零し、わたしは身を小さく沈め、顔を俯かせ泣きそうになる。


「そう……そういう決まりがあるの? そこ」

「えぇ……そういう決まりなんです。そこは」

 わたしはそこでつい、ほぅとため息をついてしまう。

 そんなわたしを、女の人は興味深そうに見つめていたので、わたしはそれでハッとし慌てた。


「あ! 別に『出て行くのは構わない』って、これでも一応は思っていて! だけど、自分が気に入らないところへ行くくらいなら。わたし、この身を売ってでも独りで生きてゆくつもりなんです!」

「身を……売る?」


「あ! なにも別に娼婦しょうふになる、って意味ではないですから! 女の人でも働ける場所があるのなら、もうなんだってやるつもりなんですっ!

だからもしそこが自分には合わない、無理だって思ったら。実はわたし、夜中にでもこっそりとそこから抜け出す計画もしていて──」

「──ぷっ!」


 話の途中で、その女の人は急に吹き出し笑い始めたので、わたしは思っても見なかった相手の様子に思わず戸惑ってしまう。


「あのの言う通りねぇ~、アナタ! 本当に独りでよくしゃべるモンだからさ。さすがの私も、ついつい笑っちゃったわよ♪」

「……え?」

 どうしてこの人は、スコッティオさんのことを……?


「そういえばシャリルを助けてくれたそうね? それについても、改めてここでお礼を含め感謝をして置くわ。

ありがとう、メル!」

「……え? はい??」


 なんでこの人は、わたしの名前まで……? もしかして、シャリルの知り合い??

 わたしはそんな疑問を持ち、口を開こうとした。が、その前に女の人の方が先に自身の胸辺りに手を添え、口を開いてきた。


「自己紹介するわね。私の名前は、ケイリング・


 ……めるきめ、って……あれ? ――ぐわあーっ! まさか、っ?!


「メル……いい? これから私が言うことを、よく聞いておいてね?

《私の名に於いて、メル・シャメールをメルキメデス家のハウスメイドとして雇うこととする!》

ってな訳でぇ~、メル! これからどうぞよろしくねっ♪」

「──はあーっ!?」


 わたしは訳がわからないまま、そのケイリング様から導かれ、ここまで乗って来たらしい白い名馬の後ろへと乗せられ。通って来たのと同じ道を物凄いスピードで駆け戻り始めた。

 間もなく、パレス=フォレストの屋敷が見え始め……その屋敷の玄関先には、スコッティオさんと親友のシャリルがこのわたしを出迎えてくれた。


「スコッティオ! 結果は御覧の通りだからさ。あとのことは頼んだわよ♪」

 ケイリング様は、そこでスコッティオさんへウインクをしている。それを受けて、スコッティオさんは小さく笑み肩を竦めていた。


「ええ……まあ、そういうことであれば仕方がありませんからねぇ……分かりました」

 それまで冷たく感じていたスコッティオさんの表情が、その時だけ少し緩み笑んだ様な気がする。だけどそれは、きっと気のせいかな? そんな訳ないもんね?


 そしてスコッティオさんの隣に居た筈のシャリルが、馬からゆっくりと降り立ち振り返るわたしへ「――メル、おめでとう!」と言いながら、いきなり飛びつき抱きついて来たので、これには流石のわたしも驚いちゃったけど。凄く嬉しく感じたのも確か。

「ありがとう、シャリル!」

 そんなシャリルに対し、わたしも同じく笑顔を向け、抱きつき返してやった。


「メル! 今回の件、そこに居るスコッティオにもお礼を言っておきなさい。シャリルばかりでなく、彼女もこの件にはんだからさ♪」

「え……?」


「あと、このファーにもね?」

「へ?」

「ははは♪」

 そう言い放ったあと、ケイリング様はわたしに向け笑みを浮かべながら。あのファーさんと共に馬を並べて、楽しげにどこかへと駆けて行く。どうやら本当に、これから狩りへと向かうらしい。いいなぁー……。


「あー、コホン……。

メル、早速で悪いんだけど。アンタに一つ頼みたい仕事があるんだよ。頼まれてくれるね?」

「……え? えぇ、もちろんです。スコッティオさん」


 ついさっき、ケイリング様が言っていたことを気にしながら、わたしは上目使いにそう答えた。すると、スコッティオさんはスッと厚めの封筒を目の前に差し出して口を開いた。


「これから直ぐに、州都アルデバルの《政都庁舎》まで行って、これをアンディーという役人に渡して来て欲しいんだよ。出来るかい?」

「……」

 不安そうな表情を見せるわたしに対し、スコッティオさんは吐息をつき口を開いた。


「お前も分かっているだろうが、メイドの件はもうこれでとなったからねぇ~。

まあ……つまりは、そういう内容の手紙なんだよ。頼まれてくれるね?」

「……あ!」

 わたしはてっきり、これで追い出され門を閉められてしまうのかと余計な心配をしていた。だけどそれはどうやら勘違いだったみたい。


「はい! もちろんです!!」

「それとコレは……あんたが居た孤児院に渡して来ておくれ」


「え? 孤児院……」

「お前の経歴などを、そこの人に書いてもらう必要があるんだよ。それと身元保証人の件など、これには大事な内容が書かれてあるから決して落とすんじゃないよ。

まあ今日中に……というのは少々困難だろうし、無理があるだろうからねぇ。ということで、こちらとしちゃそれで一向に構わない。

但し! 

その書類は、しっかり受け取ってから戻ってくるんだ。いいね? メル」


「え? あのぅ……その間、わたしはどこで寝泊りをすれば……」

 わたしが心配になってそう聞くと、スコッティオさんはそこで軽く微笑みを見せた。


「お前の好きにすればいいさ。その……泊まるなり、近くのホテルに泊まるなり好きにね。

心配しなくても、経費はこちらで全て持つから安心をし」


 それって、つまり……。

 わたしは今まで、スコッティオさんのことをずっと『冷徹でイジワルな人』なんだと思い込んでいたんだけど。もしかするとそれは、私の勘違いだったのかも知れない……。

 少しずつだったけど、そんな気がする。


「お前は、そのぅ……まだ分かってないんだろうがね。屋敷のメイドとしてこれから勤めることになると、今後はそうそう簡単に帰ることなど出来なくなるんだ。

だから早い話が、今の内に……まあつまりは、そういうコトなんだよ。分かったのかい?」


「あ、ありがとうございます! スコッティオさん」

 わたしはそうお礼を言って、スコッティオさんに抱きついた! 

 スコッティオさんはそれで驚きながらも頬を赤らめ、そんなわたしの頭を軽く撫でながら優しげに微笑む。


 間もなく遅れてようやく戻ってきたカジムさんの馬車へと、身支度をJ・Cに手伝って貰い済ませ乗り込み。わたしはそこで再び馬車の窓から半身だけ乗り出し、手を大きく振り振りしながらこのメルキメデス家の屋敷から州都アルデバルの孤児院へと意気揚々に向かった。


  ◇ ◇ ◇



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