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今宵の虎徹は、どこにある?04 『映像で見る新選組』

 暮れおしせまる年の瀬。みなさまそれぞれにご多忙と存じます。

 ひときわ厳しい寒波のようで、まるで年神様が
「これこれ、年末年始くらいはおとなしくしておきなさいよ」
いってらっしゃるかのようです。
 どうぞ、体調に気を付けてまた心安らかにお過ごしくださいませ。

 皆様には本年も大変お世話になりました。どうぞ来年もよろしくお願い申し上げます。

 ◇◆◇

 葵祭。祇園祭。そして時代祭を京都三大祭と申しますが。
 このうち時代祭は京都遷都1100年を記念して明治時代に始まったものです。
 
 京都御苑で明治維新から平安遷都の延暦年間までのそれぞれの風俗衣装をまとった行列を編成し、お神輿を先導して桓武天皇を祭神とする平安神宮まで練り歩くお祭りです。

 実は学生時代に参加しました。
 着せてもらった鎌倉時代の衣装がカッコよかったり、応天門の前で平安貴族の格好をした高校の同級生と偶然再会したりと本当に楽しい一日でした。
 京都御苑の待ち時間に修学旅行の学生さんに握手を求められ親子連れの方から記念写真を求められた時には正直浮かれました。
 多分あの時が、私の魂が人生でもっともコスプレに近づいた瞬間だったと思います(要らない目覚め)

 ……と、このまま時代祭の体験記を書きたいくらいですが、本稿の本旨はそっちではありません。

 時代祭のメインともいうべき歴史逆回しの風俗行列。
 この行列の先頭は「維新勤王隊列」。
 新選組や白虎隊や、やっと映画公開が決まった『峠』の長岡戦争では敵役になっているあの新政府軍の行進です。――そして当然のことながら。

 この風俗行列の中に『新選組』は存在しません。

 この祭礼が始まった明治時代当時、彼らは今だ歴史的に黙殺されたままでした。

 ◇◆◇

『映像で見る新選組』(2003年学習研究社)によれば、新選組の映画化は驚くほど速く、日本映画黎明期の大正時代にはすでに作られていたとのこと。
「講談本の剣豪物で人気のあった近藤勇」を主人公としたものだったそうです。……私が知りたいのはその「講談本」の正体なのですがこの本からは守備範囲外になるのでもちろん載っていませんでした。

 ただし! この『映像で見る新選組』自体はものすごく面白い本でした。新選組の映画とテレビドラマが時代順に一覧表になっているのがもうこれだけですごい。守備範囲がテレビドラマと映画ですし、発行が2003年ですので、テレビドラマと映画の『壬生義士伝』くらいまでです。それでも『蒲田行進曲』も入っていたり、一行だけですが『るろうに剣心』の項があったり、できる限り拾うぞという姿勢が尊敬するやらありがたいやら。

 これ以降とすると小説なら浅田次郎さんの新選組三部作の残り二作品とか、北方謙三さんの『黒龍の柩』、映像化作品なら大河ドラマの『新選組!』が圏外です。『るろうに剣心』はテレビアニメが放映済みですが実写化は最近ですし。
 また現在の新選組の潮流は実写や小説のほかに、正統派から異聞系異端系各種取り揃えたコミックや、なんといっても『薄桜鬼』に代表されるゲーム系コンテンツとそこから生まれるアニメ化作品という流れを避けては通れませんので今現在につなげるにはその辺の補完が不可欠ですが……これも本稿の趣旨から離れますのでいったん横に置きます。

 映画は人間と場所、機材とお金を必要とするプロジェクトですから、ペン一本で始められる創作と違い、誰かを、あるいはどこかの組織を説得しなければはじめられません。
 となれば交渉あるいはプレゼンのための『材料』 すなわち成功への道筋なり可能性なりを示さなくてはなりません。

 近藤勇と新選組が映画の中の存在として再登場するためには、その『材料』が必要でした。それがなんだったかといえば、前述の『講談本』というジャンルにおける知名度の高さ、になります。

 講談本とは講談の口演を文章化して本にしたもので、明治の終わりから大正にかけて大変流行しました。本の出版のみならず、講談を掲載する雑誌も発刊されました。猿飛佐助をヒーローに押し上げた立川文庫も、この頃「子供向け講談本」として始まりました。

 しかし。

 別の本には、近藤勇が主人公の講談本はあまりなかったともありました。私が確認したのも少年向きがひとつだけ。これには「血に飢えている」という文章はありませんでした。

 大人向けの講談本がどのくらいあり、どんなストーリーであったかは現時点わかっておりません。
 大正時代につくられた映画が無声映画なら活弁がついていたかもしれませんが、さすがに確認の方法がありません。
 また講談本はあったらしいものの、講談の演目としては存在していない疑いも出てきました。
「講談本なのに元の講談がない」というのは矛盾に聞こえますが、これについては講談本と講談雑誌の成り立ちと展開に関わる別問題になりますので、稿をあらためたいとおもいます。

 そして、初期の映画については。
 一部の例外を除いて大正時代につくられた幕末物の中で、新選組は正義の維新志士に対する悪役という役回りが多かったそうです。(最近は維新志士の方がテロリスト扱いされてますが)
 まあ、朝敵、ですからね。
『鞍馬天狗』なんかはその代表作でしょう。時代劇の解説を見たりすると「カッコいい悪役」のはしりみたいに捉えられているようです。
 戦前戦後と映画の中で、敵役として、また主役であればまず近藤勇を主人公として、新選組は人々の前に姿を現した……みたいです。 

 と、いうことは『血に飢えている』はやっぱり映画のセリフなんだろうか。
 よくよく考えてみれば、これって悪役のセリフのようにも思えますし。
 その一方で、本には、大河内伝次郎、坂東妻三郎、片岡千恵蔵、市川歌右衛門、三船敏郎、と錚々たる大看板が近藤勇を演じているとありましたが、どれもこれも相手役と視聴者を圧倒する、迫力のある役者さんばっかりですからこのうち誰かが言ったセリフ等という可能性もありそうですし。

 こりゃあ、ふりだしにもどったかなあ。
 先は長そうですね。

 ともあれ皆様、良いお年を。

 
 

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