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〝もってぃの作品をきっかけに〟 意見交換の場

島流しにされた男爵イモさんの自首企画『レビュー、もしくは感想を書きます』に参加して『皇女と候補生と航宙軍艦カシハラ号【改訂版】』に感想を頂きました。
これをきっかけに男爵イモさんと意見交換をしてみたいと思い〝ノート〟を作成します。

いろいろな人と意見を交わしたいとも思っていますので、どなた様も書き込みOKです。

よろしくお願いしますね。

10件のコメント

  • もってぃです。
    今回は30万字超の作品を通読して頂き、ありがとうございました。

    先ず、今回読んでいただいた『皇女と候補生と航宙軍艦カシハラ号』ですが、これは私の長編(10万字超)作品としては処女作であったことを挙げさせてもらいますね。投稿サイトに公開した3作目です。
    『神亡き世界の黙示録』は本作よりもずっと後になって書いています。

    ま、それはおき、
    〝海外小説の翻訳調の筆致〟と持ち上げて頂き、こそばゆくも嬉しく感じております。
    私の文章を〝読みやすく〟と言ってくださる読み手さんは、過去に何人かは居ましたが、それほど多なく、むしろ(コメントを下さる方の)大多数は〝全く頭に入ってこない〟という評価です。正直、この評価の落差には。都度、悩まされてしまいます。
    それと〝もってぃ様は物事や場面の大枠を埋めるのは得意な方のようなので〟というのは、よく見て頂けてるな、と。
    私のプロットの構築の仕方は、当に仰る通りです。


    さて、〝気になった点〟についての私の言い分です。

    ➀ルーズすぎる情景描写に関しては、むしろそう言ってくる読み手は希少だな、と感心してしまいました。
    多くの(コメントして下さる)方は、〝情報過多で(男爵イモさんとは逆方向に)読み手のことを考えていない〟という指摘でしたから。
    〝もう一押し、読者に想像させるための働きかけがほしい〟という指摘は、なるほどそうかもしれない、と感じた次第です。
    その上でアドバイスにあった〝においなどの生活感〟には、とても〝刺さるもの〟がありました。
    私は青春系のジュブナイルもいくつか書いてますが、関連して勉強した折、やはり匂いを文字に起こせると作品に奥行きが生まれる、というような主旨の、とある商業作家さんの言葉を読み(――何かの作品のあとがきだったと思います)、これはやってみたいと思っていました。
    ただ本作については、ともかくプロットに沿って登場人物を動かすのに精一杯で余裕がなく、このようなことになっています。
    確かに、もう少しうまく書けるようになりたいものです。

    ➁本作の目指すところに関してですが、概ね、首肯です。
    〝神の視点〟の言及には、日頃の想うところを少々。
    自発的にコメントをくれる多くの読み手さんは、もっと登場人物を絞って彼の視点から物語を語り、読者の共感を得るように書くなければいけない(……それができていない)と言ってきました。
    青春/恋愛ものなんかは特に。
    私としては、相手がそのとき何を感じてどう思ったのかが(読者として)気になるし、相手を怒らしたり気分を害してしまったときの(言葉に出来ない)〝言い訳〟なんかが重要というふうに思ってしまうので、一方的に主人公の視点から物語を語るのは好みじゃないなあ、なんて思っています。程度の問題ですけど。
    それで、視点を若い男女みたいな小さなものから、国家や組織間の関係に広げると〝神の視点〟になって、やはり一方的な言い分だけで進んでいく物語には抵抗感が湧いてしまうのです。
    (ここで言っているのは、例えば、ただ隣国の王子が気に入らない、というくらいの理由で攻めてくる敵役や、それに条件反射で対応するだけで王子は救国の英雄になり挙国一致が成されるといった展開……のようなことです。)

    とは言え、物語のテンポが悪くなっている現状は確かによろしくないとは思っています。


    あとは……
    『神亡き世界の黙示録』で頂いたアドバイスもそうでしたが、男爵イモさんが主人公に求めるヒロイックな属性は、私よりも大きいですよね。
    それについては、後日に回すとしましょうか。


    これからしばらく、よろしくお願いします。
  • @もってぃ 様

    実は『皇女と候補生と航宙軍艦カシハラ号【改訂版】』を拝読するにあたり、投稿作品一覧を拝見して作品の投稿順は確認済みでした。原版は拝読しておらず両者の細かな相違点はわかりませんが、改訂版の出来は個人的には『神亡き世界の黙示録』よりも上だったのではと思います。あちらは未完とはいえ、物語よりも戦闘に重点を置いた作品だったので。物語の構成とペース配分に関しては、歴然とした差を感じました。

