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善意の糖度あたりのこと

 皆さんよりも一足早く年をおさめてしまいました。短歌を一つ更新しました。タイトルは「ファントム・オブ・フェアリーテイル」です。タイトルだけはたくさん褒められたいぜ。文章ははちゃめちゃでも、タイトルだけはいつもなんかいい感じになってんな〜と思っているので……
 これさあキャプションに「ぜんぜんこんなはずじゃなかったのに、……君の名前が思い出せなかった」って書いてあって、これを編集したのが本当にちょうど一年前……???くらいの話なのですが、いまだにあんまり変えようと思えないのですよね。短歌自体は長いこと、下手は下手なりにぼそぼそと続けてきていて、何かの賞に応募するわけではないし、他人と交流するつもりもなかったけれど(これは全般的にわたしの性格そのものに言えますね)、書いたものを再編集して、去年のどさくさに紛れて投稿したりしたのでした。かつてわたしの文というか文章全体にたいして、他人に読ませる気が一ミリもない文章だよね、というような評をいただいたことがあり、これはほんとうに今でもその通りだなと思っています。というか、わたしの場合はそれでいいとすら思っているんですよね。ただなんとなく、こういう文章もあるよみたいな感じで、発信だけはしておきたいな、みたいな……文章を投稿するところってさまざまあると思うのだけれど、日記を多めに書くわけでもなく、なんとなく、自分のきもちの発露としての文章そのもの、みたいなものを投稿する場所が必要だったので、結果的にカクヨムに行きついてもいる。日記っぽいとりとめのなさすぎるやつはインスタに書いてるからいいじゃん(言い訳)!
 話が逸れました。短歌として設けている「善意の糖度」というタイトルの話をしようかなと思ったのでした。いやでも、書いてる人間が自分の書いたものについて自分でなんか言うのってダサいかなみたいなきもちは……今も……まあぜんぜん、あるが……
「善意の糖度」はわたしが大学生のときにもそもそ書いていたやつが主になるため、そう付けざるを得ませんでした。学生のころのわたくしにとっては、「あなたのために、良かれと思って……」みたいなことがめちゃくちゃノイズに感じていたので、そういう心情を織り込んだものが多かったので……(ちょっと意味わからん童話みたいなおはなしたちも、ほぼ同時期に書いたやつです。うひゃあ)。何を言いたいかというと、それは究極的には、AがBを愛していることと、Bが Aに愛されていると思うことは違うよね、ということだと思います。すべての感情は個々人の独りよがりなので、対他人にたいしてはその他人の文脈で再解釈されるのが言動というものだと思うので……。きっと大学生のときのわたしは、そういうことを言いたくてつらつら文章を書いていたのだと思います。大学生ではなくなった今もそのきもちは忘れずにいたいと思っているため、タイトルを変えることはしない気がします。
 あとキャプションについて。これをがんばりたい! みたいなことを、成し遂げるまでがんばれるひとはきっとつよいひとなのだろうけれど、そういうひとのほうが少ない(とわたしは思っている)ため、がんばるを続けすぎて遠くまで来てしまって、目指したい場所がわからなくなってしまった、さりとて戻れない、みたいなことって、少なからず人生のどこかで経験することなのではないかな……。でもきっと迷ったときって、頑張ろうとしたきっかけは思い出したくなるはずだから、そういうきもちも忘れないようにしたいなと思って、「君の名前が思い出せなかった」はそのままにしています。
 いっぱい書いたら何を書きたいのかわかんなくなってしまった。「善意の糖度」、よろしくお願いいたします。ほとんどどうでもいいんだけれど、自薦も載せます。


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