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ツイッターにすごい映画の情報が流れてきたので観に行く

 前回、近況ノートで『バイバイ、ヴァンプ!』という同性愛を扱ったひどい映画について語りました。

 https://kakuyomu.jp/users/Mark_UN/news/1177354054894093848

 そしてその段階では予告しか観ておらず、本編が上映されたら観に行くかもしれないと言及しました。それで、普段さんざん「文脈を読もう」と言っているやつが本編を観ないで批判して放置はちょっとアレだろうということで、観てきました。文脈を読んで問題なかったら謝らなくてはなりませんからね。まあ仮に本編に問題なかったとしても「じゃあなんであの予告編を作ったんだ」という別の問題が浮上するのですが。

 というわけで作品を序盤、中盤、終盤に分け、ストーリをざっくり解説しつつ自分の感想を述べていきます。どうでもいいので省いている要素もありますが、完全にネタバレしているので観に行くつもりの人は注意して下さい。でもぶっちゃけ観に行かなくていいと思う。あ、結論言っちゃった。まあいいか。

 それでは、どうぞ

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<序盤>
①主人公の京平が男友達の五郎に告白する。しかしすぐに他の友達が現れ、好きな女の子である美貴への告白の予行演習だったことが分かる。ただ結局、呼び出した美貴への告白はできず解散。五郎がヴァンプに噛まれてタイトルコール。
②噛まれた五郎が女装して学校に来る。五郎に声をかけられた京平たちは逃げる。男性教師(名前忘れた。ガレッジセールのゴリなので以降ゴリ先生)が五郎とすったもんだ。
③男ヴァンプの大牙と女ヴァンプの夜弥が転校してくる。校舎裏で端役を噛む描写などを挟んで、どんどんヴァンプが増えていく。
④京平の妹、姫子から噛まれると同性愛に目覚める吸血鬼の存在が示唆される。
⑤京平が美貴を花火大会に誘う。
⑥京平と友人たちが街を守ろうと決意する。

 この辺は「予想よりマシ」というのが個人的な感想です。例えば①の五郎への疑似告白に対して「キモイ」「吐く」とかあるかと思ったら無くて、むしろ「濡れた」「ドキドキした」とか言ってるんですよね。開幕これだったので「あれ?」と思いました。

 ただもちろん、予告編にもあった乱交パーティー会場と化した教室、②で五郎との旅行の思い出を語って「狙われてた」とか言い出す、⑤で京平が「五郎のやつ俺のお尻狙ってるかもしれないんだよ」と言う、⑥で「同性愛から街を守る」というストーリーコンセプトが放たれるなど、アウトなシーンも山ほどあります。ただ予想よりマシだったというだけで問題がなかったわけではない。それだって予想がマイナス一億点なんだから当たり前といえば当たり前。

 個人的に印象深かったのは②。ゴリ先生は素の同性愛者という設定なのですが、五郎と揉めている時にセクハラまがいのことをしかけて「コンプライアンス、コンプライアンス」と口にします。まさかこの映画から「コンプライアンス」という言葉が「くたばれコンプライアンス」的な意味以外で出て来るとは。意外過ぎて驚きました。

 なお素の同性愛者であるゴリ先生の描写は、みなおかの保毛尾田保毛男やはワンナイの轟と同じ系統だと考えてOKです。要は「同性愛者の一面を強調」とすら言いづらいお笑い用空想モンスター。そんな扱いなのに「予想よりマシ」なのは、繰り返しますが予想がマイナス一億点なだけです。これは予告編から容易に予想出来ますしね。ゴリだもん。

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<中盤>
①京平、妹の姫子と一緒に自分を育ててくれた叔父さんの家に行く。そこで交通事故で死んだ父親がヴァンプだったこと、自分がヴァンプと人間のハーフだということ、交通事故で死んだのではなく処刑されたのだということ(ヴァンプにとって異性愛はタブーなため)、叔父さんも姫子もヴァンプだということを知る(京平の父親が死んだ後、世話役として生き血で幼児まで若返って妹になった)。そして転校してきた大牙と夜弥は純血主義のヴァンプであり、混血の京平を殺しに来たという背景も明かされる。
②仲間たちがヴァンプ退治の名目で京平と姫子をスーパー銭湯に連れて行く。スーパー銭湯に行く理由は「ヴァンプは同性愛者」「スーパー銭湯はゲイの出会いの場」という情報の組み合わせ。
③スーパー銭湯でデート中のゴリ先生と男子生徒に出会う。ここでゴリ先生が素の同性愛者であることが発覚。背中を流されたりする。
④ゴリ先生と別れた後、脱衣所でヴァンプに襲われる。姫子がやっつける。
⑤京平と大牙のやりとり。大牙、街を乗っ取る宣言。
⑥京平と姫子と友人たちで相談。大牙と夜弥が花火大会でヴァンプたちを暴れさせ、街を乗っ取るつもりだと察する。