    文章表現については、そうした指摘があったのですね。
    これに関しては、読者層の好みとの乖離が一因ではと思います。一般論で申し訳ないですが、web小説では「読みやすさ」が最優先にされる傾向にあります。難読熟語や凝った言い回しを排した文章、単純でわかりやすい物語、感情移入しやすい一貫性のある人物など。これらの功罪への言及は避けますが、それらと照らし合わせてみると本作はすべてにおいて逆を行っている印象を受けます。そのためweb小説に馴染んでいる人ほど、もってぃ様の筆致は受け入れ難いのではと考えます。純文学に対して「深みがある」と「くどいだけ」と意見が分かれるのと似たものがありますね。100人に訊いて90人が「読みづらい」と答えれば話は別ですが、web小説では読者の好みの偏りもあるので、そこまで深刻に捉えられる必要はないと思いますよ。あくまでもweb小説の世界では少数派だというだけの話です。

    気になった点の➁は、特に共感できる部分でした。
    神の視点の生かし方ですね。私は実際に自作で神の視点を使ったうえで、この視点には懐疑的な考えを持っています。というのもメリットに対して、デメリットの方が大きいと感じているためです。主に感想で述べた事柄が理由です。その一方でもってぃ様がおっしゃる通り多くの人物の感情の機微や、入り組んだ世界観を書くときには重宝する。どちらを取るのか悩ましい部分ではあります。ただし折衷案で考えるならば、いくつか方法はあります。一つは、3~4人の視点に絞った群像劇にする。もう一つは、三人称一元視点を使う。

    前者はそれぞれの勢力の代表的な人物を選んで、最低限の人物たちの目から物語を動かす。後者は一人の人物の視点で物語を進めつつ、複数の人物の心情などを「推量≒断定」の形で記していく方法です。後者の方法であれば、「視点の主が、常に出来事の現場にいる必要がある」という制約がある反面、複数の人物にもスポットを当てることができます。メタ的な見方をすれば、「推量≒断定」を使った伏線を張ることも可能です。(例:主人公が信頼していたはずの仲間が裏切る。主人公の知らないところで、敵同士が結託するなど。)神の視点の自由度には及ばないとはいえ、物語のテンポを速めるうえでは役立つ方法かと思います。物語の風呂敷は広げるほどにテンポが落ちるので、その停滞をいかに誤魔化す、軽減させるのかが肝になってくると私は考えています。

    まあ『皇女と候補生と……』に限定すると、神の視点以外で描写するには限界がありますね。なにぶん勢力や派閥の広がりが凄まじいので、一人の人物の視点では書き切れないことが山ほどありそうです。それに人物たちが別行動したり、同時刻に別の人物とやり取りをしていたりもしますし。できることがあるとすれば、やはり視点移動の頻度の調整でしょうか。

    一旦、一つ目の返信はこの辺りで。
    主人公の像についての意見交換も楽しみにしています。
  • @島流しにされた男爵イモ さん
    久しぶりに意見交換ができて楽しいです。ありがとうございます。

    さて、主人公像についてを語る前に、私・もってぃの〝作劇上の人物の扱い〟と、〝描写としての人物の描き方〟について、想うところを説明しますね。


    先に〝描写としての人物の描き方〟について。
    web小説の世界では、サッと流し読む、というスタイルが〝タイパの観点〟からも推奨されている、というようなことをいろいろな方から指摘されました。そうして方向性として、セリフで状況の説明までが把握できるように書くのが〝上手〟で、そのセリフ回しは、誰がしゃべっているのかすぐに判るように類型的・特徴的なものとすべき……などとアドバイスを受けたことも多いです。
    (まあ、方法論の一つとして有効な面もあると認めつつ、〝そうであるべきだ〟との圧力が強いのがweb小説の世界かな、という感慨を持ってしまった私です……)

    ※ あ、男爵イモさんのことを言っているわけではないですよ。 <一見さま/ギャラリー対策のコメント

    それで、登場人物のセリフ回しにステレオタイプなものを当てることをもって登場人物の説明のかなりの部分を〝察してくれ〟という描き方の方が好まれているように思うのです。

