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ただ単に近況ノートを試してみたいだけ

ぼくは大昔、mixiという今となってはインターネット地層の奥深くで石油化しつつあるサービスに、だれも読まない文章をいくつも放り投げていた。当時は当時でなんらかの目的意識があってやっていたと思うんだけど、もはやぼんやりとしか思い出せない。どうも深夜ラジオの喋りを文章に取り込もうとしていたらしい。なんでそんなことに時間を割いていたのかは、いまいち分からない。

ただひとつ言えるのは、昔も今もなんの値打ちもない文章を書くのが好きということだけだ。

というわけで、十年ぐらい前mixiに捨てていったがらくたの一つをここにさらす。とくに意味はない。強いていえば、カクヨムの近況ノートに対する好奇心がある。



タイトル:松たか子に似てた。(今回の元ネタ:3点ゲーム)
2010年04月09日03:09


文体診断、というサイトがあったのでワーイ僕の文体が診断されるぞと思い診断したところ、mixiに書き散らかしてきたポンチ文は『松たか子』『浅田次郎』に激似らしい。浅田次郎は中学の頃に父がハマってたんで読んでたが松たか子とはこれ如何に。松たか子の文体って何? という疑問はとりあえず後で処理するとして、僕は女優でいうと松ひかるということになる。光栄。


さて話は飛ぶが、この混迷を極める現代社会において、根拠のある確かなものなど一つもない。正義。誠実。正しく在る。何一つとして統一見解などない。今や個々人のモラリティは飛び地だらけの地図のようにまだらに塗り分けられている。

とはいえ、この事実は一種の逆説を炙り出すことになる。つまり、根拠の前史を神話的に捏造してしまうことが可能である。というより、自明なものが欲しければ捏造するしかない。例えば古代人がハイヌウェレ、オホゲツヒメ、ウケモチなどを作物の起源としたように、僕たちは自分で自分を根拠付けていかなければならぬのだ! ポストモダーン! の掛け声で変身し、部屋の隅で一人で昔の批評空間とかを大人しく読むのである! オールレーズンを食べるのである!

ならば僕も現代人として、神話を作るしかあるまい。『こうある僕』を、『こうでしかなかった僕』としなければなるまい。


二年前の春、この絹糸町に引っ越したばかりの僕は地政学的不安に駆られ、とりあえず周辺の本屋を巡った。駅前の商業ビルに入っている『あおい書店』のハヤカワコーナーに売っていたのが、他ならぬ松たか子の処女小説『地蔵ほら地蔵』である。単行本の表紙は確か志村貴子だったけど、文庫版の表紙は何故か岩郷重力+Y.Sだった。オビの推薦文は当然、大森望。松たか子が『若くて現役』と叫んでいる写像をキネティック・タイポグラフィカルに彩った装丁は、当時の観点からすればすごく前衛的だったことを覚えてる。まだE-ペーパーは歩留まり悪くて、文庫の癖に一冊2800円もしたんだよなー。

で、おー、もう文庫落ちしたのかと思い購入。その時一緒にベスターの『虎よ、虎よ!』文庫版も買ったんだな確か。

『地蔵ほら地蔵』の感想だが、謎のマラナガおじさんこと松本幸四郎が主人公であるたか子の実父であると一ページで分かるのが難点。『事実世界』と『虚構世界』を往還する時に登場する市川染五郎が実はたか子のお兄さんだった! と、さも衝撃の事実みたいにストーリーが展開したのも困りものだった。菜の花畑のど真ん中に突然無数の地蔵が現れるイメージもとにかく怖い。Amazonレビューではそのシーンが感動的だとする評もあったけど、よく見たら『どすこい国技館』という縦読みが仕込まれてたので、まあ評価は推して知るべし。

他にもとにかく不満点は多かったけど、これがまあ、僕にとってはべらぼうに面白かったんだわな。もともと僕は腕力だけで描いたような小説が好きだし。具体的に言えば、五百六十人のキャラがひしめく『虚構世界』は明らかにトルストイの『戦争と平和』を下敷きにしててユリシーズはだしのハイパーテクスト。たか子が本場アッバース朝仕込みの暗殺術でアナタハン島の男性兵士を次々殺していくシーンは本気で手に汗握った。『超近接格闘において、拳銃は素手に劣る』ってセリフと共に相手の首を切り落とすシーンの描写は爆発的なイメージ喚起力だった。


荷解きもしないまま、僕は窓際の陽だまりの中でひたすら『地蔵ほら地蔵』を読み続けた。大学は春休みに入っていたから時間だけはたくさんあって、全六冊、しかも一冊一冊が京極夏彦ばりに分厚い大長編をほとんどぶっ通しで読んでいた気がする。疲れたらコーヒーを淹れて一休みして、また読んで、気絶するように眠って、この繰り返し。これほどまでにのめりこんだ読書体験は、今のところ生涯でたった三回だけだ。神林長平の『グッドラック・戦闘妖精雪風』、ドストエフスキーの『悪霊』、そして松たか子の『地蔵ほら地蔵』。


で、とうとう読み終わった時、僕はこの絹糸町に錨を打ち込めた気がしたね。僕の人生がどれほど流転しようと、この町でこの本を読んだという経験は恐らく消えない。なに、廃工場と焼け野原が面積の九割を占めていたって、住民が漏れなくヒロポン中毒だからって、住めば都というじゃないか。大丈夫。僕はこの絹糸町で、確かに生きていける。そんな確信を得たんだ。


そういうわけで、松たか子は僕にとってすごく思い出深い作家だ。無意識なるミメーシスによって文体が似ていたとしても仕方ない。むしろそれは、僕の中に『地蔵ほら地蔵』がどっしり腰を下ろしていることの傍証だ。誇り高くすら思える。ありがとう『地蔵ほら地蔵』。僕もすっかりヒロポンの虜となってしまったけど、おかげで焼け野原にきれいな模様がたくさん見えるようになったよ。



とまあ、最初はTwitterに『深夜の馬鹿力』を元ネタにしたポンチ短文をちょろっと書くつもりがテンション上がっちゃったんでmixiに持ってきたわけだけど、これが僕の文体起源神話である。『松たか子素』として使い回していけるので、皆さんも文体診断の結果に困惑したら使っていただいて構わない。


んで、この神話の一部を文体診断したら猪瀬直樹に激似と言われたので、これから僕は非実在青少年規制賛成派に回ってTwitter上でぼこぼこに叩かれようと思います。もしくはエロスの趣向を変えようと思います。自分でもちょっと驚きの、馬鹿力〆。




以上です。若いねー。

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