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★完結した『創世樹』制作を振り返って。

 ~SF冒険ライトノベル『創世樹』を振り返って~

 エピローグも更新を終えまして、とうとう『創世樹』も完全に終わりとなってしまいました。未だ次の創作の目途が立っていないことに不安を感じますが…………ひとつの長編が完結したということで、この創作を振り返ってみたいと思います。長くなりますが、興味のある方はお付き合いください。

 『創世樹』の最初の創作の取っ掛かりですが、最初からWEB投稿ラノベとして始めるつもりはありませんでした。本当の原作は僕が人生で初めて描いた漫画……2011年に某少年誌でよくある冒険漫画をイメージして描き始めた下手な漫画だったのです。漫画を描くのが全くの初心者だったにも関わらず、32ページほどのオリジナル同人誌に挑戦したのです。

 無謀な挑戦でした。自分の執筆ペースも解らず、計画性もあったものではなく、申し込んで目前に迫った同人誌即売会に間に合わせる為、初めて徹夜をして強引に描いていたりしました。懐かしい。コーヒーを飲んでブラックガムを噛み、手をインクまみれにして無茶して描いた20代はじめの思い出。黒歴史とも言うかも。印刷製本も自分でやりましたが、紙のサイズがバラバラで碌に製本も出来ていない有り様。当時の僕は本当に頭が悪かったと思います。

 内容的にはラノベ版の冒頭からナルスの街の外までとほぼ同じ。絵も下手糞で見られたものではありませんが、貴重な経験だったと思います。

 ちなみにその同人誌即売会では同時に刊行したラノベがありまして、それがWEBラノベで初めて形にした『暁が教えてくれたもの。』でした。趣が全く異なる2作ですが、原典はほぼ同時に制作していたんですね。

 その後も紆余曲折あって漫画などの創作は今も断続的に続けていますが、やはり僕が一番無理なく創作出来る媒体はラノベなのだと認めざるを得ないですね。だから、『創世樹』はちゃんと一本の長編として完成させようと思い立ちました。

 ラノベとしての創世樹を何時から書き始めたかもう記憶が曖昧ですが……記憶が確かならば2014年頃から断続的に書いていた気がします。投稿サイトの初期投稿は2016年だと思いますが……何しろ、執筆が本当に断続的で他の創作も幾つも跨いで制作していたような状況だったので、記録もごっちゃになってます(苦笑)

 2014年開始が正しいとなればおよそ9年間制作していたわけですか。断続的とはいえ、人生で最も長い制作期間ですね。当初1話辺りの文字数を決めていなかったのですが、途中で1話2000文字前後に決めてから、そして「これは絶対に完成させよう」と決めてからは安定して書き進められた気がします。

 ラノベ版としても原典同様、某少年誌でありそうなバトル・冒険活劇をイメージして書き出し、プロットも沢山創りました。僕の創作のスタイルはスタート地点を決めたら次におおよそのエンディングをイメージし、そこへ連なるように入れたい要素やエピソードを繋げていくというものなのですが、書いていて変更した部分もあるし、『ジョジョ』で有名な荒木飛呂彦先生もやっている創作術としてキャラクター身上調査書なども作成して登場人物へのイメージと実像を深めていきました。元々創作したキャラクターを自分の精神の一部としてイマジナリーフレンド? に近いようなレベルで詳細にイメージする癖があるせいか、キャラクターが勝手に動くとか、やたらと濃ゆい人物像になったりとかそういうことがよくあるので、鑑賞してくださる人からは『キャラの個性が濃いねえ……』とよく言われます。誉め言葉と受け取っていますが(笑)

 ※荒木飛呂彦先生の『身上調査書』について知りたい人はネットで検索してみてください。表計算ソフトのデータがダウンロード出来ますし、荒木先生自ら刊行した創作術の本にも書かれています。


