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よもやま話:魔龍の森における魔術と魔法

 この定義は本来は小説の中で語られるべきではあるが、書きたくなってしまったので(笑)簡単に書くことにします。

『魔龍の森』では、オルディナリーもミュータントも普通は『魔術』しか使えません。
 これは天性の才能もあって全員が使えるというわけではなく、三千年前が最盛期で、私塾や各国の王城で教える『術式』を唱えて発動させるものです。

 ところが、改訂版のダルク・シャーマインの異名が『魔法使い』となっているのは、なんと『魔法使い』は『魔法』という名の奇跡を、心の内や頭の中で唱えるだけで、発動させてしまうのです。
 そして『魔法使い』が生まれるのは、極めて希なのです。

 魔龍の森の定義にあわせると、イエス・キリストも『魔法使い』です。奇跡という名の『魔法』を行使していたことになります。

『魔術』での大がかりな儀式も『魔法』では一瞬ですんでしまいます。
つまり魔法>魔術という公式がなり、魔術は魔法に普通は勝てません。法は術に勝ち、術は基本的に法に勝てません。

細かい定義とか頭の中にありますが、それはおいおい。
簡単にこの辺で書き逃げます(笑)

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