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誰も私を愛してくれない 愛情飢餓の話

誰も私を愛してくれない。よくそう思います。
本当はそんなことありません。私には私を大事に思ってくれる母親や祖母(父親はやばい人でしたが)、友人、知人がいます。でもそう思ってしまいます。
友人たちは無理して私に合わせてくれているだけなんじゃないか。ここに自分はいてはいけないんじゃないか。ふとした発言やミスで見捨てられるんじゃないか。生きていても誰の役にも立てていないんじゃないか。よく不安になり、人間関係にとても気を使い疲れてしまいます。よく死ぬことも考えますね。
時々無性に人に甘えたくなります。いい歳なのに赤ちゃんみたいになりたいと思ってしまったことすらあり、何かの病気ではないかと疑いました。
ですが本当は愛されたくて人の輪に入りたいけど、慎重になりすぎて何を話せばいいのかわからない。それに気疲れするのが億劫で結局1人を選び、孤独になってしまいます。
どうしようもなくさみしくて悲しくて誰かに愛されたくて、手当たり次第異性を好きになってみたり、マッチングアプリに手を出したこともありました。でも私の場合、ドン引きされるか、そうでなければ決まって変な相手に当たってしまいます。具体的には自己中で自慢話が多く、私のことを貶めてくるタイプばかりとなぜか繋がってしまいます。あまりにも似ているタイプの人ばかり好きになったり付き合ったりするので、男の人はみんな同じ人なんじゃないかと錯覚することもあったくらいです。

原因は何なのか、色々と本を読み漁りました。そこで知ったのは、幼少期の成育環境や親との関わり、それからHSPでした。
まず、幼少期について、Megの母は共働きで忙しい人でした。私が幼児の頃、甘えたくて寄っていっても、邪険にされたり離れていかれることが多かったのです。また母は祖母から虐待を受け、人と情緒的な関係を築くこと、人をほめることが苦手になってしまいました。つまり、理詰めで批判的な人だったのです。私は母親から必要な愛情を必要な分だけ受けられなかったんだなと、大人になって気付きました。
また、Megはこの通り気遣いしすぎて人の輪に入っていくのが苦手ですので、小学校、中学校、高校という、せまい人の輪に無理矢理押し込められる学校という場所が地獄でしかなく、家族や特定の友人等以外の前以外ではしゃべれなくなる場面緘黙症という病になりました。特に中学生のときは学校で一言も話さない日が何日も続いたことがあり、いい思い出が1つもありません。先生も場面緘黙症のことは知らず、何も対処してもらえませんでした。学校でも誰かに甘えたり、愛情を受けることはできなかったどころか、自分は他の子と違ってしゃべれない劣った人間なのだと、自己嫌悪だけがすりこまれました。
一説に、幼少期に親からの愛情を受けられなかったり、自己肯定感をうまく育めない等の体験をした人は、大人になってから精神的に不安定になったり、常に人からの愛情を欲する人になることがあるそうです。反対に自己愛が異常に強いナルシストになる人もいるそうです。私はどうやら前者になってしまったようでした。また、心理学的に恋人=代替的親とされていることもわかりました。私は異性からの愛を求めているようで、実は子ども時代に得られなかった親からの愛情を無意識に求めていたのでした。
さらにHSPがあります。HSPとは、簡単に言ってしまうと生まれつき外部からの刺激を受けやすい脳の構造をしていて、他の人より繊細な人のことです。五感などへの刺激が刺激に敏感で、感受性が高く、共感力が高いと言われていますが、個人的にはそのあたりの症状は人それぞれと思っています。私の場合は、においや光、音によく反応してしまいます。そして一番困るのが、人からどう見られているのか、という部分にかなり繊細になり、ささいなことで落ち込んでしまうことです。どうも感受性が高いようです。この感受性の高さのせいで、人の輪にうまく入っていけないのです。(ちなみにこの感受性の高さのおかげで芸術にふれるとテンションが上がります)

さて、ここまで知って、自分は永久に不安症や愛情飢餓に悩まされるのだと思いました。代替的親はともかくHSPは病気ではないので治りませんから。自分っていいことないなと思いました。でもよく考えたらひとつだけ救いがありました。
それは愛情飢餓の体験が創作に役立っていることです。
以前餓鬼、ブルーローズというくらーいファンタジー的な短編を書いたことがありますが、まさにそんな愛情飢餓をテーマにしました。
今まさに投稿している李夜伝(双妃伝)という長編作品も、愛情飢餓に苛まれている人たちの愛憎劇(の予定)です。
幼少期に愛情を受けられず、愛情飢餓に陥った人は、作家や芸術家になることも多いようです。
振り返れば自分の人生ほとんどいいことなしだったと思います。でもだからこそ同じように悩んでいる人に向けて、共感を示したり、前向きになれるような作品を書きたいなという気持ちもあります。
そう考えると愛情飢餓も自分のアイデンティティの1つなのかな。
誰にも愛されなくて寂しい、死にたいとよく思いますが、そう思うと少しだけ生きていてもいいと思える気がするのです。まあそれでも誰からの愛情が欲しくて時々ちょっぴり、虚しくなりますけどね。

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