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『もうプレゼントとかいいからね』

■これは煙 亜月の亡くなった妻に関するブログエントリの転載です。
■日記文学という考えに基づいて投稿することもできたのですが、文学じゃないのでこちらに。



 妻との出会いはだいたい10年前です(そのへんはあいまいである)。

 その10年後、わたしは妻を安置した祭壇の床で寝ていました。ちなみに喪主、わたしです。
 あ――いやその、あのね、会館にひとりで泊っててて、礼服のまま椅子に座って棺をぼーっと眺めてるうちに寝落ちしてたっぽくて。ええそりゃモチロンちゃんと誰にも見つからないうちに目覚めましたけど(ただし布団で寝る根性はなくそのまま朝を迎えました)。


 10年前、初めて妻を見たときは(うっわ凄い場違いなたかれべ美人さんがおるわゼッタイわれわれ下々に縁のない高貴なおひとや……)と思ったのですが、じつはすごく人情味があって優しくて喜怒哀楽のわりと激しいひとでそして毎年毎年どんどん美人になって。


 2014年あたりからかな、さまざまな事情もあり、わたしの1Kにて同棲生活が始まりました。


 幸せでした、それはもう。
 はたから見たらウザいくらい幸せだったと思います。


 2015年の春に結婚し、子どもはいないものの6年間、苦楽を共にしました。

 ひと皿の炒飯、ひと皿のお好み焼きを分け合った。貧乏でしたが、それでもよかった。インスタント味噌汁も半分こ。いいんです。それでいいんです。


 ピアノが特技であった妻は生徒さんを取りレッスンをしていました。それも、どう見たって破格の月謝でした。 
 さらに障がい者・児への割引、きょうだい割引などを設け『ピアノを通じて心の開き方を一緒に学びたい』という、妻は自身の理念を貫いていました。

 レッスンの開講と前後し、某社の講師資格の試験勉強もしていて、このころからすでに無理をしていたのではないかと今になっては少し悔やんでいます。あるグレードの講師資格は取れたものの、少しだけ体調も崩していました。


 妻は鬱で、というか鬱からくる全身的な不調は長く、重く、妻の人生を押しつぶしにかかっていました。ASD、ADHDを合併した妻へ追い討ちをかけるように、鬱は10年単位で、いわゆる「不可逆的人格侵襲体験」をその生涯にかけて呻吟していました。


 亡くなったのは昨年の11月3日。


 そろそろ納骨も考えないといけないし、部屋は散らかり放題だし、解約した妻のクレカ(裁断済み)も捨てられないし、ものすごく妻に会いたいし、なんか知らんが会社帰りに遺影見て涙出るし体重も最初の2週間で4kg落ちたし、生活に覇気がないし、死ぬほど妻に会いたいし、


 今この手にない、その何もかもがほしい。


 でも

『もう誕生日もクリスマスもプレゼントとかいいからね、一日でいいからあたしより長生きしてね』。

 妻がその人生で望んだのはこれだけでした。

 わたしに『死ぬとき一人だと寂しいから、あたしより一日でいいから長生きしてね』と。



 ここ数年の妻の希死念慮は強いものでした。
 死にたい。でも怖い。でも死にたくてたまらなかった。だからせめて見送ってくれる人がいてほしかった。


 2021年11月3日10時23分。妻は、自らの人生を終わらせました。
 搬送先の病院では10時58分に死亡を確認。


 だれも責めえない、否定しえない、ただただ天国で幸せであってほしい、そう願うだけです。


 そういえば、妻は花が似合うひとでした。

 葬儀もキリスト式なので仏花とか、「対」の概念にこだわらず、祭壇は故人の好きだったパステルカラーの可愛らしい花々が飾られました。


『おくりびと』という映画があったそうですね。納棺師の方のお話だったと。
 妻の場合、腹這いで墜落したので身体の前面、つまり顔や頭部などに、かなりの損傷を負っていたのですが、その納棺師さんにびっくりするほどきれいにしてくださいました。

 またそれに先立ち、警察署でもある程度の処置はしていたようです。
 それにしても納棺師さんによるところが大きいものでした。

 わたしが持ってきた妻のファンデーションやリップを少量手の甲に出し、それを元に持参したパレットを調合して、死に化粧を施すさまは流れるようでした。納棺師は全員、仕事に際してはジャケットを脱ぎます。ジャケットの下は半袖で、いくら空調の効いた会館内であっても11月、相当動かなければ寒い。
 美容オタの妻も、まさかこんなところでプロのガチメイクをされるとは予想だにしていなかったはずです。


 少し遡って亡くなった11月3日当日、警察署で本人確認をしたときのことです。写真での確認でした。「ご本人はとても見せられない」と。

 ええ、とかはあ、とかいって、写真での本人確認ののち、近所にある妻の実家いったん行き、そして自宅へと帰りました。でも、どうしても妻の顔を見たくて、無理をいって警察署の安置室にいる妻に会いに行きました。
 
 たしかに刑事さんには『とても見せられない。というか、見ない方がいい』といわれていました。それでも、トラウマになっても――いえ、トラウマになりたかった。同じ傷が欲しかった。少しでも妻の苦しみを味わいたかった。意味とか、自傷とか、妥当性とか、そうじゃない。

 妻の門歯は折れ、鼻は形は保っているものの創が目立ち、上唇は大きく裂け、陥没した右目まぶたは少し開き、頬っぺたはびっくりするくらいやわらかくて冷たくて、
 
 とても安らかだった

 とても、きれいだった

 もうこれであたしは苦しむことはないんだ、と妻は安心しているように見えました。
  


 これまで、

 ごめんな。




 ――刑事さんからは『まったく苦痛は感じなかったとみられる。間違いなく即死であっただろう』ということだけは告げられていました。

 救急でもアドレナリンや7分間の胸骨圧迫と諦めずに処置してくれたらしいです。
 額の骨が大きく割れ、前頭極やその周囲も挫滅、右の眼窩も陥没して、およそ助かる状態ではないかったのにもかかわらず。直接の死因は多発外傷、全身的にアウトだったのに。

 これも神様の采配ならば、もはや人間にはどうにもできない範疇だし、痛みもまったく感じさせずに妻を召されたのも、それは情けなのかもしれない。

 こういうの――要するに宗教て、牽強付会なんですよ、思い込みっていうか(クリスチャンであるわたしがいっちゃダメなんですけどね)。
 期待を寄せ、相手を信じ、信頼に応え、そうであってほしいであろう自分になり、同じことを相手にも求め、すべて兄弟姉妹は失敗を許し許され、
 

 だから、死者は最高に覆しえない名誉を帯びているんです。なんぴとたりとて傷つけてはならない名誉を。人生がなければ名誉も挽回できないし、汚名も返上でできないんですよ。

 
 本当にお疲れ様、おれの奥さん。
 感謝してる。今までも、これからも。
 なによりずっと、愛してる。


 そっちで少し待っててね。
 
 大丈夫、おれの妻枠は永久欠番だから。

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