    例えば……
     敬語を一切使わないで唯我独尊⇒不遜な振る舞いしかしない少年
     逆に慇懃な言葉使いしかしない少女

    それで、そういった個性的な人物が、例えば軍隊組織やその養成学校で、何時いかなる時と場合でも、これが自分のアイデンティティだからと言わんばかりに、同じような語り口で他者と接する。

    こういう演出しかない、というのが好きじゃないので避けたいと、常々思っています。

    ぶっきらぼうがトレードマークな人物だって、上役に説明を求められる局面なら言葉を選ばなければならないし、それなりの相手には自ら敬意を示すというのは文明社会に生きる人ならば普通の感覚ではなかろうかと。また、そんなことも出来ないのなら〝バカに見える〟と思うのですよ。
    ……もちろん上役に敢えて喧嘩を売るシーンなら納得できます。が、いつでもどこでも「俺は~~~だ。~~~ぜ」で通っちゃうのは萎えます。

    とくに軍隊組織なんかは、個体の特質よりも集団としての均質が求められるわけで、それなりの〝リアルっぽさ〟を考えたい私としては、そういう演出は避けます。

    それよりも、会話の相手によってしっかりと言葉遣いを選ぶ、という普通の人間の在り様を、読者に負担を感じさせずに描きたいと考えてます。
    (……それが上手く出来ているか、とい自問すると、現状の読み手の数を鑑みれば、やはり出来ていないのだろうなー、とため息ばかりですが。)


    また、私はセリフ回しに描写を付け足すのが好きです。
    その時の視線だったり、口元の表情なんか。
    結果としてセリフだけを連続させる会話劇のシーンが少ないです。
    (……このセリフ間の描写が多すぎるという自覚もあります。テンポが悪くなってる部分もあるかと)

    ここまでで何が言いたいかというと、記号としてのセリフの遣り取りで話を進めるばかりではなく、誰がどういう気持ちでそのセリフを口にしたか、しっかり読まないと解らない、という文章が個人的に嫌いじゃないので多用しています、ということです。


    そして〝作劇上の人物の扱い〟について――
    先述したことの延長でもあるのですが、登場人物の役割について、唯一無二の存在として語りたくない、という想いがあります。
    理想的には〝誰でも主人公になりうる〟存在で、能力的にも性格的にも、代替が可能と言えば可能なんだけれど……、という存在です。
    あ、誤解させたくないのですが、決して〝使い捨て可能〟と言っているわけでなく、〝作品の中での役割〟と〝人物としての可能性〟は別のものとして創造したいと考えています。

    『……カシハラ号』でいえば、ツナミとミシマを主人公格に描いていますが、次席と首席である優秀な彼らも士官候補生の中の一人でしかないことも事実で、幹部士官としての顔もあれば、それぞれの人間関係の中だけで見せるコンプレックスもあって、それは他の登場人物それぞれの中にもそれなりにある、という感じでしょうか。

    そういうわけなので、いつでもどこでも主人公として判りやすく行動する、参謀役としてクレバーなセリフしか言わない、というような、判りやすさ優先の扱いには抵抗があります。
    〝何をやっても許される(上手くいく)〟という存在にはしたくないし、逆説的に説明のつかないことすればあっという間に信頼を失う、その他の登場人物らと同格の立場でもある、という存在で描きたいなあと。


    特定の商業アニメ作品を例にします。有名作品ですけど、ご存じない、もしくは興味がなければごめんなさい。
    宇宙戦艦ヤマトの主人公・古代進です。
    オリジナル・旧作とリメイク・2199で、彼の性格は大きく変更がなされました。公式説明では「群衆劇化したことから原作の独断行動も辞さない熱血漢では話がうまく進まないため、落ち着いた性格へ変更されている」とあり、私はこれに納得できちゃうんです。



    ああ、流れで、もう〝主人公像〟に踏み込んでしまいました。(汗)

    〝主人公像〟と〝主人公補正 ⇒盛り上げ方〟についてはもう少し語りたいので、また次回に。



    追伸:
    レビューまで書いていただき、ありがとうございました。
  • @もってぃ 様

    私の方へのコメント通知は結構ですよ。
    近況ノート『〝もってぃの作品をきっかけに〟意見交換の場』を定期的に確認するようにしているため、もってぃ様からのコメントは把握しています。互いに手の空いている時間も異なるでしょうし、そちらにのみ通知がいけばこちらは構いません。