 ここは、①はまあ悪くなかったです。「ヴァンプは同性愛がノーマル」「京平の父親は異性愛に走った」という点から京平が父親を変態扱いされて困惑するシーンがあるのですが、そこなんかは示唆的で面白いとすら思いました。あと京平が「妹=ヴァンプ=同性愛者」だと気づいたことでそれ関連の会話があるのですが、そこも同性愛だからどうこうみたいな話が全くなくて良かったかな。

 ただ②と③が酷い。どう酷いかは前述の「ゴリ先生はお笑い用空想モンスター」から察して下さい。救いはゴリ先生に背中を流されるのを京平たちが嫌がっていないところと、ゴリ先生と男子生徒が風呂を去った後に京平の友人が「あれも愛の形の一つ」みたいなことを言うところ。「同性云々の前に教師と生徒なんだけどそこはいいの?」という疑問を抱く方もいると思いますが、この映画そういう方面は謎に懐が広いです。後で近親相姦(兄妹)すら肯定するし。

 ④と⑤と⑥についてはホモフォビア的な面からはあまり言うことは無いです。設定や描写がガバいのは気になったけどそんなもの今はどうでもいい。一つだけ言及すると転校生の二人は親玉だから除くとして、普通に会話出来るタイプのヴァンプと意思疎通すら難しそうなゾンビタイプのヴァンプがいるのはなぜなのでしょう。っていうかゾンビタイプのヴァンプ、あれもう同性愛とか関係ないよね。ただのゾンビ。

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<終盤>
①京平が友人たちに自分がヴァンプと人間のハーフであることを明かす。
②京平、花火大会のため美貴に電話。しかし美貴は夜弥に襲われている。京平は姫子および友人と共に美貴の元へ。
③花火大会側の描写。ヴァンプたちに指令を送る大牙。ヴァンプから逃げてきた生徒たちを守ろうとするゴリ先生など。
④京平たち、美貴との待ち合わせ場所だった神社に到着。ゴリ先生含むヴァンプに襲われて散り散りになる。
⑤京平、美貴に会う。しかし美貴は既にヴァンプとなっており、姫子といちゃつき始める。京平は夜弥と対決するが、大牙から夜弥に「京平を屋敷まで連れて来い」と連絡が入り中断になる。(大牙は個人的に京平が気になっている)
⑥京平以外の描写。地元のヴァンプを集めて立ち上がる叔父さん、仲間が次々と噛まれていく中、一人逃げ切って叔父さんと出会う京平の友人など。
⑦京平、屋敷で大牙と対峙。愛の重要さを説き、姫子といちゃつく美貴に告白するも「同性愛に目覚める前に言って欲しかった」とフラれる。
⑧叔父さんたちが乱入。街に聖歌?を流し、花火大会襲撃を止めつつヴァンプたちを元に戻す。美貴も元に戻る。最初からやれ。
⑨大牙がキレる。京平もキレてヴァンプの血が目覚め、大牙を殺す寸前まで行くが、友人と死んだ父親の言葉で止まる。
⑩夜弥が大牙を好きなことを告白する(ヴァンプの掟で異性愛はタブー)。なんかいい感じで丸く収まる。
⑪全てが元に戻る。しかし五郎だけは女装したままで、元からそういう人間だったことが発覚する。京平が五郎に迫られ、美貴に引かれ、「俺は女の子が好きなんだー」と叫んでEND

 ここで酷いのは⑦と⑪。友人たちの逃避行の描写も酷かったのですが、自分はこの二つがかなり気になりました。

 まずは⑦。ここはボスとの舌戦シーンなので作品の「結論」が出ているわけですが、そこで示される構図が「快楽(ヴァンプ)vs愛(人間)」なんですね。大牙が「快楽が何よりも大事だ」みたいなことを言い、京平が「快楽よりも大事なものがある。愛だ」みたいなことを返す。

