第六話 ガウガメラの戦い5(神戸北部VS姫路)

 騎馬戦というのはスポーツである。つまりちゃんとルールというものが存在する。

 そしてそのルールを破ったものは当然、何かしらの罰則が与えられる。例えば騎手の行動制限、騎馬が崩れたという判定、最悪なものだと没収試合。

「いや~やるね。うちも少々油断をしていたわ。完全に勝利した気でいたわ」

 と呑気に室内休憩所のソファーに深々と座りくつろぐ冴長。

 あの試合の後、約2時間ほど全体練習をした。最初の1時間は基礎体力トレーニング。残りの1時間は模擬試合のような練習。

 そして、それが終わった後に休憩の時間を取ることに。

 休憩室から見える景色は闇だけ。さっきまで見えていた緑の森は闇にとけた。その代り、リンリンと鈴虫の合唱の声が遠くから聞こえる。

 無理もない。もう時刻は8時を回っていた。この時間になると、一部の選手は家へ帰る。いくら地区代表とはいえ、まだまだ10代の子供だ。だから天神も彼女達に残れなどいうことが出来ない。むしろ、早く帰ることを推奨してしまう。

「冴長さん。ブラックコーヒー飲めましたっけ?」

 天神はブラックと書かれた黒い缶を冴長の頬にピタリとつけた。

「飲めるけど……そんな別にうちに驕りとか気をつかわなくてもええのに。むしろ後輩である私が」

「いや、そういうことは気にせず受け取ってください。これ、返品されると困りますので」

「そう。それならありたがくいただくで」

 冴長はその缶のプルドッグを引く。するとプシュと空気がはじける音が休憩室に響き渡った。

 そしてそれをゴクゴクと喉を鳴らす。まるでビールのCMに出ている女優のように美味しそうに飲んでいた。その姿をじっと天神は見つめていた。

「なんや? そんなに見つめて。やっぱりこのコーヒーをのみたかったのか?」

「いえ……そういうわけではありません。ただよくブラック飲めるなぁ……と思いまして」

「なんや。自分飲めないのに買ったのか?」

「えぇ……この施設の自動販売機これしか売っていなかったので」

 ここは山奥にあるため、最寄りのコンビニに行くのにも20分ぐらいかかる。また土日や何かイベントがある時は売店が開いたりするものだが彼女達が練習するときはほとんど開くことはない。その為、身近に飲み物や食べ物を買うのは自動販売機のみということになる。

 更にその売店の飲み物は非常に限られたものしか売られていない。ほとんどが売り切れになっているのだ。

「もしうちが飲めなかったらどうする気やったん?」

「そこらへんの流し台に流していましたよ」

「せやか。よかったな、うちが飲めて」

「はい。本当によかったです」

 天神は冴長の隣に座る。そして彼女は大きなため息を吐いた。

「今日の模擬戦お疲れさまでした」

「せやな」

 冴長は缶をユラユラと揺らす。二人しかいないこの空間で缶の中に入っている液体がチャプチャプとリズムよく刻んでいる。

「うちね……実はあの試合に勝ちたかったねん。というか勝てると思っていたわ。本当うちはアホやな」

 ピカピカに磨かれた床には彼女の微笑む顔が映し出されていた。あぁ、自分は今こんな表情をしているのだなと彼女は感じる。

「どんな競技にも試合範囲と言うものは存在する。そうでなければ戦いになりませんからね」

「まったく。うちも忘れていたわ。騎馬の一部でも外に出てしまったらそれは落馬判定になるということを」

 これが冴長の負けた理由だった。このグラウンドには周囲に白い線で囲まれている。これよりも外に出た場合、それは落馬判定とされる。

 またもし大将が同時に落馬した場合、先に落ちた方を敗北とする。また、規定違反による落馬と人為的な落馬が同時の場合は規定違反の方が敗北宣言されるというルールがある。つまりこの場合、負けたのは冴長という判定になるのだ。

「あの作戦、誰が考えたんや?」

「多分川之江さんかな?」

「多分ってなんや」

 冴長は缶を動かすのをやめた。そして1,2センチほど天神の方へ近づいた。その天神からは汗臭い香りがしていた。しかし冴長はその匂いに対して臭いとかそう思うことはなかった。