    レビューの方は久しぶりに書いたので内容がまとまっているか心配でしたが、そう感じていただけたのならなによりです。感想コメントでは絶賛しておきながらレビューは控えるのも変な話だと思ったので、この機会に一緒に書いてしまおうと考えた次第です。

    さて、それでは本題に移ります。人物の扱いと描き方ですね。
    両者ともに同意できるものでした。もしかすると私ともってぃ様の好み、創作の方向性は似通っているのかもしれませんね。まずは人物の描き方。これは私も「リアルさ」を意識するタイプです。前回のコメントで「感情移入しやすい一貫性のある人物」をweb小説の特徴として挙げましたが、個人的にこれには否定派です。王道(不屈の精神や揺るぎない意志を持った主人公が、強大な悪を倒すなど)の物語なら必要な要素ですが、リアルさを求めるのならそれは違うなと。一貫性のある人物というのは、良くも悪くも浮世離れしていることを意味しますから。支離滅裂とまではいかずとも優柔不断で、後悔したり反省したりしながら成長する。そんな人物の方が「リアルさ」はあります。そういう意味では、どこにでもいる凡人こそが主人公にふさわしいのだと思います。

    その観点でみた場合、挙げていただいた表現技法(台詞で個性を示す、台詞中心の進行を交える)ではミスマッチが生じますね。これらは「読みやすさ」を促進させるための技法であって「リアルさ」との関連は薄いです。逆に「内容が軽すぎるんじゃないか」と読者に感じさせてしまう原因にもなります。リアル志向の物語を意識されるなら、上記の技法は部分的に採用、あるいは採用しなくても問題はないですね。

    人物の扱いについては、興味深く読ませていただきました。
    言わんとすることは、やはりリアルさの追求なのでしょうか。私が感想で述べた「リアル志向のライト文芸作品」は、もってぃ様の目指すものに近いのかなと解釈しました。そのうえで『皇女と候補生と……』への認識を改めると、私は御作を少し誤解していたのではと思い始めています。その実、刹那的な感動を誘うものではなく、芸術性と娯楽性の中道を選んだ作品なのではないかと。よって派手さや痛快さといった娯楽性は通常の娯楽作品ほどはない一方で、その穴を表現や感性による芸術性で補完しているように感じました。

    ここからは持論ですが、私は小説を書く際は登場人物を「小道具」と考えています。あくまでも自作品の中では彼らは道具にすぎず、描きたい物語に応じて数を追加、消去、行動原理や価値観に手を加えます。それでは自分の作った登場人物に愛着はないのか、と訊ねられれば愛着はないのです。そこに唯一性はなく、代わりはいくらでも用意できるので。この考え方では創作者失格だと言う人もいるでしょうが、私は登場人物にはさほど重点を置いていないのです。多くの文字と小道具を使って、読者に伝えたいこと。それを重要視しています。ようは物語に込めた哲学やメッセージ性です。この作者は、作品での展開を通してなにを伝えたかったのか。人様の作品を読むときもこのことが物差しになっているので、ときには仮定が先行することがあります。

    御作なら「航宙艦の攻防、計略を中心に話が進む→その派手さや緊迫感で読者を魅せたいのか?→あるいは人物たちの哲学が肝となるのか?→ならば、それらをもっと強調したら面白くなるのでは」という風に。物語の根底を重視するため、他の事柄を無意識のうちに軽視するきらいがあります。本当の意味で、登場人物に感情移入できないのです。冷めた目というか「作者は、こういうことが言いたいんだな」ということばかりに意識が向いてしまって。そのせいか私は、リアルな人物≒現実にいそうな人物の創造を好みます。登場人物に悪い意味での芯を持たせない、完璧な人間である必要がない。でも、現実の等身大で空想の世界で足掻いている。そうした人間的な矛盾が小道具として、物語として作品の中で表現されることで、はじめて感動する人種というのが私です。

    話を戻すと創作に対する考え方やアプローチ方法こそ違えども、追求するものはもってぃ様と近しい部分があるのではと思い至ったということです。今回はコメントが長くなってしまいました。もし御作への私見(芸術性と娯楽性の中道)に対してコメントがあれば、軽くでも構いませんので次回のコメントで併せて触れていただけると嬉しいです。
  • @島流しにされた男爵イモ さん
    この意見交換は、とても楽しいです。ありがとう。