 これだけなら別にいいんですけど、この作品には「ヴァンプ=同性愛」「人間=異性愛」という構図もあるわけです。つまり「快楽(同性愛)vs愛(異性愛)」ということになる。確かにここまで登場する同性愛者は「発情期か?」というほどセックスのことしか頭になさそうなやつばかりでしたが、ここに来てテーマがそれだったと言葉として明確になるのが厳しい。しかも下記のような感じで「ヴァンプ←→同性愛」のシフトを会話中に入れてきます。

 大牙「快楽に勝るものはない」
 京平「ある。愛だ。美貴ちゃん、好きだ!」
 美貴「同性愛に目覚める前に言って欲しかった(姫子とイチャつきながら)」
 大牙「お前もヴァンプになれ」
 京平「俺は欲に溺れたヴァンプになんてならない!」

 ここで美貴の台詞が「ヴァンプになる前に」ならまだ良かったんですよ。ところが「同性愛に目覚める前に」となっている。作品テーマを語るやりとりの際中に「ヴァンプ=同性愛(=快楽)」を提示しているわけです。それに相対するのは「人間=異性愛(=愛)」。そして最終的に、愛が、人間が、異性愛が勝つ。

 舐めてんのか。

 ついでに⑨でヴァンプになりかけた京平を元に戻すものが「親子の絆」であることも見逃せません。死んだ父親の幻影が、要約すると「異性愛者になって、子どもを持てて、人を愛することが出来て良かった」みたいなことを言い、それが決め手になるんですよね。なるほど、確かに「愛」の定義がそれなら同性愛は「愛」とは言い難いです。子を成せない以上は刹那的な快楽主義者にしかなれない。主旨を理解した。

 はっ倒すぞ。

 次、行きましょう。⑪もかなりヤバいです。五郎が元からそうだったというのが明かされるのはいいんですよ。一人だけ女装していたことの説明にもなるんで。この謎女装が説明可能になるとは微塵も思っていなかったから、それはいい意味でびっくりしました。問題は五郎に迫られた京平の反応。

 京平は「思い出が汚れる」と言います。

 ここの五郎は素です。つまり実際にも起こりうるカミングアウトに対して、本人に面と向かって「思い出が汚れる」と言ってしまっています。これがかなり眉をひそめました。ここまでの酷い発言はそれを「同性愛」ではなく「ヴァンプ」に置き換えて受け止めさせることが出来るものがほとんどでした。加えて記憶にある限り、当人に直接言っている場面はありませんでした(例えば序盤の「五郎のやつ俺のお尻狙ってるかもしれないんだよ」のシーンに五郎はいない)。でもここは違います。ヴァンプではなく五郎という人間に対し、直接的に暴言を加えている。

 友人の一人が「愛の形は自由なんだろ」みたいなことを言ったり、京平が五郎を「かわいい」と評価したり、フォローが入らないわけではありません。ただやはり「思い出が汚れる」はコメディとして許容されている雰囲気が強い。ここは茶化しを入れてはいけない場面だったと思います。いや、他もダメですけど、ここは絶対にダメ。最後の最後で想像を超える思慮の浅さが見えてしまい、そうなると一つ、追加で気になるところが出て来ます。

 それは、③。

 ここはゴリ先生パートなので例のごとくコントなのですが、ここに出て来る「個人的な趣味なだけじゃん」という台詞が気になりました。この台詞はゴリ先生が生徒をヴァンプから守りながら「私を噛め!」「上半身だけではなく下半身も噛め!」と言った時に生徒から入るツッコミです。この流れ自体はいい。それは実際に個人的な趣味だし。

 ただ気になる点があって、この台詞、ただのモブ生徒のツッコミのくせに予告のかなり重要なところで使われているんですよ。具体的には〆のタイトルコールの直前。自分は前回の近況ノートでこの台詞を取り上げつつ「ミスリードの可能性が高い」と推測しました。「(同性愛は)個人的な趣味」と読ませつつ、実際は違うのだろうと。その推測は当たっていたということになります。でも、考えてみてください。

 なぜそんな炎上に繋がるようなミスリードを狙うのか?

