• ミステリー
  • 現代ドラマ

酔って思った事

 今日の晩御飯は、ブロッコリー入りのシチューを作りました。お肉は、鶏の胸肉を使おうとしたのですが、古い豚肉が残っていたので、豚肉を使いました。

 今日は珍しく、嫁さんと一緒に食事をしました。とは言っても、僕はシチューをアテにしてビールを飲みます。子供たちのことについて、色々と話をしました。

 嫁さんは食事をした後、夜の9時からまた仕事に行きます。帰ってきたのが夜の8時過ぎです。短い邂逅です。最近、嫁さんの調子が良くなくて、シチューを残しました。もったいないので僕が残りのシチューを食べます。夜の食事が終わりました。

 嫁さんが仕事に行ったのを確認した後、今、パソコンに向かっています。目の前に、ウィスキーのロックを用意して、飲みながら文章を書いています。つまり、現在、酔った状態です。悪しからず。

 まず、お礼が言いたいです。現在、拙書「逃げるしかないだろう」を推敲しつつ投稿していますが、多くの方に読んで頂けています。嬉しい限りです。

 ――書いた文章を、誰かが読んでくれる。

 とても嬉しいことです。反応があるということは、僕の承認欲求が満たされます。世界と繋がったような気持ちになれます。ただ、この時に僕は注意しなければなりません。何の為に、文章を紡いでいるのかを。

 反応が欲しいために、文章を書く――これではいけないと思っています。結果を先に求める仕事に、質の高い仕事はありません。その事を全否定するわけではありませんが、相手に顔色を窺っているようで、なんだか気持ちよくありません。

 結果は後から付いて来る――こうした考え方が理想です。今までになかった価値を生み出し、世間に問い掛ける。結果として、世間から認められる。これは、格好良いです。

 いま世界は、混沌としています。世界は不条理で、無慈悲で、不公平で、簡単に人権が押さえつけられる。自分の存在に不安になり、悩み、苦しみ、怒りを覚えて、そうした気持ちを抱えたまま納得できずにいる。

 何の為に生きているのか。正義とは何なのか。幸せって何なのか。自分に何が出来るのか。そうした根源的なことに、答えを求めている人が多いのではないのでしょうか。

 僕の理想の話になりますが、そうした心に寄り添えるような物語を紡ぎたい。未来のある話を創造したい。僕は、その様に思っています。

 個人的には、俺TUEEEな話は書きません。なんか上手く行ったみたいな物語も書きたくありません。悩み苦しみ、成長して、人生の真実に辿り着いた。そんな話を創造したいです。今は、酔っています。悪しからず。

1件のコメント

  • 「第30話 神武東征――なぜ飛鳥だったのか」への応援コメントへのご返信で、神武東征について否定論が主流なのかという趣旨のご質問を頂いたので、場違いは承知の上で、こちらでご返事することをご容赦ください。

     少し古いものでは星野良作氏の『研究史神武天皇』(吉川弘文館)という著書で、過去の神武天皇研究の概説が伺えますが、近年となると私も素人なので細かい研究動向は分かりません。ですが、様々な本から得られる情報から推測すると、恐らく、否定論が主流であり、津田史観であれば仲哀以前、割と穏当な立場でも崇神よりも前の天皇は存在しなかったという考え方が主流なのではないでしょうか?

     主な考え方としては、記紀の後世の似た記事を古い記事と似た箇所があると、古い時代の記事は新しい時代の記事の反映であるという主張を「反映法」といい、例えば神武天皇の大和入りを、二十年間大和に入れなかった継体天皇がモデルであるとか、壬申の乱の際の大海皇子(天武天皇)の進軍経路と重ね合わせたりする手法を言います。

     只、植村清二・松前健の両氏が、こうした反映法は恣意的・便宜的で安易な方向に流れやすいとも批判されてるように、こういった手法に関する反発も無い訳ではありません。

     幸い、だるっぱ様は馬文化に強いご興味をお持ちとお見受けしますので、昨年11月に発売された平林章仁氏の『神武天皇伝承の古代史』(志学社)が、恐らく最新の動向として参考になるかも知れません。個人的には現在の古代史学者の中では平林氏は殆ど唯一信頼できる方と思っており、この方の著書はおススメです。

     又、歴史学から離れると割と神武紀の記述から史実性を見出す専門家もいない訳ではありません。
     例えば、安本美典氏(『大和朝廷の起源』)は卑弥呼を天照大神に擬え、古代の王権の統治を一代十年とし、神武天皇を大体280~290年頃の実在の人物としたり(これは結構無理がありますが)、鳥越憲三郎氏(『女王卑弥呼の国』)の様に神武や「欠史八代」の天皇の実在を認める説(これは門脇禎二氏(『葛城と古代国家』)に論破されてますが)、大和王権以前に物部氏の王朝があったという谷川健一氏(『白鳥伝説』)あたりでしょうか?(これは偽書である『先代旧事本紀』を信用しすぎている面があります) この辺の説は歴史学的には相手にされていないので、下手に扱うとトンデモ認定される危険性はありますが、小説としてはアリなのかも? とも思わなくは無いです……。

     又、考古学者の白石太一郎氏(「考古学からみた応神以前の王統譜」)の様に初期王墓と想定される外山茶臼山古墳やメスリ山古墳が鳥見山の地、即ち磐余の地にある事からイワレビコ、つまり神武天皇の墳墓である可能性を指摘している例もある様に、必ずしも存在否定説ばかりではありません。
    https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330651233134334

     但し、神武の実在性を論じる識者であっても「伝承」までは認める識者は殆ど皆無であるかと思います。
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する