    コメント通知は不要とのこと、了解です。あとで消しておきます。


    さて、次の話題――〝主人公像〟と〝主人公補正 ⇒盛り上げ方〟に入る前に、男爵イモさんの返信に更に深掘りをしますね。
    (この手の意見の比較はなかなか出来ないので。あ、返信はそれほど急がなくてもいいので、男爵イモさんのペースでお願いします。)

    確かに〝創作の方向性は似通っている〟かも知れませんね。
    ただ創作に当たり、作品の構成が根本的に違うと感じました。

    男爵イモさんが重要視しているのは〝読者に伝えたいこと〟――つまりテーマやメッセージ性ということで、正しく〝作家〟なのですね。
    私は、実は〝作家〟になり切れていない自覚がありまして、重要視というか作劇の中心に置いているのは〝読者に提示したい状況(シチュエーション)〟だったりします。

    どういうことかと言いますと、
    男爵イモさんは〝読者に伝えたいこと〟のために物語があって、物語のために作中世界が構築されていて登場人物を含む様々な小道具が存在する、というスタンスなのだと思うのですが、
    自分の場合は〝読者に伝えたいこと〟を物語として語るような作家性が乏しくて、語るべき物語よりも提示したい世界(状況)の方が上位に来て、その世界(状況)の切り取り方(登場人物の取り組み方)が物語として描かれる、というような感じになります。
    当に前回に男爵イモさんが指摘されたように、〝テーマとなる状況は提示したので読者がそれから何かを感じ取って〟と丸投げしてしまっている……そう言えるかも知れません。

    「私はこう思うのだ!」というような情念のようなものを書き切る勇気がなく、「こういうことについては、こういうふうにも考えられるね。君たち(読者さん)はどう考える?」という感じに〝逃げを打っている〟ような。

    なので、〝純文学〟のように頑張った文章を書いていても、作家として必要な〝読者に伝えたいこと〟、強いメッセージ性が追い付いてこず、そちらの方向性を求める読み手さんにも、結局、満足頂けていないと思われます。

    凡そ作家の方向性を持てていない。(溜息)
    男爵イモさんの仰る〝……その穴を表現や感性による芸術性で補完しているように感じました〟というのは、実はそういうことなのではないだろうかと思う次第です。


    さて、いよいよ次の話題――〝主人公像〟と〝主人公補正 ⇒盛り上げ方〟に移りますね。

    上述のようなこともあって、私の描く主人公は、その作中世界の中の〝可能性の一つ〟を体現してはいますが、あくまで〝可能性の一つ〟でしかないので、あまり露骨な主人公補正はしないようにしています。
    他の登場人物の可能性と重なった作中のある時点の領域で、これからどちらの色に世界が染まるか、読み手さんの読み方でそれぞれ想像する余地を残しておくような感じに。

    (私は昔から小説とか物語を読むとき、興味を引かれたシーンではいったん読むのを止め、そのシーンの登場人物の替わりに自分や近しい人に置き換えて展開を想像する、ということをしていました)

    結局、私/筆者 が書く小説なので、読み手の想像とは違う、私/筆者 の紡ぐ展開が描かれるわけなのですが、それでも、そういう想像にわくわくするのを楽しむ媒体として娯楽小説を書いているとでもいいますか。

    なので、主人公に盛る形で主人公補正をし、カタルシスへと導くのが苦手……というか十分に出来ていない、というのが反省点です。


    あと、このテーマの最後に、男爵イモさんの最初のアドバイス――〝盛り上げる部分は多少誇張してでも盛り上げた方が……〟〝戦闘や事故でのトラブルの続発、規定違反して暴走する艦隊の一部、カシハラ側の作戦を掻い潜る猛者など。そうしたイレギュラーな事態が展開……〟について、それをしなかった経緯を開陳したいと思います。

    と言いますのも、実は本作の初期プロットでは、概ねそういう展開を用意していたのです。
    で、ある程度ストーリーが進んでプロットを見直したのです。

    そのときは第3部のまとめに入るときで、作中ではキールストラが〈カシハラ〉に接触した頃でした。
    初期プロットでは、ここでキールストラとの交渉を経て〈カシハラ〉〈ベーオゥ〉〈トリスタ〉の共闘が成立し、正面から帝都に進入、3艦で帝国の大艦隊を突破する、というオーソドックスなスペースオペラ的なものだったのですが、プロットを見ていて〝気付いて〟しまったんです。