 色々語りましたが、実は自分の全編見た感想は「予告編が一番酷い」です。あの予告はかなり露悪的に作られています。特に露悪的だと感じたのが「境町が同性愛の街になっちまう」という台詞の後に場面が切り替わり、京平の叔父さんが「戦の準備じゃ!」と言って仲間たちが「おー」と声を上げる構成。あのシーンの人たち、地元のヴァンプ連合なので、設定上は同性愛者なんですよ。だから「戦」の敵として設定されているものは「同性愛」ではないんです。だけど予告だけ見ると「町の人たちで力を合わせて同性愛を潰そう!」というシーンに見えてしまう。

 そんな露悪的な予告編に、ミスリード目的としか思えない端役の台詞が〆のタイトルコール直前に入っている。しかもそのミスリードは炎上方向に作用するもの。すると、考えますよね。

 「炎上狙いか?」と。

 もちろん、ただの下衆な勘繰りです。炎上狙いにしては、ヴァンプのくせに異性愛に走った京平の父親を指して叔父さんが言った「変態も変態、ド変態だ!」を使っていないなど、甘さを感じる部分もある。京平がヴァンプと人間のハーフであることは予告では出せないし、あれが限界だったのかもしれない。ただ自分の感覚では、予告編は本編以上にホモフォビアを前面に出しているように感じた。それだけの話だと思って下さい。

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<総括>
 ホモフォビアという面から見ると「予告編が一番酷い」「しかし本編は問題ないわけではなくしっかり酷い」というのが自分の総括です。予告マイナス一億点、本編マイナス八千万点みたいな。面白さという面からは何も言いません。出演者のファンが楽しむ用のアイドル映画なので評価しづらい。青バックに川平慈英(京平の父親役)の出る回想シーンが何回か入るのですが、それがシュールすぎてジワったことぐらいはプラス点として挙げておきます(プラスなのか?)

 個人的には本編を観た後に予告編を観ると炎上狙いっぽい雰囲気を感じるのがモヤりますね。もしそうだとすると僕はまんまと引っかかっているわけで。まあ観てしまったものは観てしまったのでどうしようもない。僕含めて十二人しか観客いなかったし、仮に炎上狙いだとしてもあまり成果は出ていないみたいなので、そこを妥協点に諦めます。ホームパーティーみたいだった。カナッペをどうぞ。

 以上、感想でした。そして、最後に。

 この映画は今のところ全国七館しか上映予定がありません。したがって宣伝もそれなりでしかなく、自分もツイッターで批判が回ってくるまで知りませんでした。ニュース番組に出演者が番宣に来たとか、予告編の一部がテレビCMとして流れたとか、そういうことではありません。何が言いたいかというと、僕はこの映画の存在を「拡散」してしまったということです。こんなひどい映画があるぞと、とんでもなくひどい予告編の映像つきで。

 おそらくこの映画、これを許容することで社会に与える影響はさておき、予告編含めこれを観てしまった個人に与える影響だけを考えるなら放置がベストでした。前回の近況ノートで「ポリアンナも良かった探しを諦めるレベル」と言いましたが一つ確実にいいところがあって、予告や説明に強調はあっても虚飾はないので間違って観てしまうことはほぼないんですよね。加えて上映館数も宣伝も小規模。映画公式ツイッターのフォロワー数に至っては僕より少ない始末です。

 だけどつい、拾ってしまった。僕のフォロワーには当事者も多いですから、僕経由で予告映像を観てしまった人もいるでしょう。「炎上狙い」な一面があると感じた時、思いっきり釣られてしまった人間として、まずそこを意識しました。もう手遅れではありますが、その旨、お詫び申し上げます。

 ただ一つ前向きなことを言うと、僕はこの映画は「世間の声」ではないと思います。

 今、同性愛というテーマとしっかり向き合っていると評判の『his』という映画があります。公式サイトで数えたところ上映館数は(上映終了しているものも含めて)62館ありました。全国62館で上映されていてなおかつ評判の良い『his』を差し置いて、全国7館でしか上映されておらずさらに炎上中の『バイバイ、ヴァンプ!』を世間代表に選出するのは、どう考えたっておかしいですよね。まず『his』に失礼。

