道前定則不窮

自分のだらし無いとこを素直に受け入れるべきか、それともその部分を偽りしてあえて他人にバレさせないようにするべきかと、こういった疑いは何度にあってもいい結果を導き出せないだろう。

そのだらし無いとこへの対策を考えず、ただ安逸を求めるなら自らの弱点に苦しめられる一方に済むだけじゃないか?逃げることに慣れたらいずれ逃げ場も失うだろう。最近僕はこの点に深く痛感した。

孔子の「人遠き慮り無ければ、必ず近き憂いあり」という仰せのように、逃げようとしても逃げられない状況に追い込まれないように行き先についてしっかりと考えよう。

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