• 現代ドラマ
  • 異世界ファンタジー

オタク的ではなくカジュアルさを

はい、今回は人間描写に於けるカジュアルさの話です。

ここで言うカジュアルさとは決して、『深い浅い』の『浅い』の事ではありません。

人間として深い悩みや人生の重荷を背負っているキャラが居るとして、それが、

常に陰が有って、
常に深刻で居て、
常に周囲に対して距離を置いて、
それでも自分の主張をする場を作者から与えられて、
そして周囲のキャラにも聞いて貰える、

みたいな描写をして、そしてそれが許されるとすれば、その作品があくまで創作オタク的雰囲気の中に属していて、それが創作オタク相手に対して許容されているからだと私は認識しています。

それはきっと、今の時代では特に内向きな目線だとされるものです。

リアルが創作よりも遥かにわちゃわちゃしているものである、というのは皆さんもご承知でしょうが、

そんなリアルの中では、自分の主張は『周囲に対して自分と関わる事で、相手にとって何らかの利益が有ると示した』上でないと、先ず聞いては貰えません。

これは私の体感ですが、今の時代のコミュニケーションはとかくカジュアルさが重視されるきらいが有るようです。

これだけ価値観が多様化した時代に於いては、他者に対して『上手く』砕けた付き合い方をするのが、洗練された人の在りようなのかもしれません。

私なりにきちんと現実から目を逸らさずに向き合った結果、そういう一つの見解を得られました。

別にキャラの個性として陰が有ろうが、深刻で居ようが、周囲に対して距離を置いていようが、それ自体は構わないのですが、しかしそれが許されるのはあくまでそのキャラの内面だけの事であって、他のキャラと絡むとなればそのままでは居られません。

そのままで居た場合、それを魅力的だと感じてくれるのは、精々創作オタク相手に限られるでしょう。

どんなキャラでも『その世界に生きている事を描写する以上』、その時代のコミュニケーションの取り方を、人付き合いの素地としてきちんと持たせておきたいと、私個人はそういう風に考えます。

カジュアルである事が今の時代の主流であるなら、その時点で創作する上でもカジュアルさは、広い受け手に注目して貰える重大な要素足り得るとも。

カジュアルさをこそ深く突き詰めて、その上で描写に活かす。

事の是非はここでは明確に出来ませんが、この目線はきっと外向きであるとは思います。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する