    ――あれ? これって、エリンを〈トリスタ〉に乗せてさっさと帝星に向かった方が合理だぞ。
       イェールオースもキールストラも、この千載一遇のチャンスに気付かないほど無能な人間じゃないよな……

    それで最終的にあのような展開にしました。
    確かにイベントが地味になってしまった訳ですが、自分としては精一杯、有能な軍人の決断を演出したつもりです。


    とはいえ、男爵イモさんが挙げられた展開が私の初期プロットにほぼほぼ在ったので、なんだか感心(何に?w)してしまったので書かせていただきました。


    今日も長文で申し訳ないです。
  • @もってぃ 様

    なるほど。もってぃ様はどちらかというと作中での問題提起と、ドラマを演出することに注力されているということでしょうか。つまりは状況や登場人物を描くことにより、読者の感情移入を誘うことが狙いになっていると。読者に向けて一方的にボールを投げ続けるのではなく、キャッチボールをしている感じですかね。そう考えると読者への投げかけは娯楽性として、もってぃ様が重視する前述の点は芸術性として作品に表れていると考えることができます。これは優劣でみるものというより、一つの方向性のような気もします。私は読者が取りやすいように意識はしつつも一方的にボールを投げ続けるタイプなので、違う観点からの創作方法として勉強になりました。

    主人公像と主人公補正については、実は正反対のことを感じていました。『皇女と候補生と……』は、主人公補正が強すぎるのではないか……と。ここでの主人公は特定の人物に限定せず、カシハラ号の乗組員全員を指しています。私が御作を読んでいて思ったのは、「カシハラ号には、妙な安心感がある」ということです。アスグラムとの戦闘での消費、終盤の囮作戦中の損害などを読んでいても、なぜかカシハラ号側に被害(乗組員の死亡、艦の沈黙など)は出ないと思ってしまうのです。これには私が勝手に頭の中で主人公補正をしている節もありますが、作中では十分に主人公補正がされているという認識でした。

    主人公たちが退場することはなく、絶対に敗北しないだろうという根拠のない確信。それは話が進むごとに強くなり、カシハラ号の命運という点に限ってはワクワク感が薄いものになっていた印象です。なので、最初の感想では意外性に言及したのです。読者の抱いた安心感、作者への信頼を良い意味で崩すこと。いつ誰が退場しても不思議ではない、ひりついた空気を演出してみてはどうかと。そこにエリンを利用、排除しようとする輩の暴走が加われば、カシハラ号もただでは済まないというシナリオです。なにぶん御作には知的な登場人物が多いので、本能的で急進的な人物が一人くらいはいた方がスパイスになるかと思って件のアドバイスを書きました。

    ただし合理性のみでみると、それは難しいものがありますね。コメントで述べられているように艦隊同士の全面対決はリスクが大きいですし、なによりも重要人物であるエリンを戦場に留まらせる意味がない。そして艦隊の一部の暴走を描こうにも、集団の結束が重要な組織で簡単に単独行動をとる軍人はリアリティに欠ける。となると、あとはエリン擁立派の面々の精神的な結束をさらに掘り下げることが大事になってきますね。利害の一致や軍人としての敬意を越えた、エリンに託す未来への想いの一致など。なかなか一枚岩とはいかない部分だとは思いますが、ここが深掘りされれば軍人たちの英断にさらなる深みがもたらされると思います。
  • @島流しにされた男爵イモ さん
    いろいろとアドバイスをありがとうございます。

    先ずは言いたいことが伝わったかどうか心配だったのですが、しっかりと伝わってくれていてほっとしました。
    (しかも、私がくどくどと長文で書いた要旨をすっきりと要約までしておられ、流石……感嘆です。)

    このような形で自分の創作スタイルを言語化すると、いろいろと勉強になりますね。ありがとう。


    主人公補正についてのご指摘――「カシハラ号には、妙な安心感がある」――には、ああ、なるほどと思いました。
    確かに、予定調和的なきらいを感じさせてしまっているかも、と思います。

    これに関連することを白状しますと、実は当初、第1部で候補生を1人、戦死させてしまうつもりでした。
    最初の空襲のとき、自信過剰なパイロットを独断で邀撃させ、あっさりと撃破――実戦では簡単に人が死ぬ、という現実を描くつもりだったのです。

