いま定期テスト中の高校生くんの指導が終わり、せっかくなので今日の昼頃に書いた続きを。
読むときの心の声と同じくらい、子どものころから不思議だったのが本を読む時に浮かぶ「映像」。物語の中に入り込むと自分もそこへ溶け込んでいくという感じでしょうか。確かに自分の視覚は目の前の活字を追っているはずなのに、同時に頭の中には別の世界が見えているという「不思議現象」。言ってること伝わってますよね。
これについても実は以前子どもたちを指導していて、「心の声」と同様で映像化されない人もいることを知っています。yahoo知恵袋には小説を読む時、情景が浮かばないという悩み相談も多くありますね。それっぽい回答も見受けられますが、「脳」の話は話半分に聞いていたほうがいいかも。
昔から賢い連中への憧れを持っていた卯月くんは、脳科学やら学習法などの書籍は読み漁ってました。しかし、結局のところいまだはっきりとしたことは分かっていないというのが事実(十年二十年前とは違う話になっていることもあったり)。脳も最近では脳内の神経細胞、シナプス、ニューロンなどの言葉で語られます。分離脳的な考え方はいまだ根強くありますけど(右脳型、左脳型なやつ好きな人多いですよね)。ブローカやウェルニッケ、スペリーの流れの。現在ではMRIを使った脳の可視化で別に右側、左側がどうのこうのというのは見られないことが分かっています。まあ、脳全体を使ってます。これはNHKの番組でも前に見たでしょうか。結局いまだ神秘の臓器であります。
ああ、例のごとく脱線しました。
よく学校の先生が詩やなんかで、情景を想像してみましょうってやりますけど。ああいったことが苦手な子も実は多い。卯月は妄想が膨らみすぎて「言語化できない」方の苦労はしてましたけど(これは卯月のせいではなく、日本語の不完全性によるものだと最近は結論づけております。「卯月くんは作文が書けない」)。
頭に映像が思い浮かばないから悪いというわけでは全く無く。文字を文字としてそのまま理解されるという方もいらっしゃる。
SNS上では長年話題になっていたらしく、「文字を文字として読む人」と「文字を読みながら映像や情景を観る人」がいる。俳優の山野靖博さんのnoteで記事を見つけました。声優の緒方恵美さんのツイート、例えば「青い空、白い雲」という文章に最近の若い子(声優志望者だけでなく)は「想像してというとポカーンとしちゃう」と。額面通りにしか受け取れない、言葉の向こうが読めない人が増えてるのではないかと。これに対して山野さんは「文字をそのまま文字として読む」人間としての意見を書かれてました。
多分こういった「そのまま文字派」の若い子は増えているのではないかと、子どもたちを教えていた人間からすると思ったりもします。はたして自分の書いている文章(内容の稚拙さは置いておくとして)はどう読まれているのか、なかなか気になるところではあります。たしか前に、ヒロインをもっと詳しく書いてもらわないと想像できん! というコメントを過去一件だけ頂いたことがあります。お話が進むにつれてよりイメージしやすくなるように書いていきますねと返事したような記憶があります。アカごと消えたんで正確ではないですけど。言われたまま出だしから詳細に記述しても……とは思いましたかね。
卯月は、行間を読ませるなんて高度な執筆技術はもちろん持ち合わせておりませんが、たとえそれが修得できたとしても心配になりますね。
繰り返しますけど「文字を文字で」でも「文字を映像化」に優劣をつける気は毛頭ございません。基本、読者さまが自由な解釈で自由に楽しんでいただければと思っておりますので(卯月短編とかほぼ読者さまの想像任せの方向で書いてましたからね)。
ふと思い出したんですけど、昔教えてた子にめちゃめちゃ計算の速い子がいて、卯月も教える人間なのでかなり速いのですけど、隣で途中の計算の様子を眺めていても追いつけない(そんな子は過去に二人だけ。ひとりは結局理Ⅲに行きました)。どうやって計算してんの? ってきいたらそれを本人もうまく言語化できない。彼がその後どうなったかは知らないのですけど、天才の頭の中ってのは厄介だと思ったのを覚えています。
まあ、いろんな人がいて、頭の中も人それぞれ。読み方として何が正しいとか(書き方もですけど)別に無いよねと思う卯月でした。
では。