「あの時、私は土台の部分をやっていて……感じたのです。川之江さんが後ろに下がれって命令しているように」

「そんな、アイツが出来るわけ」

「出来ますよ。私は川之江さんの未知の力というものを信じていますから」

 天神の言っている言葉が冴長からしてみればチンプンカンプンなものだった。それはそこらへんの小学生にきっとプロ野球選手になれると言うぐらい曖昧で根拠のないようなものに感じる。ただの褒め言葉なのだ。

「その未知の力って果たしてなんやろか」

「それは今は分かりませんよ。だけどいつか分かる時が来る。そしてあなたの役に立つ時が来ますよ」

「本当にその時が来ればええんやけどな」

 出来れば1年以内にということを心の中に思いとどめておく。

 冴長はゴクゴクと缶に残ったコーヒーを飲み干した。そして空になった缶を近くにあるゴミ箱に投げる。それはきれいな軌道を描きながら入った。

「そもそもあの試合は冴長さんにとっては少々不利な部分もあったと思います。冴長さんは攻撃タイプじゃない。どちらかと言えば相手をかき回して攻撃する……戦車に例えると軽戦車または駆逐みたいなものでしょうかね……正面から重戦車と戦うよりも」

「こそこそ逃げて戦う。その方がうちらしいということやろ」

「えぇ。そういうことになりますね。だから単独で戦うよりも相手と協力して戦う。そっちの方が冴長さんの戦いにあっていますね」

「やっぱりそうか……そうなるんやな」

 彼女は一旦肩を落とす。そして頭を下げた。そのすぐ後に自分自身の頬をパンパンッと三度叩き、背筋を伸ばして座り直した。

「それがうちの戦い方やからなんの問題あらへん」

 そう自分の心に刻むように言う。

「もしかして、もっと最前線で戦いたいとかという希望がありますか?」

「いやいや、そんなもんあらへん。うちはチームに貢献さえすればええねん」

 手を激しく振り拒否の構えを取る。

「そうですか」

「せや。うちはなんだかんだで野上三姉妹とドンチャラやっている方が楽しいわ。ただやっぱり活躍したいという部分はあるんやな。うちは一人の戦士として野上三姉妹を勝利に導かないといけないんや」

「大丈夫ですよ。その強い思いがあればきっと強くなれますよ」

「そういうもんやろうか……」

「そういうものですよ」

 冴長は立ちあがり、闇が広がる廊下の方へ向かう。

 その後を天神は追った。

「どこに行くのですか?」

「いや、天神さんに奢ってもらってなんか悪いからな。うちも代わりに何か買ってやろうかなと思って」

「いいですよ。別にそんな」

「いやいや。それだとうちの気が済まない」

 そして彼女は自動販売機の前に立つ。

 そこで冴長はポカンと口を開けた。そのほとんどの飲み物が売り切れの赤いランプがついていたのだ。

「なんや、この自動販売機」

「えぇ、私も初めて見たとき驚きましたよ」

 冴長は売り切れと点灯しているボタンを何度も何度もカチャカチャと押す。

「値段はよそよりも高いくせに品揃え悪いとか……なんのためにあるねん」

 一缶140円。他の自動販売機と比べると10円ほど高い。学生にとってみればこの10円でもかなりの差額となる。

「アンタよくこんなことで買ったな。こんなん詐欺やん」

「詐欺ではないと思いますけど」

「でもな。これなら近所のスーパーから飲み物を買った方が安いわ。まぁここしか飲み物販売していないのならここで買うけど。えっと……ブラックコーヒーでええか?」

 そこに唯一ブラックコーヒーだけが販売されていた。

 冴長は自動販売機に100円玉を入れる。そしてブラックコーヒーを買おうとするが、そこで天神はギュッと返却レバーを押した。

 そして彼女はその100円を手に握りしめた。

「いいですか。そんな金の無駄遣いはしないでください」

 その100円を冴長の方へ渡す。そして彼女はこの自動販売機に触れるなと言わんばかりにその前で大きく手を広げた。

「相変わらず……アンタは苦い物は嫌いなんやな」

「あんなもの、好きという方がおかしいですよ」

 冴長は甘い物には目がないくらい好きである。しかしそれと対照的に苦い物と辛い物はアレルギーを持っているかというぐらい嫌いだ。それらを少し口にしただけでトイレに行ってしまうほどである。