 コンテストなどで入賞すればもちろん嬉しいのですが、ハッキリ言って『創世樹』は売れセンから大きく外れた、ただただ自分の創作上の趣味を描くことや創作による自分の精神のデトックスなどを目的にして執筆したので、数字などを見れば明らかなとおり人気は鳴かず飛ばずです。それで納得した上で書き続けました。恐らく今後も書籍化やメディアミックスなどは無いでしょう。作品の要素的にも性描写、暴力・殺傷描写、残酷描写などなかなかに過激なものとなったので、何かと創作表現にすら「待った」がかけられてしまう昨今。メディアミックスで大きく日の目を見ることは無いと思います。制作を見届けてくれた友人などと話の種にする程度ですかね。

 『創世樹』を書き上げて、改めてテーマを挙げるならば…………やはり良くも悪くも『人間と言う生命』を描いたことになると思っています。これは他の創作のテーマでも一貫しているのですが、僕は創作においてもう無意識的に、自然と『人間性・ヒューマニズム』『人間の悪辣な本性と善性の意思』などを描かずにはいられないのです。

 僕自身は自分を『人間嫌いで無神論者な厭世主義者』と認識しているので、現実世界においては極めて惰弱な、碌に他人も信頼出来ないような弱い人間と思います。人間の本性は悪。それはここ僅か数年間の世間の出来事だけでも、その疑念が確信へと至ってしまうのでは、と思うほど強く感じてしまいます。当然、そんな捻くれた精神性は作品にもダイレクトに影響する。


 ――――それでも、人間の希望や生きる喜びを一切描かないなんて、寂しいし悲しいじゃあないですか。


 きわめて独りよがりな考え方かもしれないですが、せめて創作世界の中では人は苦労し、苦悩しつつも希望を求めてその生を完成させる為に生きていて欲しい。


 だから、『創世樹』の世界では『過酷な世界でも生命感と強い意志を持って生きること』を特に強調して書いたと思います。生命倫理や種の起源など、大風呂敷を拡げるようなこともしました。スケールだけは大きいですが、今日まであらゆる創作者があらゆる創作物で題材にしてきたことであり、シンプルでありふれた……それでいて普遍的なテーマだと思っています。


 それでもこの作品はメジャー作品とまではいかないと思いましたが、読者様の中でも何人かの方々に実に貴重な応援・感想の御言葉を頂戴することが出来、お陰で執筆を最後まで続ける励みとなりました。この場に代えて格別の感謝を…………。


 今まで10万文字~30万文字程度の長編を書くことはありましたが、70万文字の長編というのは自分の中に無かった記録なので、やはり感情的な入れ込みも強くなりました。(コンテストとかに応募する分には、まあ……不便かもしれないですけど、ね)


 僕は創作活動をラノベだけに絞りたくは無くて、それも贅沢で我儘なことかもしれないと自ら恥じているのですが、漫画、イラスト、ゲーム制作など他の媒体での創作も下手の横好きでやり続けていたくて……次の創作は何を主眼に置くのか、完結した今でも定まりません。

 片手間で描いている日常系漫画か。それともキーボードは叩いていないと落ち着かないからまたエッセイでも始めるか(過去何度となくエッセイを書いては途中で放り投げてます。飽くまで創作に本腰を入れるまでの充電的な意味合いでやることが多いです)。


 自分の中で特別な作品となったのは確かなので、自分の中でもひとつのターニングポイントになったかもしれませんね。『創世樹』を書いている終盤でも、リアルで母が大病を患ってメンタルにまで異状が出て、生活のストレス度や苦しさが大きく増加してきたことも、何かの運命とか試練なのかもしれません。別に宗教は一切信仰していないけど。



 コンテストで賞を狙うよりも、やはり僕は自分の精神的なデトックスやセラピーの一環としての創作に終始しそうです。いや、そうであった方がいいのかもしれません。輝いているのは創作物の中のキャラクターたちだけでいい。自分はただ描きたいだけ。描くことで、擬似的にドラマティックな世界観と人生を感じられれば、それに勝る悦びは無いのかもしれません。



 まあ、創作仲間ぐらいは欲しいですけどね(笑) これからもずっと創作していたいです!!


 それでは、また何処かでお会いしましょう。『創世樹』作者のmk-2でした!!

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