    実際にその線で初稿を書きもしたのですが、そこで筆を進められなくなりました。
    そうすると話がめちゃくちゃ重たくなってしまい〝白馬の王子様気取りの楽観さで始めてしまったこと〟という演出どころではなくなってしまった。
    (本作に限って言えば、若者らしい根拠のない楽観論で始まった大冒険、という流れがあったので。序盤で同期に死者が出たら、流石に無謀なことに参加しようという候補生はいないんじゃないかとも思ったのです。)


    これは本作でのエピソードなのですが、本作に限らず、私の作品は確かに「深刻な状況」が〝小さくまとまる〟傾向があるように自己分析しております。
    何というか〝同じルールの下で戦う以上、敵も味方も、だいたい想定の範囲内の損害に収まる〟ような展開になりがちといいましょうか……。

    私、もってぃという人間が、リスクを取るタイプではなく、(可能な限り)リスクを回避するタイプだからでしょうか。
    とは言え、反省点だと思ってはいます。


    その上で、こういった感想を頂けた男爵イモさんに、もう少し突っ込んだご意見を指摘を聞かせて頂きたく。

    〝カシハラ号の命運〟に関する〝ひりついた空気〟の演出として、私としては

    ① ヒロイン・コトミのMIA
    ② 第3部でのカシハラ艦内の不協和音
    ③ エリンの暗殺未遂
    ④ 第4部での被弾 ⇒ 観測室に閉じ込められた仲間の安否

    を用意したつもりなのですが、この程度では足りなかったということですかね?
    (男爵イモさんの主観だとして)どのくらい足りてないか、みたいな雑感をお聞かせ願えると嬉しいです。


    あ、あと…――

    〝本能的で急進的な人物が一人くらいはいた方がスパイスになる〟とのご指摘は、そうなんですよね。
    このタイプの登場人物を創出するのが苦手なんです。(……あと、精神的に病んでいる性格破綻者のタイプ。)

    本作ではアルテアン少将を、そのポジションの人物として配置したつもりだったのですが、パンチ力不足だったですかね?
  • @もってぃ様

    こちらも創作スタイルを正しく理解できたようで安心しています。こういう機会がないと私も創作について誰かに語ることはないので、楽しませていただいています。

    それでは、次はもってぃ様の考えを踏まえたうえで、作品への私見を述べていこうと思います。内容は断定調の文章が続くと思いますが、あくまで一個人の考えであるため、以下で述べられている事柄を絶対視される必要はありません。では、内容に入っていきます。

    まずは、ヒロイン・コトミのMIA。
    これは前回のコメントで述べた通り、私が本作の主人公補正を強いものだと認識しているせいか、「あの場面で出番は終わり」とは感じなかったです。なんらかの形でコトミは再登場、あるいはこれは伏線として物語につながるのではと。そう感じた理由は事故の発生時に、語りがコトミ視点に固定されたからです。作中では神の視点による視点移動が頻繁に行われますが、ここまで人物の内(情動)が書き起こされるのは珍しいなと読んでいて思いました。長めの回想が挟まれたり、コトミの心情が細かく語られたり。なので逆に、そこまでの書き込みがされないうちにコトミがMIAになった方がひりついた空気は演出しやすいと考えます。名前付きの人物があっという間に退場してしまう、しかも予期せぬことによって。それが読者の頭の中で第1部の搭乗橋の事故とリンクし、あのときの絶望感が思い起こされる。こうした一連の流れが生まれると、場面そのものにさらなる意味が加わることになると思います。前提があった方が、物語の結びの感動も倍増するように。

    二つ目は、第3部でのカシハラ艦内での不協和音。
    この部分は、良い意味で期待を裏切られました。というのも私は〝小さな反乱〟が、本当の反乱だと予想していたからです。だからカシハラ艦内の不協和音と収束は、読んでいて「あ、やっぱりみんな優しい」と緊張よりも安心してしまったのですね。ツナミの人望もあるのでしょうが、カシハラには一体感があるなと。緊迫した空気というよりは、絆を深める機会だったという認識です。前者の部分を意識されるなら、本当の反乱も効果的だと思います。私が同じ場面を書くとしたら、乗組員の一部によるツナミの糾弾を描きます。艦長の座を他に譲るべき、しなければエリンの解放と投降を考えるべき。そうした主張のもと、武装した乗組員がツナミと彼に与する人間を脅す。そこにカシハラとの初戦で妹を失ったオーサ・エクステット上級兵曹長も絡み、ツナミの意志の固さが問われる。最終的にツナミは反乱組を説得し、自らの意志を新たにする。場面の重さから本作にふさわしくない描写かもしれませんが、水面下の不協和音と比べるとインパクトはあります。