「その反応を見られただけで充分やわ」

「もしかしてわざとやったのですか?」

「当たり前や。関西人の血が騒いだんや」

「そんな血、今すぐ全部抜いてください」

 プクッと彼女は頬をふくらました。

「悪い、悪い。お詫びにブラックコーヒーをおごってやるから」

「無限ループはやめてください!」

 冴長は廊下に響き渡るぐらい大きな声で腹を抱えながら笑った。目には涙のようなものが零れている。

 それから彼女が笑い止まるまで数十秒はかかった。

 ゆっくりと深呼吸をして、ようやく落ち着きを取り戻す。しかし冴長はまだニヤついた表情をしていた。

「それで次の試合……姫路戦だっけ?」

「そうですね」

 彼女はポケットから四つ折りにされた冊子のようなものを取りだした。そしてそれを冴長の方へ渡す。その表紙には県大会タイムテーブルと書かれていた。

「第一試合は神戸北部 VS 姫路。会場は姫路。その1週間後に第二試合の神戸北部 VS 豊岡 第三試合目神戸北部 VS 三田。そして最終試合に神戸北部 VS 西宮。神戸北部、姫路、豊岡、三田、西宮の各総当たり戦で1位のみが国体に進出できるという条件ですかね……」

「ふむ……なるほどね。やっぱり一番厄介となるのは西宮か?」

「そうですね。去年も兵庫県代表は西宮でしたし……多分次の試合も勝ってくると思いますし」

 兵庫県内の新聞でも西宮が本命といった感じで特集されている。他の地区代表はあくまでも西宮との挑戦権を持っている。そのような扱いだ。

 神戸北部代表が県大会進出して盛り上がっているのは、ほんのごく一部の地域だけだ。

「なるほど。でも一番強い相手と戦うのは最後というのはある意味それまで心の余裕を持てるっていうことだし。くじ運はいい方なのかな?」

「それはどうでしょう。確かにこの中では西宮が優勝候補として挙げられています。しかしそれ以外にも強い場所と言うのはたくさんありまして」

「そうやな。次の対戦相手の姫路なんか無駄のない騎馬体と言われているし」

「はい。だから油断禁物……というよりも油断をしている暇なんてないと思います」

「ふむふむ。それじゃ気を付けないとな」

「はい。今回は1敗したら全国大会進出が厳しくなると考えてください」

 兵庫県大会ではリーグ戦方式が導入されている。そこで1位になったものだけが全国大会に進出することが出来る。

「それは西宮が全勝してくる可能性が高いからやな」

「そうです。だから全勝した状態で西宮と戦いたい。それが私の思いです」

「そっか……」

 冴長はその紙を天神に返した。そしてそのまま廊下を歩く。

 二人しかいないこの空間では彼女達の足音が遠く廊下の先まではっきりと響き渡った。

 その廊下を突き進むと非常口に到着する。その扉をギッと開けた。

 そこからまず出迎えたのは虫の合唱団。そして次にまばゆいくらいに輝く星の光が彼女達をそっと照らした。

「ついに、県大会か」

「はい。去年は残念な結果に終わりましたけど……今年こそは」

 そもそも天神は去年県大会にすら進出していない。市内大会で敗れてしまったため県大会の出場権がなかったのだ。また冴長や野上たちは今年から入った新メンバーであるため大会に参加することはこれが初めてだ。

「私は試合楽しみにしています。だけどやっぱり不安の気持ちの方が勝ってしまっていますかね」

「まぁ、天神さんはそんな自分を追いつめる必要などあらへん。明日負けても後三回戦えると思えばいいんや」

「そうですね」

 相変わらず気楽な冴長に思わず笑みがこぼれてしまう。

 そして星空に一つの星がキラリと輝いた。彼女はそこで目を瞑ってお祈りをした。

 みんなと一緒に全国大会に進出できますようにと。

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