 大多数から受け入れられていないという現実に反し、『his』のような同性愛と真摯に向き合って結果を出している作品を足蹴にしつつ、日本社会とか日本映画界とか無闇矢鱈に批難の範囲を広げたところで、当事者の自己肯定感を喪失させるだけで何の意味もないと僕は考えます。だから僕はこの映画には「アホがアホなことやっている」以上の意義は与えません(ただし前回も言いましたがここからヒットしたら別です)。もちろんそのアホがどうなろうと知ったことではないので、叩くなとか言う気はないですけどね。それは好きにすればいい。今さら放置してもここまで広まったらもう手遅れですし

 30年前ならこんな映画は当たり前のように通ったでしょう。楽観的ではなく客観的に、世の中良くなっていると思いますよ。悪い話題なのは間違いないですが、あまり憐憫を強めすぎない方向で対処していけたらいいんじゃないかなと、個人的には思っています。

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(2020/02/17追記)

 本映画のプロデューサーとしてクレジットされているGOD氏ですが、過去に「ゴッドプロデューサーKAZUKI」という名前で活動しており、調べたところ想像以上にアンタッチャブルな人でした。

【参考1】
https://chitose11.hatenadiary.org/entry/20090808/1249715345

>小室哲哉が逮捕された時に、小室哲哉に会ったことすらないのに、ワイドショーで小室哲哉について語りまくり、挙句の果てに暴露本まで出した

>脅迫電話をかけたとして、大阪府警浪速署は25日、脅迫容疑で兵庫県西宮市神垣町、タレント「KAZUKI」こと岡村博行容疑者(37)を逮捕した。


【参考2】
https://tamanet.at.webry.info/200811/article_3.html

>ミューズのメッセージを自動書記することで、楽曲や映画・アニメ・CMのストーリーを短時間に完成させる力を持つ、不可能を可能に変える神がかりなプロデューサー。それが『ゴッドプロデューサーKAZUKI』

>信長は生きていた―GOD KAZUKIが伝える“本当の歴史”(1)
>平将門 首塚の謎―GOD KAZUKIが伝える“本当の歴史”(2)
>歴史の時間 (時空を超えた暴れん坊KAZUKI説 (3))

>幼少のときから不思議な体験を重ね、音やストーリーが天の声としておりてくるようになる。


 えっと……

 ガチでスピっているのか、ポーズなのかは分かりませんが、とにかくヤバいのは分かります。変に相手をしてしまった文責を取るためにこの追記を書いているけれど、正直あまり触れたくない。

 とにかく「こういう人の関わっている作品」だというのは念頭においた方がいいかと(ついでに言うとエグゼクティブプロデューサーにも恐喝の逮捕歴があります。なんだこの映画)。作品は作品として批評されるべきなので「だから作品がダメ」と言いたいわけではありません。作品がダメな理由は別に書いていますから、観に行くとか行かないとかはそちらで判断して下さい。ただ何というか、この映画に傷つけられた当事者の方も大勢いるでしょうが、真面目に受け止めて傷つくのは割に合わない気がします。

 なお追記前から宣言しているように僕はこの作品に「アホがアホなことやってる」以上の意義を与えませんし、この作品を「日本代表」として扱うのはありとあらゆる人たちに失礼だと思うのでやりませんが、この企画時点から怪しさ満点の映画が芸能プロダクションや地方自治体の協力を得てたった7館とは言え全国公開されてしまう構造は、さすがに少し見直した方がいいんじゃないかと思いました。相手をしてしまった僕が言うのも何だけどどこかで止まって欲しい。でも何から教えればいいのかしら。Googleの使い方?

3件のコメント

  • >葱畑 りか さん

    それでいいと思います。これ、乗っかっちゃダメなやつでしたね。悔しい。放っておけば勝手に亡くなってくれそうな客入りだったのが救い。

    好意的解釈は……どうでしょう。予告がマイナス一億点なだけで本編もマイナス八千万点ですからね。個人的には「当事者は怒るけど非当事者は笑う」ラインを目指している気がしました。要するに保毛尾田保毛男。そして宣伝を炎上に頼る、みたいな。話題がtwitterの外に出ると危ない気もするのでそのレールには乗って欲しくないですね。
  • 轟ははねトビではなくワンナイだと思います。
  • >@shikakui

    訂正しました。言われるまでマジで混同してた。記憶って怖い
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