    三つ目、エリンの暗殺未遂。
    これは正直、ガブリロかアマハのどちらかが、エリンを庇って撃ち殺されると予想していました。特に仲のよかったアマハが退場して、そのときに遺した言葉を胸にエリンはさらに強くなるといった風に。あるいはガブリロが退場して狼狽えるエリンに、アマハが𠮟咤激励する流れなど。……なんだかここまでの雑感を読み返すと、物騒なことばかり書いていますね(汗)。おそらく私は、過激な表現を好む方なのかもしれません。そこから生まれる緊迫感こそが至高と捉えているきらいがあります。この主観を省いて考えた場合は、現状でも➂には十分な緊迫感があると思います。もってぃ様の本作におけるコンセプト、考えをもとに作品を読むと「エリンが狙われた」と「誰かの負傷」が適切な描写範囲だとみていいはずです。

    そして、第4部での被弾。
    これはもう少しドキドキ感がほしいと思いました。連絡の取れないジングウジを心配、艦の損傷に動揺する面々などの描写が丁寧な一方で、ジングウジの対処はベテラン顔負けといいますか。不測の事態にもかかわらず、緊急時の対処(命綱、装備品の補修)は場慣れしているイメージが強すぎた印象です。これに関しては、あえて危うさを感じる描写を入れても面白いのではと思います。たとえば、気密扉の向こうでジングウジの装備品の一部がひとりでに漂っている。他には、艦の被弾による衝撃の影響でスーツの生命維持装置が壊れてしまい、ジングウジは酸欠状態になって藻掻いているなど。そこを間一髪のところで仲間に救出されるような流れだと、さらに臨場感が生まれるのではないでしょうか。命の危険を間近に感じる描写が、話が重くならない範囲であればあってもよいのではと。

    最後に、アルテアン少将の人物像。
    彼も例に漏れず、私の中では知的な人物です。していることは容赦ないですが、それでも理性的といいますか。軍人らしい大局を考えた立ち回りは、知性を感じさせるものです。彼を過激な人物として描くなら、「側近や他の乗組員が諫めて、やっと〝過激〟で済む」くらい制御不能な性格にしてもいいかもしれません。カリスマ性が高い反面、作戦立案は二流の好戦的なキャラ。その粗さを周りの人間が緻密な作戦によって支える。そんなスタイルのチームワークを描くための人物として、運用するのも一つの方法ですね。一致団結のカシハラ側とはまた違う、信頼込みの主従関係を体現した人物のような。

    ここまで色々と書きましたが客観的にみるとどの項目も、読者に感じ取ってもらえる水準に達していると思いますよ。描写も丁寧で、場の空気感はちゃんとあるので。あとはその空気感をどう尖らせるかだと思います。ようは場面(状況)に込めた思いを読者に伝えるための演出の拘りですね。ここには自ずと作者の好みや、価値観が反映されるものです。そうした部分が洗練されると今までの意見交換に表れた、もってぃ様が創作に込めた哲学が作品の中で輝くと思いました。

    かなり長文になってしまい、申し訳ないです……。
  • @島流しにされた男爵イモ さん
    非常に有意義な意見交換ができ、楽しかったです。

    長々と引っ張ってしまい、すっかり今回の企画を独り占めしてしまってますね……。
    申し訳ない。

    それはおき、次の『感想・批評企画』にもぜひ参加させて頂こうと思いました。
    ファンタジーのジャンルで、今回のように長編もOKという企画が立ち上がるのを待ちますね。楽しみです。

    ありがとうございました。
  • @もってぃ 様

    こちらこそ創作物に対する意見交換は久しぶりだったので、良い経験をさせていただきました。今回は気になった作品のみを読む企画なので、意見交換は負担にはならなかったですよ。感想を書く予定の作品も、片手で数えられる程度に落ち着きそうです。

    今年は公募に専念したいのでご期待に沿えるかわかりませんが、また企画を開くときには遊びに来ていただけると嬉しいです。もしかするとそれよりも先に、個人的にもってぃ様の作品にお邪魔することもあるかもしれませんが。そのときはよろしくお願いします。

    こうした形での交流に恵まれて、よかったと思っています。
    こちらこそ、ありがとうございました。
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